学位論文要旨



No 122757
著者(漢字) 森澤,充世
著者(英字)
著者(カナ) モリサワ,ミチヨ
標題(和) 企業の持続可能性の観点からの排出権取引制度の研究
標題(洋) A Study on a Novel Emission Trading Scheme from a Corporate Sustainability Point of View
報告番号 122757
報告番号 甲22757
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第294号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松橋,隆治
 東京大学 教授 佐藤,徹
 東京大学 助教授 吉永,淳
 東京大学 助教授 吉田,好邦
 東京大学 助教授 亀山,康子
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

気候変動の要因は人的活動による環境破壊との見解から、1992年に気候変動枠組み条約(UNFCCC)が採択された。気候変動対策は経済的手法による対策が効果的との判断でOECD諸国では炭素税、排出権取引、産業界との協定が導入されている。

 日本は国内の温室効果ガス削減が進まず、削減を促進する仕組みの構築が望まれている。また削減が急務な事から早期実現可能な仕組みが重要である。そこで既往の排出権取引制度及び日本国内の活動の分析に基づいた日本版国内排出権取引制度の創設が必要と考える。

2.研究の全体フレーム

2.1 研究の目的

本研究は国内排出量削減の可能性と日本企業の持続可能性の双方の観点から、日本企業の国内排出削減を促進するための日本版国内排出権取引制度を提案する事である。削減が急務であり、日本の現状に即して、早期実現可能な排出権取引制度を提案する。

2.2 研究の方針

 具体的には、

(1) 海外の既往の排出権取引制度について分析し、そして国内の排出量に関する政策、経済団体、民間の削減実施についての調査分析

(2) 日本国内での早期実施可能な枠組みを想定し、その枠組みでの排出権取引が実施されたリスク計量

を行い、国内排出権取引制度について提案する。

3.既往の排出権取引制度と国内状況の分析

3.1 EU排出権取引制度:強制参加型制度

EUで2005年に開始された排出権取引制度第1期は11,428施設が対象となり、その総排出量6572.4Mt CO2/年はEU排出量の46%である。特定事業の大規模排出者への排出割当量設定には各国政府の裁量ある。国により企業への割当量に差が生じている。EU各国のNAP(National Allocation Plan:国家割当計画)が各国の総排出量にしめる割合を折れ線に示した。棒グラフは京都議定書目標値と2003年度排出量実績値の乖離の量である。議定書目標値達成が容易な国は概して企業への割当量を緩くしている。

3.2 英国国内排出権取引制度

英国の排出権取引制度は、気候変動税の財源を削減報奨金として削減枠をオークションで設定している。産業界には課税があり、次にその税金還付がインセンティブとなる協定締結の選択があり、協定を結んだ場合の目標達成に排出権取引活用の選択もあるという構造である。

3.3 シカゴ気候取引所

シカゴ気候取引所への自主参加の背景には、ステークホルダーからの企業評価の仕組みがある。2004年通商白書では社会的責任投資の2001年資産残高が、米国が2兆3320億ドルに対して日本は19億ドルである。日本は米国に比較して、企業の社会的責任活動に対して投資家からの影響は小さいことが示唆される。

3.4 経団連自主行動計画

経団連環境自主行動計画は、産業界が69の業種において2010年数値目標を策定し、毎年の実績数値を公表している。このデータについては、政府の審議会である総合資源エネルギー調査会自主行動計画合同委員会が審議し評価している。2010年目標値と2004年実績値の乖離をCO2排出量に置き換えた。目標としている指標がCO2排出量の場合は単純にその差を、他の指標の場合の排出量の算出方法を(4)にその結果を図2に示す。

2004年CO2排出量(E)、2010年目標値(Xt)2004年実績値(Xe)目標と実績の乖離の排出量(A)

図3は各業種の基準年からの排出量増減を示しているが、目標達成産業の排出量増加を示している。自主行動計画は産業全体で2010年排出量が基準年以下を目標としており、自主行動計画の中でのキャップ&トレードは困難である。

3.5 調査分析から国内排出権取引基本設計

EU排出権取引制度での排出割当量は各国の政策により異なり、政府が企業の排出割当量を決定する事の困難さを実証している。英国排出権取引制度は協定の目標達成としての市場メカニズム利用の有効性を示唆している。シカゴ気候取引所は、企業の自主参加を促進するためには評価する投資家の存在の必要性を示している。日本の産業界の自主行動計画はいわば協定であり、未達成については京都メカニズムを使用しても達成すべく海外の排出権購入が実施されている。環境省の自主参加型排出量取引制度の参加者削減実績からは国内においての削減の可能性が示唆されている。そこで協定と排出権取引制度の組み合わせとなる国内排出権取引制度を提案する。自主行動計画未達成企業が国内中小企業の排出量削減を支援する仕組みとしての国内排出権取引制度を想定する。

4 信用リスクの観点からの排出権取引制度の分析

自主行動計画未達成企業が国内排出削減を支援する排出権取引制度を想定した。その制度での市場のリスクについて分析する。

4.1 信用VaR評価手法による制度計量化

排出権取引市場を考えるに際して,排出権を与信債権と置き換え,排出権取引市場を分析する。具体的には想定需要側参加者、想定供給側参加者の構成による取引結果をそれぞれ作成し想定されるリスク量を定量化する。この分析の目的は想定参加者から取引市場全体のリスクを定量化し制度設計を考察し、そして信用リスクが影響を与える相対取引・取引所取引という取引手法について考察する。この評価手法を使用する理由は参加者の構成比、格付けを基にリスク定量化であり、想定した参加者での制度のリスク計量が可能な点にある。

4.2 データ

需要側は自主行動計画の目標未達成産業の企業とし産業所属の企業に需要量を配分する。配分方法は排出量の構成比で配分する。供給側は国内削減としては、環境省自主参加型排出量取引制度の採択事業排出削減データを使用する。需要側と同量になるようプロジェクト数を設定する。企業の格付けは格付機関スタンダード・アンド・プアーズが付与している発行体格付に基づき設定し,デフォルト率の設定には累積デフォルト率1年の値を使用する。また本研究では担保や保証等を設定しないので回収率は0とする。

4.3 シナリオ

(1)予想外損失の予想損失変動リスク算定のために信用度間の推移確率行列を過去のデータから推定する。格付平均遷移率がAとなるようにA(1/12)求め,設定したデフォルト率から1ヵ月毎の将来時点のデフォルト確率を作成する。

(2)デフォルト確率を特定した後に,デフォルトを起こすかどうかを判定する。乱数を発生させ、それぞれの将来時点のデフォルト確率がその乱数を上回ったらデフォルトと判定する。デフォルトが発生した以降のデータは捨象する。各キャッシュフローの割引現在価値を算出する。計測の方法は1月毎のキャッシュフローの現在価値を計算し、企業総和が月毎のキャッシュフローである。1年間の総和が実現キャッシュフローの現在価値である。

(3)この一連のシミュレーションを1万回繰り返して度数分布を作成して,この期待値(期待PV)を算出し,近似的に時価を得る。そして期待PVから一定の信頼区間で見た最小価値を差し引くことで信用VaRを求める。信頼区間95%と99%の値から求める。

C:全体のNPV

Ait:企業iのt月のキャッシュフローの割引現在価値

P:排出権価格 Xi:企業iの排出権量

D:割引率 n:構成企業数

キャッシュフローの計算でのディスカウント率0.5%/月,毎月総額80万tCO2相応の与信債権と設定する

4.4 分析結果

図4が供給側、図8が需要側のヒストグラムで、表1が両者の期待PVと信用VaR95%,99%の比較表である。結果は供給側の実現キャッシュフロー現在価値の期待値は需要側の信用VaR99%を考慮した実現キャッシュフローよりも下回っており、両者の実現額率のリスクの相違を示している。

供給側と需要側のデフォルト生起の差による市場のリスクを図6に示した。この期待値は13.9%、信用VaR(99%)27.5%である。理論上参加者はこの費用を信用リスク分として取引所に預託する必要がある。

5.結言

 本研究では、国内削減を促進する排出権取引制度として、既往の排出権取引制度と日本の状況を分析した結果、産業界の自主行動計画を協定と捉え目標未達成について中小企業の国内排出権を購入する日本型排出権取引制度を提案した。本研究は金融市場の信用VaRを応用して、想定参加者での制度設計の定量化モデルを構築した。提案した制度について信用リスク評価手法を用いて計量した結果、国内の中小企業での削減による排出権創出を想定した場合の供給側の期待値は、需要側の期待値から99%信頼水準での信用VaRを考慮した現在価値より低い。この需要側と供給側の実現キャッシュフローの差を計量した結果99%信頼水準での信用VaRは27.5%である。需要側と供給側のリスクがあわず、取引所取引では理論上、参加者は多額の参加費用が必要となることが判明した。さらに、エネルギー使用量の削減、エネルギー転換により生じる排出権の特異性と、企業の排出量管理のバウンダリーの多様化からは、取引相手が特定できる相対取引が適していると示唆される。相対取引から生じる問題は、電子取引化により市場の流動性・透明性向上が可能である。早期実現可能な国内削減に寄与する排出権取引制度創設は有用であると考える。

参考文献小田信之,金融リスクの計量分析,(2001)朝倉書店.産業構造審議会総合資源エネルギー調査会自主行動計画フォローアップ合同小委員会,自主行動計画フォローアップの評価(2005).森澤みちよ,松橋隆治,吉田好邦;信用リスク管理手法を用いた英国排出権取引制度の分析,環境情報科学第20回論文集(2006).

図1 各国の排出量目標との乖離とNAP

Napratio=Napemission(2003)/Emission(2003) (1)

Achievementabsolute(2003)=Target(absolute)-Emission(2003) (2)

Target(absolute)=Emission(baseyear)x(1-Target(number) (3)

Napratio:各国のNAP比率,Napemission(2003):各国のNAP量,Emisson(2003):各国の2003年総排出量,Target(absolute):各国の京都議定書の削減目標排出量,Achivementabsolute(2003)各国2003年での京都議定書目標との乖離量,Target(number):各国の京都議定書削減目標数値,Emission(baseyear):各国の基準年総排出量

図2 自主行動計画目標達成状況

図3 産業界のCO2排出量の基準年からの増減

図4 供給側実現キャッシュフロー

図5 需要側実現キャッシュフロー

表1 需要側と供給側の比較

図6 実現キャッシュフロー需給の差のヒストグラム

審査要旨 要旨を表示する

 日本は気候変動枠組み条約に署名し、京都議定書では国内排出割当量が基準年比6%減の数値目標が設定されているが、日本の排出量は増加が続き2005年度は基準年比8.1%増の状況である。京都議定書約束期間は2008年から2012年であり、早急な国内削減対策が必要とされている。本論文は、産業界での排出量の量的管理として他のOECD国で用いられている温室効果ガス排出権取引制度に着目し、国内削減と企業の持続可能性の観点から国内排出権取引制度の提案をおこなうものである。そして提案した制度について信用リスク分析、削減技術の費用便益分析を用いて市場での取引手法や取引期間について評価をおこなうものである。以下に各章の要旨を示す。

 第1章では本研究の背景と目的及び環境政策の概観を述べている。

 第2章では既往の排出権取引制度を調査分析している。調査対象であるEU排出権取引制度、英国排出権取引制度、シカゴ気候取引所の制度設計について概括し、他の政策との併用による有用性、制度設計による市場への影響と課題について調査している。

 第3章では日本国内産業界の排出量に対する既往の政策、産業界の活動の現状について概括し、受容性のある排出割当量設定方法と国内削減の可能性を調査している。

 以上の分析より次の知見を得ている。

1) 政府が企業の排出量を設定する際には、企業の排出量データの準備が重要であり、データを基にした適切な割当量設定を実施できない場合は、排出権取引制度は温室効果ガス削減に寄与していない。

2) 排出権取引制度は制度単独だけでなく、規制や税などの他の政策に排出権取引を併用する事により、企業に恣意性を生じさせている。

3) 日本では産業界への協定や規制が存在するが、その未達成に対してのオフセット先が国内になく、企業は海外での削減による排出権を購入している。一方で規制の対象となっていない中小企業に対しては、環境省、経済産業省が補助金事業によるCO2排出量削減を実施している。

 本研究では、大企業が目標達成の為に中小企業での排出削減による排出権を購入する仕組みとしての国内排出権取引制度を提案している。

 第4章では提案した排出権取引制度について、信用リスク計量手法により取引リスクを推計している。需要側と供給側の各想定参加者に起因する取引市場全体のリスクを定量化し、制度設計を考察している。

 シミュレーションから得られた主な知見は以下のとおりである。

1) 供給側と需要側のデフォルト生起の差は、期待値が13.9%で、99%での信用VaRは27.5%である。理論上参加者はこの費用を信用リスク分として取引所に預託する必要がある。

2) 電子取引プラットフォームが取引所に類似した価格優位な取引が可能であるが、信用リスクは各参加者に残存し管理する事となる。価格優位では取引困難な技術の取引を可能にするためには従来の相対型が示されている。

3) 相対取引では取引リスクは参加者に残存するが、金融機関が参加し一定の格付け以下の参加者と取引を実施することにより、取引参加者の利便性が向上し、そして取引市場のデフォルト率が低下することを示している。

4) 取引期間によるリスク額を比較し、1ヶ月の期待値が2.6%、12ヶ月の期待値が31.7%と、提案した制度では期間が長くなるとリスクが大幅に増加する事が示されている。先渡し取引ではデフォルトリスクが高くなることから直物取引を基本とすることが重要である。

 第5章では、日本国内の中小企業が導入可能な技術に関し、経済性評価から削減側が必要とする価格から国内排出権の潜在価格について、期間を3年、5年、7年、10年と設定し示している。排出権の特異性について調査分析している。

1) 企業のプロジェクト実行のハードルレートを10%と仮定した場合、設定期間が5年であればハードルレートを超える導入技術が多く、排出権市場価格の変動に関係なく取引が可能であることから、取引期間は5年が妥当と示している。

2) 企業の経営戦略から、サプライチェーンでの排出権購入や、消費者である地域企業での排出権購入が示されている。

 第6章は以上を総括し本論文の結論を述べている。

 本研究の新規性としては2点あげられる。1点目は国内排出権取引制度を大企業に対する既往の規制をキャップとし、そのオフセット先として中小企業でのベースラインアンドクレジット方式排出削減での排出権を創出し取引を提案している。既往の研究が企業の排出割当量の設定方法に焦点をあてているのに対し、割当量設定方法は既往の規制を充当することで産業界の受容性が得られる。そして規制が実施されていない中小企業での削減効果を対象としたことにより、国内削減の実効性が期待される。2点目としては、提案した取引制度について想定取引参加者を基に信用VaRモデルを用いて定量的に評価している点があげられる。金融市場の定量化手法である信用VaRを、制度のリスク計量に応用している。

 以上、本研究は、内容がオリジナルであることに加えて、国内削減の実効性がある国内排出権取引制度を提案するという社会的意義を持つものである。

 なお、本論文第4章は、松橋隆治、吉田好邦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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