学位論文要旨



No 122760
著者(漢字) 有光,知理
著者(英字)
著者(カナ) アリミツ,サトリ
標題(和) 眼球運動センシングによる自動車運転時の眠気評価と覚醒刺激に関する研究
標題(洋)
報告番号 122760
報告番号 甲22760
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第297号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 人間環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,健
 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 助教授 広田,光一
 東京大学 助教授 福崎,千穂
 東京大学 教授 吉村,忍
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は,「眼球運動センシングによる自動車運転時の眠気評価と覚醒刺激に関する研究」と題し,眼球運動の変化から運転者の眠気を検出する手法と,運転者を効果的に覚醒させる刺激に関する基礎研究をまとめたものであり,全5章から成る.

 第1章は序論であり,統計資料の検証結果から,居眠り運転防止の必要性を明らかにした.さらに,眠気評価と覚醒促進に関する先行研究の調査結果をもとに,本研究の目的および研究の流れについて述べた.交通事故を減少させるために,事故発生を未然に防ぐ「予防安全技術」の開発が注目されている.交通事故類型および運転者の法令違反に関する統計結果から,運転者の「内在的前方不注意」が交通事故要因の大半を占めていることがいえる.「内在的前方不注意」の中でも「居眠り」に関しては,運転者の意識改善だけでは解決することが困難である.したがって,運転者の「居眠り」を防止することが交通事故の減少に大きく貢献すると予測される.運転者の眠気を評価する手法として先行研究では,運転操作に着目した方法や,運転者の生体情報に着目した方法が数多く考案されている.しかし,各手法の有効性を比較した例は少なく,各手法の示す結果について相対的な関係性を明らかにした例もない.また,運転者を覚醒させる刺激については,警告音・警告表示・香りによる覚醒刺激が提案されているが,人間の感覚機能に基づく刺激の分類や,刺激の覚醒効果を相対的に比較した例はない.本研究では,将来的に居眠り運転を予防するシステムを確立することを目指し,眠気評価手法の構築および有効性の比較,人間の感覚機能に基づく刺激の分類および覚醒効果の比較を研究の主眼としている.

 第2章では,睡眠状態の計測方法や睡眠状態を示す生理学的知見の調査を行い,居眠り運転防止システムの開発に向けた実験環境の要求仕様を明らかにした.さらに,実験に用いるバイオフィードバック型ドライビングシミュレータの構成について詳述した.

 運転者の眠気を評価する手法を構築するためには,居眠り運転をしている被験者の生体情報や車両操作情報を取得する必要がある.居眠り運転に伴う危険性を排除し,効果的に運転者の居眠りを誘発することを目的として実験環境の構築を行った.実験環境であるドライビングシミュレータのハードウェアとしては,臨場感を高めるために実車のダッシュボード・ステアリング・ペダル・シート・シートベルトを用いた.さらに,ドライビングシミュレータの周囲をカーテンで覆うことで外部からの刺激を遮断し,眠気を誘発する環境とした.シミュレーションソフトウェアでは,短時間の間に被験者を居眠りの状態に至らせるために,単調な高速道路を模擬した.情報取得部・眠気解析部・覚醒促進部をドライビングシミュレータに導入し,眠気評価手法および覚醒刺激の有効性の確認実験を行うことが可能な環境を構築した.

 第3章では,運転者の眠気を評価する方法として,走行位置ずれ量・運転者の主観・運転者の顔表情・眼球運動パターン・眼球運動の周波数解析結果に着目した5つの手法について述べた.

 走行位置ずれ量による評価手法では,運転者の眠気増加に伴って車線中央から走行位置までの距離が増加することを予測し,ドライビングシミュレータを用いた検証実験を行った.その結果,80%の被験者においては,覚醒状態から睡眠状態へ向かうに従って車線中央から走行位置までの距離が増加する結果が得られた.したがって,眠気の増加に伴って走行位置のずれ量が増加することに加え,ドライビングシミュレータが効率よく被験者の眠気を誘発する実験環境であることが確認された.

 運転者の主観による評価手法では,一般的な眠気の主観評価指標をもとに眠気を5段階で評価する指標を考案した.主観評価の指標は,被験者が運転中においても口頭で回答することができるよう単純化し,1:眠気なし・2:少し眠気を感じる・3:眠い(1分間にマイクロスリープ1回)・4:かなり眠い(1分間にマイクロスリープ数回)・5:非常に眠い(運転不可能)の5段階に定めた.ドライビングシミュレータにおける実験から,主観評価によって走行位置ずれ量と同様に眠気の増加を計測することが可能であることがわかった.また,主観評価を用いることで走行位置ずれ量には変化が現れない段階の眠気を検出することが可能であると示唆された.

 顔表情からの評価手法では,「眼の開閉度」に対する6段階の評価と「瞬きの速度」に対する2段階の評価の組合せによって,1:全く眠くなさそう・2:やや眠そう・3:眠そう・4:かなり眠そう・5:非常に眠そう・6:眠っている,という6段階で眠気評価を行うフローチャートを作成した.フローチャートによって評価基準の統一を図ったことで,検査者ごとの評価結果の標準偏差が1.2になり,NEDOによる顔表情からの眠気評価指標を用いた場合の標準偏差1.7よりも,評価のばらつきを減少させることができた.

 眼球運動パターンによる評価手法では,顔表情評価を定量的に計測することを目的とした指標を構築した.顔表情評価において運転者の眠気が検出される段階では,EOG法によって取得した眼球運動に,なだらかな眼球運動波形が出現することが観測された.なだらかな眼球運動の定量化においては,眼球運動の移動距離(眼球回旋角)と移動速度の算出を行った.40名の被験者を対象とした実験結果より,眼球回旋角12°以上,平均速度23°/s以下の眼球運動を検出することで,顔表情評価によって「3:眠そう」から「6:眠っている」と評価される段階の眠気検出が可能であることが明らかになった.

 眼球運動の周波数解析による評価手法では,眠気の増加に伴う眼球運動の徐波化に着目した先行研究による眠気評価値(KE)の算出方法を用いた.ドライビングシミュレータによる走行において,KE・脈拍数・心電図(LH)・体温・皮膚抵抗・呼吸数の同時計測を行い,走行位置ずれ量の変化との比較を行った結果,KEが走行位置ずれ量と最も高い相関(相関係数0.8)を示すことが明らかになった.

 5つの眠気評価手法による同時計測結果から,眠気は顔表情に最も早く表れることが示された.顔表情の客観評価は,運転者の主観評価よりも,平均5分早く眠気を検出することができた.また,顔表情評価・眼球運動パターン・KE・走行位置ずれ量の順に,早い段階で眠気を検出する結果が得られたことより,顔表情・生体情報(眼球運動)・タスク遂行能力(走行位置維持)の順で眠気に対する感度が高いことが明らかになった.さらに,非接触で眼球運動計測を行う方法として,CCDカメラによって撮影した運転者の眼球映像から,画像解析によって瞳孔中心座標を抽出する計測法を構築した.画像解析法とEOG法による眼球運動計測結果の相関係数は0.7であり,画像解析による計測が眼球運動計測法として有効であることを示唆した.

 第4章では,覚醒刺激を人間の感覚器や動作に基づいて分類し,被験者の主観評価に基づく覚醒持続時間から,各刺激の覚醒効果を比較した.覚醒刺激は,「受動的刺激」と「能動的刺激」の2種類に分類した.

 「受動的刺激」としては人間の感覚機能に基づき,視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚を刺激する覚醒刺激を選定した.具体的には,視覚刺激として白熱灯,聴覚刺激として警告音と音楽を,味覚刺激としてはミントとカフェインを,嗅覚刺激としては森林の香りと樟脳の香りを,また,触覚刺激としては送風と振動を選定した.

 「能動的刺激」としては運転環境において運転者が行うことのできる動作を想定し,発声・体動・咀嚼・嚥下の4種類を刺激選定の基準とした.具体的には,発声を行う動作として発話(しりとり)と唱歌を,体動として頚と肩を対象とした5種類のストレッチを,咀嚼を発生させる刺激としてガムを,また,嚥下を行う刺激として50mlの水を選定した.

 各刺激の効果を示す指標としては,運転者による5段階の主観評価によって,眠気評価値が「3:眠い」から「5:耐え難いほど眠い」に至るまでの時間を計測した.この時間を覚醒持続時間とし,ドライビングシミュレータでの走行時に各種刺激を与えた際の時間を比較した.その結果,同じ感覚器官を刺激する場合でも,音楽や送風のように情動や快適性に変化を与える刺激の方が,警告音や振動のように単調な刺激と比較して覚醒効果が高いことがわかった.また,全体的な傾向として,被験者自身が体の一部を動作させる能動的刺激の方が,受動的刺激よりも覚醒持続時間が長いことが明らかになった.

 さらに,覚醒刺激が眼球運動計測による眠気評価手法に与える影響を検討した.刺激を与えない場合には0.8と高い相関係数を示していた走行位置ずれ量とKEについて,各刺激を駆動した際の相関を比較した.その結果,発声を伴う唱歌刺激においては相関係数が0.1に低下した.一方,周期的な咀嚼を繰り返すガムによる刺激では,相関係数が0.7にとどまっていた.また,全体的な傾向として被験者に覚醒刺激を与えることが,眼球運動計測に影響することが明らかになった.

 第5章は結論であり,本研究の総括とともに今後の展望について述べた.

 眠気評価手法については,なだらかな眼球運動パターンを検出することで,運転者の眠気評価手法として最も有効な顔表情評価の定量化が可能であることを明らかにした.また,覚醒刺激については,感覚機能別に分類した各種刺激の有効性を,覚醒持続時間として定量的に示した.

 本研究で確立した運転者の眼球運動を用いた眠気評価の基本技術と,運転者の覚醒を促す各種刺激の総合評価は,居眠り運転防止システムの実用化における重要な知見となる.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,「眼球運動センシングによる自動車運転時の眠気評価と覚醒刺激に関する研究」と題し,眼球運動の変化から運転者の眠気を検出する手法と,運転者を効果的に覚醒させる刺激に関する基礎研究をまとめたものであり,全5章から成る.

 第1章「序論」では,自動車運転者の眠気評価法に関する既存研究を,運転操作に着目した方法と運転者の生体情報に着目した方法に分類することにより分析し,各手法の有効性を比較した例が少ないこと,および運転者を覚醒させる刺激法を含めた総合的な評価が行われていないことを指摘している.これらの議論を踏まえ,居眠り運転を予防するシステムを確立することを目指し,眠気評価手法の構築および有効性の比較,および人間の感覚機能に基づく刺激の分類および覚醒効果の比較を研究目的としている.

 第2章「居眠り運転計測の実験環境」では,睡眠状態の計測方法や睡眠状態を示す生理学的知見の調査を行い,居眠り運転防止システムの開発に向けた実験環境の要求仕様を明らかにした上で,実験装置の設計と構築について述べている.実験装置の中心となるドライビングシミュレータにおいては実車の部品を多用して臨場感を高めるとともに,被験者の眠気を誘発しやすい単調な高速道路運転を模擬した映像を用いている.さらに実験中の被験者の心電図や脈波等の生体信号および顔画像を記録する装置を設置し,覚醒刺激としてシートベルトに振動を与える駆動機構と首筋へ冷風を吹き付ける空調設備を組み込んでいる.

 第3章「眠気評価手法」では,運転者の眠気を評価する方法として,走行位置ずれ量・運転者の主観・運転者の顔表情・なだらかな眼球運動・眼球運動の周波数解析結果に着目した5種類の手法について述べている.

 顔表情からの評価手法では,「眼の開閉度」に対する6段階の評価と「瞬きの速度」に対する2段階の評価の組合せによって,1:全く眠くなさそう,2:やや眠そう,3:眠そう,4:かなり眠そう,5:非常に眠そう,6:眠っている,という6段階の眠気評価を行う判定手法を開発している.本手法は独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から公表されている眠気判定手法に基づいているが,実際に判定を行っている検査者の判断を詳細に分析し,従来の判定基準をより具体的かつ客観的な判定基準に改定したものであり,眠気判定法をフローチャートとして完成させている.本手法の開発により検査者の個人差を縮小することに成功している.

 眼球運動パターンによる評価手法は,眠気の増加とともにEOG法によって取得した眼球運動になだらかな眼球運動波形が出現するに着目した新しい眠気評価手法である.被験者40名の眼球運動を分析した結果,眼球回旋角約12°以上,平均角速度約23°/s以下の眼球運動を検出することにより,顔表情評価による「3:眠そう」から「6:眠っている」と評価される段階の眠気検出が可能であることを示している.

 眼球運動の周波数解析による評価においては,眠気の増加に伴う眼球運動の高周波成分が低周波成分に対して相対的に低下する徐波化に着目した眠気検出法を採用した.運転シミュレータにおいて脈拍数・心電図(LF)・体温・皮膚抵抗・呼吸数との同時計測を行った結果,眼球運動の徐波化が走行位置ずれ量の変化との相関が最も高いという実験結果を得ている.

 これら複数の眠気評価手法による同時計測結果から,眠気は顔表情に最も早く表れ,続いて眼球運動,車線ずれの順で眠気の増大を検出できることを示している.

 第4章「覚醒刺激」では,覚醒刺激を人間の感覚器や動作に基づいて分類し,被験者の主観評価に基づく覚醒持続時間から,各刺激の覚醒効果を比較している.覚醒刺激を「受動的刺激」と「能動的刺激」の2種類に分類し,眠気の増加が検出された被験者に対して,音,光,シートベルト振動,冷風,等,さまざまな覚醒刺激を与える実験を行っている.その結果,同じ感覚器官を刺激する場合でも,音楽や送風のように情動や快適性に変化を与える刺激の方が,警告音や振動のように単調な刺激と比較して覚醒効果が高い.また,全体的な傾向として,被験者自身が体の一部を動作させる能動的刺激の方が,受動的刺激よりも覚醒持続時間が長いことを示している.

 第5章「結論」では本研究の成果をまとめて総括するとともに今後の展望について述べている.

なお,本論文4章は佐々木健,保坂寛,板生清,廣田輝直,中川剛,河内泰司との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験計画および分析と検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 本研究で確立した眼球運動を用いた自動車運転者の眠気評価の基本技術と,覚醒を促す各種刺激の総合評価は,居眠り運転防止システムの実用化における重要な知見となる.したがって,博士(環境学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク