学位論文要旨



No 122763
著者(漢字) 城野,克広
著者(英字)
著者(カナ) シロノ,カツヒロ
標題(和) ナノ細孔内部の吸着現象および移動現象に関する分子論的研究
標題(洋)
報告番号 122763
報告番号 甲22763
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第300号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 人間環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大宮司,啓文
 東京大学 教授 飛原,英治
 東京大学 教授 岡本,孝司
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 長崎,晋也
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

 近年ナノメートルスケールの構造体の合成技術,加工技術の発展は著しい.これらは次世代のアプリケーションにとって重要な材料と目され,様々な実験的,あるいは理論的な研究がなされている.直径2nm以下の細孔を持つ多孔質体はマイクロポーラス体,あるいは直径2nmから50nm程度の細孔をもつ多孔質体はメソポーラス体と呼ばれている.シリカ系マイクロポーラス体の代表とも言えるゼオライトは天然にも存在し,またその合成も盛んに行われ,安価な吸着膜材料の候補として考えられる.また1992年にMCM-41と呼ばれる規則正しいメソ孔をもつシリカの合成が報告されて以降,メソポーラス体の合成技術の向上は著しく,将来的にはこれらのメソポーラスシリカも吸着分離膜の候補として期待されるものである.また,最近のMEMS技術は限られた場合には数nmのオーダでの加工を可能としている.これらの材料を用いた流体の移動現象の制御技術はNanofluidicsと呼ばれる新しい研究分野を切り開きつつある.このような材料内での吸着現象や移動現象において,実験では限界のある微視的過程を解明する上で,分子シミュレーションは非常に有用である.本論文には,第2章において,親水性/疎水性ゼオライトへの水蒸気吸着について分子動力学計算を行い,親水性の違いが吸着機構や吸着構造などにどのような違いを与えるか考察する.第3章においては,親水性ゼオライト中の水分子に可変電荷モデルを用いて,親水性ゼオライト中に閉じ込められた水分子が電気的にはどのような状態にあるか確かめ,その吸着熱などへの影響を考察する.第4章においては,MCM-41を想定して,細孔径の異なる3つのガラス細孔内に閉じ込められた水分子について,分子動力学法と化学ポテンシャル計算による計算機実験を行い,細孔径の違いが細孔内での水分子の相変化や拡散に与える影響などを考える.第5章においては,シリカ細孔内に含まれる水分子のもつ特性を調べるために,表面の親水性が異なる2つの細孔について,分子動力学計算を行う.

第2章 親水性および疎水性ゼオライト内に存在する水の分子動力学

 300KのNVTアンサンブルにおいて,分子動力学計算が行われた.NaX型(親水性),NaY型(疎水性)の2つのゼオライトを対象とした.水分子は計算の始めにはスーパーケージ内にランダムに配置された.その個数,N,は1単位格子につきN=32,64,96,128,160,192,224個である.N=224個はほぼ実験で得られている最大の含水量に等しい.ゼオライト,水分子の計算モデルには既存のものを用いた.ゼオライト-水分子間の相互作用は量子化学計算などと比較して,妥当なものを用いた.計算された吸着構造を動径分布関数によって検討した.図1に水分子の酸素原子間の動径分布関数を示す.NaXにおいて,第1ピークが結合距離r=3.5Åの位置に低含水度で現れていることが分かる.これは単に上記の2つの親水サイトのうち隣り合う親水性サイトに位置する水分子の間に見られる距離で,水分子同士が積極的に相互作用して現れるピークではない.一方でNaYにおいては,第一ピークの位置は液体水のものとほぼ同じである.このことからNaYでは水分子同士のクラスタリングが低含水度からよく進むことがわかる.図2a-I,IIおよび2b-I,IIはスーパーケージを繋ぐ断面における水分子の分布を示したスナップショットである.中間程度の含水量(N=128)においては,NaX,およびNaYの壁際付近に局在していることが分かる(図2a-Iおよび2b-I).しかし,NaXにおいて,高含水度(N=224)のとき,壁際付近はもちろんのこと,12員環に水分子が数多く位置していることが分かる.一方でNaYにおいては高含水度(N=224)では水分子はスーパーケージ内全体に分布していることが分かる.このように高含水度では,水分子同士が細孔内で凝集する様子も捉えることができた.NaXにおいては,(1)Naへの水分子の水和,(2)壁面への単層吸着,(3)12員環付近での凝縮の3段階の吸着を確認した.NaYでは(1)と(3)は同様だが,壁面への単層吸着よりもNaの周辺でのクラスタリングの方が顕著に捉えられる.

第3章 電荷変動分子動力学法を用いた親水性ゼオライト内に存在する水分子の双極子モーメントについての研究

 本研究では電荷変動分子動力学法が,様々な含水度のNa-LSX(Si/Al=1のNaX)内の水分子の計算に適用された.NVTアンサンブルが用いられ,温度は300Kに制御された.計算系はNa-LSXゼオライトの単位格子で周期境界条件が用いられた.初期条件として,水分子はスーパーケージ内にランダムに配置され,160psを緩和計算として,つづく320psを解析の対象とした.計算セルに含まれる水分子の個数,N,はN=0(乾燥状態),32,64,96,128,160,192,224の8つが計算の対象とされた.図3は計算された双極子モーメントの絶対値について平均をとったもの,<|μ|>,と吸着した水分子の個数,N,の関係を表したグラフである.低い含水量においては双極子モーメントの大きさは液体水のものよりも小さい.一方で,N=32に計算された2.57Dは,気相のSPC-FQが持つ1.85Dよりも大きい.すなわちNa-LSXに吸着した水を取り囲む局所的な電気的性質は,低含水度では気相と液相の間程度にあるといえる.高含水度では水分子の双極子モーメントの大きさは,液体水の双極子モーメント(2.83D)とほぼ同じとなった.この計算結果は高い含水度において,Na-LSX内の水分子周辺の局所的な環境はほぼ液体水のものと等しいことを示唆している.水分子同士の相互作用による微分吸着熱を図4に示す.Nが増えるにつれて,分子内相互作用のエネルギー,dU(W-W)(intra)/dN,は大きくなり,系をエネルギー的に不安定化し,吸着を阻害する.一方で,水分子間の相互作用,dU(W-W)(inter)/dN,は,系をエネルギー的に安定化し,吸着を促進する.双極子モーメントの変化とともに考えると,図3に見たように,<|μ|>の値は吸着量Nが増えるにつれて増えていくために,水分子の双極子モーメントの変化は分子内相互作用によって系を不安定化し,分子間相互作用においては系をエネルギー的に安定化させている.それらをあわせた全体の微分吸着熱,dU(W-W)/dN,の定性的傾向は固定,可変電荷のどちらのモデルを用いても大きな差異が現れなかった.

第4章 シリカ細孔内に閉じ込められた水の分子動力学

 3つの細孔径が異なる細孔(直径d0〜1.04,1.96,2.88nm)をα-quartzからモデリングした.それぞれポアS,M,Lとする.量子化学計算と比較し,妥当性を確認した計算モデルを用いて,NVTアンサンブルを用いた分子動力学計算を行う.また系の熱力学的安定性を確かめるためにWidom法を用いた化学ポテンシャルの計算を行う.本研究では,ポアSに0,12,24,36,48,54個の,ポアMには0,48,144,192,240,288個の,ポアLでは0,24,48,96,192,288,336,384,480,576,672個の水分子を細孔内に入れた系を計算対象とした.水分子は計算の最初にはそれぞれの系についてランダムに細孔中に位置させた.温度は300Kに制御された.計算時間の短縮のために,水分子と表面シラノール基以外は計算中にその運動を計算されなかった.解析に用いた本計算において,全計算時間は1200psとられた.計算された化学ポテンシャルから,2つまたは3つの相を捉えることができた.図5に示すように,ポアLでは表面の親水基との水素結合,単層の吸着,細孔内への凝縮の3つを捉えることができ,ポアMでは表面親水基との水素結合,細孔内への凝縮の2つの相を,ポアSでは,表面との相互作用と,表面への単層吸着の2つの相を捉えることができる.このように細孔径によって,細孔内の水の相が変化することが捉えらることができた.図6は細孔内の水分子の局所的な拡散定数を示している.表面第1層の水分子の拡散定数はバルクの液体体のものよりも小さい.ポアLにおいては表面から細孔中心に向けて,拡散定数は増加し,最大の含水量において,細孔中心で水分子の拡散定数は液体水のものと同じになった.ポアMでも同様の傾向が見られたが,細孔の中心においてその拡散定数は0.8程度になった.このように高含水度の細孔中心付近でもバルクと異なる特性を捉えることができた.

第5章 親水性および疎水性シリカナノチャネルを用いた物質移動に関する研究

 2.00nm直径のシリカ細孔内に含まれる水分子と陽イオンの挙動を調べるために,表面の親水性が異なる2つ細孔に,それぞれイオンがない場合とイオンが入っている場合の計4つの系について,300KのNVTアンサンブルによる分子動力学計算を行った.表面の親疎水性は表面の親水基(SiOH基)の密度と疎水基(SiCH3基)の密度によって表現した.水分子の拡散定数は,4つのすべての条件において,バルクの液体水の拡散定数の半分以下となった.イオンの拡散もバルク液体水中よりも小さくなった.しかし,表面親水性の違いはどの特性にもほとんど現れることはなかった.どのような表面や吸着分子などによって細孔内部の移動現象を変化させ,また制御することが出来るかは今後の課題である.

図1 NaX(上図),NaY(下図)における水分子の酸素原子間の同系分布関数,g(OW-OW).r(OW-OW)

[Å]は原子間の距離.

図2 (a)NaXおよび(b)NaY内での含水量(I)N=128,(II)224における水分子の分布を示した断面図.

図3 双極子モーメントの絶対値の平均,<|μ|>[D].

図4 水分子同士の微分吸着エネルギーの負の値(-dU(W-W)/dN),とそのうち分子内および分子間相互作用.(-dU(W-W)(intra)/dN,-dU(W-W)(inter)/dN[kJ/mol])).

図5 計算された安定な相における水分子の構造.

図6 液体水の値で規格化した局所的な拡散定数,D,の半径,r[Å],に対する分布.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなり、第1章は序論、第2章から第5章までが本論であり、第2章は親水性および疎水性ゼオライト内に存在する水の分子動力学、第3章は電荷変動分子動力学法を用いた親水性ゼオライト内に存在する水分子の双極子モーメント、第4章はシリカ細孔内に閉じ込められた水の分子動力学、第5章は親水性および疎水性シリカナノチャネルを用いた物質移動について述べられている。第6章は結論であり、研究全体をまとめている。

 本論文においては、吸着剤あるいはフィルタ等に利用されるナノスケールの細孔をもつ材料を対象とし、ナノ細孔内の水分子やイオンの吸着現象あるいは移動現象の分子論的描像を分子シミュレーションによって得ることにより、材料の設計における重要なパラメータである表面の親水性や細孔の大きさがこれらの現象に与える影響を明らかにすることを目的とする.また、計算機実験によって求められた各種物性値を実験結果と比較検討することにより、計算機実験におけるモデルの妥当性について定量的な評価を行うことも、本論文の目的に含まれる。

 第2章「親水性および疎水性ゼオライト内に存在する水の分子動力学」においては、結晶構造が知られているFAU型ゼオライト内に存在する水分子について分子動力学計算を行い、親水性の違いによって吸着様式が異なることが示された。親水性のNaX型においては、(1)Naへの水分子の水和、(2)壁表面の単層吸着、(3)12員環付近での凝縮の3段階の吸着を捉えることができた。一方、疎水性のNaY型においては、Naへの水分子の水和の後、壁表面の単層吸着に発展することなく、Na周りに水分子のクラスタリングが起こり、その後、細孔内全体へ凝縮する様子を捉えることができた。

 第3章「電荷変動分子動力学法を用いた親水性ゼオライト内に存在する水分子の双極子モーメント」においては、第2章と同様にFAU型ゼオライトを対象とし、水分子に電荷変動モデルを用いることにより、水分子の双極子モーメントが吸着量にしたがって変化することを示した。双極子モーメントは吸着量の増加とともに増加し、飽和吸着状態付近では、バルク液体とほぼ同じ値となった。水分子に電荷変動モデルを用いることにより、水分子内エネルギはより不安定になり、一方、分子間エネルギはより安定になる。したがって、微分吸着熱-吸着量曲線は、水分子に電荷固定モデルを用いた場合と比較して定性的には同様の傾向を示すが、より実験値と良く一致するようになった。

第4章「シリカ細孔内に閉じ込められた水の分子動力学」においては、α石英の結晶構造を基にオーダードポーラスシリカをモデル化し、その細孔内における水分子の相変化の様子、あるいは構造的・動的性質を明らかにした。特に、細孔径が1.04、1.96、2.88nmの3種類のオーダードポーラスシリカのモデルを対象とし、細孔径がその内部の相変化、静的・動的性質に与える影響を考察した。細孔径が1.04nmのものについては、(1)シラノール基まわりの吸着と(2)壁面への単層吸着の2つの安定な相を捉えることができた。細孔径が1.96nmのものについては、(1)シラノール基まわりの吸着と(2)細孔内全体への凝縮の2つの安定な相を捉えることができた。一方、細孔径が2.88nmのものについては、(1)シラノール基まわりの吸着、(2)壁面への単層吸着、(3)細孔内全体への凝縮の3つの安定な相を捉えることができた。構造的性質については、シラノール基まわりの水分子の構造が細孔径、吸着量によって変化することを明らかにした。また動的構造については、半径方向の拡散定数の分布を明らかにし、さらに、軸方向の拡散定数が、吸着量が少ない場合は、吸着量の増加に従い増加するが、飽和吸着量付近では、吸着量の増加に従い減少することを示した。

 第5章「親水性および疎水性シリカナノチャネルを用いた物質移動」においては、細孔径が1.04nmのオーダードポーラスシリカを対象とし、その内部の水、イオンの移動現象を考察した。特に、非平衡分子動力学を用いて、軸方向に一様電場がある場合の水、イオンの移動現象を考察し、細孔内の一部に疎水性の部分があると、非線形のイオン流-電圧曲線を示すことを明らかにした。また、この原理は生体分子等の荷電粒子の移動を制御する装置に応用できる可能性があることを示した。

 本論文においては、全体を通して、ナノ細孔をもつ材料の設計、あるいはナノ細孔を応用したデバイスの設計を支援する分子シミュレーションのソフトを開発し、ナノ細孔内部の吸着現象および移動現象について得られた分子論的描像を定性的、定量的に評価した結果が書かれている。いずれの章も論文提出者が主体的に行った研究をまとめたものである。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/9293