学位論文要旨



No 122769
著者(漢字) 小田和,賢一
著者(英字)
著者(カナ) オタワ,ケンイチ
標題(和) 分子生物学的手法による活性汚泥中バクテリオファージの分布および挙動の解析
標題(洋) Abundance and Dynamics of Bacteriophages in Activated Sludge System Investigated by Molecular Approaches
報告番号 122769
報告番号 甲22769
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第306号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐藤,弘泰
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 助教授 浦川,秀敏
内容要旨 要旨を表示する

 活性汚泥法は、最も一般的に用いられている汚水処理方法の一つである。ここで活躍する活性汚泥は細菌の集合体であり、その摂取活動により廃水中の有機物、リン、窒素の除去が行われている。細菌に感染し、溶菌するウイルスであるバクテリオファージはあらゆる自然環境中に広く分布する。近年、分子生物学的知見に基づくファージの解析手法が導入され、環境中におけるファージの生態や挙動が分かりつつある。海洋水1mlあたりで最大108個のファージが含まれており、また地球規模の物質生産を担う光合成細菌シアノバクテリアは、ファージによって毎日20%程度溶菌されていることも分かった。このように、ファージは宿主である細菌に対して重要な影響力を持っていることが認識されてきた。廃水処理においても、汚水中の有機物の浄化を細菌が担い、その細菌をファージが溶菌するため、ファージは処理を担う微生物や水処理能に対して何らかの影響を与えていることが十分予想される。しかしながら、活性汚泥に分布するファージの特徴や挙動などの知見は現在限られており、細菌群集や処理能力への影響も十分に評価されていないのが現状である。

 そこで本研究では、活性汚泥におけるファージの挙動を明らかにし、この知見を基にファージの溶菌作用による宿主への影響を評価することを目的とした。「ファージの挙動」を明らかにするために、近年開発された分子生物学的手法を導入して、活性汚泥に分布するファージの濃度やコミュニティの時間的変化を調べた。「宿主への影響」を評価するために、ファージコミュニティの挙動と細菌コミュニティの挙動を比較した。また、ポリリン酸蓄積細菌Microlunatus phosphovorus(M.p.)の数とM.p.溶菌性ファージの数をモニタリングして、その変化からファージの溶菌作用が宿主に与える影響を評価した。さらに、ある種のファージが急激に増加するバースト現象が特定の宿主に与える影響を評価した。

 第1章で研究の背景、目的、論文構成を述べ、第2章で既往の研究を整理した。

 第3章では、パルスフィールドゲル電気泳動(PFGE)法を活性汚泥中ファージのコミュニティ解析に初めて導入した。PFGE法は、ファージのゲノムサイズが種ごとに異なる性質を利用して、試料中に含まれる複数種のファージの種数とそれぞれのゲノムサイズを調べることができる方法であり、1999年に海洋で初めて用いられた。しかしながら、検討の結果、海洋で行われるPFGE手順をそのまま活性汚泥に適応したのでは、DNAのスメア化が激しく生じ、良好なプロファイルが得られなかった。これは、活性汚泥にはDNAを分解する作用のある物質が含まれており、ファージDNAを分解してしまうためであると考えられた。スメア化を解決するため、サンプルにEDTAを最終濃度100mMとなるように添加して酵素活性を阻害した。その結果、良好なPFGEバンドパターンを得ることに成功し、PFGE法を活性汚泥中のバクテリオファージ解析に適応することができた。

 次に、ファージの存在数を調べるため、蛍光色素SYBR Green Iを用いた直接計数法を活性汚泥サンプルに初めて導入した。この方法は、ファージ粒子をSYBR Green Iで蛍光染色し、蛍光顕微鏡でファージ粒子を直接計数する方法である。ファージの存在数を正確に測定できる最新技術である。本研究では、活性汚泥自体からファージを誘出する処理を新たに組み入れることで、活性汚泥中の全ファージを正確に定量した。

 第4章では、PFGE法と直接計数法を用いて活性汚泥におけるファージの濃度と挙動を調査した。実廃水処理場および活性汚泥リアクターから採取した活性汚泥におけるファージ濃度は、1mlあたり108から109個と、これまでに調査された他のいかなる自然環境よりも高濃度であることが分かった。そこで、都市下水、工業廃水、畜産排水を処理する計14箇所の実処理場の活性汚泥にPFGE法を適応して、活性汚泥中のファージのゲノムサイズ分布を調べた。その結果、ファージのゲノムサイズは、40kbから200kb以上に分布し、とりわけ40kbから70kbの範囲に集中する傾向が見出された。興味深いことに、実廃水処理場間でファージゲノムサイズ分布は似通っており、畜産排水処理場を除けば各処理場間で共通して優占するファージ種の存在も示唆された。一方で、活性汚泥リアクターから経時的に採取したサンプルを解析してファージの時間的変化を調べた結果、ファージコミュニティが時間的に複雑に変化している様子が捉えられた。時には3日程度の非常に短い期間だけ一時的に出現するファージも捉えられた。ここまでの研究成果から、活性汚泥における役割はいまだ不明確であるものの、活性汚泥におけるファージの濃度と時間的挙動に関する知見を得た。

 さらに、ある種のファージが一時的に増加する現象(以下、バーストと呼ぶ)が捉えられた。バーストがひとたび起これば、そのファージが宿主とする細菌種は大打撃を被る可能性は高い。そのため、バースト時期周辺はファージの役割を解明する上で絶好の解析タイミングであると言える。ところが、このバーストはまれに起こるため、PFGE法や計数法といった従来の煩雑な方法で検出するのは困難で、迅速で簡便な解析手法を用いて検出するのが望ましい。

 そこで、第5章では、迅速かつ簡便なファージのモニタリング手法を確立することを目的とした。バーストの変化はファージ総DNA量に反映されることに着目し、高感度蛍光色素PicoGreenにより全ファージのDNA濃度を迅速に定量するモニタリング手法(PicoGreen法)を新規に確立することに成功した。手法の正確性はモデルファージを用いた添加試験で確認した。この方法では、試料を75μlしか必要とせず、3時間で10試料のファージDNA濃度を定量することができた。

 第6章では、PicoGreen法を実廃水処理場や実験室リアクターに適応した。その結果、活性汚泥上澄み中のファージDNA濃度は数ng/mlから数十ng/ml程度の範囲で変動し、1日で2倍程度に増加する様子も捉えられた。この増加から、1日以内に全細菌の1%程度が溶菌されたと試算された。

 第7章では、これらのモニタリングツールを用いて、バースト現象をさらに詳細に調査した。長期的に複数の回分式活性汚泥リアクターにおけるファージコミュニティをモニタリングし、計16回のバーストを捉え、その発生頻度や生成されたファージ数、宿主細菌に対する影響を試算した。バーストにより活性汚泥混合液1mlあたり平均して105個程度の宿主が溶菌され、106〜107個程度のファージ粒子が放出されたことが分かった。そして、単一のファージによる1回のバーストで活性汚泥内全細菌の0.01%〜0.35%が溶菌されていたことが明らかとなった。また、M.p.を例に特定の宿主に対する影響を評価した結果、活性汚泥に生息する全M.p.数のうち0.001%から10%がファージにより数日以内に溶菌された。

 まとめると、次のような成果が得られた。

1)ファージのモニタリング法であるPFGE法や蛍光直接計数法、PicoGreen法を初めて活性汚泥に導入し、活性汚泥中ファージの存在数やファージコミュニティの処理場における濃度や挙動を明らかにすることができた。

2)ファージの挙動を基にして、活性汚泥内でファージが宿主に与える影響を評価できた。捉えられたバースト現象から、1回の汚水処理で1種のファージが溶菌する宿主の数を試算することができた。ファージがリン蓄積細菌に与える影響を試算することができた。

 これらのファージのインパクトが、宿主集団にとって重大か、水処理にとって問題かについては本研究では明らかにすることはできなかった。今後、リン除去細菌や窒素除去細菌とファージ間で起こるバースト現象を捉え、これをケーススタディーとして解析していくことで、ファージのリン除去や窒素除去への影響を明らかにできる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、活性汚泥におけるファージの挙動を明らかにし、この知見を基にファージの溶菌作用による宿主への影響を評価することを目的として行われたものであり、全部で7つの章からなっている。

 第1章では研究の背景、目的、論文構成が述べられ、また、第2章では既往の研究が整理されている。

 第3章では、パルスフィールドゲル電気泳動(PFGE)法を活性汚泥中ファージのコミュニティ解析に用いる方法について検討している。PFGE法は海洋中のファージを調べるために利用されたことはあるが、活性汚泥中のファージについては用いられたことがない。検討の結果、海洋で行われるPFGE手順をそのまま活性汚泥に適応したのでは、DNAが部分的に分解されてしまうために十分な分離を得ることは難しかった。DNAをファージ粒子から放出する段階以降のEDTAの濃度を高めることにより、良好な分離を得ることに成功した。

 第4章では、PFGE法と直接計数法を用いて活性汚泥におけるファージの濃度と挙動を調査した結果を報告している。直接計数法では、ファージ粒子をSybrGreen Iにより染色し、蛍光顕微鏡下で計数している。実廃水処理場および活性汚泥リアクターから採取した活性汚泥では、ファージ濃度は、1mlあたり108から109個であった。また、都市下水、工業廃水、畜産排水を処理する計14箇所の実処理場の活性汚泥をPFGE法により分析したところ、ファージのゲノムサイズは、40kbから200kb以上に分布すること、とりわけ40kbから70kbの範囲に集中することをみいだしている。また、実験室活性汚泥リアクター中のバクテリオファージを経時的に解析したところ、長期間安定して存在しているファージもあれば、3日ごとのモニタリング周期の一回だけあらわれるファージも存在することがわかった。

 第5章では、迅速かつ簡便なファージのモニタリング手法を確立することを目的とし、高感度蛍光色素PicoGreenによる全ファージのDNA濃度を迅速に定量するモニタリング手法(PicoGreen法)を新規に開発した。手法の正確性はモデルファージを用いた添加試験で確認した。この方法では、試料を75μlしか必要とせず、3時間で10試料のファージDNA濃度を定量することができた。

 第6章では、PicoGreen法を実廃水処理場や実験室リアクターに適応した。その結果、活性汚泥上澄み中のファージDNA濃度は数ng/mlから数十ng/ml程度の範囲で変動し、1日で2倍程度に増加する様子も捉えられた。観察されたファージの増加から、ファージが活性汚泥中の細菌に及ぼす影響を試算したところ、1日以内に全細菌の2%程度が溶菌された可能性があることがわかった。

 第7章では、PFGE法やPicoGreen法を用いて、散発的に発生するバンドの消長をさらに詳細に調査した。二つの回分式活性汚泥リアクターをそれぞれ2ヶ月〜3ヶ月に渡り、ほぼ毎日モニタリングした。このモニタリング期間内に、PFGE法では、生成から消滅までが1日程度以下であるバンドを16回観察した。散発的に見られるPFGEバンドは、ファージによる宿主細菌の溶菌(またはバースト)に起因すると考えられる。そこで、バーストが宿主細菌に与えた影響を試算した。1回のバーストにより1処理サイクルあたり(すなわち6時間あたり)生物反応槽内において平均して108から109程度の宿主が溶菌され、10(10)個程度のファージ粒子が放出されたと考えられる。また、活性汚泥内全細菌の0.02%〜0.08%が溶菌されていたと考えられる。

 また、第7章ではこれら二つのリアクター内に生息する細菌であるMicrolunatus phosphovorusと、それを宿主とするバクテリオファージ(M.p.ファージ)を経時的に観察した。M. phosphovorusは、定量PCR法により定量した。その存在量はリアクター内の全細菌の0.1-2%程度であった。また、M.p.ファージはプラーク法により調べた。いずれのリアクターでもM.p.ファージはいったん108〜109/ml程度まで増加し、その後106程度にまで減少した。一方、M.phosphovorusの存在量は、M.p.ファージが最も多かった時期でも目立った現象は見られなかった。最もM.p.ファージが多かった時期でも、ファージにより溶菌されたM.phosphovorusの量は2%程度にとどまると試算された。

 以上のように、本研究からは活性汚泥中のバクテリオファージが非常にダイナミックな挙動を有していることが明らかになった。また、ファージが活性汚泥中の細菌に及ぼしている影響についても、大まかにではあるが、評価することに成功している。

 本論文の第4章は味埜俊、佐藤弘泰、小貫元治、Lee Sang-hyonとの、第6章は味埜俊、佐藤弘泰、小貫元治、金井佑樹との、また、第5章と第7章は味埜俊、佐藤弘泰、小貫元治との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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