学位論文要旨



No 122776
著者(漢字) 海野,朝子
著者(英字)
著者(カナ) カイノ,トモコ
標題(和) 途上国農村小規模金融の実証分析 : 持続性、到達度、所得向上に資する諸条件の研究
標題(洋)
報告番号 122776
報告番号 甲22776
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第313号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,恒昭
 放送大学 教授 高木,保興
 東京大学 客員教授 長谷川,純
 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 助教授 湊,隆幸
内容要旨 要旨を表示する

 ミレニアム開発目標(MDGs)の1つに掲げられているように、貧困削減は国際社会において共通の緊急性の高い課題である。国連が2005年を国際マイクロクレジット(小規模金融)年と定めたことからもわかるように、小規模金融は途上国農村の貧困削減策として大きな注目を集めている。2005年末時点で、アジアやアフリカ、中南米、東欧などの途上国各国において小規模金融を行う3千以上の組織が、約8千2百万人にものぼる貧困層へ貸付を行っているといわれている1。

1 State of the Microcredit Summit Campaign Report 2006。

 戦後、特に1960年代から70年代にかけて多くの途上国では、農家所得向上や農業増産を目的にした低利の農業政策融資が行われた。ところが、これらの政策融資の多くは農業や小農というターゲットには行き渡らなかったうえに、利子補給のみならず赤字経営や低回収率への対応をも要した結果、政府財政を著しく圧迫し継続できなくなるという悲惨な結末を迎えた2。対照的に、1980年代以降、バングラデシュのグラミン銀行は、農村貧困層の所得向上を目的に農村貧困女性へ貸付を行いながら高返済率の達成に成功した。失敗と成功という対称的事象は、途上国農村金融市場への新たな理解や認識を促すものであった。そしてMF研究は、連帯責任制の理論的解釈やその実証に関して、返済強制(Enforcement:約定通りの返済履行を強制すること)、選抜(Screening:返済能力のある借手を顧客に選ぶこと)、監視(Monitoring:堅実な投資が行われるように借手の行動の監視や動機付けを行うこと)という3つのキーワードを軸として大きく進展してきた3。また、返済強制、選抜、監視を通してMF機関が達成すべき標準的目標として、MF事業の持続性とターゲットである農村貧困層への到達度という2点が重要視されていった4。

2 Adams, Dale W. and Graham, Douglas H. 1981. A critique of traditional agricultural credit projects and policies. Journal of Development Economics, Vol.8, pp. 347-366。

3 Armendariz de Aghion, B. and Morduch, J. 2005. the Economics of Microfinance. Massachusetts: MIT Press。

4 Yaron, J., Benjamin, M. P. Jr. and Piprek, G. L. 1997. Rural Finance: Issues, Design, and Best Practices. Washington, D.C.: World Bank。

 しかし、ひとくちにMF機関といっても、その組織形態や機能は多様である。NGOのほか、国営銀行、信用協同組合、ノンバンク等のように様々な組織があるうえに、各々の活動地域範囲や貸付方法、資金力や機動性なども多様である。そのため、各MF機関において、持続性や到達度を達成して農村貧困削減に寄与するという目標は共通であっても、それぞれが農村金融市場において担うべき役割は必ずしも一致するものではない。ところが、既存研究では、MF機関が返済強制、選抜、監視を達成するための貸付方法、とりわけ借手グループの役割にのみ焦点が当てられており、各MF機関のもつ機能的特質やその相違に目が向けられることはほとんどない。未発達な農村金融市場下で、MF機関が農村貧困削減に寄与するためには、農村金融市場において各MF機関が各々の機能的特質に応じた役割を担っていく必要がある。そしてそのために、まずは個別事例分析によってMF機関の実情を把握して、その特徴を抽出し、MF機関がその特徴に応じて担うべき役割やMF機関に求められる具体的対応等を検討する必要がある。

 以上の視座を踏まえて本研究は、ミャンマーにおけるMF機関を事例にして、これらのMF機関の実情を把握し、その特徴を抽出することによって、農村貧困削減に寄与するために各MF機関に何が求められているのかを明らかにすることを目的とする。その際、2つの対照的なMF機関、すなわち政府の影響力が強い国営農業銀行と、それとは対照的に政府やドナーからも自立的に活動する国際NGO-MFIという、政府の関わり方や経営形態が異なるがゆえに各々の機能的特質も対照的な2つのMF機関を、事例分析対象として取り上げる。2つのMF機関を比較対照させることによって、これらの類似性や差異性が明らかとなり、各MF機関が直面している問題やその改善策をより明確に打ち出すことができる。

 具体的には、MF事業の持続性やターゲット層への到達度という観点から、ミャンマーの国営農業銀行とNGO-MFIについて、その実績の特徴や問題点、ならびにそれらの要因メカニズムの分析を行った。その結果、各々の特質に応じて、農業銀行では貸付資金規模の拡大や顧客数の伸張が、NGO-MFIでは貧困層への貸付の促進が重要な課題であることを明らかにした。そして、農業銀行では貸付利子率や預金利子率の上昇が必要であること、NGO-MFIには新たな貸付サービスの開発等が求められることを明らかにした(第3章)。また、その主張を補完するためにも、世帯レベルのデータによる定量的分析や(第4章)、借手所得の向上、とりわけ農業生産の向上に資するMFの可能性の検討を行った(第5章)。分析に使用されたデータは、2004年11月〜12月および2005年10月〜11月にかけて実施した現地農村での関連資料収集と、農民等への聴き取り実態調査という一次資料に基づいている。なお、本研究は、これまで断片的にしかとらえられることのなかったミャンマーの農村金融の実情を把握してその問題点を解明する点で、ミャンマー農村金融研究の蓄積に貢献すると同時に、実務にも有益な示唆を与える実践的研究である。また、軍事政権下にあるミャンマーという新たな国の事例を用いて途上国農村金融に関する理論を新たに検証するものである。さらに、本研究の接近方法や分析結果から得られる途上国農村金融研究やMF研究へのインプリケーションとして、農村金融市場における各MF機関の位置づけを踏まえた上で、農村貧困削減に資するMFのあり方を分析するための研究枠組みを構築していく必要がある、という点が示唆されることとなる。

 以下に、本研究の分析結果として、各MF機関の問題点とその改善策の要約を行う。本研究では、まずNGO-MFIの実績に関して、最貧困層による借入参加を制限しているという問題があることを明らかにした。NGO-MFIでは、農村貧困削減をその目的として貧困層をターゲットにしているが、とりわけ定期的な分割返済条件によって安定的収入の少ない貧困世帯、すなわち最貧困世帯を含むより貧しい世帯による参加が制限されている。ただし、定期的な分割返済条件は最貧困層への到達を制限する一方で、高返済率の達成や選抜コストの抑制という観点からは顧客選抜ツールとして合理的なものであることも実証された。

 そのためNGO-MFIには、定期的な分割返済条件に代わって、持続性を阻害せずに最貧困層へ到達するための貸付返済条件や貸付サービスの開発が求められている。この点に関してNGO-MFIでは、これまでにも貸付原資を拡張しながら貸付種別の多様化を図ることによって、最貧困層世帯には至らないものの、多くの農村貧困世帯による多様な資金需要への対応余地を拡大してきた。また、高返済率を達成するためにも多数の渉外職員による丁寧で地道な対応とそれを可能にする組織管理体制を構築してきた。したがって、豊富な人材とその管理体制、ならびに多様な貸付サービスを開発し提供している経験に基づいて、持続性を阻害せずに最貧困層へ到達するための新たな貸付サービスの開発等が期待されており、またそれが求められているといえる。

 次に、もう一方の分析対象である農業銀行の実績に関して、1件当たりの貸付規模が相対的にきわめて少額水準にあるという問題や、顧客数が1997年度以降に急激に減少して2002年度までの5年間で約半分にまで縮小した(現在も回復には至らない)という問題を明らかにした。そして、それとは対照的にNGO-MFIによる貸付額や貸付件数は、毎年2桁台の目覚しい成長を遂げていることも示した。

 本研究では、このように農業銀行とNGO-MFIにおいて貸付資金規模や貸付件数に関する実績に相違をもたらしている最大の理由は、2つのMF機関における資金調達上の制約とそれに対処する組織能力の相違にあることを明らかにした。農業・農村開発系唯一の国営銀行である農業銀行の経営や運営の方針は、中央政府による意思決定に全て依存しているが、その指導のもとでは貸付原資の拡張が困難である。他方、NGO-MFIではドナーのみならずミャンマー政府からも独立して、貸付利子率やサービス開発などの意思決定を自由に行うことができる。その結果、貸付利子収入から得られた余剰利益をもとに自己資本を積むことによって、貸付原資を拡張しているのである。

 農業銀行が貸付資金規模の拡張や顧客数を伸張して持続性や到達度を達成し、借手所得の向上に寄与するために、まずは貸付原資の拡張が必要であり、そのために実質マイナスの低金利水準に固持されている現行の貸付利子率や預金利子率を上昇させていく必要がある。現行の貸付利子率をある程度上昇させながら預金利子率を上昇することができれば、利益を確保しつつ、より多くの預金を動員して貸付原資に充てることが期待できるからである。また、現在のように農業銀行がその貸付原資の多くを国営経済銀行からの低利借入に依存しつづけることで国家財政負担の増大につながるという問題も緩和できる。さらに、貸付利子率が低金利規制下にあるという現状では、貸付利子収入が限定的であることによる弊害も大きい。調達借入資金の借入利子率の上昇などで農業銀行の経費が増加した際、その限られた収入のもとで利益の維持や増加を図ることには限界があるからである。本研究では、その限界やしわ寄せが、1997年度以降の来店義務化とそれによる顧客数の減少という形であらわれたことも明らかにした。以上から、農業銀行が持続性を確保しながら到達度を達成し借手所得の向上に寄与するためには、貸付利子率や預金利子率を漸次的に上昇させていくことが必要であると結論付けられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はミャンマー国を事例として農村小規模金融機関の実情を把握し、その特徴と問題点を抽出することによって貧困削減に効果的な政策提言を行うことを目的としている。

 本論文は6章で構成されている。第1章の序においては国際協力学分野における最大の課題である途上国の貧困削減に資する小規模金融研究の背景を整理し、本研究の分析課題の位置づけを行う。また研究の対象地域の紹介と現地でのデータ収集方法について記述する。第2章ではこれまでの途上国農村金融研究について簡潔な整理を行う。第3章から第5章では2つの対照的な小規模金融機関を対象とする事例分析を行う。すなわち、政府の影響力が決定的な国営農業銀行と、これとは対照的に政府やドナーからも自立的に活動する国際非政府組織小規模金融機関(以下NGO-MFIと称す)である。両者を対象として、主に持続性と到達度の視点から分析を行う。第4章では調査対象地域(中部乾燥地の7農村301世帯)における世帯調査データをもとに、この地域における農村信用市場の特徴を把握し、農村世帯にとっての両者からの借り入れ資金需要に加えて、両者の資金調達の特徴を明らかにする。さらに、前章の分析の一部を補足する意味で借り入れ参加や顧客選抜に関する分析を行って持続性・到達度に関しての結論を補足する。第5章では両機関が生産ローンを供与していることに着目し、所得向上に資する両機関の可能性や限界を分析する。すなわち借り手側の視点からの分析を行う。第6章の結論では本研究の分析結果を実務的貢献に結びつくよう整理して、政策提言を試みる。最後に本研究の限界と今後の研究課題を示唆する。

 本研究では主に以下のことを明らかにした。

 まずNGO-MFIは農村貧困削減をその目的として貧困層をターゲットとしているが、定期的な分割返済条件によって安定的収入の少ない最貧困世帯を含むより貧しい世帯による参加が制限されていることを示した。ただし、定期的な分割返済条件は最貧困層への到達を制限する一方で、高返済率の達成や選抜コストの抑制という観点からは顧客選抜ツールとして合理的なものであることも実証された。

 次に農業銀行の実績に関して、1件当たりの貸付規模が相対的にきわめて少額水準にあるという問題や、顧客数が1997年度以降に急激に減少して2002年度までの5年間で約半分にまで縮小した(現在も回復には至らない)。この理由が顧客来店義務化(訪問販売の取りやめ)にあることを明らかにした。

 本研究では、両者の実績に相違をもたらしている最大の理由は、2つのMF機関における資金調達上の制約とそれに対処する組織能力の相違にあることを明らかにした。農業・農村開発系唯一の国営銀行である農業銀行の経営や運営の方針は、中央政府の意思決定に全て依存しており、現行の政策のもとでは貸付原資の拡張が困難である。他方、NGO-MFIではドナーのみならずミャンマー政府からも独立して、貸付利子率やサービス開発などの意思決定を自由に行うことができる。その結果、貸付利子収入から得られた余剰利益を自己資本に積むことによって、貸付原資を拡張していることが明らかになった。

 これらの分析結果を踏まえて、本研究では政策提言として主に以下を提言している。農業銀行においては、先ず貸付原資の拡張が必要であり、そのために実質マイナスの低金利水準に固持されている現行の貸付利子率や預金利子率を上昇させていく必要がある。これにより現在のように国営経済銀行からの低利借入に依存しつづけることで国家財政負担の増大につながるという問題も緩和できる。また調達借入資金の国営経済銀行からの借入利子率の上昇などで農業銀行の資金調達経費が増加した1997年度以降では、経費節減のために農民顧客の来店義務化を導入した。結果として顧客数の急激な減少をもたらしたことが明らかになった。以上から、農業銀行が持続性を確保しながら到達度を達成し借手所得の向上に寄与するためには、貸付利子率や預金利子率を漸次的に上昇させていくことが必要であると結論付けられた。

 本研究は、これまで断片的にしかとらえられることのなかったミャンマーの農村金融の実情を把握して、その問題点を解明した点で、ミャンマー農村金融研究の蓄積に貢献すると同時に、実務や政策対話にも有益な示唆を与える実践的研究成果である。また、現地調査が極めて困難な軍事政権下にあるミャンマーという国における経済ガバナンスの実情の一端を農村小規模金融という視点から分析した貢献も大きい。今後、ミャンマーに対して国際協力が再開された暁には、農村開発戦略策定に極めて有益な政策対話の課題と解決手段のオプションを、本研究は提供している。

 以上のことから、本論文は、博士(国際協力学)を授与するに値するものと認めることができる。

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