No | 122777 | |
著者(漢字) | 杉浦,美紀子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | スギウラ,ミキコ | |
標題(和) | 灌漑用水への水価制導入に関する研究 | |
標題(洋) | Study of introducing water pricing system in Japanese irrigation practices | |
報告番号 | 122777 | |
報告番号 | 甲22777 | |
学位授与日 | 2007.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(国際協力学) | |
学位記番号 | 博創域第314号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 国際協力学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1. 本課題を選択した経緯 日本国内の灌概用水に水価制(以下プライシング:WP)は導入できるのか。この命題は、経済原理の拡大をどこまで許容するのか、という文脈で否定的に語られることが多い。日本の農村部は灌概による米作に根ざした「水利社会」であるという特性に加え、農政では灌概用水の環境用水としての価値が強調される傾向にある今日、プライシングの導入可能性は益々小さいと評価されている。しかし、筆者は日本国内における議論がプライシングをめぐる論点のうち否定的な要素だけに偏っていること、および灌潮用水の「環境用水」としての価値が極端とすら思える程に強調されていることに違和感を覚え、敢えてその導入可能性の検討とプライシングという制度の政策的意義を再考することで、従来の議論では見えてこなかった側面を明らかにしたいと考えた(本論文の立場について図1参照)。 2. 本論文の目的 本研究の目的は、第一にプライシングを日本の灌概用水へ導入することの可否を検討すること、第二にその政策的意義と導入に伴い期待される副次的効果を考察すること、の二点にある。このような目的には、背景として次の二点が指摘できる。第一には、日本の現状と国際的議論の乖離がある。すなわち、国際的には水価格の有効性に関する学術的な研究とその具体化のための政治経済的検討が進行しているにもかかわらず、日本国内においては国際的定義上の水価制はほとんど適用されていない。第二に、プライシングをめぐる国際的研究動向の変化がある。すなわち、従来は効率性・公平性の追求を目的とした経済モデル中心の議論から、より実質的な内容を求めて受益者負担を前提としたコスト・リカバリーの議論へ議論の中心が移っている。 以上の背景を踏まえて、本研究では二つの着眼点を持つに至った。第一に、「なぜ日本においてはプライシングが導入されないのか」という疑問から、アジアモンスーンの特性に着目し、特に利水によってベネフィットを与えつつも、水量が過多の場合には災害という形でデメリットも与える、という水の持つ二面的な価値(本論文のなかでは「水の二面性」として言及)を重視する。第二に、近年の研究動向が目的よりもプライシングの機能に着目している点、および上述のように稀少性に基づく水分配(経済的機能)からコストリカバリー(財政的機能)へその関心を移しているとの理解から、水価制の是非論よりもその政策的可能性を広げる方向で導入を検討すべきとする(水価制の機能について表1)。 3. 本論文の構成、3つの論点および作業仮説 本論文は、以上の背景と着眼点を前提に、二段階の構成をとった。第一に、一連の国際会議および先行研究の文献調査から水価制導入に対する制約条件を具体的に抽出し、その全体像の中で本研究を位置づける。さらに、その制約条件群を7分野に分類し、日本において検討に値する制約条件に絞ることで、本論文において考察する3論点を提示する(第一部:序章および第1章)。第二に、その3論点をそれぞれ具体的に検討し、特にそのうちの2論点については、具体的な事例検討を加えることで水価制導入に対する政策的可能性を示す(第二部:第2章、3章、および4章)。 本論文において検討すべきとされた3つの論点(3つの制約条件)とは、第一に灌概用水は公共財であるがゆえにプライシング導入が困難であるとの言説に関連し、灌概用水の経済的性質とは何かという点、第二に「水利権の価値が農地の価値に資本化されていることが水利権取引を難しくする要因のひとつである」との指摘に関連し、水と土地の権利が事実上堅固に結びついている故に水利権取引の前提となる水利再編は難しい、という制約条件が成り立つかどうかという点、第三に、「農民にコストを負担させることに対する不平等感に一定の配慮をせざるをえず、それによって制度的政策的歪みが生じるおそれがある」との指摘に関連し、それが日本において制約条件となるか否か、という点である(3つの論点については表2)。第二点目の制約条件は、新潟県佐渡市旧上横山村の番水株売買という特殊な水利権売買を事例に、その売買を可能にした要因分析を通して検討を進めた。また第三点目の制約条件は、霞堤開放部周辺で農業を営む宮崎県北川町内の農業従事者に対する聞き取り調査およびアンケート調査を通して検討を進めた。霞堤周辺部で利水しつつ洪水被害も受ける農業従事者が、本論文のひとつめの着眼点である「水の二面性」をどのように「公平なコスト」観に反映させているか、また同地域でプライシングはどのように受け止められているか、そのの政策的意義と副次的効果にはどのようなものがあるか、を検討した。特に政策的意義と副次的効果に関しては、事前調査に基づき作業仮説を立て、本調査を行う手法をとった。その作業仮説とは、「水の二面性を備え、かつ高齢化・担い手不足による農業の粗放化傾向から従来の水利組織の維持が困難といえる地域においては、プライシングの導入は従来期待されてきた両機能(経済的機能・財政的機能)以外の効能、すなわち手間のかかる用水管理の労務を軽減したり、時間や機会費用がかかる水利組織への参加に代わったりする役割(実際の労務および水利組織への参加コストを低減する、という二つの意味での用水管理コストの低減を果たす)を果たす」というものである。 4. 結論 灌瀧用水は公共財ではなく、「公的供給すべき私的財」として分類されるべきである(第2章)。従って、灌概用水の「公」または「共」を過度に強調してプライシング導入の可能性を否定することは妥当ではない。また、上記制約条件のうち、「水」と「土」の結びつきは、従来考えられてきたほど堅固なものではなく、ある一定の条件下では両者の結びつきは弱くなる可能性があることから、それをもってプライシング導入の可能性を皆無とすることはできない(第3章)。他方、農業従事者によるコスト負担への配慮がもたらす制度的歪みは、従来の日本農政において既にみられ、そのような状況下で更なる負担を負わせることはプライシング導入をより難しくする、という意味で制約条件となる(第4章)。また、政策的意義に関しては、作業仮説に反しない聞き取りおよびアンケート調査結果を得た。すなわち、「水の二面性」がみられ、同時に高齢化・担い手不足による農業の粗放化により従来の水利組織の維持が困難といえる地域、という条件下においては、手間のかかる用水管理の労務を軽減したり、時間や機会費用がかかる水利組織への参加に代わったりする役割をプライシングに期待することで、結果的に用水管理コストの低減をはかることができる可能性が指摘された。ただし、佐渡における番水株売買は過去の事例であり、また宮崎県北川町の事例では作業仮説が積極的に立証されたわけではなくあくまで仮説に反しない結果を得た域に留まるという意味で、両者とも可能性の提示である点に注意が必要である。 第2章での経済的性質の検討は、ふたつの事例検討での結論と整合的な関連がある。すなわち、灌概用水は排除可能性および競合性を備えた「私的財」であるとしたため、経済的取引の対象となりうる。その意味で、第3章で検討した番水株売買の事例はその証左のひとつと位置づけられうる。 また、「公的供給すべき」という部分からは、公的支援のもとに供給されるべき財として、たとえば土地改良区に第三次水路だけを維持・管理させ、それ以外は財政的にも公的な管理を制度的に認める、といった公的な関与を制度上認めることが導かれうる。すなわち、第三次水路のみならず第一次水路における維持・管理費用まで負担する土地改良区の財政的現状は厳しく、そのコスト負担を補う形で従来与えられてきた農政上の補助制度は、国際的・国内的議論から限界にきている。他方で、その弊害として補助制度に頼る受け皿側の歪みだけが残る形となり、中小規模の土地改良区、特に本論文が対象地としたような中山間地においてはコスト負担を理由のひとつとして離農が進んでいる。その影響は、森林・川・田のつながりが顕著な中山間地における森林の荒廃や河床の上昇といった現象にあらわれている。このことはすなわち、第4章で検討した制約条件の「制度的歪み」の一例と考えられる。また、「公的供給」を認めることは、一定以上のコスト負担から土地改良区などの農業従事者を解放するとともに、離農の進んだ地域における具体的な問題(森林の荒廃や河床の上昇など)に対して公的な対策を施す可能性があることを意味する。 このように、日本における灌概用水のプライシングは、「公」による関与と一定の費用負担といった制度の再構築を必要とするため、その導入によって「公」の関与を見直し、同時に米価の買い支えや土地改良事業などと結びついた歪んだ補助構造の改善を促す可能性がある。副次的な効果ではあるが、用水管理費用の節減に寄与することで、営農面積の維持、農業従事者数への歯止め、また森林・川・田の連続性の再認識を促すなど、農政上有効な手段のひとつとなる可能性を持っている。 図1 灌慨用水におけるプライシングの先行研究の系譜と本稿の立場 注:本図中の色塗り部分は本稿の立場 表1 水価制の機能 表2 日本のケースにおいて検討すべき制約条件 | |
審査要旨 | 本論文は序章を含む5章から構成されており.序章では,日本における水価制の導入を研究の対象とした経緯,研究の背景,本論文の目的と意義が述べられている.第1章では,水価制の定義,その導入に対する制約条件,本論文での論点が記されている.第2章では,灌漑用水の経済財としての性質と,私的財あるいは公的供給すべき財とに見なす根拠に関して,先行研究の概観を含めて詳述されている.第3章では,本研究の枠組み内で実施した新潟県佐渡市での事例研究の結果を踏まえて,経済的機能に関する制約条件への反論が展開されている.第4章では,宮崎県北川町での事例研究に基づいて,財政的機能に関する制約条件の見当が為されている.論文の最後に,「結語」として,研究から得られた知見と考察が呈示されている. 日本国内の灌漑用水への水価制導入の可否は,経済原理の拡大をどこまで許容するのか,という文脈で否定的に語られることが多い.本論文は,日本国内における議論が水価制導入をめぐる論点のうち否定的な要素だけに偏っていること,および灌漑用水の「環境用水」としての価値が極端とすら思える程に強調されていることを指摘している.その上で,敢えて水価制導入可能性の検討と,水価制という制度の政策的意義を再考することで,従来の議論では見えてこなかった側面を明らかにすることを試みている. 灌漑用水は公共財ではなく「公的供給すべき私的財」として分類されるべきであるとの見解から,灌漑用水の「公」または「共」を過度に強調してプライシング導入の可能性を否定することは妥当ではないと結論づけている.また,日本に於ける「水」と「土」の結びつきは,従来考えられてきたほど堅固なものではなく、ある一定の条件下では両者の結びつきは弱くなる可能性があることを過去の事例から指摘することで,水価制導入の可能性が示唆されている. 他方,農業従事者によるコスト負担への配慮がもたらす制度的歪みが従来の日本農政において既にみられることから,そのような状況下で更なる負担を負わせることは,水価制導入をより難しくすることが指摘されている.政策的意義に関しては,高齢化・担い手不足による農業の粗放化により従来の水利組織の維持が困難といえる地域においては,手間のかかる用水管理の労務を軽減したり,時間や機会費用がかかる水利組織への参加に代わったりする役割をプライシングに期待することで,結果的に用水管理コストの低減をはかることができる可能性が指摘されている. 第三次水路のみならず第一次水路における維持・管理費用まで負担する土地改良区の財政的現状は厳しく,そのコスト負担を補う形で従来与えられてきた農政上の補助制度は,国際的・国内的な議論の推移から,既に限界にきており,その弊害として,中小規模の土地改良区,特に本論文が対象地としたような中山間地においてはコスト負担を理由のひとつとして離農が進んでいる.そのような局面では,一定以上のコスト負担から土地改良区などの農業従事者を解放するとともに,離農の進んだ地域における森林の荒廃や河床の上昇などの問題に対して有意な対策を行う為の手段として,「公的供給」を認めることが示唆されている. このように,本論文では,日本における灌漑用水への水価制導入は,「公」による関与と一定の費用負担といった制度の再構築を必要とすることから,その導入によって「公」の関与を見直し,同時に米価の買い支えや土地改良事業などと結びついた歪んだ補助構造の改善を促す可能性があることが指摘されている.また,副次的な効果として,用水管理費用の節減に寄与し,営農面積の維持,農業従事者数減少への歯止め,山・川・田の連続性の再認識を促すなど,農政上有効な手段となる可能性が示唆されている. 本論文は,水価制導入に関して従来の硬直化した議論の陥穽を指摘すると共に,現在の日本で水価制を導入することの積極的な意義を,経済,環境,社会などの側面に於いて見いだすことに成功しており,その知見の斬新さと検証の緻密さから,博士(国際協力学)の学位を授与するに値すると認める. | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/9299 |