学位論文要旨



No 122778
著者(漢字) 吉井,美知子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシイ,ミチコ
標題(和) ベトナムにおけるローカルNGOの現状と問題点 : ホーチミン市のストリートチルドレンへのケア活動を事例に
標題(洋)
報告番号 122778
報告番号 甲22778
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第315号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 池本,幸生
 東京大学 教授 長谷川,純一
 東京大学 助教授 佐藤,仁
内容要旨 要旨を表示する

1. 問題の所在

 ベトナムでは1980年代の終わりよりドイモイ政策により経済面での自由化が進み、経済発展が見られる。その反面、社会面での自由化は大きく遅れている。共産党一党独裁が堅持されるなか、集会・結社の自由は認められない。一方急激な経済発展に伴い、貧富の格差拡大、汚職の蔓延、環境破壊、都市スラムの拡大、ストリートチルドレンの増加などの新たな社会問題が見られるようになった。これらの社会問題に問題意識を持った市民が自発的に解決のための活動を始めても、集会・結社の自由がないため、それが組織化されて立ち上げるNGOは不法団体と見なされる。

2. 研究の目的と意義

 本研究は、(1)ベトナムにおいてNGOと呼ばれる組織の分類整理を行い、本研究の対象である市民社会組織としての条件を備えた市民によるNGOの位置づけを提示すること、(2)ストリートチルドレン問題に関する政府とローカルNGOの対応の比較により、後者の活動の有効性を証明し、その理由を分析すること、(3)政府がローカルNGO活動を抑制する作用を明らかにし、抑制の理由を分析するとともに、抑制の結果として生じるNGO活動にかかる安全コストについて考察を行うこと、(4)政府による抑制への対応として、NGOが狭められた活動領域を拡げようとして起こす反作用について明らかにし、ローカルNGOの今後の発展への手がかりを提供すること、(5)ベトナム市民社会の構成要素としてのローカルNGOに関し、和文で記述された本研究の読者として想定されうるドナー関係者に対して、今後の支援についての提言を行うこと、の5点を目的とする。

 ベトナムのローカルNGOについては、(1)非公認状態のため公開データがない、(2)研究対象とすることでNGOに迷惑がかかるため研究者が自粛する、(3)研究者の視点が政府視点、外国ドナー視点の2種類に限られることでローカルNGOの存在が見えてこない、という3点の理由により先行研究が貧弱である。本研究はNGOの非公開データを利用してベトナム市民社会の視点で行ったものである。そこから結論として得られる提言はそれ自体がベトナムの市民社会への支援としての意義がある。

3. 研究の方法

 本研究では(1)比較分析、(2)ボトムアップ・アプローチ、(3)内部者の視点の客観化、(4)実証の4つの方法を用いる。(1)はローカルNGOの三類型相互間で、異なる三国のNGO間で、公認・半公認・非公認の三種類のNGO間で、そしてストリートチルドレン問題への対応における政府とNGO間で用いている。(2)は研究対象であるNGOを上方に位置する政府からトップダウンでアプローチするのでも、ベトナムから完全に切り離された外部からドナーの視点で外野アプローチをするのでもなく、ベトナム市民の視点で下から上を見上げたアプローチの意味である(図1参照)。そして(3)は内部者としてNGOの中に身を置いた筆者が、第三者へと視点転換を行い限りなく客観的に研究を行ったことを意味する。(4)では直接・原典・現場を重視し、人間は本人に、書いたものは原典に、施設や会合は現場にという方法で実証研究を行った。

4. 論文の構成

 本論文は七章からなり、その構成は以下のように図示できる。

5. ベトナムにおけるNGOの三類型

 ベトナムのNGOには(1)政府公式発言によるローカルNGO、(2)外国NGO、(3)市民によるローカルNGOの三類型が存在する。(1)は政府が外国ドナーに対してその資金や技術の受け取り窓口としてNGOと名づけて示す政府系の大衆団体であり、本研究の定義による市民社会組織やNGOには当てはまらない。(2)は法律の規定のもとで正式に活動しているが、現実には活動上の自由度が小さく、パートナーである政府系団体の監視のもとに置かれている。(3)こそがベトナムの市民社会を構成するNGOであるが、これを認める法律がない。例外的な団体を除いてほとんどが大衆団体の名義を借りてその傘下に入り半公認団体として、あるいはまったく看板のない非公認団体として政府から黙認されて活動しているが、政府による活動への抑制は強い。

 本研究が対象として分析するのは(3)の市民によるローカルNGOである。

6. ストリートチルドレン問題への対応における政府とNGOの比較

 ベトナム第一の都市ホーチミン市においては、家庭崩壊、親の良識欠如、貧困による経済移民などを原因としてストリートチルドレンが増加中である。

 この問題に関する政府の対応は、(1)あらゆるレベルでの法整備の先進性、(2)法律の施行にあたる行政機構の充実、これら2点に反して(3)現場における政策の不適切な実施状況、という3つの特徴を持つ。その結果、政府の施策は一時的にストリートチルドレンを減らすだけで長期的な問題解決には十分な効果を上げていない。

 これに対してNGOは、市民が自発的に始めたもので、経営者から現場のスタッフに至るまで一貫した哲学を持って活動が行われている。活動規模は政府に比べて非常に小さいが、個々の子どもに適したサービスを提供することでストリートチルドレン問題の解決に有効な活動が行われている。

 このような政府とNGOとの相違点は、(1)政府が政治権力の維持を目的としてストリートチルドレンのケアを行うのに対し、NGOでは子どものために行う活動であるということ、(2)現場の公務員がストリートチルドレンの数減らし、政府が開く普及学級の開講時に集まる子どもの数などの一時的な数字で表現される自己の成績を追求するのに対し、NGOスタッフはストリートチルドレン問題そのものの解決を目指すという姿勢の違い、(3)公務員は政治的履歴を優先して雇用されるが、NGOスタッフは専門性ややる気が重視されること、(4)政府の子どもへのケアが種類ごとにばらばらの運営主体によって提供されているのに対し、NGOでは担当ソーシャルワーカーを中心に多角的、総合的に行われていることなどが挙げられる。

 これらの相違点の結果として、ストリートチルドレン問題の解決にはNGOのケアが政府の対応よりも有効であるという現状が生まれている。

7. 政府によるNGO活動の抑制

 ベトナム政府はドイモイ以前に自身が占領していたはずの資源配分領域に割り込んできた「異物」である市民によるNGOを除去しようとするが、それはNGO活動の抑制という形で現れる。本稿が研究対象とするNGOは、施設の閉鎖、授業の停止から経営者の逮捕までと、多様な規制や妨害を受ける。これらを避けるためにNGO経営には通常の運営コストの他に、安全コストがかかってくる。NGOは経営者にとって危険、かつ金のかかる事業である。

 政府はこのようにNGOを資源配分領域から除去するが、その後にできた領域の空白を必ずしも埋めることができない。例えばNGOの無料授業を停止させて政府の普及学級に子どもたちを編入しても、政府の提供する授業が子どものニーズに合わないために大部分が不登校になる。NGOは活動しやすい隣の地域に場所を移して無料授業を再開したり、政府が普及学級を閉鎖した後にまた無料授業を再開するなど、政府からの抑制という「作用」に対して、これを押し返し空白を埋めなおす「反作用」を見せる。

8. NGOによる政府の抑制への対応

 NGO側からの「反作用」について、(1)外国との協力、(2)政府との協力について複数の事例を分析する。(1)では施設建設に協力したいという外国ドナー側の意向があり、NGOが別団体を紹介し、自身が直接の資金受取人にならないことで危険を回避するケース、(2)は政府内の公務員が個人的に自由裁量を働かせて、公認されていないはずのNGOと協力を行うケースである。

 (1)の外国との協力事例においては、日本のNGOがベトナムのNGOの現状を理解して協力したことが成功をもたらしている。そこからはグローバル市民社会の融通性とパワーがNGOの「反作用」を後押ししているしくみが浮き上がる。(2)の政府との協力については、地元当局の教育担当官、人民委員会主席、公立小学校校長等の公務員が自己の担当業務の範囲内で自由裁量を働かせ、公務員としてではなく一市民としてNGOと協力していることから、政府の一部分を取り込むNGOの「反作用」が分析できる。

 このようにNGO側からの「反作用」は空白を埋めるだけでなく、さらに新たな領域を取り込む形で強く働いている。

9. 結論

 研究の目的(1)にあるNGOの分類整理と本研究が対象とするNGOの位置づけについては、ベトナムのローカルNGOを三類型に分類しそれぞれの特徴を整理した。そしてそのうち第三類型の市民社会組織の条件を備えた市民によるローカルNGOを研究対象とすることが明示された。

 目的(2)に挙げた、ストリートチルドレン問題における政府とNGOの対応の比較分析については、両者の活動の事例を検討することにより、問題の解決にはNGOが有効であることが証明された。またその有効性は政治権力の維持を目指す政府と、個人的な生きがいを追求するNGOとの違いによってもたらされることが分析された。

 目的(3)の政府によるNGO活動の抑制のしくみとその理由、その結果生じるNGOの安全コストの考察については、外国との協力の失敗、施設閉鎖、授業停止、経営者逮捕などの事例から、抑制は政府がNGOを異物として除去しようとするために起こる「作用」であることが分析された。抑制が強いためにNGO活動の存続には安全コストがかかる。

 目的(4)のNGOが狭められた活動領域を拡げようとする反作用の分析と、NGOの今後の発展への手がかりについては、グローバル市民社会の連帯による新領域の取り込みや市民として行動する公務員の協力に示されるNGOによる政府の一部分の取り込みが分析され、今後の協力相手を外国の市民社会や国内の公務員に求めていくNGOの方向性が示された。

 目的(5)については、日本語で記された本稿の読者として想定される日本人に、次の三点を提言する。第一に、本研究で述べられたベトナムのローカルNGOの現状と問題点に関する理解、第二に、政府の強い抑制を受けながら活動を続けるベトナムのローカルNGOに対する物質的そして精神的な支援、第三に、社会的弱者のニーズに適切なケアを提供しているこれらNGOの活動がより自由に行えるように、外国からベトナム政府に対するアドボカシー活動である。

図1 ベトナム市民によるローカルNGOへの3つのアプローチ

図2 論文の章構成

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、急激な経済発展の歪みとして表出される開発途上国のストリートチルドレン問題に焦点を当て、ベトナム・ホーチミン市におけるストリートチルドレンのケアの実態を詳細な調査により明らかにし、NGOによるケアの困難性と有効性とを具体的に示したものである。

 本論文は7章で構成され、まず第1章においては、ベトナムにおける経済面での自由化の進展と社会面での自由化の停滞を述べ、貧富の格差拡大、環境破壊、都市スラムの拡大、ストリートチルドレンの増加などの新たな社会問題の発生の状況を示している。そして、5つの研究目的を設定している。

 この社会問題に対し、ベトナムのローカルNGOや国際NGOが実践的に取り組んできているが、ローカルNGOは非公認の組織であるため、その公開データがなく研究の蓄積も少ない。しかもこれまでの研究は、ベトナム政府の視点あるいは外国ドナーの視点に限られており、ローカルNGOの存在および実態については、明らかにされてこなかったことを第2章で明らかにしている。

 そこで本研究では、NGOの非公開データを精力的に収集・利用し、それを客観的に分析することを試みている。すなわち、本論文の研究手法としては、(1)対照的な主体の比較分析、(2)ベトナム市民の視点からのボトムアップ・アプローチ、(3)内部者の視点の客観化、(4)直接・現場・原典による実証的研究、という4つの手法を用いている。

 第3章では、ベトナムにおけるNGOの三類型、すなわち(1)政府公式発言によるローカルNGO、(2)外国NGO、(3)市民によるローカルNGOを比較分析し、(1)は市民社会組織やNGOには当てはまらないこと、(2)は活動上の自由度が小さく、パートナーである政府系団体の監視のもとに置かれていること、(3)はベトナムの市民社会を構成するNGOであるが、これを認める法律がないことを、実証している。

 以上の前提のもとで、第4章ではストリートチルドレン問題を現場で調査し、比較考察しているが、事例としてはベトナム第一の人口および産業の集積都市であり、開発の歪みが大きく現れているホーチミン市を選定している。ここでは、家庭崩壊、親の良識欠如、貧困による経済移民などを原因として、ストリートチルドレンが多数発生している。しかしながら政府の対応は、制度的には十分でありながら、現場では不適切な実施状況にとどまっており、根本的な問題解決には至っていない。それに対してNGOによるケアは、市民が自発的に始めたもので、経営者から現場のスタッフに至るまで一貫した哲学を持って活動が行われていることを、調査により報告している。すなわち、活動規模は小さいながらも、個々の子どもに適したサービスを提供し、ストリートチルドレン問題の根本的な解決に有効な活動が行われていることを実証している。

 続いて第5章では、このように有効なNGOのケア活動に対して、ベトナム政府が活動を抑制していることを調査し、報告している。本論文の主たる研究対象としたNGOについても、施設の閉鎖、授業の停止、経営者の逮捕などの多様な規制や妨害を受けたことを明らかにしている。そして、これらを避けるために、NGO経営には通常の運営コストの他に、多くの安全コストが必要であることを示している。

 さらに、政府による介入によって、その後のケアが向上するのではなく、低下していることも明らかにしている。たとえば、NGOの無料授業を停止させ政府の普及学級に子どもたちを編入したケースでは、政府の提供する授業が子どものニーズに合わず大部分が不登校になったと報告している。

 第6章では、このような政府の抑制に対抗するNGO側の「反作用」について、報告・分析している。例えば、抑制されたNGOが活動しやすい隣の地域に場所を移しての無料授業再開、政府が普及学級を閉鎖した後の無料授業の再開などが報告されている。これを行うためには、(1)外国ドナーからの援助を自らが表に出ないで実質的に受け取るケース、(2)政府内の協力者との連携といった手段が不可欠であることが報告されている。

 最終の第7章は、5つの研究目的に対応した結論を述べ、成果としている。

 第一の成果は、ベトナムのローカルNGOを3類型に分類し、それぞれの特徴を整理したことである。第二の成果は、政府とNGOのストリートチルドレンへの対応を比較分析し、問題の解決にはNGOが有効であることを証明したことである。第三の成果としては、政府によるNGO活動の抑制のしくみとその理由を明らかにし、その結果生じるNGOの安全コストを考察した。第四の成果は、NGO自身による狭められた活動領域を拡げようとする動きを提示した上で、今後の発展への手がかりについて示唆を与えた。

 以上4点が本論文自身の成果であるが、本論文を公開することによって、主たる読者である日本人に、ベトナムのローカルNGOの現状と問題点への理解をさせ、ローカルNGOに対する物質的そして精神的な支援を求め、ベトナム政府に対するアドボカシー活動を期待することを、第五の成果としている。

 本論文は、これまで明らかにされていなかったベトナムのローカルNGOの実態を極めて実証的に追究した論文であり、その独自性は他に例を見ない。そして、社会主義国の発展過程における問題解決に適用できる可能性を有していると評価できる。以上により、本研究に対し、博士(国際協力学)の学位を授与できると認める。

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