学位論文要旨



No 122780
著者(漢字) 中谷,洋一郎
著者(英字)
著者(カナ) ナカタニ,ヨウイチロウ
標題(和) 初期脊椎動物のゲノム進化
標題(洋) Evolutionary genomics of early vertebrates
報告番号 122780
報告番号 甲22780
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第317号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 情報生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅井,潔
 東京大学 教授 森下,真一
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 助教授 中谷,明弘
 国立情報学研究所 教授 藤山,秋佐夫
内容要旨 要旨を表示する

脊椎動物のゲノム進化は生命進化の歴史の中でも特に注目され古くから議論されてきたが,実際にどのような変化が起きたのかは明らかになっていなかった.ここ数年の間にニワトリ,ミドリフグ,メダカ,ホヤなどの系統の離れた脊椎(または脊索)動物ゲノムが解読されたことで,初期脊椎動物におけるゲノム進化を詳細に解析することが可能になった.私は脊椎動物の系統樹において進化上重要な位置を占める脊椎動物祖先のゲノム構成を推定することで(図1),初期脊椎動物ゲノム進化を解明した.

私は次のような戦略で脊椎動物祖先ゲノムの再構成を試みた.

1.まず初めに真骨魚類(Teleostei)祖先ゲノムを再構成した.真骨魚類は約3億5千年前にゲノム重複を起こしたことが知られており,ゼブラフィッシュ,メダカの遺伝子地図や,ミドリフグゲノムの解析によってゲノム重複時の祖先核型の再構成が行われてきた.今回私は,真骨魚類の系統でゲノム重複後に起きる染色体融合と染色体分裂の痕跡の違いに着目することで染色体進化を詳細に推定した(先行研究では染色体分裂のモデルが存在しなかったため,染色体分裂・転座に関して間違った推定が行われていた).ヒトゲノムとメダカ,ミドリフグ,ゼブラフィッシュの比較により次のような知見が得られた.すなわち,ゲノム重複後きわめて短期間に大規模なゲノム再編が集中して起きていたこと,その後メダカの系統では大きなゲノム構成の変化は起きず祖先の核型が保たれてきたこと,それに対してゼブラフィッシュの系統では多くの変化が起きたことが明らかになった.

2.脊椎動物(Vertebrata)祖先では2回のゲノム重複が起きたことが古くから提唱されてきた.私は再構成した真骨魚類祖先染色体の間にどう重複遺伝子が分布するか調べたが,明確な4倍の対応関係は得られなかった.これは脊椎動物祖先から真骨魚類祖先へと進化する過程で多くのゲノム再編が起きたことを示唆しており,真骨魚類祖先から脊椎動物祖先へと順番に再構成していく方針は失敗だった.次に、私は方針を変更し,ヒトゲノムから直接脊椎動物祖先の推定を試みた.

3.哺乳類(Mammalia)の祖先では多くのゲノム再編が起きたことが知られている.ヒトゲノムも例外ではなく,現在のヒト染色体は複数の哺乳類祖先染色体に由来する領域が貼りあわされた状態になっている.例えばヒト1番染色体は8つのブロック(染色体上の連続領域)に分けることができる(図2c).このような,哺乳類祖先でのゲノム再編によって分断されずに残ったブロックは,(おおまかな議論としては)メダカゲノム中でも同一染色体上に位置しているために,メダカとのシンテニー解析によって明確にブロックの境界を同定することができた(図2b).さらに,脊椎動物祖先で重複したと推定される遺伝子のヒトゲノム中での分布を重ねて表示してみた結果(図2a),メダカとの比較によって同定されたブロック中では脊椎動物祖先での大規模重複の痕跡が比較的きれいに残っていることが判明した.これは脊椎動物祖先から哺乳類祖先へと進化する過程では激しいゲノム再編は起きておらず,祖先ゲノムの構成が比較的よく保存されていたことを示唆している.私はこれらのブロックを構成要素として脊椎動物祖先ゲノムを再構成するため,統計的に祖先ゲノム構成を推定する方法を開発した.

4.二つのブロックの間に統計的に有意に多くの重複遺伝子が存在している時に,これらのブロックは脊椎動物祖先でおきたゲノム重複によってできた重複領域であると判定する.重複領域であると同定されたブロックをまとめることでブロック全体をグループ化すると,10グループに分けることができた.これらのグループ間にはほとんど重複遺伝子が存在しないのに対して,グループ内のブロック間には多くの重複遺伝子が存在する.この10グループがそれぞれ,脊椎動物祖先での染色体に由来すると推定した.グループの一つを図2dに示した.青点が重複遺伝子で,グループ内(三角形領域)には多くの重複遺伝子があることがわかる.

5.次に,脊椎動物祖先染色体が2回のゲノム重複の結果4倍になったのか,それとも1回のゲノム重複の後に染色体ごとの重複や大規模なセグメント重複が起きて2倍,3倍,4倍になったのか,という議論に決着をつけるため,次のような実験を行った.もし4倍になっていれば,4つの重複染色体が存在したはずで,それぞれの重複染色体が同じ遺伝子セットを持つため,どの2染色体ペア間にも重複遺伝子が多く存在するはずである.それに対して同一染色体内には重複遺伝子はほとんど存在しないはずである.このモデルにもとづいて,重複ブロックから作った各グループが何個の重複染色体に分かれるかを統計的に決定した.例えば,図1dのグループは13個のブロックから構成されるが,この13個のブロックを2分割,3分割,4分割するわけ方を列挙すると全部で200万通り以上にもなる.それぞれの場合に,「重複遺伝子(図2eの青点)が別染色体間(図2eの赤い領域)に偏って存在し,同一染色体内(図2eの緑の領域)に存在しない度合い」を計算する(ある分割パターンに対して,同一染色体内(緑の領域)にn個の重複遺伝子が存在したとする.三角形領域中ランダムに重複遺伝子が分布していたと仮定して,同一染色体内(緑の領域)に重複遺伝子が0個存在する確率,1個存在する確率,...,n個存在する確率を順に足し合わせていく.この確率の和が「重複遺伝子の偏りの度合い」で,和が小さいほど重複遺伝子の分布は偏っている).実際の重複染色体では重複遺伝子は染色体間に偏って存在していたはずなので,最も有意な(「重複遺伝子の偏り」が最も大きい)分割パターンが脊椎動物祖先で起きたゲノム重複で生まれた娘染色体であると推定した(図2e).この結果,10個の脊椎動物祖先染色体のうち,4染色体が4倍に重複したことが示された.小さな脊椎動物祖先染色体は統計的な計算の限界でうまく再構成できていない可能性が高いのに対して,遺伝子数の多い大きな脊椎動物祖先染色体は信頼性の高い再構成ができるのだが,10個の脊椎動物祖先染色体のうち大きい染色体5個中4個が4倍に重複していることから,これは2回のゲノム重複によってゲノム全体が4倍に重複したことを支持する結果であると言える.(しかも,大きい脊椎動物染色体5個の中で4倍にならず3倍に再構成された染色体も,さらにヒトゲノム中での対応関係を詳しく調べた結果,ヒト19番とX染色体に小さな染色体領域が存在し,これが4つめの重複染色体に対応しているらしいことがわかった.)

6.再構成された顎口類(Gnathostomata)祖先(ゲノム重複後の祖先)の染色体数は全部で33個であった.しかし,この再構成結果はどの程度信頼できるのだろうか?再構成結果が正しいことを示す,なんらかの証拠が存在するのだろうか?再構成結果を検証するためには,本当は外群であるホヤ,ナメクジウオ,ウニなどのゲノム構成と比較することが望ましいが,これらのゲノムは現在まだ解読中で利用できない.今回私はニワトリゲノムと比較することで再構成結果を検証した.ここまでの祖先染色体再構成では,各ブロックがニワトリゲノム中でどこに位置しているかという情報はまったく利用していない.それにもかかわらず顎口類祖先染色体を構成する複数のブロックがニワトリゲノム中でもとなりあって存在していたら,再構成が正しかったと考えられる.特に,ニワトリ染色体と,再構成された顎口類祖先染色体とが1対1に対応していれば,その顎口類祖先染色体の再構成結果は信頼性が高いと言えるだろう.それに対して,1個の脊椎動物祖先染色体から重複した複数の染色体に由来するブロックが,1個のニワトリ染色体上に入り混じって存在していれば,激しいゲノム再編の結果と考えるよりも,顎口類祖先染色体の再構成に失敗したと考えるのが自然である(ニワトリゲノム全体のゲノム再編率なども考慮すれば激しいゲノム再編が起きたとは考えにくい).顎口類祖先ゲノム構成の再構成結果とニワトリゲノムを比較したところ,多くのニワトリ染色体が実は顎口類祖先ゲノム中でも1個の染色体に対応することが明らかになった.また逆に,顎口類祖先で一つの染色体を構成する複数のブロックが,ニワトリゲノム中でも多くの場合となりあって存在していることもわかった.このことは私の祖先ゲノム再構成結果が信頼できるものであることを示している.

7.私はさらに,再構成された顎口類祖先ゲノムを外群として利用することで,ヒト・ニワトリ・メダカの共通祖先である硬骨魚類(Osteichthyes)祖先のゲノムを再構成した.さらにヒト・ニワトリの共通祖先である有羊膜類(Amniota)祖先のゲノムも再構成し,顎口類祖先から有羊膜類祖先にいたる進化の過程では激しいゲノム再編は起きていなかったことを明らかにした(図1).それに対して硬骨魚類祖先から真骨魚類祖先への進化の過程では多くの染色体融合が起き,その結果染色体数が半分以下にまで減少していたことがわかった.また,様々な脊椎動物種の染色体数の分布と比較することで,両生類(Amphibia)・爬虫類(Squamata, Crocodilia)・有袋類(Metatheria)の祖先でも激しい染色体融合が起きていたことが推定された.

私の解析によって初めて得られた知見は以下の通りである.

1.染色体分裂のモデルを考えることで,真骨魚類ゲノム進化をより詳細に解明した.

2.真骨魚類のゲノム重複後の短期間に大規模なゲノム再編が集中的に起きていたのに対して,その後のメダカゲノム進化の過程では大きな変化がなかったことを明らかにした.

3.脊椎動物祖先と顎口類祖先のゲノムを再構成し,ゲノム重複が2回起きてゲノムが4倍になったことの直接的な証拠を得た.

4.顎口類祖先を外群として硬骨魚類祖先・有羊膜類祖先のゲノムを再構成し,顎口類祖先から有羊膜類祖先へと進化する過程では比較的ゲノム構成が変化せずに保たれていたことを明らかにした.

5.硬骨魚類祖先から真骨魚類祖先へと進化する過程で多くの染色体融合が起きていたことを明らかにした.

6.脊椎動物種ごとの染色体数分布データとの比較により,両生類・爬虫類・有袋類の祖先でも激しい染色体融合が起きていたことが明らかになった.

図1.脊椎動物の系統樹と再構成された祖先の核型(黄枠内).

脊椎動物祖先での2回のゲノム重複の後,ゲノムの進化は比較的ゆるやかに進行し,有羊膜類祖先までは激しいゲノム再編は起きなかった.それに対して,真骨魚類・両生類・爬虫類・有袋類の祖先では激しいゲノム再編が起きていた.また,真骨魚類ではゲノム重複が起きてゼブラフィッシュが分岐した後,メダカ・フグにはあまり大規模な変化は起きなかった.このようにゲノム進化には激しく変化する時期と比較的安定な時期とがあることがわかった.

図2.祖先染色体の再構成法の概略図.

a,点はヒトゲノム中の重複遺伝子を示す.例えばオレンジ色のブロック2はヒト5,9,19番染色体上に多くの重複遺伝子を持つことがわかる.b,点はメダカ相同遺伝子がどのメダカ染色体上にあるかを示す.真骨魚類祖先で起きたゲノム重複を反映して,例えばオレンジ色のブロック2は二つのメダカ染色体上に相同遺伝子を持つ.c,メダカとのシンテニー解析からヒト1番染色体は8個のブロックに分けられる.d,多くの重複遺伝子を共有するブロックをまとめることで得られたグループのひとつ.縦軸横軸にブロックを並べ重複遺伝子をプロットした.このグループに属するブロックは,一つの脊椎動物祖先染色体が重複し,重複染色体がさらにゲノム再編によってヒトゲノム中に散らばった結果形成されたブロックだと推定される.e,グループをさらに4つの小グループに分けて,各小グループ内では重複遺伝子が少ないように配置した.この小グループが(2回の)ゲノム重複の結果生み出された染色体であると推定した.小グループへの分割は多くの組み合わせが可能だが,その中から統計的に最も有意なものを選択して祖先染色体を再構成した.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、ゲノム比較により、脊椎動物祖先ゲノムの進化の歴史について、従来の知見を塗り替える結論を導いている。解析は統計的な処理を含む堅実な手法の組み合わせによって行われているが、過去2回のゲノム重複によって4倍化したゲノムのヒトゲノム中での痕跡とメダカゲノムの比較から、脊椎動物祖先ゲノムを推定できることを示したことの意義は大きい。本論文から得られた知見は、他の外群ゲノムとの比較によって、より確実な検証がなされなければならないが、その推定結果がニワトリゲノムとの比較などによって支持された点は重要である。

 本論文が開拓した方法論の精度が向上・実証されれば、どのようなゲノムを読むべきかについての指針、新たに決定されたゲノム配列の精度の検証等に貢献することさえ期待される。

 本論文は、ゲノム進化研究に重要な一歩を記した研究をまとめたものであり、本審査委員会は全員一致で博士(科学)の学位を授与することが適当であると判断した。

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