学位論文要旨



No 122795
著者(漢字) 藤井,毅朗
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,タカアキ
標題(和) KM2O-ランジュヴァン方程式論に基づく非線形時系列解析について
標題(洋)
報告番号 122795
報告番号 甲22795
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第125号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 数理情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉原,正顯
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 助教授 駒木,文保
 東京大学 講師 大石,泰章
 東京大学 講師 松尾,宇泰
内容要旨 要旨を表示する

 KM2O-ランジュヴァン方程式論([1])は計量ベクトル空間内の流れ,特に二乗可積分な確率変数からなる離散時間の局所的な確率過程に対する理論である.KM2O-ランジュヴァン方程式論では確率過程の時間発展を,その過去によって説明される項(散逸項)とランダムな項(揺動項)に分解して記述したKM2O-ランジュヴァン方程式を導く.そして,確率過程の持つ定性的な性質を揺動項と散逸項の間の定量的な関係式である揺動散逸定理を通して数学的に特徴づけている.また,KM2O-ランジュヴァン方程式は線形の方程式だが,非線形の解析を行う手段として,非線形情報空間の理論が展開されている.そこでは,解析対象の確率過程に非線形変換を施して新たに確率過程を構成することで,その確率過程に対する線形の解析によって元の確率過程の非線形の解析が行えることが示されている.

 KM2O-ランジュヴァン方程式論の大きな特徴の一つとして,確率過程の共分散行列関数を解析の基礎としている点があげられる.共分散行列関数から散逸項,揺動項を特徴付ける量を計算する揺動散逸アルゴリズムが得られており,それによって流れとその共分散行列関数が関係づけられ,共分散行列関数を基礎にした解析が展開されている.このことは時系列解析への応用上非常に重要なポイントとなる.

 KM2O-ランジュヴァン方程式論の時系列解析への応用として,確率過程の実現として時系列を捉えることで数学的な理論を背景にした解析が行われている.時系列が定常な確率過程の実現であるかを調べる定常解析,時系列の時間発展の決定性を調べる決定解析,将来を予測する予測解析などがあり,これらの基礎的な解析をさらに応用して異常解析([2])やリスク解析([4])などが行われている.これらの解析を行う際,ARモデルに代表される時系列モデルを用いた時系列解析においては何らかの定性的特徴を持った時系列モデルを用いて解析を行う.この方法は適切なモデルを用いた場合には非常に強力だが,適切なモデルを用いるためには対象となる時系列の定性的な特徴を知っているか,さもなければ,ある特定の定性的特徴を前提として解析を行うことになる.特に後者の場合,そこから結論が得られたとしても前提条件が曖昧であり,説得力に欠ける場合がある.一方,KM2O-ランジュヴァン方程式論に基づいた時系列解析を行う際には,まず時系列から時系列の共分散行列を計算し,それを基に解析を行う.共分散行列の計算法は対象とする時系列によらないことから,対象とする時系列が持つ定性的な特徴を前提知識として必要としない.同時に,KM2O-ランジュヴァン方程式論に基づく時系列解析における基礎定理である揺動散逸原理を基として構成されたTest(S)を用いて,計算した共分散行列がふさわしいものであるかを検定する.これによって,数学的理論として展開されたKM2O-ランジュヴァン方程式論における前提条件が満たされていることを確認した上で解析を行うことで,得られた結論の背後には理論的な根拠が確保される.

 本論文において,KM2O-ランジュヴァン方程式論に基づいた二つの新しい解析を取り扱う.一つ目は時系列の背後にある確率過程のダイナミクスを探るダイナミクス解析である.ここでいうダイナミクスとは確率過程において決定性の最も高い非線形変換の組について導いたKM2O-ランジュヴァン方程式のことであり,ダイナミクス解析は決定性の高い非線形変換の選択が本質的な問題となる.これまでもKM2O-ランジュヴァン方程式論に基づいた時系列解析においては予測解析や非線形予測誤差を用いたリスク解析などにおいて決定解析を基に,時系列の時間発展を記述するのに有力な非線形変換の組を選んでKM2O-ランジュヴァン方程式を立てる,すなわちダイナミクスを選択することが行われてきたが,そこで選択された非線形変換の組そのものに注目した解析は行われてこなかった.また,リスク解析は異常解析で異常と判断された時点におけるリスクの度合いを測る解析であり,これによって異常解析では同じ「異常」という結果のみが得られていた時点に対し,リスクの様子から危険度を判別できるようになった.しかし,その挙動は複雑でその様子を読み取るのは容易ではなく,どの時点において時系列がリスクのある時期に入ったのか,あるいは逆にリスクのない時期になったのかということが分かりにくいという問題点があった.また,分離性が発見された深部低周波地震の地震波の解析は,通常の地震と異なる深部低周波地震の発震機構を知るために地震波のダイナミクスを解明したいという火山,地震学者の要請を受けて始まったもので,その過程で分離性という性質が発見された.しかし,分離性というダイナミクスに関係する性質は発見されたものの,ダイナミクスの解析は十分とは言えない.そこで,本論文では以上の問題点を解決するためにダイナミクスそのものに注目した解析を行う.具体的には,異常解析や分離性の解析リスク解析と同様に,対象とする時系列を,範囲をずらしながらある一定の長さで切り出した時系列を扱い,切り出した時系列のダイナミクスの変化を追うことで時系列の特徴を捉えることを試みる.時系列全体を扱うのではなく,その部分を切り出して解析を行うことによってダイナミクスの変化も含めた構造の解析が行えると考えられる.この解析の目的はこれまでの解析によって得られている結果を,その背後にあるダイナミクスを探ることで補強すると同時に,時系列そのものの特徴やその変化の原因をダイナミクスの変化から考察することである.

 二つ目は定常性を満たさない時系列の解析である.当初,KM2O-ランジュヴァン方程式論は流れが定常かつ非退化な場合に展開されていた.その後,退化した流れに対する理論が導入され,退化した時系列に対する解析も行われた.さらに,理論的には[3]において定常性を満たさない流れに対して拡張された.しかし,定常性を満たさない時系列ではその共分散行列を時系列から計算することが難しいこともあり,時系列解析への応用は行われてこなかった.本論文では複数のパスが観測される時系列を対象とし,これまで定常性を満たす時系列を解析するために構築された理論を踏まえて定常性を満たさない時系列を解析するための理論を整備し,複数のパスを用いた時系列解析を行う.具体的には,まず定常性に基づいた解析の際に用いていたTest(S)に代わり,複数のパスからパス平均をとって計算した共分散行列が解析に用いるのに適しているかを検定するTest(EP)を導入する.さらに,異常解析や決定解析,リスク解析などの定常性に基づいた解析において行われていた解析を複数のパスを用いた解析に導入する.同時に,ダイナミクス解析も複数のパスを用いた解析に導入する.このことにより,これまで対象の時系列において大きな興味の対象でありながら,定常性を満たさなかったために解析を行えなかった時点においても複数のパスを用いることで解析を行えるようになる可能性がある.これまでは時系列に何らかの大きなインパクトが加わって定常性が乱されたあと定常性が回復するまで解析が行えなかったが,複数のパスを用いた解析が適用できれば,乱された時系列がショックから回復する様子も観測できることが期待される.

 これらの解析を行った結果,ダイナミクス解析では株価指数の時系列,深部低周波地震の時系列共に興味深い結果が得られた.まず,株価指数の時系列においては,経済学的に安定していると考えられる時期には次数が2の非線形変換がダイナミクスとして選ばれ,不安定な時期には2次のものに限らずダイナミクスが選択されていることが分かった.このことから,リスク解析では困難であった市場の安定期,不安定期の区別が容易になった.また,深部低周波地震の解析では,通常の地震波では見られないダイナミクスの二次の変換への偏りがS波到達後に見られた.この偏りは地震波到達前には見られないことから,分離性と同様深部低周波地震特有の性質であると考えられ,深部低周波地震の発震機構の解明に寄与するものであると考える.次に,複数のパスを用いた解析では,株価時系列の解析を通して,定常性が崩れている時期でも複数のパスを用いた解析が有効である可能性が示された.特に,異常が発生した後,その状態から脱していく様子を観察することができることを示し,複数のパスを用いた解析の有用性を示した.

参考文献[1] 岡部靖憲,『時系列解析における揺動散逸原理と実験数学』,日本評論社,2002年.[2] Y. Okabe, M. Matsuura, M. Klimek, ``On a method for detecting certain signs of stock market crashes by non-stationarity tests", International Journal of Pure and Applied Mathematics, Vol. 3, No. 4, 2002, 443-484.[3] M. Matsuura,Y. Okabe, ``On the theory of KM2O-Langevin equations for non-stationary and degenerate flows", J. Math. Soc. Japan, vol. 55, 2003, 523-563.[4] K. Suzuki, ``On a non-linear risk analysis based on the theory of KM2O-Langevin equations", Ph. D. Dissertation, Department of Mathematical Infomatics, Graduate School of Information Science and Technology, The University of Tokyo, 2006.
審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,「KM2O-ランジュヴァン方程式論に基づく非線形時系列解析について」と題し,5章から成る.従前のKM2O-ランジュヴァン方程式論の時系列解析への応用研究に対して,本論文は,KM2O-ランジュヴァン方程式論の決定性の理論を基に非線形のダイナミクスを探るダイナミクス解析を新しく確立し,同時に,複数のパスを観測して時系列群の等確率性を基に解析を行う時系列解析の手法を導入し,これまで定常性を満たす時系列のみに適用されていた解析の適用範囲を拡大している.さらに,ダイナミクス解析,および,複数のパスを用いた解析に基づいて,実証分析を行い,新しい知見が得られることを示している.

 まず,第1章「序論」では,ダイナミクス解析を導入する動機として,これまで行われてきたリスク解析における問題点と,分離性などの解析における構造解析への要請を指摘し,ダイナミクスそのものに着目した解析の必要性を論じている.また,従来行われてきた定常性に基づいた解析では不十分な点と,その点を改善する必要性を指摘し,それを補うために複数のパスに基づいた解析を導入する動機を説明している.

 第2章「確率過程に対するKM2O-ランジュヴァン方程式論」は,2つの節:2.1節「一般の流れ」と2.2節「定常流」から成る.本章では,以後の議論の準備として,KM2O-ランジュヴァン方程式論の基礎理論を概観しており,2.1節では一般の流れに対しての理論の概略について述べ,2.2節では流れが定常性を持つ場合に成り立つ性質の概略について述べている.

 第3章「時系列解析」は,2つの節:3.1節「定常時系列解析」と3.2節「複数のパスを用いた時系列解析」から成る.3.1節では,従来の解析について概観した後,新たな解析として,時系列の一部を切り出して決定性の解析に基づいて各時点におけるダイナミクスを選択し,切り出す部分をシフトすることでダイナミクスの推移をみるダイナミクス解析を導入している.3.2節では時系列群からパス間の平均を用いて共分散行列を計算し,定常性に基づいて行われていた解析を複数のパスを用いた場合に行えるように拡張している.

 第4章「実証分析」は,2つの節:4.1節「ダイナミクス解析」,4.2節「複数のパスを用いた解析」から成る.4.1節では株価指数,地震波,地磁気の各時系列に対し,定常性に基づく解析を用いてTest(ABN)や分離性などの解析を行った上で,ダイナミクス解析を行っている.まず,株価指数の解析では,日経平均株価やアメリカのダウ工業平均,イギリスのFTSE100のデータに本論文で導入したダイナミクス解析を適用している.その結果,市場の安定期には2次の非線形変換がダイナミクスとして選択され,市場が不安定になると2次以外の非線形変換も選択されることが示されている.これは,従来のTest(ABN)やリスク解析においてはその判別が困難であった点であり,この2つの解析を補強する結果となっている.次に地震波のデータの解析においては,通常の地震と深部低周波地震の解析結果を比較し,通常の地震にはダイナミクスに偏りが無いのに対して,深部低周波地震ではS波到着後に2次のダイナミクスに偏るという結果が得られ,P波到着後に奇数次の変換に偏っている可能性も示唆されている.また,先行研究で深部低周波地震の特徴として報告されている分離性との関係も議論し,分離性が現れる時期とダイナミクスの偏る時期が一致していることを指摘し,両者に関係があることを示している.最後に地磁気データの解析では,柿岡で2003年に観測された磁気嵐のデータのダイナミクス解析を行っている.地磁気データにおいても分離性が現れることが先行研究により報告されているが,深部低周波地震と同様に分離性が現れる時期にはダイナミクスが偏るという関係を示している.深部低周波地震における結果と合わせ,分離性とダイナミクスの偏りには深い関係があることが示唆されている.4.2節においては複数のパスに基づく解析を,日経平均株価の採用銘柄をパスとみなして適用している.その結果,定常性に基づく解析と矛盾しない結果が得られ,ダイナミクスの偏りも同様に観察されている.これにより,複数のパスを用いた解析の妥当性が確認されると同時に,定常性に基づいた解析を補強する結果を得ている.特に,定常性に基づく解析においては定常性の破れから解析できなかった時点においても複数のパスに基づいた解析の結果は得られており,定常性の破れとしての異常が発生したのち,市場がそこから回復していく様子が観察されている.これはこれまで大きな興味の対象でありながら解析が行えなかった部分であり,本論文で提案した手法の有用性を示している.

 第5章「結論」では全体の総括を行い,本研究の成果をまとめた後,今後の問題に触れている.

 以上,本論文は,KM2O-ランジュヴァン方程式論の応用研究に,新たに,決定性の解析に基づいてダイナミクスを探るダイナミクス解析と,複数のパスを用いて定常性に拠らない解析を行う手法を導入し,それらを,株価指数,地震波,地磁気の時系列データに適用して,新しい知見が得られることを示したものであり,数理工学上の貢献が顕著である.

 よって本論文は,博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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