学位論文要旨



No 122797
著者(漢字) 嵯峨,智
著者(英字)
著者(カナ) サガ,サトシ
標題(和) 触力覚を伴う作業の記録と再生に関する研究
標題(洋)
報告番号 122797
報告番号 甲22797
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第127号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 システム情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 舘,
 東京大学 教授 嵯峨山,茂樹
 東京大学 教授 石川,正俊
 東京大学 助教授 篠田,裕之
 東京大学 講師 川上,直樹
内容要旨 要旨を表示する

 人が自らの手足を使って行うこと全般を「作業」と呼ぶ.作業の中でもとりわけ洗練されたものを技能と呼び,保存すべき対象として認知され,長い間さまざまな形で人類の間で継承されてきた.本論文では,人間の作業というものを適切な手段で伝達する手法について検討し,作業の新しい記録,再生の手法を提案することを目的とし,いくつかの装置を試作し,それぞれの有効性について実験的に検証を試みた.以下,各章で扱った内容について簡単にまとめる.

 1章では,作業を主体と客体の間の力のやりとりとして概念化した.また学習についてこれまでの知見について整理した後,作業の学習とは何かを具体的な例を通して概念化した.また,学習において記録再生すべき情報として力を用いる妥当性について言及した.その後,作業における道具というものを考え,道具の中で特に次のものを作用子として定義した.すなわち,作用子とは「客体との接触点を制約しつつ,客体への力の伝達を目的として主体の延長として働き,それ自身は作業中に大きく変化せず,かつ作業中に主体から離れないもの」であり,以降の章ではこの作用子を用いた作業の記録,再生について取り扱った.

 2章では,力情報を用いた記録再生システムとして,作業を記録,再生するシステムを構築する手法について検討し,実験を通して学習効果等を検証した.

 まず,力覚における教示に主体性を導入し,作業者の主体性を重視するHaptic Teachingを提案し,これを実装した.また,これまでの学習で実現が難しかった力情報と位置情報の同時提示を実現した.

このための力覚提示手法として 1.記録者力情報の逆提示,2. Virtual Fixturesの利用について述べた.

そして,これらの教示システムを用いた実験を通じて,上肢におけるフィードバック的要素を含む運動については,力情報の伝達が可能であることを示した.また,形状だけではなく,力覚を含む学習が可能であり,力覚教示における主体的動作が有効であることを示した.具体的には,力の伝達能力については,記録された力と提案手法下で作業中に計測された力を接線方向,法線鉛直方向,法線水平方向に分離して相関係数を計算すると,各軸に関してそれぞれ,従来手法では0.05,0.60,0.23であり,相関にばらつきが大きいのに対し,提案手法では0.39,0.50,0.34と全体に高い相関を示した.また,力の学習について,学習後の法線水平方向,および接線方向の力情報は,それぞれ記録からの誤差率にして0.1程度従来手法より提案手法が低い誤差を示しており,学習の効果がみられた.

 3章では力の作用反作用を用いた再生システムとして,簡易な作業シミュレータを構築する手法について検討し,実験を通して環境再現性を検証した.

 これまで作業シミュレータというと,一つ一つの作業にシミュレータが存在し,シミュレータ構築に途方もない時間を費やすことが日常であった.そこで,これまで作成が困難であった,視覚と力覚を用いた学習のための作業環境の再現手法として,記録,再生というごく簡便な手法を提案した.

 提案手法では,視覚的には記録される情報を,能動的な動作をトリガとして再生することで視覚情報を再現した.力覚については,ある時間内におけるインピーダンス情報を一定と仮定することで,記録された情報から環境のインピーダンスを再構成する手法を提案した.同時に,記録された軌跡を提示する手法としてVirtual Fixturesを利用した.これにより,学習のための作業環境として必要な目標動作周辺のみに視覚情報と力覚情報を限定することで,簡便な作業環境の記録再生手段を構築した.

 また,提案した手法を用い,記録された視覚情報により実際の作業の視覚情報を模した情報を作成可能なことを確認した.力覚についてはバーチャル環境における各インピーダンス情報の再現性を確認した.そして,実際に記録される力覚情報と比較することで,速度変化に関して再現性のあるインピーダンス情報が得られていることを確認した.バーチャル環境における議論と実環境における議論より,正確なインピーダンス情報の再現までの精度は得られないものの,単純な仮想環境であるインピーダンス情報に基づく環境と同等な情報を現実環境から記録し再生することで環境の性質の一部を再現することは可能なことが示された.

具体的には実際の粘性環境において100[mm/s]から500[mm/s]までの操作速度で測定した反力の結果と,約100[mm/s]で移動した際に取得した情報からインピーダンス情報を算出し,構築されたバーチャルなシミュレーション環境において100[mm/s]から500[mm/s]までの操作速度で測定した反力の結果との傾向の類似性を確認した.

 4章では,接触を一点で近似できない作業についての記録が可能となるように作業における精細な接触情報の記録を目指し,ひろがりをもつ接触の計測の可能なセンサシステムを検討し,プロトタイプシステムを通してセンサの可能性について議論した.

 本センサは光てこの原理と,柔軟な反射面を用いた新しい方式による触覚センサである.光てこを用いることにより変形を精度よく検出し,変形可能な鏡面として透明なシリコンゴムを用いることで,カメラの解像度を十分に生かした,反射像を利用した触覚センサを構成した.

 構成された触覚センサにおける幾何光学と適切な近似により,得られる画像からの反射面の復元が可能なことをシミュレーションおよびシリコンゴムによる試作機で示した.

 解像度に関しては,通常人間は0.1[mm]の高さ変位を知覚できるのに対し,提案手法によるプロトタイプセンサは0.2[mm]の高さ変位を定量化できることを示した.さらに,光てこの原理を用いているので,カメラの設置場所を遠ざけるほど変位を増幅可能になっている.

そして,本センサの欠点と利点についても述べた.

 以上,人間の作業を適切な手段で伝達する手法について,触覚というものの特性を利用しながら検討し,作業の新しい記録,再生の手法を提案した.あわせて,いくつかの装置を試作し,それぞれの有効性について実験的に検証を試みた.以下,それぞれの章でとりこぼした議論について整理する.

 力情報を用いた記録再生システムについて,これまでのところ,現状実装可能な範囲においての作業記録,再生システムについてはプロトタイプを利用し,実験を通して検証できた.しかし,実作業の応用として,筆記などの2次元的作業にとどまらず,ナイフや彫刻刀などによる物体の切削など,3次元空間を利用した作業,6自由度力覚提示装置を利用したときのトルクの利用方法についても検討すべきである.これらについては,力覚呈示装置として,よりモータの出力の高いものや,制御ループの短いもの,自由度の多いものを利用することによって検証が可能である.このような装置はまだ商業ベースで出せるほどに需要がなかなかないこともあり価格も相当なものになるが,作業の記録再生というものは伝統技能の保存や,医療技術教育等において有効なアプリケーションとなりうると考えられるので,今後必ず実行すべき課題としたいと考える.

 力の作用反作用を用いた再生システムでは,これまで作成に費やす労力が多大であった作業シミュレーション環境構築を,限定された動作ながら大変簡便な方式で実装した.今回は簡単のため,位置情報および速度情報のみを用いたプロトタイプシステムとして構築したが,今後は提案手法のインピーダンス情報として加速度情報を用いたときの効果を測定するなど,より詳細な環境再現の手法について検討し,どの程度の適用範囲が得られるかを検証が必要である.

 また,作業における精細な接触情報の記録では,作業においてひろがりをもつ接触の計測,とりわけ精細な接触情報の記録を目指して新しい方式のセンサを提案した.この手法は,光てこと柔軟な反射面という単純な組み合わせによる構成のため,パターン面と撮影面をさまざまに変化させながら測定対象にふさわしい選択ができる.すなわち,パターン面にレーザ光やLED,液晶ディスプレイ,撮影面にPDやカメラを配置することが考えられる.今後はこれらの組み合わせ,とりわけ液晶ディスプレイなどを用いた動的なパターン生成について検討したい.

 本論文では,入出力が一体となっている触覚の特性,``Active Touch''ともよばれる触覚における能動性に着目し,この特徴を生かしつつ作業を伝える手法について検討してきた.また,触覚のもうひとつの特性である,作用反作用の法則が成り立つという性質を利用することで環境を再構築する簡便な手法について検討した.さらには,一点での接触を仮定できない作業の記録の手段として,広がりを持つ接触状態を精細に計測する手法についても提案した.これらすべては,触覚という感覚をそのままの形で記録し,他の人に伝えたいという一点を目標にした研究である.しかし,触覚が入力と出力が一体となっている器官であるという事実,視聴覚と大きく相違する点であるこの一点が,状況に応じた適切な提示手法を考える必要があること,情報の意味を考えることで新しい利用方法がありうること,入出力の結果である接触による変形から情報を取得することを考える契機となった.このように,触覚とは,その利用方法によって性質が全く変わる可能性がある感覚である.本論文でとり扱った内容は触覚の中でも力覚に相当する部分が多いが,この入出力が一体であるという議論は当然皮膚感覚にも通じる議論であり,今後の皮膚感覚研究においても忘れてはならない事柄である.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「触力覚を伴う作業の記録と再生に関する研究」と題し、5章からなる。作業には、軌道情報のみならず力情報がともなうが、従来、作業の「記録」に於いては映像に撮るなど軌道情報の記録が主となっていた。また、作業を学習のため教示する「再生」に於いても、受動的に力情報を提示する場合が多かった。本論文では、Active Touchともよばれる触覚の能動性に着目し、この特徴を生かしながら力を記録し再生して作業を伝える手法と、機械的なインピーダンスで環境を表現する手法について、一点での接触が可能な場合について提案し、また、一点での接触を仮定できない場合の作業の記録の手段として、広がりを持つ接触状態を精細に計測する手法についても提案して、実験によってそれらの有効性を示し、道具を用いる作業の学習という将来の新しい分野への発展の道を拓いている。

 第1章「作業の記録と再生」は緒言で、本論文で扱う作業を主体と客体との力のやりとりと定義し、学習についてこれまでの知見について整理した後、作業の学習とは何かを具体的な例を通して論じている。また、作業の学習において記録再生すべき情報として力を用いることの妥当性について論じ、作業の中でも道具を使用する作業に限定して考えるとしている。さらに道具の中でも特に「客体との接触点を制約しつつ、客体への力の伝達を目的として主体の延長として働き、それ自身は作業中に大きく変化せず、かつ作業中に主体から離れないもの」を作用子と定義して、本論文では、この作用子を用いた作業の記録、再生の新しい方法を提案しその効果を実証するとして、本研究の目的と立場と意義とを明らかにしている。

 第2章は、「力情報を用いた記録と再生」と題し、力情報を用いて作業を記録し再生するシステムを構築する手法として、作業者の主体性を重視するHaptic Teachingを提案し、実験システムを構築し、実験を通してその効果を検証している。提案法は、作業を教示するのに、書道の携手のように受動的な状態で力を教示したり、あるいは、ロボットなどで記録した力をそのまま再生し、それに手をそえ受動的に学習したりするという方法ではなく、主体たる人間の能動性を重視した方法である。具体的には、作用子から記録した力が逆方向に生じるようにして、主体が記録した力と同じ力を発生して作用子に与えることにより軌道を再現するという方法であり、これまでの学習で実現が難しかった力情報と位置情報の同時提示を実現している。このための力覚提示手法とし、前述の記録者の力情報の逆提示に加え軌道に対して垂直の方向には一種のテンプレートの役割をするVirtual Fixturesを利用している。システムを構成し、実験を通じて、この方法により、形状に加え力覚の学習も可能であることを確かめ、力覚教示における主体的動作が有効であることを示している。具体的には、従来方法と提案方法を用いて、新しい文字の軌道とそれに沿った力の学習を行い、それらの学習効果を比較している。記録者の情報を正解とし、それを作業者が何度か試行を繰り返し学習する。記録者情報と作業者情報の時間的整合性をとるため、記録者、作業者のそれぞれの動作から得られる位置情報に基づきDPマッチングを行い、得られたマッチングパス上での位置及び力の平均誤差を試行ごとに算出している。その結果、学習後の法線水平方向、および接線方向の力情報は、両者とも、従来手法に比べ、提案手法のほうが、記録からの誤差率にして0.1程度低い誤差を示しており、提案手法による学習の効果が顕著であるとしている。このデータの信頼性を検証するため接線方向成分に関するデータを分散分析し、有意差検定を行ったところ、6回目のデータから、F=4.35となり、両学習手法の効果に危険率5%で有意な差があることがわかる。同様に法線水平方向成分F=4.46、位置誤差F=12.26となり、それぞれ危険率5%と0.5%で有意差があると結論している。

 第3章は「力の作用反作用を用いた再生システム」と題し、力の作用反作用を用いた再生システムとして、簡易な作業シミュレータを構築する手法について検討し、実験を通して環境再現性を検証している。これまで作業シミュレータというと、一つ一つの作業ごとに異なるシミュレータシステムが存在し、それぞれの環境を提示するシミュレータシステムの構築には、プログラミングを含め、多くの時間を費やすことが日常であった。そこで,これまで作成が困難であった、視覚と力覚を用いた学習のための作業環境の再現手法として、環境を機械インピーダンスの記録と再生で構築するという簡便な手法を提案している。提案手法では、視覚情報については、記録される映像情報を、能動的な動作をトリガとして再生することで再現する。力覚については、記録された情報から環境のインピーダンスを再構成する。提案方法に基づいて、実際にシミュレータを構築し、速度変化に関して再現性のあるインピーダンス情報が得られていること、力覚についてはバーチャル環境における各インピーダンス情報が再現されていることを確認している。具体的には、粘性流体中の力覚再現性を確認するため、平均速度に基づくデータからインピーダンス情報を再構成し,移動速度をさまざまに変更したときの力覚と,実際の環境中で移動速度をさまざまに変更したときの力覚を比較している。その結果、実際の粘性環境において100[mm/s]から500[mm/s]までの操作速度で測定した反力の結果と、約100[mm/s]で移動した際に取得した情報からインピーダンス情報を算出し、構築されたバーチャルなシミュレーション環境において100[mm/s]から500[mm/s]までの操作速度で測定した反力の結果との傾向の類似性を確認している。なお、同様の結果が、摩擦板上での筆記作業についても得られている。

 第4章は「作業における精細な接触情報の記録」と題し、接触を一点で近似できない作業についての記録が可能となるように作業における精細な接触情報の記録を目指し、広がりをもつ接触の計測が可能なセンサシステムを提案し、そのプロトタイプシステムを作成して、その可能性を実証している。提案しているセンサは、既知の平面パターンを接触面で反射させ、それをカメラで撮像し、接触面の変形によるパターンの変形から触覚情報を計測するという方式である。光てこを用いることにより変形を精度よく検出し、変形可能な鏡面として透明なシリコンゴムと空気との境界を用いることで、カメラの解像度を十分に生かした、反射像を利用した触覚センサを構成している。幾何光学と適切な近似を用いたシミュレーションにより、提案する触覚センサにより、得られる画像からの反射面の形状の復元が可能なことを示した後、実際にシリコンゴムによる試作機を制作し、反射面の形状復元が可能なことを示している。解像度に関しては、通常の人間の0.1[mm]の高さ変位の知覚には及ばないものの、提案手法によるプロトタイプセンサでは0.2[mm]の高さ変位を定量化できることを示している。なお、光てこの原理を用いているので、カメラの設置場所を遠ざけるほど変位を増幅可能になっているため、さらに感度が向上できるとしている。

 第5章「結論」は結語で、本論文の結果をまとめ、今後を展望している。

 以上これを要するに、道具を用いる作業の新しい記録と再生の手法を幾つか提案して、それらについて理論的な考察を行い、実際の装置を試作し,実験的に評価することで、それらの有効性について明らかにし、道具を用いた作業の学習への新しい可能性を拓いたものであって、計測工学及びシステム情報学に貢献するところが大である。

 よって、本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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