学位論文要旨



No 122819
著者(漢字) 高畑,智之
著者(英字)
著者(カナ) タカハタ,トモユキ
標題(和) ロッド挿入法によるアクティブフォトニック結晶
標題(洋)
報告番号 122819
報告番号 甲22819
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第149号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 知能機械情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下山,勲
 東京大学 教授 佐藤,知正
 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 教授 稲葉,雅幸
 東京大学 助教授 竹内,昌治
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

 本論文では,光情報処理回路のための,ロッド挿入法によるアクティブフォトニック結晶(PC)を提案し,この手法により高消光比かつ広波長域のスイッチを実現する.PCとは,光の波長と同程度の繰り返し周期を持つ誘電体の周期構造であり,フォトニックバンドギャップ(PBG),すなわち,ある波長の光を伝搬しないという特徴を持つ.PCによって,光を波長以下の体積に閉じ込めたり,特定の方向に伝搬させたりということが可能になる.PCの中でも,2次元(2D)スラブ型のPCが平面光情報処理回路の基盤技術として注目されている.情報処理回路の実現には,特性の固定されたパッシブな素子だけでなく,外部からの入力によって特性を変化させることのできるアクティブな素子が必要である.この観点から,ロッド挿入法による可変特性PCが提案されてきた.これは,PCスラブの空孔に外部から機械的に高屈折率のロッドを挿入することで,2Dスラブ型のPCのフォトニックバンド構造を大きく変化させ,光透過率を制御するものである.しかしながら,直径数百nmの空孔に直径数百nmのロッドを挿入するというこの素子の構成は,製造においても動作においても困難が多く,実現には至らなかった.本論文では,「ロッドを動かす」という従来の構成とは全く逆の構成,すなわち「スラブを動かす」ことによる空孔へのロッドの挿入を提案する.スラブの駆動にはMEMS(microelectromechanical systems)技術を用いる.この手法を用いることで高消光比かつ広波長範囲の光スイッチ素子を実現することができることを,理論および実験の双方から示す.

2. ロッド挿入法の理論と設計

 本論文で提案する素子の概要をFig.1に示す.この素子は可撓性PCスラブと,基板に固定されたロッド列という2つの要素からなる.PCスラブは両端を基板に固定された固定梁である.このスラブは基板との間に電圧を印加すると,静電気力によって基板方向に撓む.ロッド列は2層構造になっており,上部はシリコンで,下部は酸化シリコンでできている.初期状態では,PCスラブとシリコンロッドが同じ高さにある(Fig.2(a)).すなわち,空孔にシリコンロッドが挿入されている.このとき,空孔はほとんどシリコンで満たされており,PBGを持たないため光は透過する.スラブに電圧を印加して撓ませた状態では,スラブと酸化シリコンロッドが同じ高さにある (Fig.2(b)).すなわち,空孔に酸化シリコンロッドが挿入されている.この構造はPBGを持ち,光は遮断される.印加電圧によってスラブの撓み量が決まり,それに応じて光透過率が変化するため,この素子は電圧値によって透過率を制御することができる光スイッチとして働く.

 素子の光透過・遮断特性を検討するために,フォトニックバンド図を3次元平面波法によって計算した.空孔の半径とシリコンロッドの半径を変化させつつバンド図を計算した.シリコンロッドが挿入されたPCスラブと酸化シリコンロッドが挿入されたPCスラブのフォトニックバンド図をFig.3に示す.計算に用いたパラメータは,構造のピッチをaとしたとき,空孔の半径が0.45a,シリコンロッドの半径が0.35a,酸化シリコンロッドの半径が0.25a,スラブの厚さが0.40aである.酸化シリコンが挿入されたPCスラブはピッチaで正規化した周波数 (a /λ) が0.36から0.50の範囲でPBGを持つことが分かる.ピッチaが720nmのとき,光通信で用いられている光の波長1550nmは正規化周波数0.46に対応する.この光はPBGの中にあり遮断される.一方で,シリコンロッドが挿入されたPCスラブはPBGを持たないため,光は透過する.素子の設計においては,上記のフォトニックバンド図に加えて,製造時の制約条件と固定梁としてのPCスラブの機械的強度も考慮した.設計したパラメータをFig.4およびTable 1に示す.

 設計したPCスラブの透過率を3次元FDTD法によって計算した (Fig.5).光の波長が1550nmのとき,シリコンロッドが挿入された状態と酸化シリコンロッドが挿入された状態の消光比は25dBである.また,消光比が20dBを超える波長の範囲は1450から1850nmに渡っており,この光スイッチは波長範囲400nmの光に対して使用可能である.これは従来の平面導波路型光スイッチの波長範囲が0.01から10nmであることと比べると,大きな改善であると言える.

 素子の機械的な特性,すなわち印加電圧と撓み量の関係および共振周波数について,有限要素法を用いて解析した.PCスラブの長さが10μmのとき,電圧 35Vにおいて撓み量100nmが得られることが予想される.また,共振周波数は10MHzであった.ただし,共振周波数の計算において空気の影響は考慮されていないため,空気中での共振周波数は低下する.

3. 製作手法

 素子の製作方法は3つのステップからなる(Fig.6).(1)エッチングマスクの形成,(2)シリコンの垂直エッチング,(3)スラブのリリースである.この製作手法の特徴は,PCの空孔とシリコンロッドを1度のエッチングで形成するシングルマスクプロセスを採用することで,製作時の位置合わせを不要としたことである.PCスラブの最小幅およびスラブとシリコンロッドの空隙はともに70nm程度で設計されており,現在の製造技術の限界に近い.

 エッチングマスクの形成には電子描画を用いた.100nm以下の線幅で均一な幅の円を描くことは難しいが,描画パターンを工夫することで70nmの線幅を実現した.シリコンの垂直エッチングにはICP-RIEのBoschプロセスを用いた.エッチングに用いる2種類のガス(SF6とC4F8)の比率や基板温度を調整することで,幅70nm,深さ290nmを垂直にエッチングした.最後に,スラブをリリースするために酸化シリコンを100nm等方性エッチングした.このプロセスには,2つの難しい点がある.1つ目は,スラブのみを基板からリリースしてシリコンロッドは基板に残すという制約があることであり,2つ目は,スラブが基板に接着しないようにエッングする必要があることである.基板を40℃に加熱しつつフッ化水素酸の蒸気に晒すことで,エッチング反応下での酸化シリコン表面の水の量を調節し,エッチレートを25nm/minに低下させて酸化シリコンをエッチングした.

 製作したデバイスの電子顕微鏡写真をFig.7に示す.スラブの最小幅とスラブ-シリコンロッド間の空隙はそれぞれ70nmと80nmであった.スラブとシリコンロッドの高さが同じであることから,基板へ接着することなくリリースできていることが分かる.空孔の半径とシリコンロッドの半径はそれぞれ325nmと245nmであった.製作誤差は5nmであり,良好な結果が得られた.

4. 実験

 製作した光スイッチの透過特性を計測した.実験に用いたセットアップをFig.8に示す.光源には波長1550nmの半導体レーザを使用した.光源から出た光は光ファイバを通り,集光レンズによってウエハ上のシリコン導波路に入射する.シリコン導波路から出た光は出射側の集光レンズによって光ファイバに結合され,パワーメータで計測する.入射側でシリコン導波路に入らなかった光が直接出射側のファイバを経由してパワーメータに入射しないように,シリコン導波路は2箇所を90°曲げた.

 スラブに直流電圧を印加しつつ透過光のパワーを計測した (Fig.9(a)).実験の結果,印加電圧30Vにおいて最大の消光比15dBを得た.また,電圧がさらに上昇すると,透過率も再び上昇するという現象が見られた.その理由を考察するため,スラブが撓んだ際の透過率の変化をFDTD法によって計算した (Fig.9(b)).スラブの最大撓み量は70,100,140nmであるとした.また,シリコン基板と酸化シリコン層を除外したモデルでも計算した.この結果,スラブと酸化シリコン層が近接するときに透過率が上昇することがわかった.シリコンロッドを伝搬する光の割合が多くなることに起因すると考えられる.

5. 結論

 ロッド挿入法によってPCの特性を変化させることが可能であることを,理論的な解析手法と試作・実験の両方の側面から示した.ロッドではなくスラブを駆動するという新しい構造を提案した.この手法の特徴は以下の3つである.(1)シングルマスクプロセスで製作するため位置合わせが不要であること.(2)動作時にも位置合わせが不要であること.(3)AFMなどのほかの装置を必要としないワンチップデバイスであること.この手法を用いた光スイッチの特性は,消光比15dB,スイッチ可能な波長範囲400nm,動作周波数10MHz,可動部のサイズ2×10×1μm3 である.可変特性PCとしては,従来の手法に比べて消光比が高く波長範囲が広い.MEMS 光スイッチとしては動作速度が速くサイズが小さい.また,シリコン平面光導波路の標準的なプロセスで製作可能なことも大きな特徴である.

 本論文で提案した素子はスラブを駆動することでフォトニック結晶の空孔にロッドを挿入してアクティブ化した最初の素子である.光の波長サイズの構造からなるphotonic素子に機械的要素を組み込むことの有用性を示すと同時に,MEMS素子を極限まで小さくしたNEMS (nano-electro-mechanical systems)素子によってphotonic素子の制御が可能であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「ロッド挿入法によるアクティブフォトニック結晶」と題し,7章からなっている.光情報処理の実現には,外部からの入力によって特性を変化させることのできるアクティブな素子が必要であるが,本論文は,アクティブフォトニック結晶を実現するため,2次元フォトニック結晶スラブ自体を動かすスラブ駆動ロッド挿入法による変調方法を提案し,この手法を用いて高消光比かつ広波長域のスイッチを実現したものである.

 第1章「序論」では,研究の背景と目的,論文の構成について述べている.

 第2章「フォトニック結晶の空孔へのロッド挿入」では,ロッド挿入法について理論的な解析を展開している.まず,1次元フォトニック結晶についてブラッグ反射の考え方を用いて考察し,空気層の割合が大きくなると遮断波長が短くなることを示している.次に,ロッドを持たないスラブフォトニック結晶のギャップマップを計算し,空孔の半径が構造の周期の40%から45%の時が最もギャップ幅が広くなり,ロッドが挿入されたスラブフォトニック結晶では,ロッドの半径が空孔の半径の70%を超えるとバンドギャップが消失することを示している.すなわちこの大きさの空孔およびロッドによって,ロッドのありなしで透過率を変えられることを示している.さらに,3次元FDTD(finite-difference time-domain)法によりロッドがない状態と挿入された状態の光透過特性を計算し,ロッド挿入法によって高消光比かつ広波長範囲の光スイッチが実現できることを計算している.

 第3章「走査プローブ顕微鏡を用いたロッド挿入」では,2次元スラブフォトニック結晶反射器の反射率を,空孔に走査プローブ顕微鏡探針を挿入することで変化させている.実験によって得られた光透過率の変化は0.4dBであり,この値はFDTD法による計算結果と一致している.実験を通じて,走査プローブ顕微鏡を用いた手法では,構造を走査するたびに探針が磨耗していくこと,探針を空孔に深く挿入することが難しいことを示している.

 第4章「ワンチップ素子の設計」では,ワンチップでロッド挿入を実現するアクティブフォトニック結晶の構造を提案し,同構造による光スイッチを設計している.設計した素子の透過率の変化を3次元FDTD法により計算し,スラブの撓み量がスラブの厚さの1.4倍程度までは,光がスラブとロッドとの間を行き来しながら伝搬していくことを示している.このとき,スラブを出てロッドを通りまたスラブに戻るまでの光路長の2倍が,光の波長の3倍であるときに干渉が起きて透過率が最小値をとることを見出した.また,2次元FDTD法によってスラブの端の形状およびスラブの幅と透過率の関係を求めている.さらに,有限要素法を用いてスラブフォトニック結晶の機械的特性を解析し,スラブへの印加電圧と撓み量の関係を計算し,空孔を持たないスラブもスラブフォトニック結晶も撓み量は電圧の2乗に比例することを示している.また,同じ手法により,設計したスラブフォトニック結晶の共振周波数は真空中で14.0MHzであり,素子が高速動作できることを示している.

 第5章「素子の製作」では,前章で提案した素子を実現するための製作方法について述べた.第1に,電子線露光装置で半径288nm,幅70nmのドーナツ型を描画するための条件を求めている.第2に,ICP-RIEを用いてシリコンを幅70nm,深さ290nm(アスペクト比4)で垂直にエッチングするための条件を求めている.第3に,スラブをリリースするための,フッ化水素酸の蒸気による酸化シリコン層のエッチング条件を求めている.これらの手法をもちいて素子を製作し,設計どおりに製作可能であることを示している.

 第6章「素子の特性計測」では,製作した素子の特性実験を行っている.まず,スラブへの印加電圧と撓み量の関係を測定し,引き込み電圧の実測値は計算値よりも小さいことを示している.次に,ワンチップアクティブフォトニック結晶光スイッチに電圧を印加し,透過率の変化を計測している.長さ10μmの素子は印加電圧30Vにおいて消光比15dB,長さ15μmの素子は印加電圧5Vにおいて消光比6dBを得ている.以上により,提案する構造によって光スイッチが可能であることを,実験を通じて示している.

 第7章「結論」では,本研究によって得られた成果とその結論を述べ,考察を加えている.

 以上のように,本論文ではスラブ駆動ロッド挿入法によるアクティブフォトニック結晶の構造を提案し,その手法により光スイッチを実現した.これはサブミクロンの大きさの可動部をもつMEMS構造とフォトニック結晶とを融合した素子であり,知能機械情報学の発展に貢献したものである.

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