学位論文要旨



No 122830
著者(漢字) 李,鎭煕
著者(英字)
著者(カナ) リ,ジンヒ
標題(和) フグ類の毒化関連遺伝子に関する研究
標題(洋) Studies on the genes related to pufferfish intoxication
報告番号 122830
報告番号 甲22830
学位授与日 2007.04.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3214号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 北里大学 教授 児玉,正昭
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 准教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

水産食品の利用は世界的に拡大しており、その消費量は近年、大きく増加している。この傾向に呼応して新しい水産資源の開拓も試みられているが、海洋生物の中には自然毒をもつものがあり、そのリスクも考慮する必要がある。また、人為的な要因による環境の変化に伴う有毒海洋生物の拡大も懸念されている。有毒生物の中でもフグ類、とくにトラフグTakifugu rubripesは日本で高級食材として好まれているが、適正な調理法によらない加工品はときとして中毒を発生させる。フグ毒の主要成分は一般的にはテトロドトキシン(tetrodotoxin, TTX)であるが、近年の研究により麻痺性貝毒のサキシトキシン(saxitoxin, STX)もまたTTXとともにフグ類の体内に蓄積することが報告されている。TTXおよびSTXはいずれも神経毒で、ナトリウム・チャンネルを特異的にブロックすることで呼吸麻痺を引き起こしてヒトを死に至らしめる。フグ類の毒化機構については種々の議論があるが、細菌を初めフグ類以外の種々の生物がTTXあるいはSTXを保有していること、フグ類の毒組成および毒含有量は個体差や地域差が大きいこと、無毒の餌で陸上養殖されたフグ類はほぼ無毒で、有毒な餌を与えると毒化することなどから、フグ類の毒は食物連鎖により体内に蓄積するとの考えが支配的である。しかしながら、フグ類体内における毒の蓄積と代謝の機構については未だ不明な点が多い。

本研究はこのような背景の下、ヒガンフグT. pardalisの血清から抽出したSTX結合タンパク質(SBP)の一次構造の解析を試みた。また、既報のフグ類STX/TTX結合タンパク質(PSTBP)をコードする遺伝子のmRNA蓄積パターンと毒含量との関連性を調べた。次に、TTXを多く蓄積しているアカメフグT. chrysopsおよびクサフグT. niphobles肝臓のmRNA蓄積パターンを調べて、無毒個体のそれと比較した。さらに、TTXを多量に蓄積した肝臓で多く発現する遺伝子をクローニングしてその同定を試み、クローン化された遺伝子のmRNA蓄積量とTTXおよびその誘導体含量との関係を調べた。得られた研究成果の概要は以下の通りである。

1. フグ類のSTX結合タンパク質

東京湾で採取したアカメフグ19尾、クサフグ7尾およびヒガンフグ1尾、さらに有毒アカメフグ肝臓を与えて毒化させた飼育トラフグおよび無毒餌で飼育したトラフグそれぞれ14尾および15尾を対象に、肝臓の毒成分組成をHPLCで分析した。有毒肝臓にはTTXのほか、その誘導体4-epiTTXおよび4,9-anhydroTTXが含まれていたが、アカメフグ肝臓では0 - 265.3 nmol TTX/g、0 - 48.6 nmol 4-epiTTX/gおよび0 - 1153.6 nmol 4,9-anhydroTTX/g、クサフグ肝臓では0 - 226.8 nmol TTX/g、0 - 38.5 nmol 4-epiTTX/gおよび0 - 387.7 nmol 4,9-anhydroTTX/gと測定され、個体差が大きかった。一方、有毒飼育トラフグからもTTX(0 - 40.9 nmol/g)およびその誘導体(0 - 9.2 nmol 4-epiTTX/gおよび24.9 - 197 nmol 4,9-anhydroTTX/g)が認められたが、無毒飼育個体からはTTXおよびその誘導体は検出されなかった。

次に、STXを結合したSepharose gelを用いるアフィニティークロマトグラフィーおよびFPLCゲルろ過によりヒガンフグの血清からSBPを精製した。精製標品につきプロテアーゼ処理を行い、SDS-PAGEにより分離したペプチド断片についてN末端アミノ酸配列分析を行ったが、供試した試料が少ないなどの理由から配列の決定には至らなかった。

次に、STXに結合するほか、TTXとも結合するとされる既報のヒガンフグ血清タンパク質PSTBPをコードする遺伝子をクローン化し、mRNA蓄積量と毒含量との関係を調べた。まず、アカメフグ肝臓から調製したcDNAを鋳型にPCRを行った。プライマーは、ヒガンフグPSTBPをコードする遺伝子の塩基配列およびトラフグゲノム中の相同配列を比較し、相同性の高い領域の配列を基に設計した。PCRで得られたクローンのcDNA塩基配列はヒガンフグPSTBPをコードする遺伝子の相同塩基配列と90%の高い塩基同一率を示した。

さらに、アカメフグ10尾、クサフグ7尾、有毒飼育トラフグ14尾および無毒飼育トラフグ15尾の肝臓から調製した全RNAを対象にノーザンブロット解析を行った。アカメフグ、クサフグおよび有毒飼育トラフグから逆伝写酵素を用いて調製した1st strand cDNAを鋳型として、前述のPCR増幅した約500bpのcDNA断片をプローブとして用いた。その結果、PSTBPのmRNA蓄積量はアカメフグ、クサフグおよびトラフグでそれぞれ最大7倍、21倍および29倍の個体差が確認された。しかしながら、無毒飼育トラフグPSTBPのmRNA蓄積量は毒含量が最も高かった有毒トラフグ肝臓の0.5-1.5倍の値を示すなど、mRNA蓄積量と毒含量との相関性は明白には認められなかった。

2. フグ類肝臓の毒化に関連する遺伝子

TTX含量が高いアカメフグおよびクサフグ各1尾(それぞれ42.2および226.8 nmol/g)の肝臓の遺伝子発現プロファイルを、TTXを含んでないアカメフグおよびクサフグ各1尾のそれとmRNA arbitrarily primed (RAP) RT-PCRにより比較した。その結果、高TTX含量のアカメフグおよびクサフグ肝臓から抽出した試料で669 bpおよび383 bp DNA断片の顕著な増幅が認められた。両断片の塩基配列を決定したが、669 bp DNA断片の相同遺伝子はみつからなかった。一方、383 bp DNA断片の演繹アミノ酸配列はアフリカツメガエルXenopus laevisフィブリノーゲン様タンパク質の一部領域と相同性を示した。TTXを含んでないアカメフグおよびクサフグ肝臓では2つのDNA断片の顕著な増幅が認められた。518 bp DNA断片の塩基配列を決定したところ、脊椎動物vitellgeninのprecursorの一部領域と相同性を示した。一方、約400 bp DNA断片の塩基配列については、相同遺伝子はみつからなかった。

上述の383 bp DNA断片の塩基配列からプライマーを設計してアカメフグ肝臓から調製したcDNAを鋳型にRACEを行ったところ、フィブリノーゲン様タンパク質をコードする3種類の遺伝子flp-1、flp-2およびflp-3の存在が認められた。さらに、高毒量クサフグ肝臓からも同様に3遺伝子が見出された。そこで、各遺伝子の全塩基配列を決定したところ、アカメフグおよびクサフグflp-1の演繹アミノ酸配列は97%のアミノ酸同一率を示し、それぞれゼブラフィッシュDanio rerioフィブリノーゲンの相同領域と32および33%、アフリカツメガエルのフィブリノーゲン様タンパク質の相同領域と25および29%のアミノ酸同一率を示した。また、アカメフグflp-1の演繹アミノ酸配列を用いて、トラフグおよびミドリフグTetraodon nigroviridisゲノムデータベースを検索したところ、高い相同性を示す遺伝子の存在が認められた。なお、アカメフグおよびクサフグflp-1にはフィブリノーゲン様ドメインが存在しないことから、フィブリノーゲンとは異なる機能をもつタンパク質であることが示唆された。

flp-2およびflp-3の演繹アミノ酸配列はflp-1のN末端領域のアミノ酸配列と一致した。flp-2の演繹アミノ酸配列にはflp-1には含まれてないC末端の10アミノ酸が存在し、特徴的であった。flp-3の演繹アミノ酸配列にはflp-1およびflp-2の演繹アミノ酸配列にはみられない特異な領域が存在し、この領域は脊椎動物の肝臓に含まれる抗菌性物質hepcidinのprecursorと相同性を示した。

肝臓から抽出した全RNAの状態が最も良好なアカメフグおよびクサフグ各3尾を用いてノーザンブロット解析を行った結果、アカメフグの17.2 nmol TTX /g含有肝臓に比べて39.3および76.5 nmol TTX /g含有肝臓でそれぞれ、1.7および2.8倍のflp-1 mRNA蓄積量が認められた。また、TTXを含んでないクサフグ肝臓に比べて27.4および226.8 nmol TTX /g含有肝臓でそれぞれ、1.2および3.5倍のflp-1 mRNA蓄積量が認められるなど、flp-1のmRNA蓄積量はTTX含量とよく相関した。ノーザンブロット解析結果から相関係数を調べたところ、アカメフグおよびクサフグ肝臓のflp-1、flp-2およびflp-3のmRNA蓄積量はTTX含量と高い相関性を示した。

次に、アカメフグ12尾、クサフグ7尾、有毒飼育トラフグ5尾および無毒飼育トラフグ5尾を対象に、flp-1およびflp-3のmRNA蓄積量を定量的リアルタイムPCRで調べた。その結果、ノーザンブロット解析と同様にアカメフグflp-1およびflp-3のmRNA蓄積量はTTX含量と高い相関性を示した。一方、クサフグおよびトラフグflp-1およびflp-3のmRNA蓄積量との相関性は認められなかった。その原因として、分析に供試した試料の状態が悪かったためと考えられた。なお、flp-2についてはその塩基配列がflp-1の5'側および3'側の一部領域と同一であるため、特異的プローブを作製してその蓄積量とTTX含量との関係を定量的リアルタイムPCRで明らかにすることができなかった。

以上、本研究で、フグ類にSTX結合タンパク質SBPの存在を認めたが、その性状を充分に明らかにできなかった。また、フグ類の肝臓を用いてSTX/TTX結合タンパク質PSTBPのmRNA蓄積量を調べたが、TTX含量との関連性は明確には示されなかった。一方、高TTX量のアカメフグおよびクサフグの肝臓で毒化機構に関連する遺伝子、flp-1、flp-2およびflp-3成分の存在が示された。本遺伝子の演繹アミノ酸配列はアカメフグ、クサフグおよびトラフグではよく保存されていたが、ミドリフグ、ゼブラフィッシュあるいはアフリカツメガエルの相同タンパク質とのアミノ酸同一率は低かった。さらに、本遺伝子のmRNA蓄積量はTTX含量とよい相関性を示すなど、本研究はフグ類の毒化機構の一端を明らかにしたもので、食品衛生上に資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

有毒生物の中でもフグ類、とくにトラフグTakifugu rubripesは日本で高級食材として好まれているが、適正な調理法によらない加工品はときとして中毒を発生させる。フグ毒の主要成分は一般的にはテトロドトキシン(tetrodotoxin, TTX)であるが、近年の研究により麻痺性貝毒のサキシトキシン(saxitoxin, STX)もまたTTXとともにフグ類の体内に蓄積することが報告されている。しかしながら、フグ類体内における毒の蓄積と代謝の機構については未だ不明な点が多い。

本研究はこのような背景の下、まず、東京湾で採取したアカメフグ19尾、クサフグ7尾およびヒガンフグ1尾、さらに有毒アカメフグ肝臓を与えて毒化させた飼育トラフグおよび無毒餌で飼育したトラフグそれぞれ14尾および15尾を対象に、肝臓の毒成分組成をHPLC分析した。有毒肝臓にはTTXのほか、その誘導体4-epiTTXおよび4,9-anhydroTTXが含まれていたが、アカメフグ肝臓では0 - 265.3 nmol TTX/g、0 - 48.6 nmol 4-epiTTX/gおよび0 - 1153.6 nmol 4,9-anhydroTTX/g、クサフグ肝臓では0 - 226.8 nmol TTX/g、0 - 38.5 nmol 4-epiTTX/gおよび0 - 387.7 nmol 4,9-anhydroTTX/gと測定され、個体差が大きかった。一方、有毒飼育トラフグからもTTX(0 - 40.9 nmol/g)およびその誘導体(0 - 9.2 nmol 4-epiTTX/gおよび24.9 - 197 nmol 4,9-anhydroTTX/g)が認められたが、無毒飼育個体からはTTXおよびその誘導体は検出されなかった。いずれの場合もSTXはごく微量しか含まれていなかった。

次に、アカメフグ肝臓から調製したcDNAを鋳型にPCRでSTX/TTX結合血清タンパク質PSTBPをコードするcDNA断片を増幅した。このcDNA断片をプローブに、アカメフグ10尾、クサフグ7尾、有毒飼育トラフグ14尾および無毒飼育トラフグ15尾の肝臓から調製した全RNAを対象にノーザンブロット解析を行った。その結果、PSTBPのmRNA蓄積量はアカメフグ、クサフグおよびトラフグでそれぞれ最大7倍、21倍および29倍の個体差が確認された。しかしながら、無毒飼育トラフグPSTBPのmRNA蓄積量は毒含量が最も高かった有毒トラフグ肝臓の0.5-1.5倍の値を示すなど、mRNA蓄積量と毒含量との相関性は明白には認められなかった。

次に、TTX含量が高いアカメフグおよびクサフグ各1尾(それぞれ42.2および226.8 nmol/g)の肝臓の遺伝子発現プロファイルを、TTXを含んでないアカメフグおよびクサフグ各1尾のそれとmRNA arbitrarily primed (RAP) RT-PCRにより比較した。その結果、高TTX含量のアカメフグおよびクサフグ肝臓から抽出した試料で669 bpおよび383 bp DNA断片の顕著な増幅が認められた。両断片の塩基配列を決定したが、669 bp DNA断片の相同遺伝子はみつからなかった。一方、383 bp DNA断片の演繹アミノ酸配列はアフリカツメガエルXenopus laevisフィブリノーゲン様タンパク質の一部領域と相同性を示した。

上述の383 bp DNA断片の塩基配列からプライマーを設計してアカメフグ肝臓から調製したcDNAを鋳型にRACEを行ったところ、フィブリノーゲン様タンパク質をコードする3種類の遺伝子flp-1、flp-2およびflp-3の存在が認められた。さらに、高毒量クサフグ肝臓からも同様に3遺伝子が見出された。そこで、各遺伝子の全塩基配列を決定したところ、アカメフグおよびクサフグflp-1の演繹アミノ酸配列は97%のアミノ酸同一率を示し、それぞれゼブラフィッシュDanio rerioフィブリノーゲンの相同領域と32および33%、アフリカツメガエルのフィブリノーゲン様タンパク質の相同領域と25および29%のアミノ酸同一率を示した。また、アカメフグflp-1の演繹アミノ酸配列を用いて、トラフグおよびミドリフグTetraodon nigroviridisゲノムデータベースを検索したところ、高い相同性を示す遺伝子の存在が認められた。なお、アカメフグおよびクサフグflp-1にはフィブリノーゲン様ドメインが存在しないことから、フィブリノーゲンとは異なる機能をもつタンパク質であることが示唆された。flp-2およびflp-3の演繹アミノ酸配列はflp-1のN末端領域のアミノ酸配列と一致した。

肝臓から抽出した全RNAの状態が最も良好なアカメフグおよびクサフグ各3尾を用いてノーザンブロット解析を行った結果、アカメフグの17.2 nmol TTX /g含有肝臓に比べて39.3および76.5 nmol TTX /g含有肝臓でそれぞれ、1.7および2.8倍のflp-1 mRNA蓄積量が認められた。また、TTXを含んでないクサフグ肝臓に比べて27.4および226.8 nmol TTX /g含有肝臓でそれぞれ、1.2および3.5倍のflp-1 mRNA蓄積量が認められるなど、flp-1のmRNA蓄積量はTTX含量とよく相関した。ノーザンブロット解析結果から相関係数を調べたところ、アカメフグおよびクサフグ肝臓のflp-1、flp-2およびflp-3のmRNA蓄積量はTTX含量と高い相関性を示した。

以上、本研究で、フグ類の肝臓を用いてSTX/TTX結合タンパク質PSTBPのmRNA蓄積量を調べたが、TTX含量との関連性は明確には示されなかった。一方、高TTX量のアカメフグおよびクサフグの肝臓で毒化機構に関連する遺伝子flp-1、flp-2およびflp-3成分が存在すること、本遺伝子のmRNA蓄積量はTTX含量と高い相関性を示すこと、などが明らかにされた。これらの成果は、フグ類の毒化機構の一端を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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