学位論文要旨



No 122831
著者(漢字) 羽室,浩爾
著者(英字)
著者(カナ) ハムロ,コウジ
標題(和) トラフグの粘膜免疫機構
標題(洋)
報告番号 122831
報告番号 甲22831
学位授与日 2007.04.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3215号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 准教授 金子,豊二
 東京大学 准教授 良永,知義
内容要旨 要旨を表示する

魚類の防疫法としてワクチン、免疫賦活剤、高耐病性品種の育種などの対策を有効に進めるためには、魚類の生体防御機構についての深い理解が必須である。脊椎動物が持つ生体防御機構の中で最も重要なものとして、抗体とリンパ球により特徴づけられる獲得免疫系があげられる。魚類は進化過程で最初に抗体を獲得した脊椎動物であるが、哺乳類での極めて詳細な研究に比べて、分子細胞レベルでの研究はようやく緒についた段階である。その中で粘膜組織は、感染経路、防御の場として注目されているが、魚類では腸管と共に体表も角質化していない上皮細胞が粘液で覆われていることから、腸管と同様、全身系とは独立した局所的な粘膜免疫機構の存在が考えられる。魚類に対する浸漬免疫において、抗原は体表から吸収されるとの報告もあり、体表粘膜の免疫応答の解明は、理想的なワクチン技術の開発にもつながる重要な研究テーマである。本研究はその第1歩として、ゲノムデータベースが充実するとともにある程度の大きさを持ちin vivoの実験を行いやすいトラフグを材料に、魚類の粘膜免疫機構における抗体およびB細胞の免疫反応の解明を目指したものである。

第一章:魚類粘膜におけるIgM輸送機構

多くの魚種で、体表粘液や腸管粘液における免疫グロブリンM(IgM)の存在が報告されている。しかし、そのIgMがどこで産生され、どのように輸送されているかは明らかではない。本研究ではまず、実験材料としてのトラフグ体表粘液中にもIgMが存在することを、トラフグ IgM H 鎖に対するモノクローナル抗体を用いた Western blot で確認した。還元条件下のWestern blot 解析の結果、血清IgMと同じ分子量約75 kDaの位置に IgM H 鎖が認められた。一方、非還元条件下では、血清 IgM と同様、移動度の小さいバンドとして認められ、粘液中 にも、血中と同様にジスルフィド結合による4量体として存在することが明らかとなった。さらに粘液中IgMの起源を調べるためにトラフグIgM H鎖cDNAをもとに作製したプローブを用いて、in situ hybridizationを行ったところ、皮膚では上皮細胞間および上皮細胞層下部のリンパ球群内に、腸管では上皮細胞間にIgM遺伝子発現細胞が確認され、トラフグ粘膜でも、哺乳類同様、局在B細胞がIgMを産生し、それが粘液中へ分泌されるのではないかと推察された。

哺乳類腸管では、局所で産生された多量体Ig(polymeric Ig ; pIg)は上皮細胞が発現するpolymeric Ig receptor(pIgR)と結合して粘液中に輸送される。そこで魚類でも同様の機構があると考え、トラフグゲノムデータベースを利用して哺乳類pIgRのアミノ酸配列と相同性を示す配列を見いだした。次にトラフグ皮膚 mRNA を材料として RACE法によるcDNAクローニングを行い、トラフグpIgRの塩基配列を決定した。トラフグpIgRのcDNAは1392 塩基からなっており、327残基のアミノ酸をコードしていた。トラフグpIgRは2つのIg様ドメイン、膜貫通領域と短い細胞内領域からなり、5つのIg様ドメインをもつ哺乳類、4つのニワトリとは大きく異なる構造をとっていた。トラフグpIgRの演繹アミノ酸配列を哺乳類やニワトリのpIgRのアミノ酸配列と多重整列解析を行ったところ、最初のIg様ドメインは哺乳類pIgRのドメイン1(D1)に整列され、最も高いアミノ酸配列の同一性を示した。また、立体構造に関わるシステインの数と位置に関してもよく保存されていた。トラフグpIgRの2番目のドメインは多重整列解析では哺乳類やニワトリのD5と整列されたものの、システインの数は4個であり、6個のシステインを持つD5とは異なっていた。しかし、このドメインはKXWCというアミノ酸配列と共に、D5に特異的であるDXGWYWCという配列を保存していた。これらのことをからトラフグpIgRの2つのドメインはそれぞれD1とD5という、直接Igとの結合にかかわるドメインに相当するものと考えられる。

トラフグpIgR遺伝子は皮膚、腸をはじめとする様々な組織でその発現が認められた。さらにin situ hybridizationの結果、皮膚と腸で上皮細胞においてpIgRが発現していた。上皮細胞間にはIgM遺伝子発現細胞も認められることから、pIgRを介してIgMが粘液中へ輸送されることが示唆された。

pIgRが4量体IgMを運搬するならば、粘液中にその複合体が存在することが予想される。そこでDNA免疫法により作製した抗トラフグpIgR抗血清を用いて免疫沈降を行ったところ、pIgRの断片であるsecretory componentとIgMの結合が確認された。このことから2つのIg様ドメインからなる構造が4量体IgMとの結合に必要十分であり、pIgRが粘液中へのIgM輸送に関わっているものと推察された。

第二章:魚類における粘膜免応答

第一章ではトラフグの粘液中にIgMが存在すること、そして皮膚や腸管の上皮細胞層にIgM産生細胞が存在すること、さらにそのIgMはpIgRにより粘液中へ輸送されていることを示した。哺乳類では上皮細胞間に存在する上皮細胞間リンパ球(intraepithelial lymphocyte ; IEL)が粘膜免疫機構を担っていることが知られている。トラフグの皮膚や腸管の上皮細胞層に存在するIELも哺乳類と同様に粘膜免疫機構に関与することが考えられる。そこでまず、皮膚と腸管のIELの免疫応答における役割を明らかにすることを目指し、DithiothreitolおよびEDTAを利用した上皮細胞間の遊離細胞の単離法を確立した。その主成分はリンパ球であったことからこれをIELとして以下の解析に用いた。

Keyhole Lympet Haemocyanin(KLH)を抗原として筋肉注射および肛門からの腸管内注入によりトラフグに投与して、体表粘液、腸粘液、血清中の抗体価およびIgM量の変動を調べた。

筋肉注射の結果、抗体価は血清中,各粘液中においてほぼ同時期に上昇した。IgM量については腸管粘液においてのみ増加した。また、皮膚IEL(Sk-IEL)、腸IEL(I-IEL)、末梢血白血球(PBL)、頭腎白血球(HKL)、脾臓白血球(SpL)について解析した結果、全てのサンプルのIgM+細胞の比率が抗体価上昇と同時期に増加したが、抗KLH抗体産生細胞数についてはPBL、SpLにおいてのみ抗体価上昇と同時期の増加が見られ、粘膜での変動は検出されなかった。これらの結果、異物の侵入に対する全身性の免疫応答においては、リンパ器官における明確な応答とともに、粘膜組織におけるIgM+細胞比率の増加,粘液中IgM量や抗体価の上昇という粘膜免疫系への影響も伴うことが明らかになった。

腸管投与群では、粘液中の抗体価の上昇、IgM量の増加が観察された。一方、血清中では抗体価の上昇のみが観察されたが、その上昇は粘液中より遅れた。抗KLH抗体産生細胞数は、筋肉注射の場合と異なりPBL、SpLだけでなく、Sk-IEL やI-IELにおいてもすみやかに増加した。また、IgM+細胞比率もSk-IEL、I-IEL、HKLにおいて増加した。このように腸管粘膜への異物の侵入に際しては、粘膜での免疫応答、それも異物に侵入された局所に加え、他の粘膜組織での応答も誘導されることが明らかとなった。このことは粘膜の免疫系が全身系のものとは独立していて、粘膜組織間にはネットワークが形成されていることを示すものである。粘膜以外に体内での応答も観察されたが、頭腎に関しては、非免疫魚でも抗KLH抗体産生細胞が多数存在すること、さらに免疫後のHKLでのIgM+細胞比率が上昇したことから、頭腎が一次リンパ器官であり、抗原刺激により頭腎においてB細胞分化が活発化されたものと推察される。PBL、SpLでの抗KLH抗体産生細胞数がIELと同時期に増加したことからは、パイエル板やリンパ節などの局所リンパ器官が知られていない魚類において、粘膜組織における抗原刺激により脾臓が二次リンパ器官として抗原特異的な抗体産生細胞を選択的に増殖させ、それらが血液を通して粘膜組織にホーミングするという図式が描けるのかもしれない。

以上、本研究により、変温動物で初めてpIgRが発見され、pIgRを介したIgMの粘液中への輸送機構が明らかになった。さらに粘液中の抗体価やIgM量、細胞数の変化からも魚類にも全身系と独立した粘膜免疫機構が存在することが明らかとなり,腸管や体表といった粘膜組織間にはネットワークが形成されているものと推察された。水中で生活する魚類は脆弱な上皮で覆われる体表や腸管が異物との侵入口になっており、魚類の粘膜免疫機構に関するより詳細な解析が進めることが、新たな魚類防疫法確立に貢献していくことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

魚類の防疫法としてワクチン,免疫賦活剤,高耐病性品種の育種などの対策を有効に進めるためには,魚類の生体防御機構についての深い理解が必須である.脊椎動物が持つ生体防御機構の中で最も重要なものとして,抗体とリンパ球により特徴づけられる獲得免疫系があげられるが,魚類での分子細胞レベルでの研究はようやく緒についた段階である.粘膜組織は,重要な感染経路,防御の場であるが,魚類では腸管と共に体表も粘液で覆われていることから,腸管と同様,全身系とは独立した局所的な粘膜免疫機構の存在が考えられてきた.魚類に対する浸漬免疫において,抗原は体表から吸収されるとの報告もあり,体表粘膜の免疫応答の解明は,理想的なワクチン技術の開発にもつながる重要な研究テーマである.本研究はその第1歩として,トラフグを材料に,魚類の粘膜免疫機構における抗体およびB細胞の免疫反応の解明を目指したものである.

第1章では,まず魚類粘膜におけるIgM輸送機構について取り上げている.

研究材料として選択したトラフグの体表粘液や腸管粘液における免疫グロブリンM(IgM)の存在を,トラフグ IgM H 鎖に対するモノクローナル抗体を用いて調べ,4量体IgMとして存在することを確認している.また,in situ hybridizationにより,皮膚,腸管の上皮細胞間リンパ球群内に,IgM遺伝子発現細胞を確認され,トラフグ粘膜でも,哺乳類同様,局在B細胞がIgMを産生し,それが粘液中へ分泌されるのではないかと推察している.

次に,哺乳類腸管では,局所で産生された多量体Ig(polymeric Ig ; pIg)が上皮細胞が発現するpolymeric Ig receptor(pIgR)と結合して粘液中に輸送されることに着目し.トラフグゲノムデータベースに見出された哺乳類pIgRのアミノ酸配列と相同性を示す配列に基づき,トラフグ皮膚 mRNA を材料とした RACE法によるcDNAクローニングにより,トラフグpIgRの塩基配列を決定している.トラフグpIgRのcDNAは1392 塩基からなっており,327残基のアミノ酸をコードしていたが,Ig様ドメイン2つと,膜貫通領域,短い細胞内領域とからなり,5つのIg様ドメインをもつ哺乳類,4つのニワトリとは大きく異なる構造をとっていた.哺乳類やニワトリのpIgRと比較検討したところ,最初のIg様ドメインは哺乳類pIgRのドメイン1(D1)に,2番目のドメインはドメイン4または5に相当するものと結論付けている.これらは直接Igとの結合にかかわるドメインに相当するものとして知られており,魚類のpIgRは祖先型を保存した最も単純な構造をとっているものと推察している.

トラフグpIgR遺伝子は皮膚,腸をはじめとする様々な組織でその発現が認められた.さらにin situ hybridizationの結果,皮膚と腸で上皮細胞においてpIgRが発現していた.上皮細胞間にはIgM遺伝子発現細胞も認められることから,pIgRを介してIgMが粘液中へ輸送されるものと推定している.

さらに,pIgRに対する抗体を作製し,粘液中の4量体IgMはすべてpIgRの断片であるsecretory componentと結合しており,フリーのIgMやSCが存在しないことから, pIgRが粘液中へのIgM輸送に関わっているものと結論付けている.

第一章において,体表の粘液中にもIgMが存在すること,そして皮膚や腸管の上皮細胞層にIgM産生細胞が存在すること,さらにそのIgMはpIgRにより粘液中へ輸送されていることを明らかにし,体表も腸管と同様に粘膜免疫系の一員である可能性が示されたことから,次に第二章においては実際に粘膜免疫系応答を解析した結果について記している.

研究の前提として,哺乳類の粘膜免疫機構において重要な役割を担っている,上皮細胞間に存在する上皮細胞間リンパ球(intraepithelial lymphocyte ; IEL)について,その単離を試みている.皮膚と腸管のIELは,DithiothreitolおよびEDTAの処理による手法を確立している.

次いで,Keyhole Lympet Haemocyanin(KLH)を抗原として筋肉注射および肛門からの腸管内注入によりトラフグに投与して,体表粘液,腸粘液,血清中の抗体価およびIgM量の変動を調べている.

腸管投与群では,腸管だけでなく体表粘液中においても速やかな抗体価およびIgM量の増加が観察され,血清中では抗体価の上昇が観察されたものの,その上昇は粘液中より遅れたという.この結果は,抗体価が血清中,各粘液中においてほぼ同時期に上昇した筋肉注射の場合と大きく異なっていた.抗KLH抗体産生細胞数も,筋肉注射の場合と異なり末梢血白血球,脾臓白血球だけでなく,皮膚IEL や腸管IELにおいてもすみやかな増加を観察している.また,IgM+細胞比率も皮膚IEL,腸管IEL,頭腎白血球において増加したという.このように腸管粘膜への異物の侵入に際しては,粘膜での免疫応答,それも異物に侵入された局所に加え,他の粘膜組織での応答も誘導されることが明らかとなった.このことは粘膜の免疫系が全身系のものとは独立していて,粘膜組織間にはネットワークが形成されていることを示すものである.粘膜以外に体内での応答も観察されたが,頭腎に関しては,非免疫魚でも抗KLH抗体産生細胞が多数存在すること,さらに免疫後の頭腎白血球でのIgM+細胞比率が上昇したことから,頭腎が一次リンパ器官であり,抗原刺激により頭腎においてB細胞分化が活発化されたものと推察している.末梢血,脾臓白血球での抗KLH抗体産生細胞数がIELと同時期に増加したことからは,粘膜組織における抗原刺激により脾臓が二次リンパ器官として抗原特異的な抗体産生細胞を選択的に増殖させ,それらが血液を通して粘膜組織にホーミングするという図式を推察している.

以上,本研究により,魚類で初めてpIgRが発見され,pIgRを介したIgMの粘液中への輸送機構が明らかになった.さらに,魚類にも全身系と独立した粘膜免疫機構が存在すること,そして腸管だけでなく体表も含めた粘膜組織間にはネットワークが形成されているという全く新しい知見が得られている.水中で生活する魚類は脆弱な上皮で覆われる体表や腸管が異物との侵入口になっている.本研究の成果に基づき,魚類粘膜免疫機構の詳細な解析が進めることが,新たな魚類防疫法確立に貢献していくものと期待される.よって,審査委員一同,博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた.

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