学位論文要旨



No 122840
著者(漢字) 膳場,百合子
著者(英字)
著者(カナ) ゼンバ,ユリコ
標題(和) 管理職を組織の身代わりとして非難する過程 : 責任判断のもう一つの論理
標題(洋) BLAMING MANAGERS AS PROXIES FOR A CULPABLE ORGANIZATION : AN ALTERNATIVE LOGIC OF RESPONSIBILITY JUDGMENTS
報告番号 122840
報告番号 甲22840
学位授与日 2007.04.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会心理学)
学位記番号 博人社第590号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,勧
 東京大学 教授 池田,謙一
 総括プロジェクト 客員教授 秋山,弘子
 日本大学 教授 岡,隆
 名古屋大学 准教授 唐沢,穣
内容要旨 要旨を表示する

本研究は組織の不祥事に対して一般の人々がどのような論理で責任判断を行うかを検討するものである。心理学における従来の責任判断のモデルは、責任や非難は出来事の発生に因果的に関与した個人(出来事の発生を促進した人、出来事の発生を防ぐべき立場にいたのに防がなかった人)に割り当てられるものとしてきた。これに対し、本研究は、組織の不祥事に対する責任判断では、人々は、上記の「個人の因果性」に基づく論理だけでなく、従来のモデルが想定してこなかった「組織に基づく論理(組織そのものに責任があると判断した上で組織成員を成員個人の因果的貢献を超えて責める論理)」も用いるのではないかと論じ、そのような論理の一つである「代表責任の論理」を実証的に検討した。

代表責任の論理は以下の判断過程に従う論理であり、判断者が出来事の原因を組織そのものに帰属したときに用いられる。この論理では、組織の不祥事に関する情報に触れ、その原因を組織そのものに帰属した判断者は、まず、不祥事の責任が組織にある、と判断する。不祥事の責任が組織にある、と判断すると、判断者は組織を罰したいという欲求を持つが、組織に直接十分な罰を加えることはしばしば困難であるため、判断者は象徴的に組織を罰するために、組織を代表する立場にいる人物に非難を波及させていく。

博士論文では9つの実証研究を通じて「代表責任の論理」を検証した。最初の4つの研究(研究1, 2a, 2b, 3)では、判断者が組織に不祥事の責任がある、と判断するほど、判断者は、組織を代表する立場にいるリーダーをも(リーダー個人の因果的貢献を超えて)責めるかどうかを検討した。研究1(実験操作を伴う社会調査)では、判断者が不祥事原因を組織に帰属しやすくなる度合を左右する状況要因(加害行為が発生した状況が業務中であったか否か)を操作し、不祥事原因が組織に帰属されやすい状況(業務中状況)では、されにくい状況(業務外状況)に比べ、判断者は組織に責任を割り当て、それに伴い、因果的に関係のない組織のリーダー(不祥事後に着任した新任のリーダー)にも責任を割り当てることを確認した。研究2では、出来事の原因を組織に帰属する傾向の強い人と弱い人とを比較し、組織に原因を帰属する傾向の強い人ほど組織とそのリーダーを責める、というパターンを確認した。具体的には、研究2a(日米文化比較実験)では、出来事の原因を組織に帰属する傾向の強さが異なることが知られている日本人とアメリカ人とで、同一の不祥事に対する責任判断がどのように異なるかを比較した。その結果、出来事の原因を組織に帰属する傾向がアメリカ人よりも強い日本人は、アメリカ人に比べ、組織を責めやすく、因果的に関係のない組織のリーダー(不祥事後に別の組織からやってきた新しいリーダー)にも責任や制裁を割り当てやすいことが明らかになった。研究2b(社会調査)では、研究2aの知見を国内サンプルの個人差分析で概念的に追試し、組織に原因を帰属する心理的な傾向が強い人ほど、組織を責め、因果的に関係のない組織のリーダーにも責任を波及させることを確認した。研究1と2が、不祥事に因果的に関与していないリーダーへの責任波及を示したのに対し、研究3(日米文化比較実験)では、因果的に関与している古株のリーダーの場合は、組織の代表者であることによって本人の因果的貢献を超えて責任が増加するかどうかを検討した。この研究では、被害の発生に対して部分的な原因しか作っていない2つの組織が、被害発生後に合併を通じて原因の全てを内包する一つの組織になった、という設定を用い、個人的な過失が一定であっても、このような合併があると、リーダーの責任は増加するのかどうかを検討した。日本人とアメリカ人の判断を比較した結果、研究2aと同様、日本人はアメリカ人に比べて組織に原因や責任を帰属しやすく、それに伴い、組織の責任をリーダーに波及させるパターン(合併によってリーダーの責任を増加させるパターン)が見られた。さらに、アメリカ人サンプルの中でも、ヨーロッパ系アメリカ人に比べて、組織的な原因に注目する傾向が強かったアジア系アメリカ人は、日本人と類似した判断パターン(責任波及のパターン)を示していた。以上の知見は、判断者が組織に原因や責任を帰属するほど、判断者は組織のリーダーにも責任を波及させることを示している。

次の2つの研究(研究4と5、いずれも国内でのシナリオ実験)では、なぜ責任波及が生じるのか、また、どのような仕組みで生じるのかについて検討した。責任波及は、組織に直接十分な罰を加えることがしばしば困難なために生じるのだろう、という本研究の前提を検討するために、研究4では組織の罰しやすさを操作し、組織の罰しやすさによって責任波及が生じる度合が異なるかどうかを検討した。その結果、責任波及は組織を罰することが状況的に困難な時に生じ、組織を罰することが状況的に容易な時には生じず、また、組織の罰しやすさについての情報が無い場合は、組織を罰することが困難な場合と類似した責任判断が生じることが明らかになった。これらの結果は、本研究の前提を支持するものである。研究5では、因果的に関与していないリーダーと、因果的に関与していない平の成員に対する責任判断を比較することで、因果的に関与していない成員に対する責任波及をもたらしうる心理過程を検討した。その結果、因果的に関与していなくても、リーダーは平の成員に比べて「この人は組織代表者である」とみなされやすいために、組織の不祥事に対して責められやすい、ということが分かった。また、それとは別に、リーダーであれ、平の成員であれ、「この人は組織の典型的な成員である」とみなされた場合は、個人の因果的責任を超えて組織の不祥事に対して責められることが分かった。

最後の3つの研究(研究6, 7, 8、いずれも国内でのシナリオ実験)では、代表責任の現象が、攻撃の置き換え(displaced aggression)と異なるものであるかどうかを検討した。攻撃の置き換えとは、不快感の原因を作った相手を攻撃することが難しいために他のより手軽な相手に攻撃を向ける現象(いわゆる八つ当たりの現象)で、誰かに攻撃されたり嫌な出来事に遭遇したりして不快感情が触発されることで生じることが知られている。最後の3つの研究では、代表責任の現象が攻撃の置き換え現象と異なるかどうかを検討するために、不快な感情を触発しない良い出来事においても責任の波及、すなわち賞賛の波及が生じるかどうかを検討した。研究6は、組織の活動が外部の人々に害をもたらした場合は、組織からリーダーに非難が波及し、組織の活動が外部の人々に利益をもたらした場合は、組織からリーダーに賞賛が波及することを相関分析によって確認した。研究7は、研究6で見られた賞賛の波及の知見を概念的に追試するために、出来事原因が組織に帰属されやすくなる度合を操作する実験を行い、組織に出来事の原因が帰属されやすい状況では、帰属されにくい状況でよりも、組織は賞賛されやすく、因果的に全く貢献していないリーダーにも賞賛が向けられやすいことを確認した。研究8は、リーダーが平の成員に比べ、「代表者」とみなされやすいために、組織の活動がもたらした良い結果に対して、個人の因果的貢献以上に褒められやすい、ということを示した。

一連の研究は、組織や成員が関与する出来事に対する責任判断では、人々は、単純に原因を作った個人に責任を割り当てるだけではなく、組織的な原因にも目を向け、組織そのものにも責任を割り当て、その責任を一定の法則性に従って成員に波及させていくことを示している。本研究の主要な貢献は、従来の研究が明らかにしてきた「個人の因果性」に基づく責任判断に加え、組織から代表者に責任を波及させる判断過程があることを系統的に示した点にある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、組織の不祥事に対して一般の人々が行う責任判断の論理を比較文化心理学的に検討したものである。これまでの欧米の心理学における責任判断のモデルは、個人主義的なものであり、一般の人々は責任や非難を出来事の発生に因果的に関与した個人に向けると考えてきた。これに対し、著者は、組織の不祥事に関する責任判断において、人々は個人の因果的関与に基づく論理だけでなく、組織を社会的なユニットと考える論理も用いるのではないかと考えた。これは、責任を担える主体として組織を想定した上で、まず組織に責任を付与し、その後で、組織成員を成員個人の因果的関与を超えて責任追及する論理である。そして、実際にこうした非西洋的な責任追及の論理の一つである「代表責任の論理」が、とくに日本人で一般的であることを実証しようとした。

著者の考えている代表責任の論理では、組織の不祥事に関する情報に触れ、その原因を組織そのものに帰属した者は、まず、不祥事の責任が組織にある、と判断するとされる。そして、このような判断を下した者は、組織を罰したいという欲求を持つが、組織に直接十分な罰を加えることがしばしば困難であるために、象徴的に組織を代表する立場にいる人物に非難を波及させていく、と著者は主張する。

この主張の妥当性を実証するため、著者は9つの実験研究を行っている。最初の4つの研究(研究1, 2a, 2b, 断者は、組織を代表する立場にいるリーダーをも(リーダー個人の因果的関与を超えて)責任追及することを示した。日米比較によれば、アメリカ人よりも日本人にこのような傾向が強いことも明らかになった。研究4と5では、さらに、責任波及は組織を罰することが状況的に困難なときに生じ、組織を罰することが状況的に容易なときには生じず、また、組織の罰しやすさについての情報が無い場合は、組織を罰することが困難な場合と類似した責任判断が生じること、そして、因果的に関与していなくても、リーダーは平の成員に比べて「この人は組織代表者である」とみなされやすいために、組織の不祥事に対して責められやすい、ということが分かった。さらに、研究6,7,8では、こうした責任の波及が、組織の行った望ましい行為の場合にも生じる(この場合には、賞賛という形をとる)ことを示した。

以上の研究成果は、単に著者の主張を支持するというだけでなく、西洋的なモデルが支配的な社会心理学の分野で、これまで知られていなかった、いわば日本的な責任判断の傾向を明らかにした点で、今後の比較文化心理学研究に大きなインパクトを与えるものである。非常に厳密な実験によって、著者の主張は裏付けられており、本審査委員会は本論文が博士(社会心理学)の学位に値するものと判断する。

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