学位論文要旨



No 122846
著者(漢字) 三浦,沖
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,オキ
標題(和) 動的平均場理論と第一原理電子構造理論の複合手法の確立及び遷移金属化合物への適用
標題(洋)
報告番号 122846
報告番号 甲22846
学位授与日 2007.04.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6573号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 准教授 初貝,安弘
 東京大学 准教授 求,幸年
内容要旨 要旨を表示する

局所密度近似(LDA)を用いた密度汎関数理論に基づく第一原理電子構造計算により、物質の様々な性質が明らかになってきた。しかし今日では、LDAの限界も見えて来ている。LDAでは、一般に(1)半導体、絶縁体においてバンドギャップが過小評価される、(2)絶対零度での計算が前提である、(3)3d遷移金属化合物や希土類化合物の構造と磁性が正しく再現されない事が多い、(4)遷移金属化合物などで見られる軌道秩序が再現されない、などの問題がある。

このようなLDAの理論的限界を克服するべく、自己相互作用補正(SIC)やLDA+Uといった密度汎関数法に電子相関を有効的に取り入れるための手法が開発され、電子相関の強い系や励起状態が直接関わる現象に対して用いられる。その結果、強相関系の金属一絶縁体転移近傍の絶縁体相ではある程度満足のいく結果が得られた。しかし金属一絶縁体転移近傍の金属相については記述が不完全であり、強相関系での相互作用を扱うための更なる手法が必要となっている。

このように、LDAだけでは完全に取り込むことができない電子相関を、第一原理的にいかに効率よく取り入れるかということが本研究の出発点である。

本研究では、現実的物質系への電子相関取り込みの第一歩として、局所密度近似(LDA)と動的平均場理論(DMFT)を組み合わせている。DMFTでは、平均場に動的なゆらぎを取り入れることにより、強相関系における量子相転移近傍での状態変化を記述することに成功した。

DMFTでは、自己エネルギーの波数依存性を無視し、周波数のみに依存すると仮定する。この仮定により格子系の問題は1不純物問題へと射影される。射影された1不純物問題の解法には、量子モンテカルロ法(QMC)、厳密対角化法のような直接的な方法の他、逐次摂動近似法(IPT)、非交差近似(NCA)などがある。後二者は近似的な方法であるが簡便であるという点では有効である。これらを用いて1不純物問題を解くことで、系のグリーン関数を計算することができる。

次に、本研究で用いたDMFTと第一原理電子構造理論の複合手法の概略について述べる。本研究では、LDAとしてはタイトバインディングLMTO(TB-LMTO)を採用している。この方法はLDAに基づく第一原理電子構造計算手法の一つで、用いられる基底は各原子に中心を持ったマフィンティン軌道と呼ばれる非直交球面波である。この基底関数の下でLDAにより自己無撞着に決められたハミルトニアンは強結合形式で書かれる。

d電子間相互作用はスレーター積分F0,F2,F4により記述される。これは遮蔽がある場合でも、d軌道が同じ動径波動関数で、かつ遮蔽がエネルギーに依存しなければ同様である。一般の遷移金属化合物ではスレーター積分F2,F4の間にはその比がほぼ一定であるという関係がある。以上により、クーロン相互作用の平均値Uと交換相互作用の平均値Jを与えれば、必要なスレーター積分を決定することができ、さらにサイト問の電子間相互作用の軌道の対称性を考慮した行列要素を正確に決定することができる。

また、DMFTにおいて射影された1不純物問題の解法にはIPTを用いる。IPTは、2次摂動の自己エネルギーを元にして、高周波数極限と原子極限(U無限大の極限)からの内挿により自己エネルギーを与える手法である。U無限大の極限の計算は、孤立不純物原子系における多重項計算を行うことになり、スレーター積分とd電子の1電子軌道エネルギーを与えれば、配位子場理論に帰着される。したがって上のような方法でLDAと孤立不純物原子系の自己エネルギーを用いてDMFTの枠内で1電子スペクトルを求める方法は、「DMFTを用いたLDAと配位子場理論の統合」ということもできる。

DMFTと第一原理電子構造理論の複合手法はこれまでにも幾つか存在する[1][2][3]。

しかし、本研究で確立した複合手法は、これまでの物と比較して、以下の点で違いがある:

(1)LDAで得られたハミルトニアンをそのまま用いて計算する。したがって、LDAで得られたハミルトニアンからワニエ関数を作成して[3]特定の軌道のみに射影した有効ハミルトニアンを作成する必要がなく、s,p軌道とd軌道とが複雑に混ざった系の場合にも適用可能である。また、スピン分極を含む系、複数原子からなる系にも適用可能である。

(2)1不純物問題の解法としてIPTを利用する事により、サイト内のd電子間相互作用の行列要素を正確に取り扱う。一方、Hirsch-Fye QMCでは、負符号問題を避けるために、交換相互作用の簡単化が行われる。

(3)計算されたスペクトルと配位子場スペクトルが容易に対応づけられる。Uの大きい場合、多重軌道系における整数占有数での金属一絶縁体転移、占有数の変化に伴う上下ババードバンドからサテライト構造への変化が正しく記述される。

以上の点を兼ね備える事で、広範な強相関化合物に適用可能なDMFTと第一原理電子構造理論の複合手法として有用である。

本論文は、単位胞に単一原子を含む系にIPTを用いた方法[1][2]の拡張になっている。特に[1]は電子数が1近傍の所では近似的に有効な取扱いであるが、1を超えると正しくない。[2]は、原子極限の扱いが正しくないがFLEX近似などでそれを補っている。また、これらの方法ではs,p電子を含めていない。本研究では、逐次摂動近似法(IPT)を用いたDMFTをLDAと組み合わせ、任意の粒子数、任意の縮重度の系に解析可能な手法を作成した。現在、s,p,d軌道全ての取り扱いが可能になった。

この間、本複合手法を用いて、金属一絶絶縁体転移と軌道の縮重度の関係[4]、常磁性鉄(bcc)、及び常磁性ニッケル(食c)の解析などを行ってきた。現在、本複合手法の改良は進行中で、現段階では、スピン分極を含む系、単原子系だけでなく複数原子系の取り扱いが可能になっている。

本論文では、スピン分極のある単原子系として強磁性鉄(bcc)、及び強磁性ニッケル(6cc)の計算を、スピン分極のある遷移金属化合物系として反強磁性NiOの解析を取り扱った。

以下、強磁性鉄(bcc)、及び強磁性ニッケル(fcc)の計算結果を図1に示す。

それぞれ、LSDAによる状態密度、LDA+DMFTによるグリーン関数の虚部、孤立不純物原子系(配位子場理論)のグリーン関数の虚部をマジョリティスピン、マイノリティスピン成分に分けたものを示す。LSDAの結果と比較して、LDA+DMFTの結果をまとめると以下のようになる。

(1)dバンドが狭くなる。

(2)Niのフェルミ準位の下6eV~7eV付近にサテライト構造が現れ、それは強いスピン依存性を持っている。

(3)スペクトルは滑らかになるとともに深いエネルギー領域に長いすそを引く。

dバンドが狭くなるのは動的な電子相関の取り込みの影響のためである。(2)のサテライト構造は孤立不純物原子系のスペクトルからNiのd7状態に起源を持つものであることが分かり、実験及び配位子場理論によりよく知られたものである。また強いスピン依存性も実験とよく一致している。配位子場の細かい構造は交換相互作用が入ったための多体スペクトルの分裂によるものであり、LDA+DMFTのスペクトルはそれを反映している。

Nioについては本論文中で詳しく述べる。

本論文では、広範な強相関電子系の解析手法の一つとして、DMFTと第一原理電子構造理論の複合手法を提案した。強磁性鉄(bcc)、及び強磁性ニッケル(fbc)の計算では、得られたスペクトルは配位子場スペクトルと容易に対応づけることができ、LDA計算では得られなかったサテライト構造、交換相互作用の取り込みによる多体スペクトルの分裂をよく再現しており、実験とのよい一致が得られた。

[1] V.I. Anisimov, A.I. Poteryaev, M.A. Korotin, A.G. Anokhin and G. Kotliar, J. Phys. Condens. Matter 9, 7359 (1997).

[2] A.I. Lichtenstein and M.I. Katsnelson, Phys. Rev. B 54, 6884 (1998)

[3] V.I. Anisimov, D.E. Kondakov, A.V. Kozhevnikov, I.A. Nekrasov, Z.V. Pchelkina, J.W. Allen, 5.-K. Mo, H.-D.Kim, P. Metcalf, S. Suga, A. Sekiyama, G. Keller, I. Leonov, X. Ren and D. Vollhardt, Phys. Rev. Lett. B 71, 125119 (2005)

[4] a.Miura and T.Fujiwara, J. Phys. Soc. Jpn. 75, 014703 (2006)

図1=(a)-(c)強磁性Fe(bcc)のスペクトル,(d)-(f)強磁性Ni(fcc)のスペクトル.(a)(d)LDA(b)(e)LDA+DMFT(c)(f)配位子場理論による原子系のスペクトル-ImG(atom)(W).

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、動的平均場理論(DMFT)と密度汎関数理論(DFT)の局所密度近似(LDA)に基づく第一原理電子構造計算手法との複合を行うこと1およびその応用を目指している。DMFTは互いに強くクーロン相互作用をしている電子系(強相関電子系)における電荷の揺らぎの効果として、金属一絶縁体転移を記述することに成功した。本研究では、LDAに基づくハミルトニアンを用いてDMFTを構成し(LDA+DMFT)、それを遷移金属化合物へ応用している。

論文は九章からなる。

第一章は序論であり、本研究の目的および論文の構成を説明している。特にLDA+DMFT法の方法論を構成するに際しては、複数原子からなる化合物系に着目し、s,p軌道とd軌道とが複雑に混じった系への応用を目標とすることを述べている。方法論構築には、強磁性Fe,Niに関しては3dバンド幅、Niのサテライトピークが再現できるか、反強磁性NiOの電荷移動型の電子構造を表すこと、占有状態のサテライトピーク、バンドギャップ等の議論を行うことを課題としていることを具体的に述べている。

第二章は、密度汎関数理論の概説である。ここでは、局所密度近似の問題点を述べた後、その問題点を克服するために導入された種々の方法のうち、自己相互作用補正(SIC)、LDA+U法、GW近似について述べ、それぞれの問題点を説明している。特にSICやLDA+U法がLDAに直接に基づいているため、遮蔽効果およびそれ以外の動的電子相関に対して明確な指針を与えていないと述べている。一方、GW近似は本研究のLDA+DMFT法と相補的な関係にあり、特に今後の方向性として、GWA+DMFTが進むべき道であることを主張している。

第三章は動的平均場理論についての説明、GW近似とDMFTを接合する場合の具体的な方法の議論に費やされている。特に、LDA+DMFT法では、クーロン相互作用および交換相互作用に関してはそれ自身を決める手法はなく、GW近似と接合して初めて自己無撞着にこれらを決められることを指摘している。

.第四章は、本研究で用いている線形化マフィンティン軌道法(LMTO法)について述べている。DMFTでは1不純物問題への射影を行うために、局在基底であるLMTOを用いることが本質的である。これに関しての簡単な解説になっている。

第五章は本論文で扱うLDA+DMFT法に関する定式化である。現実的な物質に用いるという目的を掲げ、s、p、d電子を可能な計算時間内に扱うという制約のために逐次摂動近似(IPT)を採用することを述べている。

その後、LDA+DMFT法の骨格を説明している。まず、タイトバインディングLMTO(TB-LMTO)法により系のLDAハミルトニアンを得、これよりd電子の1電子エネルギーを求める。次に配位子場理論を用いて、d電子に対して射影した不純物原子系での多重項計算を行う。本研究での配位子場理論の計算は2(10)=1024個存在する全てのd雷子多重項による配置間相互作用(CI)を行う。この原子系での多重項計算を用いてDMFTを構成し、粒子数、化学ポテンシャルを計算する。このような手順で、動的平均場理論と第一原理電子構造理論の複合を行うことを説明している。その結果、本研究におけるLDA+DMFT法の特徴として以下の三つを挙げている。(1)LDAで得られたハミルトニアンを直接用いる。(2)1不純物問題の解法にIPTを利用し、オンサイトのd電子問相互作用を正確に取り扱う。(3)配位子場理論の利用によるバンド描像と原子系の多体電子描像との融合する。

第六章から第七章は応用である。

第六章では、強磁性Fe,Niを取り上げている。LDAハミルトニアンはTB-LMTO法により作成し、Fe,Niともにs,p,d軌道まで取った。3d電子間のオンサイトクーロン相互作用U及び交換相互作用Jの値はConstrained LDAの結果(Fe:U=2.0eV, J=0.9eV, Ni:U=3.0eV, J=0.9eV)を使用している。計算結果は、(1)3dバンド幅の縮小、(2)LDAで見られた3dスペクトルの複雑な構造がならされ、かつ低エネルギー側に広いすそを引く、(3)フェルミエネルギーより6eV下に強いスピン依存性を持つサテライト構造を持つ、などの特徴を示している。(1)(2)はDMFTにより取り入れられた強いクーロン散乱の影響によるものであり、(3)はNiのd8→d7電子配置間の遷移に起源を持つものと同定され、実験結果との良い一致を示していると結論された。これらの物質では磁気モーメントの値も実験値とよく一致している。

第七章は反強磁性NiOへの応用である。LDAハミルトニアンはTB-LMTO法により作成された。Hiではs,p,d軌道、0及び空原子ではs,p軌道まで取っている。この結果、ハミルトニアンの基底の数はスピンを別にすると42個である。Niの3d電子間のオンサイトクーロン相互作用U,及び交換相互作用Jの平均値は、それぞれU=7.0eV,J=0.9eVをパラメータとして用いている。結果は、(1)バンドギャップは4.3eVとなりXPSの実験結果とよく一致、(2)Ni3dバンド由来の占有状態のサテライトピークが酸素の占有2Pバンドよりも低エネルギー側に位置し、電荷移動型の電子構造となっている、(3)非占有状態のメインピーク、占有状態のサテライトピークはそれぞれ、d8→d9,d8→d7電子配置間の遷移と同定、などを示している。これらの結果は、XPSの実験結果と非常によい一致を示している。

第八章はまとめであり、最初に課題とした問題点を解決し、広範な強相関電子系物質への応用が可能な手法になっていると結論づけている。

本研究ではクーロン相互作用U、交換相互作用Jに関しては、現状では理論の枠内で決めていない。またU、Jの意味を理論の枠内では明確にしていないという問題点はあり、今後に課題として残している。しかし、LMTO法に基づくLDAハミルトニアンを用いて、IPTおよび配位子場理論の厳密な取り扱いを採用することにより、応用上の可能性を大きく開くとともに、GW近似とDMFT法の結合にも配慮した方法論を開拓した。これにより、強相関系に対する第一原理電子構造手法の新たな道筋を確立したものであり、物理工学への貢献は大きい。

よって本論文は博士の学位論文として合格であると認める。

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