学位論文要旨



No 122848
著者(漢字) 仲谷,博安
著者(英字)
著者(カナ) ナカタニ,ヒロヤス
標題(和) イヌ・ミルク・リゾチームのフォールディングとアンフォールディングの平衡論と速度論
標題(洋) Equilibrium and kinetics of the folding and unfolding of canine milk lysozyme
報告番号 122848
報告番号 甲22848
学位授与日 2007.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5072号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 重藤,実
 東京大学 教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 准教授 市川,淳士
内容要旨 要旨を表示する

蛋白質フォールデイングの分子機構解明は、生物物理化学における未解明の重要な課題である。一般に、100残基以上よりなる球状蛋白質では、モルテン・グロビュール(MG)状態として知られる中間構造状態が、ほどけた(U)状態から天然(N)状態への巻き戻り反応初期に蓄積される。このようなフォールデイング中間体を検出し、特徴付けることがフォールデイング機構の実験的研究の主要なアプローチである。

イヌ・ミルク・リゾチームは129残基、分子量約14500のCa(2+)結合蛋白質であり、α一ラクトアルブミン/リゾチームファミリーに属している。立体構造はX線結晶解析により判明しており、αヘリックスに富むαドメインとβシートに富むβドメインが深いクレフトで分断された構造を取っている

イヌ・ミルク・リゾチームのMG状態は、現在まで知られているMG状態の中で最も安定であり、熱変性およびグアニジン塩酸塩(G(hfHCI)変性実験で安定に蓄積する。また、他の多くの蛋白質のMG状態と異なり、その分子構造中一部に天然構造類似の特異的側鎖三次構造を有する。すなわち、この蛋白質のMG状態は最も安定で最もN状態に近いMG状,態として知られている。

本研究の第一の目的は、イヌ・ミルク・リゾチームのMG状態がそのフォールデイング反応においてどのような役割を果たすかを明らかにすることである。さらに、Ca(2+)がフォールデイング反応へどのような影響を及ぼすかについても検討を加えた。これらの目的を達成するために、ホロ型(10mMCaCl2存在下)とアポ型(EGTA2mM存在下)蛋白質のGdnHClによるアンフォールデイング反応の平衡論的(熱力学的)解析とリフォールデイング1アンフォールデイング反応の速度論的解析を行った。

大腸菌系で発現させた蛋白質には多くの場合N末端に余分のメチオニン残基が付加することが知られている。このメチォニン残基は平衡論や速度論に大きな影響を与えることが同一ファミリー中の蛋白質で知られている。このため本研究ではメチオニンの付加がないメタノール資化性酵母Plchlapo5'orデ3を発現系として用いた。酵母系を用いたときに起こる糖鎖付加を防ぐため、糖鎖付加配列中の49番残基をアスパラギンからアスパラギン酸に置換した変異体を作成して試料として用いた。

近紫外、遠紫外領域のCD(円二色性、波長;222,230,295nm)および350nm付近の蛍光をプローブと、して、ポロ型およびアポ型の平衡論的アンフォールデイングを測定した。ポロ型のアンフォールデイング転移は、見かけ上プローブによらず同一の転移領域で起こり、N状態とU状態とが蓄積する二状態モデルを用いて解析を行った。一方、アポ型では、近紫外CD及び蛍光で観測したアンフォールディング曲線に、二段階の転移が観測された。このためアポ型のアンフォールデイング転移の解析では、N状態、U状態及びMG状態の蓄積を仮定する三状態モデルを用いた解析結果は、実験結果とよく一致した。m(NU)値は溶媒接触表面積に関係し、ポロ型とアポ型で一致すると予測されるが、得られたm(NU)の値は、ポロ型の値がlkcalmor(-1)M(-1)だけ小さい結果が得られた。

次にポロ型及びアポ型のリフォールデイング反応をストップトフローCD法を用いて測定した。リフォールデイング反応は、GdnHCIの濃度ジャンプによって開始した。両方の型の蛋白質とも、リフォールデイング反応は一つの指数関数で表された。また、両方の型で、反応曲線を時間ゼロに外挿したCD値と平衡測定の結果から予測されるU状態のCD値との間に大きな差(バースト相)が観測された。これは装置の不感時間(25ms)内に、バースト相中間体(IB)が蓄積することを意味している。また、GdnHCIによるIBの転移曲線はポロ型とアポ型で一致した。この結果は、IBはCa(2+)と結合しないことを示す。また二状態モデルで解析したIBとU状態との自由止ネルギー差はアポ型のMG状態とU状態との自由エネルギー差とー致し、m値も一致した。このことはIBがアポ型のMG状態と同一であることを示している。ポロ型とアポ型ではリフォールデイングの機構は共通であり、MG状態と同一の中間体を経由する次のようなスキームで表されると考えられる。

m(NU)値の不ー致の原因を明らかにするため、ポロ蛋白質にも中間体を仮定し、そのパラメ一タとしてIBの値を用いて三状態で解析した。その結果得られたm(NU)の値はホロ型とアポ型でほぼ一致した。このことはポロ型にもMG中間体が存在するが、蓄積量が小さいため検出が困難であることを示している。X線結晶構造を観察すると、この蛋白質ではαドメインとβドメインの問にある深いクレフトによって両ドメインが分断されており、それぞれが独立してアンフォールドするためにポロ型およびアポ型で三状態的な挙動を示すと考えられる。

ポロおよびアポ型のアンフォールデイング反応をストップトフローCD法およびストップトフロー蛍光法を用いて測定した。アンフォールデイング反応は、GdnHCI濃度ジャンプにより開始した。アンフォールデイング反応ではポロ型とアポ型で明らかな相違が観測された。ポロ型のアンフォールデイング反応は、一つの指数関数で表され、バースト相も見られなかつた。これらの結果は、ポロ型のアンフォールデイングは次のスキームによって表されることを示している。

これに対して、アポ型のアンフォールディング反応では、バースト相と単一指数関数的な反応曲線が観測された。また、アンフォールデイング反応の速度定数に、GdnHCl濃度依存性が殆ど認められなかった。フォールディングおよびアンフォールデイング反応の速度定数のGdnHCI濃度依存性は反応前後での蛋白質の溶媒接触表面積の変化に関係し、多くのアンフォールデイング反応ではGdnHC1濃度依存性が観測される。従って、本実験の結果は、観測されている速度定数がアンフォールデイング反応に由来するものではないことを示唆する。さらにバースト相での変化量と指数関数相の変化量の比がGdnHCI濃度に関係なくほぼー定であったことから、天然状態が不均一である次のようなスキームが一つの候補としてあげられる。

ここでNs、NFはどちらも天然状態であり、NFのみが直接アンフォールデイングすることができ、アンフォールデイングは不感時間内に起こる。しかし、上記の結果のみでは、不感時間内に蓄積するアンフォールデイング中間体Xの存在を仮定する以下のようなスキームも否定できない。

アポ型において天然状態が不均一であることを確認するため、ストップトフロー蛍光装置を用いたダブルジャンプ実験を行った。最初にGdnHC1濃度を0Mから6.6Mヘジャンプして一定時間アンフォールデイングさせたあとL0Mにジャンプして巻き戻した結果を観測した。アンフォールデイング時間を変化させた時、全ての反応曲線は一つの指数関数で表され、その速度定数はアンフォールデイング時間によらず不変であり、この速度定数はリフォールデイング反応の速度定数(2.6s(-1))と一致した。また指数関数相の変化量のアンフォールデイング時間依存性を調べると、これは6.6MGdnHCIにおけるアンフォールデイング速度定数の値(1.6s(-1))とアンフォールデイングのスキーム3から予測される値とよく一致した。これはアポ型の天然状態の不均一性を示唆している。

ポロ蛋白質について平衡論測定のm(IU)、m(NU)値および速度定数の変性剤濃度依存性から求められる遷移状態の溺値を用いて中間体および遷移状態での構造形成度を求めたところ、遷移状態での構造形成度はファミリー蛋白質で最も大きいことが判明した。さらに構造形成度は中間体から遷移状態にかけて大きくなり、これはU状態からMG状態、遷移状態そしてN状態の順に構造形成が進むことを示しており、スキーム1を強く支持する。

アポ型とポロ型で、・リフォールデイング反応の速度定数は、GdnHC1濃度によらず殆ど変わらず、アンフォールディング速度は大きく異なつた。この結果を定量的に解釈するため、Ca(2+)結合部位のΦ値を求めたところ、-0.l5となった。このことは、フォールデイング反応の遷移状態ではCa(2+)結合部位の構造が形成されていないことを示している。イヌ・,ミルク・リゾチームと配列の相同性があるウシα-ラクトアルブミンでは、Φ値は0.76であり、遷移状態においてCa(2+)結合部位は構造形成していると考えられる。これらの結果は、同じファミリーに属する相同な蛋白質問でフォールデイングの過程が異なることを示している。

以上の結果から、以下の結論が得られる。(1)イヌ・ミルク・リゾチームは、ホロ型でも1アポ型でもMG状態の蓄積を伴う三状態的な平衡論的アンフォールデイング転移を示す。(2)リフォールデイング反応で、ポロ型でもアポ型でもバースト相中間体が観測された。平衡条件下で観測されたMG状態の熱力学的特徴と比較することにより、この速度論的中間体はMG状態と一致することが分かった。従って、ポロ型とアポ型はMG状態を経由する共通の機構でフォールデイングすると結論される。(3)Ca(2+)結合部位の形成は、中間体と天然状態の間の遷移状態では形成されていないことが判明した。このことは同一ファミリー内の蛋白質問でも構造形成の過程が異なっていることを示唆している。(4)ポロ型では天然状態が均一であるが、アポ型では天然抹態が不均ーであることも判明した。これはα-ラクトアルブミン1リゾチームファミリーでは初めて観測された事実である。

審査要旨 要旨を表示する

本博士論文は3章から成っており、英語で書かれている。第1章は序論であり、AnfinsenやLevinthal以来のタンパク質のフォールディング機構に関する研究のレビューおよび本研究の目的と意義について述べられている。第2章は本論であり研究対象であるイヌ・ミルク・リゾチームのリフォールディングとアンフォールディングの平衡論と速度論に関し、試料の作成と実験手法,実験結果および考察が述べられている。第3章は結論である。

本研究では、イヌ・ミルク・リゾチーム(129残基、分子量約14500のCa(2+)結合蛋白質)のモルテングロビュール(MG)状態がそのフォールディング反応においてどのような役割を果たすかを明らかにすること、さらに、Ca(2+)のフォールディング反応への影響について解明するため、ホロ型(10 mM CaCl2存在下)とアポ型(EGTA 2 mM存在下)蛋白質のGdnHClによるアンフォールディング反応の平衡論的解析とリフォールディング/アンフォールディング反応の速度論的解析を行った。

近紫外、遠紫外領域のCD(円二色性)およびトリプトファンの蛍光をプローブとして、ホロ型およびアポ型の平衡論的アンフォールディングを測定した。アポ型では二段階の転移が観測されたため、解析では、N状態、U状態及びMG状態の蓄積を仮定する三状態モデルを用いた。解析結果は、実験結果とよく一致した。ホロ型のアンフォールディング転移は、見かけ上二状態的であったが、わずかに中間体を蓄積する三状態モデルの方が実験結果とより一致し、またアポ型の結果とも整合性があった。X線結晶構造を観察すると、この蛋白質ではαドメインとβドメインの間にある深いクレフトによって両ドメインが分断されており、それぞれが独立してアンフォールドするためにホロ型およびアポ型で三状態的な挙動を示すと考えられる。

リフォールディング反応をストップトフローCD法を用いて測定した。両方の型の蛋白質とも、リフォールディング反応は一つの指数関数で表され、反応曲線を時間ゼロに外挿したCD値と平衡測定の結果から予測されるU状態のCD値との間に大きな差(バースト相)が観測された。これは装置の不感時間内に、バースト相中間体(IB)が蓄積することを意味している。また、IBの転移曲線はホロ型とアポ型で一致した。この結果は、IBはCa(2+)と結合しないことを示す。また二状態モデルで解析したIBとU状態との自由エネルギー差はアポ型のMG状態とU状態との自由エネルギー差と一致し、m値も一致した。このことはIBがアポ型のMG状態と同一であることを示している。ホロ型とアポ型ではリフォールディングの機構は共通であり、MG状態と同一の中間体を経由するスキームで表される。

アンフォールディング反応をストップトフローCD法を用いて測定した。ホロ型のアンフォールディング反応は、一つの指数関数で表され、バースト相も見られなかった。これに対して、アポ型のアンフォールディング反応では、バースト相と単一指数関数的な反応曲線が観測された。また、アンフォールディング反応の速度定数に、GdnHCl濃度依存性が殆ど認められなかった。ここから示唆されるアポ型において天然状態が不均一であるスキームを確認するため、様々な遅延時間でのダブルジャンプ実験を行った。その結果、全ての反応曲線は一つの指数関数で表され、その速度定数はアンフォールディング時間によらず不変であり、この速度定数はリフォールディング反応の速度定数と一致した。また指数関数相の変化量のアンフォールディング時間依存性を調べると、これは同濃度のGdnHClにおけるアンフォールディング速度定数の値と天然状態の不均一性を含むスキームから予測される値とよく一致した。これはアポ型では天然状態が不均一であることを示しており、α-ラクトアルブミン/リゾチームファミリーでは初めて観測された事実である。

ホロ蛋白質について平衡論測定のm(IU)、m(NU)値および速度定数の変性剤濃度依存性から求められる遷移状態のm値を用いて中間体および遷移状態での構造形成度を求めたところ、遷移状態での構造形成度はファミリー蛋白質で最も大きいことが判明した。さらに構造形成度は中間体から遷移状態にかけて大きくなり、これはU状態からMG状態、遷移状態そしてN状態の順に構造形成が進むことを示していた

Ca(2+)結合部位のΦ値を求めたところ、-0.15となった。このことは、フォールディング反応の遷移状態ではCa(2+)結合部位の構造が形成されていないことを示している。イヌ・ミルク・リゾチームと配列の相同性があるウシα-ラクトアルブミンでは、Φ値は0.76であり、遷移状態においてCa(2+)結合部位は構造形成していると考えられる。これらの結果は、同じファミリーに属する相同な蛋白質間でフォールディングの過程が異なることを示している。この様な例は今までほとんど報告されていない。

なお,本論文第2章は,友田修司、槙亘介、佐伯喜美子、相沢智康、出村誠、河野敬一、桑島邦博との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める

UTokyo Repositoryリンク