学位論文要旨



No 122849
著者(漢字) 竹田,真己
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,マサキ
標題(和) サル下部側頭皮質における持続的な連合記憶信号
標題(洋) Associative mnemonic signal resistant to visual distractor
報告番号 122849
報告番号 甲22849
学位授与日 2007.04.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2949号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 舘川,宏之
 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

我々は様々な視覚情報を将来の行動に備えて持続的に心の内に留めることができる。こうした能力は分散化された神経機構によって成り立っていると考えられている。脳のどの領域がこの神経機構に関与しているか調べるために、過去の研究では遅延期間中に課題とは無関係な妨害刺激を提示した遅延見本合わせ課題(Delayed matching-to-sample task; DMS課題)を遂行中のサルの電気生理学的研究が行われてきた。この課題では、サルは一度見た見本刺激の情報を再び選択刺激として提示されるまで保持することを求められる。従来の研究では、ニューロンの遅延期間中の神経活動が妨害刺激の提示によって低下するか否かを調べることによって、視覚情報を保持する神経機構にそのニューロンが関与しているかどうかを調べてきた。こうした研究の結果、前頭皮質の前頭前野は視覚情報を保持する神経機構に関与しているが、視覚システムの最終ステージである下部側頭皮質は関与していないと考えられてきた。しかし、DMS課題では見本刺激と選択刺激が物理的に同一であるために、遅延期間の神経活動が単なる見本刺激の情報なのか、選択刺激の記憶情報なのか区別することができないという欠点がある。

一方、DMS課題と同様に記憶の研究でよく用いられる対連合記憶課題(Delayed pair-association課題; DPA課題)は持続的に視覚情報を保持する神経機構を調べるのに適していると考えられる。DPA課題では、手がかり刺激が提示された後に手がかり刺激のペア刺激として記憶した対連合刺激を思い出して選択することが求められる。したがってDMS課題の見本/選択刺激とは異なり、DPA課題の対連合刺激は長期記憶から想起される必要がある。このため、対連合刺激の記憶情報は物理的に異なる手がかり刺激の情報とは区別することができる。実際、これまでに手がかり刺激を反映した遅延期間中の神経活動(cue-holding activity)と長期記憶から想起された対連合刺激の情報を反映した遅延期間中の神経活動(target-recall activity)がサルの下部側頭皮質で見つかっている。本研究では、DPA課題の遅延期間中に妨害刺激を提示することによって、サル下部側頭皮質のニューロン活動がどのような影響を受けるのかを調べることにより、下部側頭皮質が視覚情報を保持する神経機構に関与しているかを明らかにすることを目的とした。

方法

ニホンザル二匹に、24枚の視覚刺激からなる12ペアの図形セットを学習させた。サルに学習させた課題は次のような課題である。サルがレバーを引くと図形セットのうちの一つが手がかり刺激として提示される。その後遅延期間中に0枚から2枚の妨害刺激が提示される。サルはこれらの妨害刺激は無視してその後提示される手がかり刺激のペア刺激を選択することが要求される。サルが正しくペア刺激を選択すると報酬としてジュースが与えられる。このDPA課題を遂行中のサル下部側頭皮質より細胞外記録法を用いて単一ユニット活動を測定した。妨害刺激提示前の遅延期間活動と妨害刺激提示後の遅延期間活動が、どの視覚刺激の影響を受けているか重回帰分析を用いて解析した。具体的には、試行毎に妨害刺激提示前後の遅延期間の発火頻度を従属変数とし、また手がかり刺激、ペア刺激、妨害刺激と妨害刺激のペア刺激の発火頻度を独立変数として重回帰分析を行った。なお、実際には妨害刺激のペア刺激(妨害ペア刺激)は試行中に提示されることはないが、課題が対連合記憶課題であるために提示されない刺激であっても神経活動に影響を与える可能性があるので変数に加えた。それぞれの独立変数の標準偏回帰係数を遅延期間活動に対する各刺激の影響の指標とした。

結果

手がかり刺激提示期間中と妨害刺激提示前の遅延期間中に手がかり刺激に選択的な活動を示した59個のニューロンを対象として重回帰分析を行った。妨害刺激提示前の遅延期間中の神経活動が手がかり刺激の影響を受けたニューロン(手がかり刺激の神経活動に対する偏回帰係数が有意だったニューロン)は38個あった(図1パネルA)。一方、妨害刺激提示後の遅延期間中の神経活動が手がかり刺激の影響を受けたニューロンは13個に減少していた。同様にペア刺激の影響を受けたニューロンの個数は、妨害刺激提示前の遅延期活動では29個、妨害刺激提示後の遅延期活動では27個とほとんど変わらなかった(図1パネルB)。妨害刺激提示前後の遅延期活動に与える影響は、手がかり刺激とペア刺激では有意に異なっていた(Chi-square test, χ2 = 5.89, P = 0.015)。次に、個々のニューロンの偏回帰係数について量的関係を調べた。手がかり刺激の偏回帰係数は妨害刺激提示の前と後では y = 0.426 x + 0.003 という回帰直線で表された(図1パネルA)。一方、ペア刺激の偏回帰係数はy = 0.720 x + 0.020 という回帰直線で表された(図1パネルB)。両回帰直線とも傾きは有意に正であった(手がかり刺激: t = 8.58, ペア刺激: t = 9.95, P = 0.01)が、2つの傾きは有意に異なっていた(interaction in ANCOVA, F = 11.57, P < 0.01)。以上の結果はペア刺激の情報は手がかり刺激の情報に比べて、妨害刺激の提示後も維持されることを示唆している。

次に妨害刺激提示後の遅延期活動に対する、妨害刺激とそのペア刺激(妨害ペア刺激)の影響についてそれぞれの偏回帰係数を用いて調べた。妨害刺激の影響を受けたニューロンの個数は23個であったのに対して、妨害ペア刺激の影響を受けたニューロンの個数は2個であり、それぞれの刺激の影響を受けたニューロン数は有意に異なっていた(Chi-square test, χ2 = 22.38, P < 0.01)。また、妨害刺激の偏回帰係数の平均は0.19であり、有意に正であるのに対して(t test, t = 7.93, P < 0.01)、妨害ペア刺激の偏回帰係数は0.04で有意ではなかった(paired t test, t = 4.88, P < 0.01)。これらの結果は、妨害刺激も妨害ペア刺激も共に課題を解くのには不必要であるにもかかわらず、妨害刺激の情報の方がよりコードされていることを示している。

妨害刺激提示後の遅延期活動に妨害刺激自身の情報がコードされている時、妨害刺激提示前の遅延期活動には手がかり刺激とペア刺激のどちらの情報がよりコードされるか調べた。その結果、手がかり刺激の情報の方がペア刺激の情報に比べてより妨害刺激の情報と相関していた(手がかり刺激と妨害刺激間の回帰直線の傾き: t = 5.01, P < 0.01、ペア刺激と妨害刺激間の回帰直線の傾き: t = -1.00, P = 0.32、傾きの差: F = 13.8, P < 0.01)。これらの結果は、妨害刺激提示前に手がかり刺激の情報をコードするニューロンは妨害刺激提示後には妨害刺激自身の情報をコードし、また妨害刺激提示後にペア刺激の情報をコードするニューロンは、妨害刺激提示後にもペア刺激の情報をコードし続けることを示唆している。

考察

妨害刺激提示前の遅延期に手がかり刺激の情報をコードしていたニューロンは、妨害刺激提示後には手がかり刺激の情報が減少し、妨害刺激自身の情報をコードしていた。この結果は、下部側頭皮質のニューロンの一部は、新しい視覚刺激が入力される度に、知覚由来の情報を更新する傾向があることを示している。この結果は、過去の研究でDMS課題を用いて得られた結果と一致する。DMS課題を用いた研究では、遅延期活動は直前に提示された視覚刺激の情報をコードしていた。これらのことから、今回DPA課題で同定された視覚刺激の入力のたびに更新される知覚由来の情報はDMS課題を解く際にも使用される神経メカニズムと共通したメカニズムによって処理されていることを示唆している。

ペア刺激についての長期記憶由来の情報は、妨害刺激提示後の遅延期においても維持されていた。この結果は、最近発表されたDPA課題を用いたfMRI実験の結果と一致する。また、ペア刺激と同様に長期記憶由来ではあるが、課題を解くためには不必要な妨害ペア刺激の情報はほとんどコードされていなかった。これらのことから、遅延期活動にコードされる長期記憶由来の情報は課題に解くのに必要かどうかで修飾を受けていることが推測される。下部側頭皮質のニューロンが課題を解くのに必要かどうかで遅延期活動を修飾することは、色刺激によってDMS課題とDPA課題を切り替えるPACS課題により明らかにされている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、特定の視覚情報を想起し将来の行動のために保持し続けるための神経機構に下部側頭皮質が関与しているかどうかを明らかにするために、遅延期間中に視覚的な干渉刺激が提示される対連合記憶課題を遂行中のサル下部側頭皮質より単一ユニット記録を行い、干渉刺激が提示されても刺激選択的な遅延活動は維持されるかを解析したものであり、以下の結果を得ている。

1.遅延活動がコードする刺激情報を重回帰分析によって調べたところ、試行の始めに提示される手がかり刺激の情報をコードしている遅延活動は、視覚的な干渉刺激によって減少していた。

2.結果1に関連して、干渉提示前の遅延活動が手がかり刺激の情報をコードしているニューロンの多くは、干渉刺激提示後は干渉刺激の情報をコードしていた。

3.後に選択すべき手がかり刺激のペア刺激(ターゲット刺激)の情報をコードしている遅延活動は、干渉刺激の提示に対して頑健であり、遅延活動は維持されていた。

以上、本研究は遅延活動にコードされる複数の刺激情報を分離することにより、対連合記憶課題を解くために長期記憶から引き出された情報を保持する神経機構に下部側頭皮質が関与していることを示唆している。本研究は、これまで明らかにされていなかった視覚情報の保持機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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