学位論文要旨



No 122850
著者(漢字) 磯尾,紀子
著者(英字)
著者(カナ) イソオ,ノリコ
標題(和) γセクレターゼによるAβ42産生機構に関する研究 : Pen-2アミノ末端の役割
標題(洋)
報告番号 122850
報告番号 甲22850
学位授与日 2007.04.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2950号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 准教授 郭,伸
内容要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)脳に蓄積する老人斑はADに疾患特異性が高く、その主要構成成分であるアミロイドβペプチド(Aβ)は、前駆体蛋白であるAPPが細胞外部分でβセクレターゼによる切断を受けた後、膜貫通領域内でγセクレターゼによる切断を受けて生成・分泌される。AβのC末端長には多様性が存在し、それぞれ40、42アミノ酸からなるAβ40、Aβ42が主要な分子種である。細胞から分泌されるAβの大部分はAβ40であるが、量的に少ない分子種であるAβ42はAβ40に比し非常に凝集性が高いこと、またAD脳でもAβ42が初期に蓄積し、遅れてAβ40の蓄積が観察されること等から、特にAβ42の産生・分泌・蓄積の異常がAD発症に深く関与すると考えられている。したがってAβのC末端長を決定するγセクレターゼは、ADの重要な創薬ターゲットと目されている。しかしγセクレターゼにはAPP以外にも多数の基質が存在し、プロテアーゼ活性全体を抑制するのみでは、重大な副作用を生じる可能性が懸念される。したがってγセクレターゼの基質・切断特異性の理解は、副作用のない根本治療薬開発の糸口となることが期待されている。これまでに同定されたγセクレターゼ構成因子はPresenilin(PS)、Nicastrin(Nct)、Aph-1、Pen-2の4分子であり、PSは活性中心サブユニットとして機能すること、Nctは基質受容体として機能することが示されてきた。しかし個々の分子がγセクレターゼ内でそれぞれどのような役割を担っているのかはまだ完全に解明されていない。そこでγセクレターゼ複合体形成過程の最終段階においてPSの分子内切断・酵素活性の獲得に重要な役割を担うと考えられるPen-2がγセクレターゼ複合体の形成、活性化に果たす役割を、特にそのアミノ末端部分に着目して解明することを目的として本研究を行った。

まずショウジョウバエS2細胞においてショウジョウバエPen-2(dPen-2)またはそのN末端部に種々のtag(HA、myc、FLAG、His6-Xpress(Hx)、HAを2つ連ねたHA2 tag)を付加したdPen-2をショウジョウバエPS(Psn)、dNct、dAph-1とともに過剰発現させ、ELISAによる分泌Aβ量の測定、ウェスタンブロット解析を行い、コントロールと比較した。dNct、dAph-1量は変化なく、Psnについては全長型Psnの減少とともに断片型Psnの増加が見られた。分泌Aβ量はいずれもコントロールに比し軽度に上昇していたが、Aβ42産生比率はdPen-2のN末端にtagを付加した場合にのみ上昇した。中でもAβ42産生比率上昇が特に顕著であったHA tagを付加したHA-dPen-2を、S2細胞においてUTRに対するdsRNAを用いたRNAi法により内因性dPen-2をノックダウンした条件下で過剰発現させて、同様にAβ42産生比率を検討した。他の構成因子であるPsn、dNct、dAph-1について同様に内因性蛋白をノックダウン後に過剰発現させても、Aβ42産生比率はコントロールに比し差を認めなかったが、HA-dPen-2では有意に上昇が認められた。そこで、dPen-2のN末端領域の長さや配列が重要な役割を果たしている可能性を考え、様々なdPen-2のN末端改変体(N末端2-10アミノ酸を欠損させたdPen-2/Δ2-10、そのN末端部にHA tagを付加したHA-dPen-2/Δ2-10、10番11番アミノ酸の間にHA tagを挿入したdPen-2/10HA11、TMD1までの全てのアミノ酸(2-17アミノ酸)をアミノ酸のelectrostaticな性質を維持したアミノ酸にほぼ全て置換したdPen-2/Δ2-17/rep.、そのN末端部にHA tagを付加したHA-dPen-2/Δ2-17/rep.)を作製し、これらの発現がAβ42産生比率に与える影響について検討した。コントロールに比し、N末端長の延長したdPen-2/10HA11、HA-dPen-2/Δ2-17/rep.のみにおいてAβ42産生比率は有意に上昇し、N末端長を短縮させた場合には変化は見られなかった。したがって、Aβ42産生比率の上昇は、N末端領域にHA tagが存在することが必ずしも必要ではなく、Pen-2のN末端長の延長により生じること、さらにN末端領域の特定の一次配列ではなく、静電的性質などその性質がγセクレターゼ切断の位置選択性に関与することが示唆された。

γセクレターゼはAβのC末端長を決定するγ切断の他に、より細胞質内側に近い膜内切断にも関与することが知られている。これはε切断と呼ばれ、その切断によりC末端断片(AICD)が細胞質内に放出される。Aβ42産生比率の上昇効果は、PSの家族性変異でも見られ、一部の変異についてはAICD産生量の低下を伴うことが報告されている。N末端長の延長したdPen-2のAβ42産生上昇効果も、AICD産生量の低下を伴うか否かを検証するため、reporter細胞(SC100gal4、UAS-luciferase、EGFPを過剰発現させたS2細胞)を用いてluciferase assayを行い、AICD産生量を評価した。N末端長の延長したdPen-2の効果はAICD産生を反映するレポーター活性、即ちε切断には影響しないことが確認された。

このようにε切断には大きな影響を与えずに、切断部位を変化させる低分子化合物としてγセクレターゼモジュレーター(GSM)が注目されている。一部のNSAIDsなど、Aβ42を低下させAβ38を上昇させる効果を有するものはAβ42-lowering GSMと呼ばれ、逆にAβ42を上昇させAβ38を低下させる効果を有する一部のNSAIDsや、高脂血症治療薬であるfenofibrateはAβ42-raising GSMと呼ばれる。このようにAβ38とAβ42の挙動には逆の相関が見られることから、N末端長の延長したdPen-2が分泌Aβ42産生比率上昇効果を示す際、Aβ38の産生にどのような影響を与えるかを検証した。Tris/Bicine/Urea gelを用いて、Aβ38、Aβ40、Aβ42を分離して検出を行ったところ、N末端長の延長したdPen-2を過剰発現させた場合には、Aβ42産生量の増加が見られると同時にAβ38産生量の低下が見られた。

これまでに観察された、N末端長の延長したdPen-2によるAβ42産生比率の上昇効果が、ショウジョウバエPen-2に特異的な現象である可能性を除外するため、ヒトPEN-2(hPEN-2)でも同様の現象が見られるかどうかを検証したところ、N末端長の延長したhPEN-2でも著明な上昇効果が見られた。次にこの効果がショウジョウバエ由来細胞に特異的な現象であるかどうかを検討するため、哺乳類細胞(PS1/2ダブルノックアウトマウス由来線維芽細胞(DKO細胞)にAPP Swedish変異を恒常発現させたDKO NL細胞)を用いて検討したところ、やはりAβ42産生比率に有意な上昇が見られた。したがってN末端長の延長したPen-2に見られるAβ42産生比率の上昇効果は、Pen-2蛋白の動物種、発現細胞系の種類を問わずに観察される現象であった。

N末端長の延長したPen-2が分泌Aβ42産生比率を上昇させる効果が、酵素-基質反応に直接作用するものかどうかを検討した。hPEN-2またはHx-hPEN-2を他のγセクレターゼ構成因子とともにバキュロウイルス・Sf9細胞発現系を用いて過剰発現させ、リコンビナントγセクレターゼ複合体を再構成した。感染細胞から1% CHAPSO可溶膜画分を採取して酵素画分とし、基質としては大腸菌由来リコンビナントC100FLAGmycHis(C100FmH)蛋白を用いてin vitro γ-secretase assayを行い、新規合成されたAβをELISAで測定した。hPEN-2、Hx-hPEN-2のいずれを過剰発現させた場合にもAβ40、Aβ42が新規合成され、Aβ42産生比率は、Hx-hPEN-2を含むγセクレターゼを用いた場合に有意な上昇が見られた。次にこの酵素-基質反応において基質量を振り、新規合成されたAβ40、Aβ42量それぞれについて、Michaelis-Menten plotにfitさせて、Km値およびVmax値を算出した。Aβ40については、hPEN-2、Hx-hPEN-2のいずれを過剰発現させた場合にも、Km値、Vmax値はほとんど差が見られなかったが、Aβ42については、hPEN-2を過剰発現させた場合にはKm値1.56μM、Vmax値11.5 pM/hr、Hx-hPEN-2を過剰発現させた場合にはKm値1.67μM、Vmax値24.0 pM/hrで、Km値には差が見られなかったが、Vmax値はHx-hPEN-2で約2倍に上昇した。これらの結果から、N末端長の延長したPen-2のAβ42産生比率の上昇効果は、γセクレターゼの性状に直接的に影響を及ぼし、Aβ42切断酵素活性のみを上昇させ、Aβ40切断酵素活性や基質との親和性には影響を与えないと考えられた。

ここまでに明らかとなったN末端長の延長したPen-2による効果は、Aβ42-raising GSMの効果と類似していると考えられた。そこでAβ42-raising GSMとして報告されている高脂血症治療薬fenofibrateによるAβ産生活性への影響と比較検討した。ELISAによる分泌Aβ量測定およびTris/Bicine/Urea gelを用いたAβ38、Aβ40、Aβ42の分離検出により、fenofibrate処理によりAβ42量の増加が見られるとともに、Aβ38量の減少が見られたことから、fenofibrateのAβ42-raising GSMとしての薬理効果が確認された。

脂質二重膜非透過性のチオール基特異的反応試薬であるMTSEA-biotinを用いたSCAM (substituted cysteine accessibility method)による検討から、PSは脂質二重膜内でTMD6およびTMD7を含むcatalytic poreを形成していることが示されている。このcatalytic pore内において、PS1 NTF内のTMD6に存在する246番アミノ酸alanineおよび250番アミノ酸leucineをそれぞれcysteineに置換したA246C、L250Cは、γセクレターゼの遷移状態模倣型阻害剤であるL-685,458により競合されることから、これらの残基がsubsiteとして機能することが示唆されている。Pen-2は直接PS NTFと結合しており、Aβ42-lowering GSMであるsulindac sulfideによるPSの構造変化などが示唆されていることから、N末端長の延長したPen-2が、PSのcatalytic poreに何らかの影響を与えている可能性を考え、SCAMにより検証した。TMD1/2間に存在し、catalytic pore形成には関与していないと考えられているI114C変異を持つPS1は、hPEN-2、FLAG-hPEN-2のいずれを過剰発現させた場合にも、そのラベル量には差を認めなかった。しかしPS1/A246CおよびPS1/L250Cは、FLAG-hPEN-2を過剰発現させた場合には、hPEN-2を過剰発現させた場合に比し、ラベル量の減少が認められ、PS1/L250Cでのラベル量の低下がより顕著であった。この結果から、N末端長の延長したPen-2は、catalytic pore内でsubsite形成に関与するPS1 TMD6に存在するA246CおよびL250Cのwater accessibilityを低下させたと考えられ、catalytic poreの構造変化をもたらしたことが示唆された。同様の結果はAβ42-raising GSMであるfenofibrate処理においても得られた。

以上、Pen-2のN末端部の改変がγセクレターゼ活性およびその切断特性に及ぼす影響について検討し、AβのC末端長の多様性を生じる分子機構の1つとして、γセクレターゼのcatalytic poreの構造変化を指摘し、そしてPen-2のN末端の延長がこの構造変化を惹起することを示した。Pen-2のN末端領域は、活性型γセクレターゼに組み込まれた状態では抗体やMTSEA-biotinがaccessできないようなtightな構造をとっていると考えられ、catalytic poreを含めたTMDの構造保持、すなわち活性型γセクレターゼ複合体の構造保持に重要な役割を担う可能性が考えられた。したがってその部分に種々のアミノ酸配列が付加されたことによりcatalytic poreを含めたγセクレターゼ複合体の構造に変化をもたらし、Aβ切断に影響を与えたと考えた。このAβのC末端長の多様性を生じる作用機構をさらに詳細に解明することにより、ε切断には影響を与えずにAβ42産生を低下させるAD治療薬の開発が可能になることを期待したい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はAβのC末端長の多様性を生じる分子機構を明らかにするため、γセクレターゼ複合体の構造保持と機能に重要な役割を担う可能性が示唆されているPen-2の、特にN末端領域がγセクレターゼ活性ならびに切断特性に及ぼす影響についての解析を試みたものである。その解析により、N末端長の延長したPen-2はAβ42の産生比率の上昇効果を有し、その効果は下記の特徴を有するという結果を得ている。

1. ショウジョウバエdPen-2、ヒトhPEN-2蛋白を用いた検討、ショウジョウバエ由来S2細胞、 哺乳類PS1/2ダブルノックアウトマウス由来線維芽細胞、バキュロウイルス・Sf9細胞発現系で 再構成したγセクレターゼを用いた検討、過剰発現実験、ノックダウンレスキュー実験、in vitro γセクレターゼassayを用いた検討の結果、N末端長の延長したPen-2のAβの種類、実験系の種類を問わずに見られる ことが示された。

2. 様々な長さや配列を有するtagをN末端部に付加したdPen-2蛋白をS2細胞に過剰発現 させて、γセクレターゼ活性およびその切断特性に及ぼす影響について検討した結果、Aβ42 の産生比率の上昇の程度は延長するアミノ酸長には依存しないが、延長するアミノ酸配列には 依存し、特にHA tag配列で著明であるものの、その静電的な性質には依存しないことが示され た。

3. N末端領域の長さや配列に様々な改変を加えたdPen-2蛋白をS2細胞に過剰発現させ て、γセクレターゼ活性およびその切断特性に及ぼす影響について検討した結果、Aβ42の産 生比率の上昇効果は、Pen-2のN末端長を延長した場合にのみ見られる効果であり、短縮し た場合には見られないことが示された。

4. Reporter細胞(S2細胞にSC100gal4、UAS-luciferase、EGFPを過剰発現させたモノクロ ーナル細胞株)を用いてluciferase assayを行い、基質であるSC100gal4からγセクレターゼ によるε切断を受けて産生されたAICD量を評価したところ、N末端長の延長したdPen-2の 効果はAICD産生を反映するレポーター活性、即ちε切断には影響しないことが示された。

5. Tris/Bicine/Urea gelを用いて、Aβ38、Aβ40、Aβ42を分離して検出したところ、N末端長 の延長したdPen-2を過剰発現させた場合には、Aβ42産生量の増加が見られると同時に Aβ38産生量の低下を伴うことが示された。

6. In vitro γセクレターゼ assayを行い、新規合成されたAβ40、Aβ42量それぞれについて、 Michaelis-Menten plotにfitさせて、Km値およびVmax値を算出し、N末端長の延長した Pen-2の酵素-基質反応に及ぼす影響について検討した結果、N末端長の延長したPen-2の Aβ42産生比率の上昇効果は、γセクレターゼの性状に直接的に影響を及ぼし、Aβ42切断酵素 活性のみを上昇させ、Aβ40切断酵素活性や基質との親和性には影響を与えないことが示され た。

7. 脂質二重膜非透過性のチオール基特異的反応試薬であるMTSEA-biotinを用いたSCAM (substituted cysteine accessibility method)による検討を行い、γセクレターゼのcatalytic poreを形成することが示唆されているPS1 NTFのTMD6に存在する246番アミノ酸alanineおよび250番アミノ酸leucineをそれぞれcysteineに置換したA246C、L250Cにおいて、N末端長の延長したPen-2により、water accessibilityの低下が生じ、catalytic poreの構造変化が生じることが示され、同様の結果がAβ42-raising γセクレターゼモジュレーターであるfenofibrate処理においても認められた。

以上、本論文はPen-2のN末端部の改変がγセクレターゼ活性およびその切断特性に及ぼす影響について検討し、AβのC末端長の多様性を生じる分子機構の1つとして、γセクレタAβのcatalytic poreの構造変化を指摘し、そしてPen-2のN末端の延長がこの構造変化を惹起することを明らかにした。本研究はε切断には影響を与えずにAβ42産生を低下させるAD治療薬の開発につながるAβのC末端長の多様性を生じる作用機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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