学位論文要旨



No 122851
著者(漢字) 磯尾,綾子
著者(英字)
著者(カナ) イソオ,アヤコ
標題(和) 機能的MRIによる嗜好に基づいた意思決定のメカニズムの解明 : 「好き」という感情と商品選びの神経基質-
標題(洋)
報告番号 122851
報告番号 甲22851
学位授与日 2007.04.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2951号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 准教授 赤林,朗
 東京大学 准教授 大友,邦
 東京大学 准教授 宮下,保司
 東京大学 講師 笠井,清登
内容要旨 要旨を表示する

買い物をする時など、同じ種類のものの中から何かを選ばなければならない機会が日常生活の中にはしばしばある。例えばコンビニエンスストアに何種類も並んでいるペットボトルの緑茶の中からどのブランドの緑茶を選んで買うか。このような場合、人は多かれ少なかれ自分の「好き」なブランドを選ぶだろう。このように、本質的にはほとんど等価のものの中から嗜好に基づいて何かを選択するメカニズムはどこにあるのだろうか。「好き」という感情と商品選びのメカニズムはどう関わり合っているのだろうか。情動に関する研究はこれまで主に恐怖、怒り、悲しみといったネガティブな感情について焦点が当てられてきた。一方、「好き」という感情も含め、ポジティブな感情についての研究報告はネガティブな感情についての研究報告に比べるとまだそれほど多くない。また、神経科学分野におけるさまざまな意思決定問題は、近年経済分野や経営分野からも注目を浴びており、これらの分野の融合的な研究が求められている。そこで本研究では、ポジティブな感情と深い関わりを持つと考えられる、嗜好に基づいた意思決定のメカニズムの解明を主題におき、特にその中でも商品やブランドを選ぶ際の神経基質を明らかにすることを目的とした。この目的を達成するために、ヒトを対象とした機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging: fMRI)による実験を行った。

[1]視覚刺激の選択(被験者)首都圏在住の20歳代の健常日本人女子学生44人(平均年齢:21.5 ± 1.96歳)

(目的)fMRI実験に用いる視覚刺激の作成

(方法)コンビニエンスストア、ペットボトル飲料などのさまざまな業種、商品カテゴリーそれぞれについて2種類以上の企業ブランドや商品ブランドを列挙し、アンケートを行った。1カテゴリーにつき2~49(平均5.6 ± 6.0、中央値4)個、総計100カテゴリー、560ブランドがリストアップされた。アンケートでは被験者に各ブランドに対する各自の好き嫌いを7段階で答えてもらった(1.大嫌い、2.嫌い、3.どちらかというと嫌い、4.どちらともいえない、5.どちらかというと好き、6.好き、7.大好き)。

このアンケートの結果に基づいてfMRI実験に用いる視覚刺激のペアが選ばれた。各カテゴリー内で(6.好き)または(7.大好き)と答えた被験者の割合が最も多かったブランドを"preferred brand"、(4.どちらともいえない)と答えた被験者の割合が最も多かったブランドを"neutral brand"と定義したところ、全部で80個のカテゴリーについてpreferred brandとneutral brandのペアを作成することができた。

また、本研究ではブランドロゴを視覚刺激として用いる実験と比較するために情動関連の写真を視覚刺激として用いる実験も行ったが、その準備段階として"preferred stimulus"と"neutral stimulus"のペアを作成した。情動関連の写真としてNational Institute of Mental HealthによるInternational Affective Picture System (IAPS)を使用した。IAPSは情動や注意についての実験に用いるために作成された標準的な写真のセットであり、過去の調査結果に基づいて男性、女性、子供がそれぞれの写真に対してどのような感情を持つかがvalence, arousal, dominanceの3つについてあらかじめ数値化されている。本研究では女性の平均valence(その写真を見てどの程度happyあるいはunhappyな感情が湧くか)の値をもとに、preferred stimulusとneutral stimulusのペアを80組作成した。

[2] fMRI実験

(被験者)アンケートに参加した44人中18人の女子学生(右利き15人、矯正右利き2人、両利き1人)。

(ハードウエア)Varian Unity Inova 4 Tesla whole-body MRI system; Magnex head gradient system; Bird-cage radio-frequency coil

(撮像条件)グラジエントエコーEPI; 2ショット; 5mm厚22スライス;撮像領域は全脳;面内解像度3.75x3.75mm2;Volume TR 2.12s; TE 25ms;FA 40°

(方法)視覚刺激は光ファイバーゴーグルによって被験者の両目に呈示された。実験パラダイムはブロックデザインで、各ブロックのはじめに課題の種類が示された後、ブランドロゴセッションではpreferred brandとneutral brandのペアが、IAPSセッションではpreferred stimulusとneutral stimulusのペアが順次呈示された。ペアのうち一方は画面左、他方は画面右に同時に呈示され、被験者は課題に従い左右どちらかを選択し、ボタン押しで応答した(図)。課題は2種類あり、Preference課題では被験者がより好む方のブランドまたは写真の選択が、Arousal課題(対照課題)では視覚的により目立つ方のブランドロゴまたは写真の選択が課せられた。

データ解析はBrain Voyager QX 1.6を用い、一般線形モデルによるグループ統計解析を行った。

(図)各ブロック内のパラダイムの構造

(結果)

ブランドロゴセッションにおいて、MR信号変化がArousal課題と比較してPreference課題で有意に大きかった領域は、1) 前頭前野背外側部、2) 帯状回前部背側部、3) 前頭前野吻側部、4) 海馬傍回、5) 脳幹、6) 小脳、7) 上側頭溝および上側頭回であった(固定効果解析、p <0.001, corrected)。 一方、IAPSセッションにおいてMR信号変化がArousal課題と比較してPreference課題で有意に大きかった領域は、1) 背外側前部前頭皮質、2) 帯状回前部背側部、3) 海馬傍回、4) 脳幹、5) 小脳、6) 扁桃体、7) 帯状回前部腹側部であった(固定効果解析、p <0.001, corrected)。すなわち多くの活性領域が両セッションに共通して見られ、conjunction analysisなどでも実際に両セッションの活性領域の重複が示されたが、前頭前野吻側部と上側頭溝/上側頭回の活性はブランドロゴセッション固有のものであり、扁桃体と帯状回前部腹側部の活性はIAPSセッション固有のものだった。

(考察)

(1)両セッションで共通の活性部位について

前頭前野背外側部は認知制御に関わる課題に関連して共通して見られる活性部位であるが、情動の情報を取り入れて行動を修飾する際にも必要であることが近年の機能画像研究の結果から示唆されてきている。このことから、この部位の活性は「好き」というポジティブな感情を意思決定過程に組み入れて修飾するために活性が高まっていると考えると矛盾しない。帯状回前部背側部は複数の情報が対峙するような状況下での動作選択課題や作業記憶課題での活動上昇が知られている。本実験の課題における「どちらが好きかを決める」という意思決定課題は、まさに、ブランドなら商品の質や人気、デザインなどの、IAPSなら写真の色彩や構図、人物の容貌などの複数の情報が対峙する状況下での選択課題であり、それが帯状回前部背側部の活性につながっているのであろう。海馬傍回の活性はおそらく記憶との関連を示唆しており、意思決定の過程が記憶の修飾をPreference課題においてより強く受けたのではないかと考えられる。また、脳幹の活性部位は中脳を含んでおり、報酬の価値や予測誤差に反応するドーパミンニューロンの活性と結びつけて考えることが可能かもしれない。

(2)ブランドロゴセッション固有の活性部位について

前頭前野吻側部は「心の理論」(他者の心を推し量る)課題で活性がみられることが多い。本実験におけるこの部位の活性はブランド選択という意思決定過程に社会的価値判断、つまり他者の評価や人気を推し量る要素が含まれていることと関係があるのかもしれない。また、本実験でみられた上側頭溝/上側頭回の活性部位は細胞構築学的にはBrodmann area 22に相当し、優位半球側では感覚性言語機能に関わる領域として知られている。従ってこの部位の活性はブランドロゴの中にブランド名が含まれていたことによるのかもしれないし、活性化が左側のみではなく両側性にみられたことに注目すると、言語を介さないロゴそのものによる意味理解とも関係があるのかもしれない。

(3)IAPSセッション固有の活性部位について

IAPSセッションにのみ活性のみられた扁桃体と帯状回前部吻腹側部は共に情動や情動に関する情報処理と関係が深い。このことはIAPSがブランドロゴと比較してより直接的な情動刺激であることと関係するのかもしれない。

(結語)

商品やブランドを選びに関わる神経基質は、前頭前野、帯状回を中心とした意思決定やポジティブな感情に関わる神経基質と重なり合う一方で、前頭前野吻側部や上側頭溝、上側頭回といった社会的な意味も含んだ意味理解や価値判断に関わる特異な活動領域を持つ。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、喜びや楽しさなど正の感情に関わる脳神経基盤と嗜好に関する脳神経基盤とが深く関わり合っていると推測し、fMRI実験による検証を行った。検証にあたり、嗜好に関わる脳活動を調べる目的で同カテゴリーの商品の中からお気に入りのブランドを選ぶ際の意思決定に注目して課題設計した。

1、ブランドロゴを用いた視覚刺激の選択

首都圏在住の20代女子学生44人を対象に100カテゴリー560種類のブランドについてアンケート調査を行い、各ブランドについての好き嫌いを(1:大嫌い)から(7:大好き)までの7段階で回答して貰った。各カテゴリー中、大多数の被験者の回答が(6:好き/7:大好き)だったブランドを優先嗜好ブランド、大多数の被験者の回答が(4:どちらともいえない)だったブランドを中立嗜好ブランドとし、80カテゴリーについて優先嗜好と中立嗜好のブランドロゴのペアを作成した。

2、情動に関連した写真を用いた視覚刺激の選択

National Institute of Mental Healthの作成した情動に関連した写真のセット(International Affective Picture System:IAPS)から正の感情を誘起する写真と、情動的に中立的な写真のペアを80組作成した。

3、fMRI実験

【方法】

被験者:アンケート調査に参加した44人の中の18名

撮像条件:バリアン社製4テスラMRI装置;グラジエントエコーEPI; 2ショット; 5mm厚22スライス;撮像領域は全脳;面内解像度3.75x3.75mm2;Volume TR 2.12s; TE 25ms;FA 40°

実験課題:ブランドロゴを用いたものとIAPSを用いたものの2種類の実験を行った。提示された刺激ペアのうち、嗜好課題では被験者がより好む方のブランド/写真を選択。注意喚起課題では被験者が視覚的により目立つ方を選択。嗜好課題と注意喚起課題はそれぞれ決まった回数繰り返され、全体として2つの課題に関するブロックデザインとした。

【結果】

ブランドロゴ、IAPSの両方のセッションで、前頭前野背外側部、海馬傍回、脳幹、小脳で嗜好課題優位な活動が見られ、conjunction analysis等で両セッションにおける活動領域の重なりが示された。上側頭溝/回、前頭前野吻側部はブランドロゴに、帯状回前部腹側部、扁桃体はIAPSに特異的な活性領域として認められた。

以上、お気に入りのブランド選びに前頭前野背外側部、海馬傍回、脳幹、小脳、上側頭溝/回、前頭前野吻側部が関わっていることが明らかにされた。またこれらの領域は正の感情に関わる意思決定の神経基盤の領域と非常に似通っていることが明らかにされた。したがってこれらの意思決定過程は多くの同じ神経機構を共有している可能性が高い。

本研究はこれまであまり調べられてこなかった嗜好に基づく意思決定と正の感情との関わりの一端を明らかにしており、学位の授与に値するものと考えられる。

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