学位論文要旨



No 122852
著者(漢字) 百合野,秀朗
著者(英字)
著者(カナ) ユリノ,ヒデアキ
標題(和) 5'SAGE法を用いた四塩化炭素急性肝障害の包括的な遺伝子発現解析
標題(洋)
報告番号 122852
報告番号 甲22852
学位授与日 2007.04.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2952号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠山,千春
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 吉田,謙一
 東京大学 教授 木内,貴弘
 東京大学 准教授 宮澤,恵二
内容要旨 要旨を表示する

研究の目的

四塩化炭素(carbon tetrachloride; CC14)はかつて産業界において、溶媒、クリーナー、脱脂剤として広く使われていた。四塩化炭素を含むハロ・アルカン作用の科学的なデータベースはあまりに膨大で、包括的にこれらを理解することは難しい。ハロ・アルカン暴露の問題は、他の溶媒または化学物質と結合して、相乗作用を示し悪化することである。今日、四塩化炭素は肝毒性の研究のための実験モデルとして非常に有効である。

四塩化炭素投与したマウス・ラットの肝臓、あるいは培地中に暴露されたヒト肝細胞において、炎症、代謝、毒性などの際に重要な働きをしている様々な遺伝子が、DNA microarray法やSAGE法によってこれまでに見いだされてきた。しかしながら転写開始点(TSS)を考慮に入れた多様な遺伝子産物ならびにalternative splicingについての解析は困難であった。そこで私が所属する研究室はmRNA 5'端に存在するキャップ構造を特異的に選別する オリゴキャッピング法、 および同法を用いて 完全長および5'端特異的cDNA library を作成する方法(5'SAGE法)を開発した。本研究において私は、この5'SAGE法でラット正常肝臓および四塩化炭素投与ラット肝臓の遺伝子発現プロファイルを解析し、それぞれの群に優位に発現する遺伝子を多数同定した。さらにLongSAGE、GeneChipとの比較から、5'SAGE tagの有用性を検討した。

方法と結果

1) 5'SAGE法による急性肝障害の遺伝子発現プロファイル

CD(SD)IGSラット(6週齢、雄)をコントロール群と四塩化炭素投与群に分け、それぞれの群にコーン油、7.5 g CC14 /kg body weightを腹腔内投与し、8時間後に肝臓を各々切除しサンプルとした。試料調製で得られたサンプルからTotal RNAを精製した。BAP/TAP/ligase反応により合成オリゴをキャップ構造に置換した後にMmeIで切断して、転写開始点の直下20 bpを切り出すことにより5'SAGE tagを生成した。以下、SAGEの定法に従い、重合化、クローニングを行い、5'SAGE tagによるcDNAライブラリーを構築した。

正常ラットの肝臓から56,668 tags、四塩化炭素投与したラットの肝臓から55,909 tags、計112,577 tagsをシークエンスし、それぞれ18,084種類、21,868種類の転写産物を得た。ゲノム中の1ヶ所にマッチする正常肝臓21,599個、四塩化炭素投与肝臓17,156個の5' SAGE tag中、それぞれ99.5%、99.2%はRefSeqデータベース内の既存転写開始点の-500から+200bpの内にマッチし、この結果から得られた5' tagのほとんどが転写開始点であることが分かった。

個々のtagをBLAST検索し、正常ラットの肝臓で発現する遺伝子、四塩化炭素投与ラットの肝臓で発現する遺伝子、正常ラットの肝臓と四塩化炭素投与ラットの肝臓の両者を比較し発現が上昇する遺伝子、発現が減少する遺伝子を各々同定した。

続いてラットの正常な肝臓で発現している遺伝子上位100、四塩化炭素投与で発現する遺伝子上位100を遺伝子機能により分類した。正常ラット肝臓の機能と比較して、四塩化炭素投与肝臓では主にトランスポーター、薬物代謝酵素群、RNA合成の変動が観察された。

2) 転写開始点と発現頻度

多くの遺伝子には複数の転写開始点が存在することが知られている。既知の転写産物にヒットする正常肝臓5,096 tag、四塩化炭素投与肝臓6,716 tagのうち共に85 %以上の転写開始点がエクソンから始まっていることが分かった。しかし四塩化炭素投与により転写開始点が3'側へ移動する遺伝子が多数観察された。さらにイントロンから始まる転写開始点の割合も増加が認められた。

一方、特異的な発現パターンを示す遺伝子も確認された。Spin2bでは四塩化炭素投与により第1エクソンからの発現が減少したが、第2エクソン以降の発現増強が認められた。さらに、Serpina3cでは四塩化炭素投与でも第1エクソンに発現量の変化は認められなかったが、以降のエクソンから発現が増加していた。また、Cyp2c23では発現頻度がほぼ同程度であるにも関わらず、四塩化炭素投与により転写開始点が大きく3'側へ移動していることが観察された。

3) Affymetrix GeneChip、Long SAGEによる解析との比較

今回得られた5' SAGEデータを従来の遺伝子発現解析法と比較するため、Long SAGE法を用い正常ラット肝臓の解析を行った。シークエンスによりTag数は30,916 tagsを得た。解析結果から正常ラット肝臓について強く発現している遺伝子上位50個を5' SAGE法の結果と比較した。いくつかの遺伝子はかなり異なるレベルで発現していたが、多くの遺伝子は両方のライブラリーで同程度発現していることが明らかになった。

次に、今回得られた5' SAGEデータをcDNA microarray解析結果と比較するため、Affymetrix GeneChip Rat Genome230 2.0を用い本サンプルの解析を行った。解析結果から正常ラット肝臓、四塩化炭素投与肝臓および正常ラット肝臓に対して四塩化炭素投与で発現上昇あるいは減少する各々について、強く発現している遺伝子上位50個を5' SAGEの結果と比較した。正常ラット肝臓および四塩化炭素投与ラット肝臓で発現している遺伝子上位50は、 5' SAGE法で解析したデータとほぼ結果が相関することが認められた。正常ラット肝臓に対して四塩化炭素投与で発現が上昇、減少するもの上位50では、予測遺伝子を除けば、5' SAGE法で解析したデータと増減は概ね一致することが観察された。さらに、GeneChip解析では遺伝子の総量では変化しないものでも、5'SAGE法ではtagの変化によって遺伝子の発現変化を示すことができた。

4) 5'RACE法、Northern blot analysisによるmRNAの5'末端領域の解析

本研究で得られた5'SAGE法の転写開始点情報が、従来の転写開始点決定法とどの程度相関があるか確認するため、正常ラット肝臓および四塩化炭素投与したラットの肝臓におけるCyp2c23、Gstm1、Vtnの5'末端領域を5' RACE法にて解析した。Tagおよびクローンが発現する位置および頻度ともに高い相関が確認された。

同時にいくつかの遺伝子(Cyp2c23、Gstm1、Vtn)のmRNAの長さと発現量をノーザンブロットによって解析を行った。3遺伝子共に四塩化炭素投与により3'側に微弱ではあるがバンドが観察された。この結果により5'SAGEのデータから得られた転写開始点の存在が、ノーザンブロットにより確認することができた。

考察

現在まで四塩化炭素急性肝障害の研究では、すでに定量的かつ包括的に多量の転写産物が解析されているが、本研究では5' SAGE法という新たな方法を用いることにより、転写開始点の情報を含んだ遺伝子発現プロファイルを得た。さらに5'SAGE法を用いることにより、完全長cDNAの5'末端配列を用いた転写制御領域の網羅的解析の足がかりとなることが期待される。完全長cDNAは、遺伝子発現、遺伝子機能アノテーション、個々の遺伝子の発現量解析などにおいて、トランスクリプトームの中核的な情報を与えるだけでなく、まさにトランスクリプトームの発現制御機構の全体像を網羅的に解析していくうえでも不可欠な情報資源である。

DNAマイクロアレイは何千もの転写産物の相対的な発現レベルを測定するのに用いられ、癌、病理学、抗菌薬の創薬等の分野で重要な発見に貢献している。これらのデータと今回我々が5'SAGEにより得た遺伝子プロファイルを比較・検討した。Affymetrix GeneChip解析との比較で、一部結果が一致しなかった原因としてはGene Chipはハイブリダイゼーション技術に基づいているため、類似の遺伝子を区別することができない可能性が考えられる。また、プローブの設計に関する問題としては、構造的なもの以外にPolyA尾部からの距離も一因である。さらに、いくつかのESTや遺伝子では誤った注釈をしたこと等が挙げられる。SAGE側の要因としては、特異的な転写産物は、制限酵素の認識部位の欠如またはGC含量によるバイアスのため見逃される可能性がある。不正確なtag数は不完全な消化または選択的ポリアデニル化に起因し、シークエンス時のエラーにも起因する。今後これらの遺伝子発現解析ツールが、統合的なデータ解析に用いられるようになることが期待される。

5'SAGE法により観察できた転写調節機構の一つには、dsRNAが関連するさまざまなRNAサイレンシングが考えられ、RNAとDNAのホモロジーの高い部分のDNAのシトシンがメチル化される現象、短鎖dsRNAがヒストンメチル化を介してヘテロクロマチン形成を誘導すること等が理由として挙げられる。一方、センス/アンチセンスペア(S/AS)による転写調節も考えられている。マクロファージのLPS刺激において、マクロファージの活性化によるS/ASの発現の制御に相関があることが報告されており、四塩化炭素投与により肝細胞でも同様の現象が起きている可能性もある。これらのS/ASペアはさまざまな疾患関連遺伝子などにも存在するため、新たな薬剤のターゲットとなることが期待されている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は薬物性肝障害における遺伝子の発現プロファイルを何万という単位で包括的に調べるために、ラットに四塩化炭素急性肝障害を誘導する系を代表的事例として用い、mRNA転写開始点を含んだ遺伝子発現の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 正常ラットの肝臓から56,668 tags、四塩化炭素投与したラットの肝臓から55,909 tags、計112,577 tagsをシークエンスし、それぞれ18,084種類、21,868種類の転写産物を得た。ゲノム中の1ヶ所にマッチする正常肝臓21,599個、四塩化炭素投与肝臓17,156個の5' SAGE tag中、それぞれ99.5%、99.2%はRefSeqデータベース内の既存転写開始点の-500から+200bpの内にマッチし、この結果から得られた5' tagのほとんどが転写開始点であることが示された。

2. 個々のtagをBLAST検索し、正常ラットの肝臓で発現する遺伝子、四塩化炭素投与ラットの肝臓で発現する遺伝子、正常ラットの肝臓と四塩化炭素投与ラットの肝臓の両者を比較し発現が上昇する遺伝子、発現が減少する遺伝子を各々同定した。続いてラットの正常な肝臓で発現している遺伝子上位100、四塩化炭素投与で発現する遺伝子上位100を遺伝子機能により分類した。正常ラット肝臓の機能と比較して、四塩化炭素投与肝臓では主にトランスポーター、薬物代謝酵素群、RNA合成の変動が明らかとなった。

3. 多くの遺伝子には複数の転写開始点が存在することが知られている。既知の転写産物にヒットする正常肝臓5,096 tag、四塩化炭素投与肝臓6,716 tagのうち共に85 %以上の転写開始点がエクソンから始まっていることが分かった。しかし四塩化炭素投与により第1エクソン以降からの転写開始点が多数観察された。さらにイントロンから始まる転写開始点の割合も増加が認められた。一方、特異的な発現パターンを示す遺伝子も確認された。Spin2bでは四塩化炭素投与により第1エクソンからの発現が減少したが、第2エクソン以降の発現増強が認められた。さらに、Serpina3cでは四塩化炭素投与でも第1エクソンに発現量の変化は認められなかったが、以降のエクソンから発現が増加していた。また、Cyp2c23では発現頻度がほぼ同程度であるにも関わらず、四塩化炭素投与により転写開始点が大きく3'側へ移動していることが観察された。

今回得られた5' SAGEデータを従来の遺伝子発現解析法と比較するため、Long SAGE法を用い正常ラット肝臓の解析を行った。シークエンスによりTag数は30,916 tagsを得た。解析結果から正常ラット肝臓について強く発現している遺伝子上位50個を5' SAGEの結果と比較した。いくつかの遺伝子はかなり異なるレベルで発現していたが、多くの遺伝子は両方のライブラリーで同程度発現していることが明らかになった。

次に、今回得られた5' SAGEデータをcDNA microarray解析結果と比較するため、Affymetrix GeneChip Rat Genome230 2.0を用い本サンプルの解析を行った。解析結果から正常ラット肝臓、四塩化炭素投与肝臓、正常ラット肝臓に対して四塩化炭素投与で発現上昇、減少する各々にについて強く発現している遺伝子上位50個を5' SAGEの結果と比較した。正常ラット肝臓、四塩化炭素投与ラット肝臓で発現している遺伝子上位50は、 5' SAGEで解析したデータとほぼ結果が相関することが認められた。正常ラット肝臓に対して四塩化炭素投与で発現が上昇、減少するもの上位50では、5' SAGEで解析したデータと一致するものは多くは観察されなかった。しかしながら、GeneChip解析では遺伝子の総量では変化しないものでも、5'SAGE法ではtagの変化によって遺伝子の発現変化を示すことができた。

5. 本研究で得られた5'SAGEの転写開始点情報が、従来の転写開始点決定法とどの程度相関があるか確認するため、正常ラット肝臓および四塩化炭素投与したラットの肝臓におけるCyp2c23、Gstm1、Vtnの5'末端領域を5' RACE法にて解析した。Tagおよびクローンが発現する位置、頻度ともに高い相関が確認された。

同時にいくつかの遺伝子(Cyp2c23、Gstm1、Vtn)のmRNAの長さと発現量をノーザンブロットによって解析を行った。3遺伝子共に四塩化炭素投与により3'側に微弱ではあるがバンドが観察された。この結果により5'SAGEのプロファイルはノーザンブロットによる可視化によっても確認することができた。

以上、本論文では四塩化炭素急性肝障害におけるmRNA転写開始点を含んだ遺伝子発現プロファイルを解析し、他の遺伝子発現解析ツールとの比較から5'SAGE tagの有用性を明らかにした。本研究により得られた結果は、急性肝障害におけるトランスクリプトームの中核的な情報を与えるだけでなく、トランスクリプトームの発現制御機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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