学位論文要旨



No 122853
著者(漢字) 加藤,順
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ジュン
標題(和) 肺線維芽細胞の遊走におけるシステイニル・ロイコトリエンの効果
標題(洋)
報告番号 122853
報告番号 甲22853
学位授与日 2007.04.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2953号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 准教授 中村,元直
 東京大学 講師 飯島,勝矢
 東京大学 講師 野入,英世
 カリフォルニア大学 講師 三崎,義堅
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景及び目的

肺の線維化は様々な慢性炎症性肺疾患で生じる。気管支喘息においては気道リモデリングと呼ばれる特有の構造変化の一部として気道上皮下の線維化が生じる。肺の線維芽細胞はこの過程において重要な役割を果たす。組織傷害部位への線維芽細胞の遊走は、正常な組織修復のために重要なステップであるが、遊走が増加し、組織に線維芽細胞が過剰に集積すると線維化につながると考えられる。

システイニル・ロイコトリエン(CysLTs)は喘息の病態生理において重要な役割を担う脂質メディエーターである。喘息モデルマウスにシステイニル・ロイコトリエンレセプターtype1(CysLT1)の拮抗薬を作用させると気道リモデリングが改善することが示されている。CysLTsは気道れん縮誘発、気道杯細胞の増加、白血球浸潤惹起作用を持つことが知られており、これらを通じて喘息の気道リモデリングに関わっていると考えられる。それに加えて、CysLTs は直接に肺間葉系細胞に作用して気道リモデリングの過程に関わっていることを示唆する研究がある。しかし、肺線維芽細胞の遊走とCysLTsとの関係はいままで良く知られていない。そこで、本研究ではCysLTsの線維芽細胞の遊走への効果について調べた。

研究対象と方法

1. 各種試薬

ロイコトリエンC4(LTC4),D4(LTD4),E4(LTE4)、ウサギポリクローナルCysLT1抗体、ウサギIgGアイソタイプコントロール抗体、FITC付加ヤギ抗ラビットIgG抗体、DAKO IntraStain kit、ヒトファイブロネクチン(HFn)、百日咳毒素をそれぞれ購入した。Pranlukastは小野薬品より無償供与された。

2. 正常ヒト肺線維芽細胞(normal human lung fibroblast, NHLF)、正常気管支平滑筋細胞の培養

NHLFはBiowhittaker Inc. より購入した。NHLFはHam's F12細胞培養液に10% ウシ血清と50U/mlペニシリンGナトリウム、50μg/ml硫酸ストレプトマイシン、1μg/ml アンホテリシンBを加えた溶液にて培養した。全ての実験で、3-4継代した細胞を用いた。confluentとなったNHLFは0.05%トリプシンと0.53mM EDTAを用いてディッシュより剥離し血清を加えないF12培養液に再浮遊させた。正常気管支平滑筋細胞は平滑筋細胞増殖培地(Cambrex Co)を用いて培養した。

3. CysLT1の発現;フローサイトメトリーによる評価

Thiviergeらの方法(M.Thivierge 2001, J immunol)に則ってNHLFにおけるCysLT1の発現をフローサイトメトリーで評価した。

4.CysLT1の発現;免疫染色による評価

免疫染色キットEnVision+ System-HRP(DakoCytomation, CA) を使用してNHLFと正常気道平滑筋細胞のCysLT1の発現を免疫染色で評価した。

5.NHLFの遊走

NHLFの遊走実験はBoyden blindwell chamber technique(J exp med 1962)に従い、Nucleopore社の48-well chamberを用いて行った。directional migration(chemotaxis)の評価では、遊走因子はchamberの下部wellに添加し、細胞(1.0 x 106個/ml無血清F12)は上部wellに添加した。Non-directional migration(chemokinesis) の評価では上下のwellに同濃度の遊走因子を添加した。上下のwellの間に0.1% gelatinで被覆したmigration assay membrane(8μm孔)を挟み、6時間静置した。その後membraneをchamberより取り外し、membrane上面に付着している細胞を除去し、メタノール固定した後、Diffquikで染色した。染色したmembraneをガラススライドにマウントし、光学顕微鏡400倍5視野に観察された細胞を合計して遊走細胞とした。実験はtriplicateで少なくとも3回以上行った。

6.NHLFによるコラーゲンゲル・コントラクションに対するCysLTsの効果

既報に従い、typeIコラーゲンをラットの尾部腱組織より抽出し、コラーゲン溶液、蒸留水、4倍濃縮F12細胞培養液、NHLFをコラーゲン濃度0.75mg, 細胞濃度3x105 cells/ml, F12 1x濃度、pH 7.4となるように調整し、24 穴プレートに0.5mlづつ注入した。37℃、95% O2, 5%CO2下でincubateするとゲル化が完了するので、プレートからゲルを取り外して5mlの培養液を入れた60mmプレートに移した。37℃、95% O2, 5%CO2 のインキュベータ内に静置し、画像解析装置を用いて経時的にゲル面積を測定し記録した。

7. 統計学的解析

図中のデータは平均値+標準誤差で示した。多重比較を行ったデータについてはTurkey-Kramer多重比較検定を行った。P値0.05未満を以て有意とした。

<結果>

1. NHLFにおけるCysLT1の発現

本研究にて使用したヒト肺線維芽細胞,NHLFにおいて、フローサイトメトリー及び免疫染色にてCysLT1の発現が認められた。免疫染色では気管支平滑筋細胞でもCysLT1の発現が認められた。

2.NHLFの遊走におけるLTD4の効果、Boyden chamberを用いての検討

LTC4・LTD4・LTE4いずれも、単独ではNHLFに対してchemotaxisもchemokinesisも惹起しなかった。

HFnは1.25〜20μg/mlの濃度においてNHLFに対し濃度依存性に遊走を起こした。

HFn 1.25μg/mlと2.5μg/mlの濃度においてLTD4(10-7M)は有意にNHLFの遊走を増強した。LTC4、LTE4についてはパイロット研究において同様の傾向を認めたが、有意差を認めなかったため以後全てLTD4を用いて実験を行った。

LTD4による遊走増強効果は10-9 Mから10-7 Mの範囲で濃度依存性を認めた。

LTD4の遊走増強効果がchemokinesisに作用するのかchemotaxisに作用するのか調べるためHFnを上下のwellに加えた場合と下のwellのみに加えた場合にそれぞれLTD4の効果を比較した。LTD4は双方で遊走増強効果を示した。

特異的CysLT1拮抗薬であるPrunlukastをCysLT1を加える前に作用させると、LTD4の効果はうち消された。このことより、LTD4はCysLT1を介して遊走増強効果を呈していると考えられた。

CysLT1に結合したLTD4はG蛋白のGi/oを活性化することが知られているため、百日咳毒素(50ng/ml, 8時間)を作用させたNHLFにおいてLTD4の効果を観察したところ、LTD4による遊走増強効果は百日咳毒素を作用させた群では見られなかった。LTD4の効果は百日咳毒素に感受性のGi/o蛋白を介していると考えられた。

3. NHLFのcollagen gel-contractionにおけるLTD4の効果

NHLFをtype 1 collagen内に包埋して面積変化を観察すると、開始時と比較し24時間で66.0±4.9%、48時間で52.1±2.7%、72時間で44.6±3.9%に縮小した。これらは細胞を加えていないゲルの面積に比し有意な縮小であった。LTD4 10-7 Mをゲル作成時に20分間作用させたところゲルの縮小には影響を及ぼさなかった。

考察

本研究において、LTD4がNHLFのHFnによる遊走を増強することが示された。この効果は特異的CysLT1拮抗薬であるPrunlukastにより完全に阻害された。すなわち、CysLT1を介した効果であると考えられる。

CysLT1拮抗薬は慢性喘息患者の症状を改善することから、CysLT1を介した作用が気管支喘息の病態生理に重要であると考えられている。HendersonらはCysLT1拮抗薬がマウス喘息モデルの気道リモデリングを抑制することを明らかにした。この結果は、CysLTsが喘息の気道上皮下の線維化において重要な役割を果たしていることを強く示唆している。

CysLT1は肺では主に炎症細胞と気管支平滑筋に発現が認められていたが、肺線維芽細胞における発現はこれまで明らかでなかった。しかし最近、肺線維芽細胞の細胞株HFL-1において定常状態ではCysLT1は発現していないが、IL-13、TGF-βを作用させることにより発現し、CysLTsによりコラーゲン産生やケモカイン産生の増強が認められることが示された。そして本研究では、正常ヒト肺線維芽細胞において定常状態でCysLT1が発現していることが示された。さらにLTD4 はHFnによる線維芽細胞の遊走を増強した。この結果はCysLTsはその炎症作用だけでなく、線維芽細胞への直接作用によっても気道リモデリングに関わっていることを示唆する。今回の実験結果においてはLTD4の遊走増強効果はPTX処置にて消失したため、Gi/o蛋白を介していると考えられる。

結論として、本実験ではシステイニル・ロイコトリエンの一つ、LTD4がファイブロネクチンによる肺線維芽細胞の遊走を増強し、喘息における気道リモデリングに関与しうる可能性があることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は気管支喘息の気道リモデリングのうち、基底膜下の線維化において重要な役割を果たしていると考えられるシステイニル・ロイコトリエン(CysLTs)の、肺線維芽細胞への作用を明らかにするため、組織の線維化の過程で重要なステップとされる遊走と、線維芽細胞による創傷治癒・線維化のモデルとして考えられているコラーゲンゲル・コントラクションにおけるCysLTsの効果の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.フローサイトメトリー及び免疫染色による解析の結果、正常ヒト肺線維芽細胞(NHLF)においてシステイニル・ロイコトリエンレセプターtypeI(CysLT1)が発現していることが初めて示された。

2.Boyden chamber technique を用いた遊走実験の結果、CysLTsは単独ではchemotaxisも chemokinesisも惹起しなかった。しかし、LTD4はヒトファイブロネクチン(HFn)に対するNHLFのchemotaxisを増強する効果をもつことが示された。LTC4、LTE4はLTD4と比較して効果が弱かった。

3.LTD4はNHLFのHFnによるchemotaxisばかりでなくchemokinesisにも遊走増強効果を示した。

4.LTD4のchemotaxis増強効果は、特異的CysLT1拮抗薬であるPrunlukastにより打ち消されたため、CysLT1を介した作用であると考えられた。同様に、百日咳毒素処理したNHLFではLTD4のchemotaxis増強効果は消失したため、この効果は百日咳毒素に感受性のG蛋白を介していると考えられた。

5.コラーゲンゲル・コントラクションに対しては、LTD4の効果は明らかでなかった。

以上より、本論文は肺線維芽細胞にCysLT1が発現していることを初めて示し、さらにLTD4が、CysLT1を介して、喘息における重要な遊走因子であるHFnによるNHLFの遊走を増強することを明らかにした。本研究は、未だ明らかになっていないCysLTsによる気管支喘息の気道リモデリング成立機序の一部を説明しうるものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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