学位論文要旨



No 122860
著者(漢字) 藤田,真由美
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,マユミ
標題(和) HPA軸の運動適応における副腎の役割
標題(洋)
報告番号 122860
報告番号 甲22860
学位授与日 2007.04.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第750号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 准教授 村越,隆之
 東京大学 教授 金久,博昭
 東京大学 准教授 柳原,大
 東京大学 准教授 八田,秀雄
内容要旨 要旨を表示する

近年、生活環境の変化による日中の活動量の低下や夜間の摂食増加などは、生体の概日リズムに異常をもたらす原因になるのではないかと懸念されている。しかし意識次第で日中の運動量を増加させ、一日の活動のリズムを変えることは可能である。習慣的な日中の運動量の増加が生体の概日リズムにどのような影響を及ぼすのかについては今後の研究が期待されている。先行研究によりマウスの活動期の習慣的な運動はHPA軸(hypothalamus-pituitary gland-adrenal cortex; HPA)の特にグルココルチコイド(glucocorticoid; GC)のピーク値を上昇させ、GCの概日リズムを明確にするとの報告がある。しかし習慣的な運動がどのようにGCの概日リズムに影響を及ぼしたのか、その詳細については未だ不明である。本研究では、この点に着目し習慣的な運動がHPA軸の中でも特にGCの概日リズムに及ぼす影響について、副腎に着目し研究をおこなった。本研究の第1部では、習慣的な運動によるHPA軸の適応を確認し、その適応過程において副腎がどのような位置づけであるのか、その役割について検討した。また、習慣的な運動においてHPA軸が適応していく過程では、運動に対し細胞レベルでのストレス応答が生じているものと予想できる。先行研究により、HPA軸の活性化に伴い、副腎では細胞のストレス応答系で重要な熱ショックタンパク質(heat shock proteins; HSPs)の1つであるHSP70の発現量が上昇することが報告されている。また、副腎のHSP70はHPA軸の活性化に伴う副腎の応答において何らか機能を担っているのではないかと推測されている。そこで第2部では、副腎のHSP70に着目し、運動が副腎のHSP70の発現に及ぼす影響について検討し、HPA軸の適応における副腎のHSP70の役割について考察した。

<第1部: HPA軸の運動適応における副腎の役割>

第1部では、マウスの回転ケージによる習慣的な運動をもちいて、習慣的な運動によるHPA軸の適応とそのメカニズムを検討し、HPA軸の適応過程における副腎の役割について検討した。2週間の回転ケージ運動群では、コントロール群に対し、マウスのGCである血中コルチコステロン(corticosterone; CORT)の濃度が活動期直前に有意に増加することが確認された。血中CORTの概日リズムにおいて活動期直前のCORTの値は概日リズムのピーク値を示すことが知られている。運動群では活動期直前の血中CORT量が有意に増加したことから、回転ケージによる習慣的な運動により血中CORTの概日リズムのピーク値が上昇することが示唆された。また、運動群ではコントロール群に対し、下垂体から分泌され副腎のGC合成を促す血中副腎皮質刺激ホルモン(adrenocorticotropic hormone; ACTH)の濃度に有意な差は認められなかった。この結果より、活動期直前の運動群では、同量のACTHに対してより多くのCORTを分泌していたことが考えられ、ACTHに対する活動期直前の副腎のCORT合成量に何らかの影響を与えたことが予想された。実際に、運動群ではコントロール群に比し、副腎のGC合成系の律速因子であるStAR(steroidogenic acute regulatory protein; StAR)の発現量が活動期直前に有意に上昇することが確認された。StARはCORT合成系における律速因子であることから、運動群における活動期直前のStARの発現量の上昇は、この時間帯のCORT合成の増加に関与しているものと考えられた。さらに、運動群ではコントロール群に比し副腎の活動期直前のTH(tyrosine hydrozylase; TH)の発現量が有意に上昇することが確認された。THはアドレナリンの合成系における律速酵素であることから、運動群では活動期直前の交感神経ー副腎髄質がより活性化していたことが予想された。CORTの合成量は交感神経ー副腎髄質からの調節を受けることが知られている。運動群における活動期直前の交感神経ー副腎髄質の活性化は、この時間帯のCORTの合成量に影響を与えていたことが予想された。これらの結果より、習慣的な運動により活動期直前のCORTの量がACTHの量に非依存的に上昇するといったHPA軸の適応が生じることが確認され、この適応には副腎の機能変化が重要な役割を担っていることが示唆された。

<第2部: HPA軸の運動適応における副腎のHSP70の役割>

第2部では、運動による副腎機能の変化に対し副腎の細胞レベルでのストレス応答系がどのように影響を及ぼすのか検討するため、運動に対する副腎のHSP70の発現変化と機能について検討し、習慣的な運動によるHPA軸の適応における副腎のHSP70の役割について考察した。まず、マウスをもちいた15m/minで30分間のトレッドミル走による一過性の運動により副腎皮質でHSP70の発現が上昇することが確認され、そのHSP70の発現誘導には転写因子であるHSF1が関与することが明らかとなった。また、副腎抽出物を用いたin vitroの実験によりHSP70とGC合成系の律速因子であるStARが複合体を形成することが確認された。このことから、副腎のHSP70はStARに対する分子シャペロンとして機能する可能性が示唆された。習慣的な運動に対し副腎の機能が適応していく過程では、副腎のHSP70がGC合成系の機能変化にStARを介して関与していた可能性が考えられる。そこで次にマウスの2週間の回転ケージによる習慣的な運動をもちいて副腎のHSP70の発現量変化を検討した。習慣的な運動により、副腎のStARの発現量が上昇する活動期直前に副腎のHSP70の発現量も増加することが明らかとなった。これらの結果から、習慣的な運動による副腎の機能変化には、副腎のHSP70がStARを介して関与していた可能性が示唆された。

本研究により、習慣的な運動によりHPA軸の中でも血中GCのピーク値が上昇し、GCの概日リズムが明確になることが示唆された。このHPA軸の適応には副腎の機能変化が重要な役割を担っており、その副腎の適応には副腎のHSP70の関与が示唆された。運動は摂食量やさまざまなエネルギー代謝系に変化をもたらすものと予想できる。本研究により血糖値の調節に関与するHPA軸も一過性の運動や習慣的な運動により影響されることが明らかとなった。習慣的な運動により、エネルギー代謝系が相互に作用し合い適応が生じる過程で、その適応の1つとして副腎の機能変化にともなうHPA軸の適応が生じたのではないかと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

地球上の生物は太陽との関係からうまれる、特に自然環境における24時間周期の明暗サイクルに極めて良く適応して生きている。活動ー睡眠のリズムや血圧や体温のリズムなどは全て生体の約24時間周期のリズム '概日リズムapos;を示す生理現象としてとらえられる。概日リズムの代表的な指標の一つに、副腎から分泌されるステロイドホルモンの一つであるグルココルチコイド(glucocorticoid; GC)の日内変動があげられる。日内変動に伴う血中GCのリズムは活動期直前にピーク値を示し、その後徐々に低下し不活動期は最も低くなる。GCは個体のストレス応答系としてよく知られる視床下部ー下垂体ー副腎皮質(hypothalamus - pituitary gland - adrenal cortex; HPA)軸が活性化することで分泌される。HPA軸の概日リズムを制御する上流部位は、体内の時計として知られる視交差上核(suprachiasmatic nucleus;SCN)である。SCNからの制御により、HPA軸の安静時レベルの活性が24時間周期に制御され、 の結果、CRHやACTHそして最終産物である血中GCの濃度に概日リズムが生じる。時間生物学の進歩により、近年、生活習慣病や概日リズム性睡眠障害、慢性疲労症候群や鬱病など、現代社会と関連の深いさまざまな疾患に対し生体リズムの異常が問題視されるようになった。実際、加齢や鬱病、慢性疲労症候群においてGCの概日リズムの異常が確認されており、加齢にともなう代謝異常や精神科疾患の病態との関係が注目されている。このことからも、GCの概日リズムが生体内でどのように制御されているのか、どのような因子がGCの概日リズムに影響を及ぼすのか、そのメカニズムを解明していくことは極めて重要であるといえる。

概日リズムの1つに活動のリズムがあげられるが、ヒトのみが自分の努力で日中の活動量を増加させ、一日の活動のリズムを変えることができるので、日中の活動量を習慣的に増加させることで生体の概日リズムをよく調節することができる可能性がある。実際、先行研究においてマウスの活動期の習慣的な運動はHPA軸の特にGCのピーク値を上昇させ、GCの概日リズムを明確にすると報告されている。しかし習慣的な運動がどのようにGCの概日リズムに影響を及ぼしたのか、その分子機構については未だ不明である。藤田真由美さんはこの点に着目し習慣的な運動がHPA軸、中でもGCの概日リズムに及ぼす影響について、GC産生を担っている副腎に着目し研究をおこなった。まず第1部では、マウスの回転ケージによる習慣的な運動について研究し、運動群の血中GCの概日リズムのピーク値がACTHの量に非依存的に上昇することを確認した。このHPA軸の適応には、副腎皮質におけるGCの合成系の律速因子であるStAR(steroidogenic acute regulatory protein)の発現量の増加が、またこれには副腎髄質のカテコールアミン合成の増加がともなうことを明らかにした。また、習慣的な運動においてHPA軸というからだの中の異なる場所にある組織の連関関係が変化してゆくという適応過程では、運動により変化した内部環境に対し、細胞レベルでのストレス応答が生じているものと予想できる。細胞レベルでの応答・適応が、組織レベル、個体レベルの応答系すなわちHPA軸の適応へとつながっていくと考えられる。細胞レベルでの応答がどのように個体レベルのHPA軸と連関し合い、結果的に個体レベルのHPA軸に影響をおよぼすのかについては未だ明らかではない。そこで第2部では、細胞のストレス応答を担う熱ショックタンパク質(heat shock proteins; HSPs)の1つであるHSP70に注目し、HPA軸の運動適応に対する副腎のHSP70の発現変化を検討した。ここでは、一過性の運動により副腎皮質でストレスタンパク質のひとつであるHSP70の発現が上昇することが確認され、HSP70の発現誘導には転写因子である熱ショック因子1(HSF1)が関与することをゲルシフトアッセイ法にて明らかにした。また、StAR(steroidogenic acute regulatory protein)は不安定なタンパク質であるが、37kDaとして合成される。HSP70とStARの関係を免疫沈降法により検討したところ、副腎のHSP70は37KDaのStARと結合することが確認された。この運動で影響される副腎のHSP70は、少なくとも新生StARタンパク質のシャペロンとして機能している可能性が示唆された。

これらの結果から習慣的な運動によるHPA軸の適応には副腎の機能変化が重要な役割を担っており、その副腎の適応には副腎のHSP70の関与が、即ち古くから指摘されている個体のストレス応答機構と細胞のストレス応答機構は連動している一例を示したといえる。副腎は皮質・髄質間で相互に作用し合い、互いの機能に影響を与え合う事は報告されているものの、従来ストレス応答系においては単なるGCやアドレナリンの分泌器官であるとの認識が強く、HPA軸の適応における副腎の役割については未知な部分が多かった。HPA軸の適応は、理論的には海馬、視床下部、下垂体、副腎のいずれのレベルにおいても調節が可能である。しかしながら、より上位のレベルで機能変化を起こすことはHPA軸全体の活性を必要以上に大きく変化させることになる。即ち視床下部や下垂体のレベルから変化させることはHPA軸の最終産物であるGCの量に多大な影響を与えてしまいかねない。HPA軸を適応させる際、より下位の副腎レベルでの調節にゆだねる方が、GC濃度の微妙な調節制御が可能である。本研究で確認されたような運動時の副腎レベルでの調節は、生体のHPA軸の微妙な適応において非常に理にかなった重要な意義があるものと考えられる。

本研究により、日中の活動量を上昇させるといった習慣的な運動により副腎の機能が変化することが明らかとなり、また、それに伴いHPA軸のGCの概日リズムのピーク値が上昇することが確認された。習慣的な運動によるGCのピーク値の上昇により、GCの概日リズムはより明確になったのではないかと示唆される。現代社会には明暗サイクルへの適応を乱す因子が多数存在し、生体の概日リズムに異常をきたす原因になるのではないかと懸念されている。実際にHPA軸の最終産物であるGCの概日リズムの異常は、慢性疲労症候群や鬱病患者、不登校児や高齢者で報告されている。本研究で明らかとなった習慣的な運動によるGCの概日リズムの変化が、GCの概日リズムの平坦化が原因とされる疾患においてどのような効果を示すかについて今後の研究が期待される。

以上のように、本博士論文は習慣的な運動がHPA軸の概日リズムに及ぼす影響について明らかにし、そのHPA軸の適応における副腎のもつ新たな意義を明らかにした。この結果は、現代社会で問題視されている概日リズム異常の原因や、概日リズムの異常が原因とされる疾患に対する療法を考える上で非常に重要な研究であったと考えられる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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