学位論文要旨



No 122862
著者(漢字) 藤田,恵理
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,エリ
標題(和) 細胞骨格ダイナミクス維持基盤としてのαB-crystallinのシャペロン機能の解析
標題(洋) Analysis of chaperone function of αB-crystallin as sustainable basis of cytoskeleton dynamics
報告番号 122862
報告番号 甲22862
学位授与日 2007.04.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第752号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 渡辺,雄一郎
 東京大学 准教授 八田,秀雄
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

脊椎動物では歩行、走運動、水泳、飛行などの運動は全て骨を足場とした骨格筋の速い収縮に依存し、心臓のポンプ機能をうみだす自律的な拍動は心筋細胞の協調した収縮に依存する。どちらの横紋筋の収縮もactinとmyosinタンパク質がつくる両フィラメントの高度に組織化された滑り運動によって起こる。骨格筋の収縮が繰り返し可能になるには、収縮による骨格筋細胞の形態変化を可能にし、かつ戻すことができる柔軟な構造と、収縮を張力へ変換するための収縮に抗する構造的な基盤が必要である。このように、細胞形態を形作る細胞骨格は、特異的なモータータンパク質と協働することにより細胞運動や収縮による張力発揮をおこなうことができる。細胞骨格は伸縮を生み出し、かつ伸縮に抗する繊維構造体である。そのような相反する機能は、細胞骨格自体が動的な特性を持ち、その構成単位が速い速度でダイナミックに入れ替わると同時に繊維構造を維持構築しているというきわめて特異的な性質をもつからである。

微小管は、有糸分裂、細胞運動、細胞内輸送、神経機能などの細胞機能に関わるが、骨格筋では筋芽細胞から筋線維への融合時の極性維持に必須であることやactinフィラメントとの相互作用により細胞骨格のダイナミクスを維持していることが明らかにされている。tubulin/微小管は自己の制御をタンパク質の重合・脱重合の状態で行い、細胞の動的な状態を維持していると考えられる。このように細胞は、繊維でありながらも不安定で動的な細胞骨格の性質を利用して、細胞の形態変化や、運動を可能にする。骨格筋細胞が伸張・収縮による長さの変化に対応できるのは、内部に高度に組織化されている細胞骨格がこの不安定性をもつからであると考えられる。そして、常に拍動する心筋細胞や持続的に収縮する骨格筋(とりわけ遅筋)ではこうした細胞骨格の動的特性(ダイナミクス)の維持が収縮機能に必須であると思われる。

αB-crystallinは筋線維タイプ依存的に発現が高く、代謝活性の高い組織で発現が高い。ストレスタンパク質は筋収縮の時間の延長に伴う代謝の亢進、温度の上昇やエネルギーの枯渇等で増大する変性(中間体)のタンパク質の蓄積を防ぎ、タンパク質の構造を正常化するか、もしくは分解系へ移行させるタンパク質ケアシステムの分子基盤をなすと考えられる。HSPは運動中の筋の適応や機械的刺激による細胞内環境の維持に重要であることを示している。αB-crystallinの発現量の高い心筋、遅筋では常に張力が発生し、微小管にとってもストレス負荷がかかっていると考えられる。特に細胞内で動的に重合、脱重合を繰り返している微小管・tubulinはその構造から引っ張り張力に対して弱いとされている。骨格筋に高発現するαB-crystallinは、筋収縮活動時に動的に筋細胞構造を維持している細胞骨格のケアシステムを担っている可能性がある。

本研究の目的

このような背景の下に、本研究ではαB-crystallinが細胞骨格ダイナミクスを維持するメカニズムの解明を目指して、主に2つのアプローチを用いて研究した。第2章で細胞骨格系タンパク質tubulinに対するαB-crystallinのシャペロン活性メカニズムを明らかにすることを目的とした。つぎに第3章で持続的収縮刺激に対する応答機構としてのαB-crystallinの心筋でのダイナミクスを可視化することを目的とした。

第2章 αB-crystallin欠失変異体を用いたtubulinへのシャペロン活性部位の検討

まず、αB-crystallinの細胞骨格tubulinに対するシャペロン活性部位と作用様式を明らかにした。αB-crystallinの欠失変異体を用いた実験の結果から、tubulinに対するシャペロン活性にはαB-crystallinのC末端側が関与することが明らかになった。一方、ADH、CS等のモデル基質に対するシャペロン活性にはαB-crystallinのN末端が関与していた。さらに、αB-crystallinのtubulinに対するシャペロン活性メカニズムは、NaCl添加により静電的な相互作用をうち消した時、tubulinはNaClの濃度依存的にαB-crystallinのC末端領域から解離した。

これらの結果から得られた考察を以下に述べる。tubulinに対する作用部位であった領域はsHSPに保存されているαB-crystallin領域を含んでおり、この点から、この結合がsHSPに普遍的なものであることが示唆される。この領域にはαB-crystallinの3つのリン酸化領域はいずれも含まない。actinの脱重合に対するαB-crystallinの作用はリン酸化依存性であるといわれているが、シャペロン活性にはリン酸化は必ずしも必要ではない。tubulinの凝集抑制にもリン酸化による制御の可能性は低いと考えられる。tubulinへのシャペロン活性にはsHSP間で保存性の高いαB-crystallinドメインが重要であり、その結合には静電気的な結合が関与すること、またαB-crystallinのシャペロン活性部位は基質により異なる複数の部位があることを本研究において示した。

αB-crystallinはtubulinの熱誘導性の凝集を抑制すること、とくにnativeなtubulinではなく変性中間体に結合し、MAPs (microtubule associated proteins)を介して微小管に結合しているといると当研究室で報告している。変性tubulinはnativeなtubulinの重合を阻害するといわれているので、αB-crystallinの役割はnativeなtubulinの量を維持することにより微小管を保護する可能性がある。すなわちαB-crystallinはnon-nativeなtubulinに結合して微小管の脱重合を抑制し、変性tubulin二量体の構造異常を避けることにより異常な微小管形成を抑制するのだろう。細胞骨格の役割は、タンパク質のホメオスタシスを通じて達成される構造のホメオスタシスを保持することである。sHSPは心筋や骨格筋(遅筋)に構成的に発現しているが、その理由は明らかにされていなかった。レンズのαB-crystallinとは異なり、sHSPのαB-crystallinドメインは心筋や骨格筋で細胞骨格のダイナミクスを維持しているのだろう。actin/actinフィラメントのトレッドミリングとtubulin/微小管細胞骨格の性質にはαB-crystallinドメインをもったsHSPが必要であることが本研究から示唆された。sHSPはタンパク質の構造の初期変化を認識するといわれている。重合の際のタンパク質の構造変化を変性とは呼ばないまでも、そのコンフォメーションは少なからず変化する。細胞骨格のダイナミクスはsHSPにより保持されていると考えられる。

第3章 心筋細胞でのαB-crystallinのダイナミクス

つぎに、αB-crystallinの心筋細胞収縮時の挙動を時間的・空間的に明らかにした。GFP-αB-crystallinは生心筋細胞内で横紋構造を示し、αB-crystallinは収縮という機械的刺激の過程でZ帯に存在していた。生細胞内でのαB-crystallinを可視化し、FRAP分析・FLIP分析により、収縮中の心筋細胞の横紋構造にαB-crystallinが非常に速い速度で相互作用することを示した。一方、熱ストレス時には、αB-crystallinの細胞内でのダイナミクスは劇的に低下する。

これらの結果から、αB-crystallinは細胞骨格系タンパク質と動的に相互作用し、恒常的に機械的刺激を受けている生心筋細胞内でZ帯に存在するタンパク質とダイナミックに相互作用していることが示唆された。骨格筋の収縮過程には細胞骨格系タンパク質の再構築が必須である。αB-crystallinの発現が高い心筋、骨格筋などにおいては、収縮機能を発揮する上で重要なその動的構造を維持するために、3種類の細胞骨格のいずれとも相互作用するαB-crystallinのシャペロン機能が必要とされると考えられる。

第4章 論議

2つのアプローチから得られた知見を総括する。本研究で適度に細胞(構造を)安定化しながら動的性質を保持し続けることは、細胞外からのストレスシグナルに応答することで可能になる。細胞のストレス応答系(ストレスタンパク質発現)はストレス応答時に機能するだけではなく、非ストレス時においても細胞の生存を維持するのに必須である。細胞の形態や運動を構成する細胞骨格系タンパク質は細胞内で固定された物ではなく動的な骨格構造をもつとともに運動する性質を持つが、ストレスタンパク質αB-crystallinはその細胞骨格の動的特性を安定化しているのだろう。そしてこの機能を維持することがストレスタンパク質αB-crystallinの機能と言えるのではないだろうか。すなわち、張力発揮システムの維持には細胞骨格ダイナミクスが必須であり、分子シャペロンαB-crystallin はそのシステムの維持に必要であること、収縮活動依存的に発現が亢進するストレスタンパク質の発現を誘導する環境刺激が重要であることが示唆される。その環境刺激こそが身体運動にほかならない。身体運動は細胞の環境に働きかけ、細胞の応答性を高める刺激である。このような機構により身体運動は細胞内の新陳代謝の回転率を上昇させるという人間の健康にとって重要な意義を持つ。本研究で、分子シャペロンαB-crystallinの細胞骨格ダイナミクス維持基盤としてのシャペロン活性の研究から、この活性が健康維持・運動刺激へ応答し細胞骨格のリモデリングに必須であるという新たな機能の一端が解明されたと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

人間の一生120年間は生命の歴史に比べると大変短いものであるが、一個の個体のライフスパンとしてはかなり長いものである。分単位や時間単位、日単位で増殖する個体のライフスパンをもつモデル生物で問題になる適応や進化の機構はさておき、ひとりの人間の一生が、死の間際まで元気に人間らしく生きることができるとすれば、増えすぎた人類のおそらく唯一残された共存共生戦略である「少子高齢化社会」の道も必ずしも悲惨なものではなく、むしろ人間だからこそ可能な肯定できる社会とすることができるだろう。分子シャペロンは、生物/生命(細胞)の機能を担うタンパク質の現場対応(環境からのストレスへの対応)の適応維持機構の根幹を構成する。すなわちタンパク質の一生を補助するタンパク質であり、ストレス時のみならず細胞システムそのもののタンパク質の合成・分解システムがうまく循環するための構成要素でもある。本博士論文は、このような細胞の生存にとって必須であるタンパク質のホメオスタシス維持を担う分子シャペロンの役割が、とくに細胞の構造的基盤を担うタンパク質フィラメント・細胞骨格の機能原理であるタンパク質ダイナミクス維持それ自体に必須であることをはじめて明らかにした論文である。これまであまり機能が明らかでなかった低分子量ストレスタンパク質の一つ・αB-crystallinのタンパク質ホメオスタシス機能の特異性の中核的概念を提起したことで画期的なものになった。通常分子シャペロンの研究は、in vitroでのモデル基質を用いた生化学的研究が多いが、藤田恵理さんは、αB-crystallinが高く発現している遅筋細胞や心筋細胞での構成的な役割に焦点をあて、できる限りin vivoでの機能を生化学的・細胞生物学的に研究し、見事に両側面を連関させて説得性のある論文としてまとめた。細胞の形態構築・張力伝達に必須な細胞骨格システムは、そのダイナミックな原理は生命力学システムである。しかし、そのダイナミクスに焦点をあてて研究している人は少ない。細胞骨格のダイナミクスは、フリーのフィラメント構成タンパク質と重合してフィラメント構造をとったフォームの間で平衡関係を維持している。タンパク質は一般に複合体をつくっている場合の方が安定であるが、細胞骨格タンパク質も同様にフィラメント構造は、リン酸化やCa2+などにより重合・脱重合が調節されているが、ダイナミクス機構が働く機構が保持されることが前提である。それには遊離の変性していないタンパク質が常に供給されることが必要不可欠である。

分子シャペロンはタンパク質の合成から分解、活性制御等、タンパク質の一生に深く関わっている。タンパク質の変性や構造異常は、アルツハイマー病などの神経変性疾患を引き起こすため、タンパク質の構造・機能を保持する分子シャペロンは近年注目が高まっている。一方、細胞骨格タンパク質は細胞構造の基盤や細胞内物質輸送や細胞運動など、細胞機能に必要不可欠な構造体である。細胞の形態や運動を構成する細胞骨格タンパク質は細胞内で固定された物ではなく動的な骨格構造をもつとともに運動する性質を持つ。これらの細胞生物学的な研究は必ずしも人間の生活に結びついたものになっていなかった。分子シャペロンの中でも低分子量ストレスタンパク質ファミリーは、心筋細胞や骨格筋細胞に構成的に発現しており、これらの横紋筋組織は、生きているからだの活動基盤を構成する組織であるが、なぜ活動性の高い筋組織で綱発現しているのかについては明らかになっていなかった。

本研究において、低分子量ストレスタンパク質αB-crystallinはその細胞骨格の動的特性を安定化していることが示唆された。細胞のストレス応答系(ストレスタンパク質発現)はストレス応答時に機能するだけではなく、非ストレス時においても細胞の生存を維持するのに必須である。そしてこの機能を維持することがストレスタンパク質αB-crystallinの機能と考えられる。すなわち、張力発揮システムの維持には細胞骨格ダイナミクスが必須であり、分子シャペロンαB-crystallin はそのシステムの維持に必要であること、収縮活動依存的に発現が亢進するストレスタンパク質の発現を誘導する環境刺激が重要であることが示唆される。その環境刺激こそが身体運動にほかならない。身体運動は細胞の環境に働きかけ、細胞の応答性を高める刺激である。このような機構により身体運動は細胞内の新陳代謝の回転率を上昇させるという人間の健康にとって重要な意義を持つ。このように、生化学的な実験から運動科学・健康科学への示唆を与える研究は非常に少なく、この点において大きな意義がある。

本博士論文の科学的意義は以下の二点である。(1)αB-crystallinの細胞骨格tubulinに対するシャペロン活性には、低分子量ストレスタンパク質ファミリーの間で高度に保存されている配列 "αB-crystallinドメイン"が関与することを、欠失αB-クリスタリンを遺伝子工学的に作成し、in vitroのシャペロン実験及び細胞における発現特性からはじめて明らかにした。(2)GFPを用いた生細胞可視化システムにより持続的に収縮する心筋細胞内でGFP-αB-crystallinはダイナミックに細胞骨格に相互作用することを明らかにした。順に注目すべき点をあげる。(1)低分子量ストレスタンパク質は心筋や骨格筋(遅筋)に構成的に発現しているが、その理由は明らかにされていなかった。心筋や骨格筋は持続的に筋収縮の刺激をうけ、その構造を支えるために張力が伝達される部位には細胞骨格が発達している。細胞骨格の役割は、タンパク質のホメオスタシスを通じて達成される「構造のホメオスタシス」を保持することである。本研究から、actin/actinフィラメントのトレッドミリングとtubulin/微小管細胞骨格の性質には、αB-crystallinドメインをもった低分子量ストレスタンパク質が必要であることが明らかになった。重合の際のタンパク質の構造変化を変性とは呼ばないまでも、そのコンフォメーションは少なからず変化する。タンパク質の構造の初期変化を認識する低分子量ストレスタンパク質は、細胞骨格構造の品質管理を行うことによって心筋や骨格筋での細胞骨格のダイナミクスの維持という機能を担っていると考えられる。(2)に関しては、共焦点レーザー顕微鏡を使ってFRAP/FLIP解析を行い生細胞内でのαB-crystallinを可視化した結果、収縮中の心筋細胞の横紋構造にαB-crystallinが非常に速い速度で相互作用することを示した。αB-crystallinは、恒常的に機械的刺激を受けている心筋細胞内でZ帯に存在するタンパク質とダイナミックに相互作用していると考えられる。骨格筋の収縮過程には細胞骨格系タンパク質の再構築が必須である。したがって、3種類の細胞骨格のいずれとも相互作用するαB-crystallinのシャペロン機能、すなわち、タンパク質のケアシステムが必要であり、心筋、骨格筋などにおいては、収縮機能を発揮する上で重要なその動的構造を維持するためにαB-crystallinが発現していることを示す重要なデータである。

以上のように本研究は、分子シャペロンαB-crystallinの細胞骨格ダイナミクス維持基盤として機能するシャペロン活性の研究から、この活性が健康維持・運動刺激への細胞のダイナミクス応答基盤としての細胞骨格のリモデリングを支えるという新たな機能の一端が解明した。このことは今後さらに重要性を増していくと考えられる身体運動科学のよって立つ基盤を提示したことになる。身体運動科学の分野における評価基準への貢献は二点ある。1)体力評価基準を最大からの相対評価軸から行ってきた研究を、ホメオスタシスを維持する至適生理条件を基点にして再構成する、2)細胞と個体/臓器の「構造/張力」基盤共ダイナミクス仮説からダイナミクス自体を解析する研究評価モデルの有効性である。身体運動科学は、生命科学原理から適切に評価軸をつくることのできることを示したこの生命環境科学系・身体運動科学の新しい研究/教育研究モデルともいえる。これらの評価から本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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