学位論文要旨



No 122863
著者(漢字) 西村,智
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,サトシ
標題(和) 心筋細胞において微小管はずり応力に対する剛性を規定する
標題(洋) Microtubules modulate the stiffness of cardiomyocytes against shear stress
報告番号 122863
報告番号 甲22863
学位授与日 2007.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2957号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 講師 竹中,克
内容要旨 要旨を表示する

【研究目的】

心血管疾患はメタボリックシンドロームの近年の拡がりも伴って重要な問題となっている。これまでに私は正常な心臓の収縮の機械的なメカニズム及び心不全・心肥大等の心疾患の病態を明らかにするために、単離心筋細胞を用いた生理学的計測(収縮力・長さ変化・細胞内カルシウム濃度)を行ってきた。単離心筋細胞は、細胞外の外的な不確定因子を除外できるという点、細胞そのもの及び細胞内の微小骨格構造が比較的単純で観察しやすいという点から、収縮メカニズムを検討するには適している材料である。一方、細胞外基質の無い単一心筋細胞は外的刺激に対して感受性が高いため、細胞に伸展などの機械的刺激を加えることはこれまで非常に困難であった。私は、カーボンファイバーを用いた細胞の微小操作及び測定技術を応用・改善し、単離心筋細胞において長さ・発生張力関係を様々な力学的条件下で再現性よく計測するシステムを開発し、細胞に様々な機械的刺激を加えることを可能にした。

このように構築したシステムによって拡張型心筋症モデル動物由来の不全心筋細胞を検討したところ、高負荷時において収縮性の低下が著明であることを見出した。さらに、Mechano Electro Feedbackの実体と考えられる、伸展刺激応答性チャンネルの挙動を明らかにするために、カーボンファイバーと膜電位感受性色素による非接触電位測定を組み合わせて、様々な伸展刺激が膜電位におよぼす影響について明らかにした。

これらの研究過程で、正常な心筋収縮過程だけでなく病態形成にも心筋細胞内の微小細胞骨格が非常に重要であることを見出した。哺乳動物細胞ではアクチンフィラメントと微小管が主要な細胞骨格である。微小管は細胞内輸送、細胞分裂、遊走、といった様々な機能及び細胞の形態維持に関わっている。しかし、分化した心筋細胞においては、微小管の役割は不明であった。心筋細胞では他の細胞に比べて微小管の構成比率が少ないことが知られているが、心不全や心肥大においてその比率が増加することが示され、これら異常な心負荷下での応答に微小管が関与することが示唆されている。従来、微小管の心筋での力学的関与については乳頭筋レベル(組織)での検討がされていたが、いずれも長軸方向の伸展下での固さを検討するにとどまりその結果は一定せず、細胞レベルでの検討についてはほとんどなかった。今回、私は長軸方向の伸展試験のみならず、細胞側方からの押し込み試験、長軸・短軸方向のずり応力に対する剛性、といった複数の力学的測定を可能とするデバイスを新たに開発し、微小管の重合阻害剤・促進剤の効果を検討し、さらに正常動物・心筋症モデル動物より得た心筋細胞で測定を行い、心筋細胞での微小管の力学的な役割を明らかにした。

【研究方法】

動物は7週齢のウィスターラット、10週齢のBio-TO2心筋症ハムスター及びコントロールハムスターを用いた。コラゲナーゼ酵素灌流により単一心筋細胞を単離し、細胞外カルシウムは1.1mMにて測定を行った。生理学的計測は倒立顕微鏡で接眼レンズ40倍の観察下に行い、ビデオテープで録画を行った。デバイスはマニュピレータに接続され、さらにコンピュータに接続した圧電素子によりその位置をプログラムで任意にコントロールを行った。伸展刺激は矩形波・正弦波を用いた。デバイスの位置はフォトダイオードアレーにてサンプリングレート1000ヘルツで計測・記録し、筋節長はCCDカメラによりとらえたサルコメアパターンをリアルタイムで逆フーリエ変換して計測した。統計処理は、ANOVA検定を行い、危険率5%で有意であったものに関しては、さらにStudent t検定を行った。

【結果】

心筋細胞を固定し免疫組織化学によりβ-tubulin(微小管)とローダミンによるアクチン染色を行い共焦点顕微鏡にて観察したところ、心筋細胞において筋原線維の周りを取り囲むように、かつ長軸方向に優位に微小管が走行していた。微小管は、コルヒチン(微小管重合阻害剤)により減少、パクリタキセル(促進剤)により増加した。

まず、二つのカーボンファイバー(直径7ミクロン及び20ミクロン)を用いて細胞の長軸方向に伸展試験を行った。コルヒチン・パクリタキセル投与により伸展時の固さは、筋節長にて5%伸展・10%伸展時のいずれでも変化しなかった。次に、直径5ミクロンのマイクロビーズを先端につけたカーボンファイバーをカンチレバーとして用いる測定デバイスを開発し、側方からの押し込み試験を行った。微小管の増加に伴って細胞が固くなる傾向が認められたが、統計学的有意差には至らなかった。さらに、ずり応力下での剛性を検討するために、カーボンファイバーの先端に微小なガラス片(厚さ5ミクロン)を接着し、細胞膜表面をガラスのディッシュとともに挟み込み、ずり応力を加えるデバイスを作成した。ずり応力に対する剛性は細胞の長軸方向では短軸方向の約2倍の固さであり、長軸方向には微小管の増加に伴って細胞の剛性が有意に増加したが、短軸方向では不変であった。すなわち、微小管の増加が長軸方向のずり応力下での剛性に寄与することが示された。さらにアクチン・ミオシンクロスブリッジの関与を検討するために、細胞外カルシウム濃度をフリーにしてBDM・EGTA投与下で同様の実験を行った。長軸方向の伸展弾性はBDM投与により減少したものの、側方からの押し込み試験、長軸・短軸のずり剛性は不変であった。つまり、ずり剛性にクロスブリッジは寄与しないと考えられた。

伸展試験での固さにおいて、微小管は粘性項に寄与するという報告が散見されるため、周波数1から10ヘルツの正弦波で同様の試験を行った。弾性・粘性成分をフーリエ変換により分離して検討したところ、長軸方向の伸展試験においては、微小管の増加に伴い周波数の高い(10ヘルツに近い)領域で粘性成分は増加傾向となったが、弾性成分は不変であった。同様に、長軸方向のずり応力に対する剛性の検討では、微小管の増加に伴い周波数の高い領域で粘性成分は増加傾向となった。弾性項は周波数に依存しなかったが、微小管の増加に伴って剛性は一定して高い値を示した。以上より、微小管の粘性項への寄与が大きいことが明らかとなった。

病態におけるこれらの生理学的意味を明らかにするために、心筋症ハムスター及びコントロールハムスターでこれらの試験を行った。共焦点顕微鏡での検討では、心筋症ハムスター由来の心筋細胞で有意に微小管が増加していた。長軸の伸展試験での弾性は両群に差を認めなかったが、長軸方向のずり応力に対する剛性は、心筋症ハムスター由来心筋細胞で増加しており、コルヒチン投与により正常化した。短軸方向の剛性は不変であった。

【考察】

心筋細胞に対して、長軸方向の伸展試験での弾性、側方からの押し込み試験、に加えて、長軸・短軸方向のずり応力に対する剛性を測定した。薬剤により微小管を増減させたところ、長軸方向のずり剛性のみが有意に変化した。また、心筋症モデル動物では微小管および長軸方向のずり剛性が有意に増加し、これらの異常はコルヒチン投与により正常化した。心肥大・心不全・虚血への微小管の関与を明らかにするために、従来様々な検討が行われてきたが、伸展時の弾性には明らかな差は認められておらず、今回の私の検討の結果も同様であった。一方、微小管の増加に伴い粘性項は増加することが知られているが、従来の報告と同様の増加が私の検討でも認められた。

ずり剛性に微小管が関与することを示唆する結果も文献的には散見される。Tagawaらは磁気ビーズを用いて心筋細胞の局所での固さを検討し、長軸方向が短軸方向よりも2倍固いという異方性を報告している。これは、私の得たずり応力に対する細胞全体の剛性での変化とよくあうものである。ただし、測定方法・解析方法・細胞に与えられる負荷、ともに異なる手法であり、直接的な比較は困難だろう。

アクチン・ミオシンクロスブリッジの状態はずり応力に対する剛性には影響を与えなかった。これは一見驚くべき結果である。しかし、Palmerらは心筋細胞において筋原線維の相互の結びつきは緩く、互いに容易にスライドすることを示している。このことから、私は、ずり応力に対する剛性は筋原線維そのものではなく、筋原線維同士を結びつける細胞骨格により規定されると考えた。

では、どのようにして微小管は、伸展試験下での固さに影響を与えずに、ずり応力に対する剛性のみを変えるのであろうか?Gittesらの曲げ剛性の検討では微小管はアクチンフィラメントよりもはるかに固いことが示されている。このことからも、心筋細胞では微小管は連続して細胞全体の伸展に対する固さを規定するのではなく、不連続に分布していると考えられる。微小管は筋鞘を介して他の細胞骨格(筋原線維やアクチンフィラメント)と相互に結合しているために、細胞全体としてはこのような挙動を示すのではないだろうか。すなわち、伸展はやわらかいアクチンフィラメントを伸ばし、一方、ずり応力下では微小管が圧縮に対する抵抗成分となっているのではないだろうか。同様の仮説は、細胞のテンセグリティモデルで提唱されている。

この仮説を検証するために有限要素法によるコンピュータシュミレーションを行った。心筋細胞を、筋原線維・中間径フィラメント・微小管から構成し、実験的に求められているそれぞれの物性を適応した。仮説モデルは、1)アクチンフィラメントは伸展に抵抗する、2)微小管は長軸方向に多く分布する、3)アクチンフィラメントと微小管は相互に繋がり筋鞘を形成する、4) 筋原線維は中間径フィラメントによりZ線上で束ねられる、というものである。アクチンフィラメントには1%の前負荷を与えた。このモデルで、細胞を5%長軸方向に伸展したところ、微小管の配列は変化するものの微小管に加わる応力はほとんど変わらなかった。一方、10%のずり応力を加えたところ、微小管には強い圧縮応力が加わった。細胞での実験結果を追試するために、コルヒチン投与下と同様に微小管の数を70%減らしたところ、伸展試験下での弾性・短軸方向のずり剛性は不変であったが、長軸方向のずり剛性のみが減少した。実験より得られた結果がコンピュータシュミレーションで再現され、微小管がずり応力に対する剛性を規定するという仮説が支持された。

今まで、心臓でのずり応力に対してあまり注目されることはなかった。しかし、最近の研究で、実際の生体内での心拍動下で心室は強いずり応力と変形を受けている事、ずり応力に対して異方性を示す事が明らかになってきた。これらの異方性は心機能、特に拡張能に対する影響が大きいとされている。私の今回の検討は、単一心筋細胞の力学的挙動を説明するだけでなく、臓器としての心臓の挙動を明らかにする上でも有用と考えた。さらに、ずり応力は心肥大の重要なシグナルと考えられ、微小管が肥大の形成に重要な役割を担っている可能性が高い。

【まとめ】

1.心筋細胞に対して、長軸方向の伸展試験、細胞側方からの押し込み試験、長軸・短軸方向のずり応力に対する剛性、といった複数の力学的測定を可能とするデバイスを新たに開発した。

2.薬剤により微小管の重合状態を変え、細胞の長軸方向に伸展試験を行ったが、伸展時の固さは変化しなかった。

3.側方からの押し込み試験では微小管の増加に伴って細胞が固くなる傾向が認められたが、統計学的有意差には至らなかった。

4.薬剤により微小管を増減させたところ、長軸方向のずり剛性が有意に変化した。

5.心筋症ハムスター由来の心筋細胞では有意に微小管が増加し、長軸方向のずり応力に対する剛性が増加していた。これらの異常はコルヒチン投与により正常化した。

6.有限要素法によるコンピュータシュミレーションでこれらの結果は再現され、測定及び仮説(テンセグリティモデル)の正当性が支持された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、心筋における細胞骨格(微小管)の機械的な役割を明らかにし病態形成への影響について検討するために、単離心筋細胞において複数の力学的測定デバイスを新たに開発し、微小管の重合阻害剤・促進剤の効果を検討した。さらに正常動物・心筋症モデル動物より得た心筋細胞で測定を行い、下記の結果を得ている。

1.心筋細胞に対して、長軸方向の伸展試験、細胞側方からの押し込み試験、長軸・短軸方向のずり応力に対する剛性、といった複数の力学的測定を可能とするデバイスを新たに開発した。

2.薬剤により微小管の重合状態を変え、細胞の長軸方向に伸展試験を行ったが、伸展時の固さは変化しなかった。

3.側方からの押し込み試験では微小管の増加に伴って細胞が固くなる傾向が認められたが、統計学的有意差には至らなかった。

4.薬剤により微小管を増減させたところ、長軸方向のずり剛性が有意に変化した。

5.心筋症ハムスター由来の心筋細胞では有意に微小管が増加し、長軸方向のずり応力に対する剛性が増加していた。これらの異常はコルヒチン投与により正常化した。

6.有限要素法によるコンピュータシュミレーションでこれらの結果は再現され、測定及び仮説(テンセグリティモデル)の正当性が支持された。

以上、本論文は正常・心不全時の心筋細胞の力学的特性について、微小操作技術を応用して多様な力学的測定を行い、従来不明であった正常収縮・心不全における細胞骨格(微小管)の機械的な関わりを明らかにした。本研究は心不全の病態解明のみならず新規診断・治療法の開発の上でも重要な知見であると考えられ、学位に授与に値するものと考えられる。

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