学位論文要旨



No 122867
著者(漢字) 關水,康伸
著者(英字)
著者(カナ) セキミズ,コウシン
標題(和) 先天性甲状腺機能低下症モデルメダカc119の解析
標題(洋) Analysis of medaka mutant c119 : a model for congenital hypothyroidism
報告番号 122867
報告番号 甲22867
学位授与日 2007.05.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5075号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 准教授 朴,民根
 東京大学 講師 成瀬,清
 京都大学 准教授 田川,正朋
内容要旨 要旨を表示する

1.概要

先天性甲状腺機能低下症は、かつては精神遅延の主要な原因の一つであった.新生児の約3000人から4000人に1人の割合で出生する事が知られている.今日ではホルモン剤などの投与による対処療法が確立されているが、先天性甲状腺機能低下症の分子メカニズムの理解は進んでいない,これまでに幾つかの原因遺伝子が特定され、そのうちの幾つかはノックアウトマウスが作られ、解析されている。しかし先天性甲状腺機能低下症をより深く理解するためには、さらに多くの疾患モデルを確立し、それに対応した遺伝子の解析を網羅的に行う事が必要である.しかし一般的に用いられているマウスなど哺乳類の実験動物では既知の遺伝子の解析手法は確立されているが、網羅的な疾患モデルの確立や未知の遺伝子の探索を行うには技術的障壁が大きい.一方で、近年モデル動物として注目を集めているゼブラフィッシュやメダカなどの小型魚類は、順遺伝学的手法が応用できる上、ゲノム塩基配列の情報も充実してきている.従って、これらのモデル動物を用いれば網羅的なかつ大規模な先天的甲状腺機能低下症の変異体スクリーニングが可能であると考えられる.

本研究の目的は、実際に小規模なテストスクリーニングを行う事により、メダカを用いた先天性甲状腺機能低下症の変異体系統の確立と解析が可能であるかを評価する事である.私はスクリーニングの結果、実際に先天性甲状腺機能低下症の変異体系統c119/kamaitachiを確立する事に成功し生理学的・組織学的な解析を行った,kamaitachi変異体はこれまでに報告のないタイプの先天性甲状腺機能低下症モデルであり、ホモ接合体で容易に系統を維持する事ができた。しかし血中のチロキシン(T4)の濃度は野生型の40%程度に減少していた.また、kamaitachi変異体の甲状腺組織は肥大しており、甲状腺濾胞細胞は活性型の形態を示していた.これらの表現型はサイロトロピン(TSH)による刺激がTSH受容体を通して常に入力されている事を示唆するものであり、典型的な先天性甲状腺機能低下症の表現型である.以上の結果から、メダカを用いた先天性甲状腺機能低下症モデルの確立と解析が可能である事が示された,

さらに私はkamaitachi変異体のヒレの表現型に注目し解析を行った. kamaitachi変異体はヒレの再生が異常である.一般的に魚類のヒレは強力な再生能力を持つ事で知られているが、一方で哺乳類は、魚類や両生類が持つ再生の能力を進化の過程で殆ど失っている.再生の研究は我々人間にとって失われた能力を取り戻す試みでもあり、多くの研究者の注目を集めてきた,これまで再生は両生類を用いて精力的に研究が進められてきたが、近年では遺伝学を応用可能なゼブラフィッシュやメダカなどの小型魚類のヒレの再生が注目を集めている.しかしながら、これまでヒレの再生と甲状腺ホルモンの関わりについて調べた研究は報告がない.本研究ではkamaitachi変異体と薬剤を使った実験により、甲状腺ホルモンがヒレの再生に影響を及ぼす事を明らかにした.

2.kamaitachi変異体の表現型

kamaitachiは当研究室で私が行った先天性甲状腺機能低下症のスクリーニングにおいて、野生群から単離された自然発生の突然変異体である.スクリーニングにおいては甲状腺の形態を可視化するために、T4に対する抗体を使用した.血中の遊離型T4は速やかに拡散するため、この抗体を用いた染色では、甲状腺濾胞の内腔に蓄積されたチログロブリン結合型丁4(Tg-T4)のみが可視化される,kama/taoわ1はこの抗体のシグナルがほぼ欠失する変異体として単離された.kamaitachiはメンデル遺伝を示す劣性突然変異体であり、ホモ接合体で系統維持が可能である.本研究では主にホモ化したkamaitachi系統を用い解析を行った.

始めに甲状腺濾胞の分化状態を調べるために、分子マーカーの発現パターンを胚発生期の各段階で調べた。メダカの甲状腺は胚発生初期に咽頭上皮から甲状腺原基として領域化されるが、kamaitachi変異体においても初期の領域化マーカーであるnkx2.1やhexのmRNAの発現パターンは正常であった.しかし、甲状腺濾胞が形成される胚発生後期以降は、mRNAの発現パターンに異常が見られた。野生型では船xmRNAの発現は孵化胚まで保たれるが、kamaitachi変異体では低下していた。また、野生型では孵化期までpax8 mRNAの発現は殆ど検出されず、tg mRNAの発現は保たれるが、kamaitachi変異体ではpax8 mRNAとtg mRNAがともに上昇するという表現型を示した.これは血中甲状腺ホルモン濃度の低下に応答して、血中TSHの濃度が上昇し、甲状腺濾胞細胞が過剰に活性化した結果であると考えられる.

次に、孵化胚期における甲状腺組織の状態を確認するために、tg mRNAとTgタンパク質の二重染色で甲状腺組織を可視化し、組織像を観察した.野生型ではtg mRNAを発現する甲状腺濾胞細胞によって形成された濾胞の内腔にTgタンパク質の強い染色が確認されたが,kamaitachi変異体ではtg mRNAを発現していた甲状腺濾胞細胞が野生型に比べ厚みを増しており、濾胞内腔へのTgタンパク質の蓄積は著しく低下している事が明らかとなった.

続いてTg-T4の蓄積が起きない原因が視床下部・脳下垂体にあるかどうかを調べるために、変異体に甲状腺ホルモンを投与し、その応答を調べた.ホモ系統の孵化胚に対し、甲状腺ホルモンを飼育水中に30ng9mlで投与した場合、濾胞内腔におけるT4のシグナルが復活した。これは血中のT4濃度の上昇に応答してTSHの濃度が低下し濾胞内腔への開口分泌が優位になった事を示唆する.従って、この変異体においても甲状腺ホルモンの濃度をモニターする機構は機能している事、また甲状腺ホルモンが産生されている事が明らかになった.

さらに、kamaitachi変異体の血中甲状腺ホルモン濃度をラジオイムノアッセイにより測定した(京都大学の田川正朋助教授との共同研究).その結果、T4の濃度は平均1ng/mlであり、野生型の約40%に低下している事が明らかになった.一方で、トリヨードチロシン(T3)の濃度は野生型に比べ有意に上昇しており、kamaitachi変異体においては低レベルの血中T4を補償するためにT3の産生機構が過剰に活性化している事が予想された。

次に孵化胚から成体に目を移し、kamaitachi変異体の甲状腺組織を観察した.野生型では咽頭歯骨下の心外膜上部に限局して甲状腺が観察されたが、変異体においては甲状腺がこの領域にとどまらずに肥大し、血管に隣接する形で甲状腺濾胞が鯉入動脈、キュービエ管、腎臓にまで広がっている事が明らかとなった.またkamaitachi変異体の甲状腺濾胞細胞は、濾胞内腔が極端に小さくなったものから、異常に巨大な濾胞を作るものまで様々な形態異常を示した.濾胞細胞は野生型に比べ一様に細胞の厚みが増しており、異常な活性型の状態を示していた,

kamaitachi変異体は血中甲状腺ホルモン濃度が低下しており、その雌から産まれる受精卵もまた低甲状腺ホルモン状態にあった.そこで受精卵中の甲状腺ホルモン濃度の低下がメダカの初期発生に及ぼす影響を調べるために、初期発生を観察した.kamaitachi変異体では骨形成が異常な個体が野生群に比べ若干増加したが、正常発生率、発生速度は野生型と概ね変わらなかった.また正常に孵化した胚について、孵化後6週間後に生存率、体長、体重を測定したが、いずれも野生型との間に有意差はなかった.

以上の結果より、kamaitachi変異体は甲状腺ホルモンの合成能が低下した変異体であると考えられる.通常の生育には十分な甲状腺ホルモンを産生する事は可能だが、そのホルモンバランスは過剰なTSHによる刺激によって維持されている可能性が高く、先天性甲状腺機能低下症のモデルとして考える事ができる.

3.kamaitachi原因遺伝子の探索

kamaitachi変異体の原因遺伝子を特定するために、連鎖解析を試みた.kamaitachiは南方系の遺伝的バックグラウンドを持つため、連鎖解析のために北方系と掛け合わせ、約3200個体の組み替えパネルを作製した.その結果、原因遺伝子が7番染色体の40Kbの領域に存在する事が遺伝学的に確認された.この領域には4つの遺伝子のORFが予測されており、原因遺伝子としての最有力候補はmals26a10である.msls26a10はヒトのsolute carrier(SLC)family26に属する偽遺伝子であるslc26a10と高い相同性を持つ。SLC26ファミリーにはヒトの遺伝病で甲状腺種を引き起こすペンドレッド症候群の原因遺伝子であるpendrin/slc26a4が含まれる.SLC26A4タンパク質は甲状腺濾胞細胞の頂端膜に存在し、細胞内のヨウ素を濾胞内腔に運ぶ事により、濾胞内腔でのチログロブリンのヨード化を促進すると考えられている.機能未知のmslc26a10もヨードの運搬を担う可能性が考えられる.

そこでメダカのmslc26a10の発現をRT-PCRにより確認し、3'および5'RACE法により全長を決定した.さらにkamaitachiホモ個体の配列を確認したところC末端側にストップコドンをコードする一塩基置換が確認された.この事から、kamaitachiの原因遺伝子はmslc26a10である可能性が高い.

4.kamaitachi房変異体を用いたヒレの再生実験

kamaitachi変異体は通常の飼育状態で、成体のヒレに傷が入ったまま再生しないものが散見される,野生型ではこういったヒレの傷は数日から2週間ほどで再生するため、先天性甲状腺機能低下症であるkamaitachi変異体においてヒレの再生異常が起きている事が予想された。そこで本研究ではまず、野生型のヒレの再生に甲状腺ホルモンが関わっている事を調べるために、ヒレを切断した魚に甲状腺阻害剤や甲状腺ホルモンを加えそのヒレの再生長を測定した.その結果ヒレの切断後14日目の野生型雄無処理群ではヒレが平均2.2mm再生したのに対し、切断と同時に甲状腺ホルモン合成阻害剤であるthioureaを加えた群では、平均1.6mmしか再生せず、野生型に比べ有意に低下した(p<0.01)また、thiourea処理をヒレの切断の2週間前から始めた群ではさらに低下し、平均1.2mmしかヒレの再生がみられなかった.一方で、thioureaとともにT4を30ng/ml加えた群では平均2.1mmのヒレの再生が観察され、表現型が回復した。

また、kamaitachi変異体において同様の実験を行ったところ、無処理雄でも平均1.9mmと野生型と比べ有意に再生長が低下していた(p<0.01).一方でthioureaにT4を加えたkamaitachi変異体群では平均2.0mmのヒレの再生が観察され、野生型のthiourea―T4処理群と同程度に表現型が回復した.

以上の事から、甲状腺ホルモンはヒレの再生に関わっている事が強く示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなる。第1章は本論文全体に対する一般的なイントロダクションである。

本論文の理解に必要な知見を十分に紹介しつつ「先天性甲状線機能低下症とは」「甲状腺ホルモンの産生とホメオスタシス」「突然変異体を用いた解析の重要性」「先天性甲状腺機能低下症モデルとしてのメダカ」「本論文の目的」という5っの要点に関して簡潔にまとめ、さらに本論文の主眼を「先天性甲状腺機能低下症のモデルとしてメダカを評価する事」と明解に定めている。

第2章ではメダカ突然変異体kamaitachiの表現型について述べられている。kamaitachiはもともと当人の修士研究に得られた変異体候補群の中から確立された変異体系統である黛本論文ではkamaitachiがマイルドな先天性甲状腺機能低下症であるという事を、以下の5点から示している。

1)総T4の濃度が低下していた

2)甲状腺濾胞が過形成となっていた

3)TSH応答性の遺伝子の発現が上昇していた

4)甲状腺濾胞内腔のチログロブリンの蓄積が低下していた

5)T4の投与によりTSH応答性の遺伝子の発現と甲状腺濾胞内腔のチログロブリンの蓄積が正常化した

血中ホルモン濃度の低下、T4応答性の甲状腺濾胞細胞の過形成、TSH応答性の遺伝子の発現の上昇は先天性甲状腺機能低下症の典型的な症例であり、本論文ではkamaitachiをマイルドな先天的甲状腺機能低下症と結論づけている。このような表現型を示す疾患モデル動物はこれまでに報告が無いという点で本研究は非常に有意義である。これまでマイルドな先天性甲状腺機能低下症が成体にどのような影響を及ぼすかについて詳しくは研究されていない。従来、甲状・腺機能低下症の研究は、ホルモン合成阻害剤を用いる事で行われてきたが、薬剤では副作用を常に考慮しなくてはならない。ホモで系統維持が可能かつ稔性を持つkamaitachiは、遺伝学的に作られた先天性甲状腺機能低下症のモデルとして、将来的に広範囲に活用される可能性を持っている。

第3章ではマイルドな先天性甲状腺機能低下症が成体に及ぼす影響を調べている。具体的にはkamaitachiのヒレの再生が異常である事、さらに甲状腺ホルモン濃度がヒレの再生に影響を及ぼすという事を甲状腺ホルモンの合成阻害剤とL-T4の投与を用いる事により統計的に明らかにしている。これは魚のヒレの再生に甲状腺ホルモンが関与している事を遺伝学的かつ薬理学的に示した初めての例であり、その点で斬新な結果である。甲状腺ホルモンの作用や再生現象は一般的に個体差が出やすく、その関連性を統計的に証明する為にはある程度の例数が必要である。しかし本論文はメダカを用いれば一人の研究者のマンパワーでその解析が十分現実的である事を端的に示している。また、この章は先天性甲状腺機能低下症が成体に及ぼす影響を、kamaitachiを用いて実際に解析したモデルケースとしてとらえる事もでき、本研究の主要な目的である「先天性甲状腺機能低下症のモデルとしてメダカを評価する事」に対し重要な示唆を与える結果となっている。

第4章は全体のディスカッションとなっている。ディスカッションでは、本論文の目的である、「先天性甲状腺機能低下症のモデルとしてメダカを評価する事」に対し、「メダカは一定の制約はあるが、先天性甲状腺機能低下症のモデルとして十分有用である」と答えを完結にまとめている。本研究は、これまでに誰も挑戦しなかった実験系に挑んだものであり、それ故に大きな困難に直面したと推察される。事実、kamaitachiの原因遺伝子についてmslc26a10という有力な候補を提示する事はできたが、kamaitachi固有の実験技術的な問題から連鎖解析に多大な労力を費やし、さらに遺伝子の機能回復実験や機能阻害といった最終的な証明に至る事はできなかった。しかし本論文ではその原因についても適切に説明・考察している。重要な指摘の一つとして、連鎖解析の問題がある。9」・型魚類のsaturation mutagenesisを応用した研究は、初期発生分野で大きな成果を上げているが、後期発生や成体機能に関する研究は黎明期にある。

将来的には、小型魚類を用いた後期発生・成体の内蔵機能に関連する遺伝子の網羅的探索・機能解析が行われる事が予想される。しかしその場合、注目する組織・現象を可視化する事が必須である。本研究では甲状腺の可視化に抗体染色を用いているが、一般的な染色手法ではPCR gradeのDNAを抽出し、PCRベースの連鎖解析を行うのは難しいという事を指摘している。

本研究はこのような研究を計画・実行する場合に考慮するべき重要な視点を提示しているという観点でも非常に大きな意義を持つものである。

なお、5章は謝辞、6章は参考文献一覧、7章は図と説明である。本論文第3章は、京都大学助教授・田川正朋との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める

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