学位論文要旨



No 122869
著者(漢字) 折橋,伸哉
著者(英字)
著者(カナ) オリハシ,シンヤ
標題(和) 海外生産拠点における組織能力の構築と環境変化
標題(洋)
報告番号 122869
報告番号 甲22869
学位授与日 2007.05.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第219号
研究科 経済学研究科
専攻 企業・市場専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 教授 末廣,昭
 東京大学 准教授 新宅,純二郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文の出発点においては、トヨタ自動車が全世界において多数展開している海外生産拠点のうち、少なくとも品質の側面において国際競争力が相対的に高いのは、比較的安定した大規模な自動車市場に恵まれてこれまで増産・増設を繰り返してきた、アメリカをはじめとする先進工業国における海外生産拠点ではなく、実はむしろより11・規模な自動車市場でしかも経済危機などによる苦境を経験してきた、オーストラリア、タイ、トルコなどにおける海外生産拠点であることへの疑問があった。多国籍企業の海外生産拠点における国際競争力の強化、そして「もの造りの組織能力」の構築は、生産規模やそれによって左右される戦略的な重要性、そして工業化の進展度合に比例して実現される、といった認識が、これまで暗黙のうちに共有されてきたのに対して、こうしたトヨタ自動車の海外生産拠点の事例はそれとは相反するからである。

そこで、本論文では研究課題として、

「多国籍企業の海外生産拠点における国際競争力は、何によって決定付けられるのか?(換言すれば、多国籍企業の海外生産拠点における国際競争力は何の関数なのか?)そして、その背後にある海外生産拠点間の国際競争力における差を生み出すメカニズムは一体いかなるものなのか?」

といった命題を提示した。

本論文では分析に先立って、多国籍企業論における先行研究のこの研究課題についての説明可能性について検討した。多国籍企業論においては、多国籍企業の形成要因、海外現地法人の役割、本社から海外現地法人への技術移転などのテーマについて数多くの研究が、積み重ねられ、多くの示唆をもたらしてきている。当初の議論はVbrnon(1966)やHymer(1976)をはじめとして、本国の本社から一方的に資本や技術を供給するといった考え方に立脚していた。その後、Bh・kinshaw and Hood(1998)など、前褐の伝統的な研究なラどが前提としてきたように多国籍企業における戦略的な役割は常に本国本社が主導して決定するわけではなく、海外拠点側による主体的な動きによってもそれは進化すると指摘した研究も出て来ている。さらにBartlett and Ghoshal(1989)は、多国籍企業のあるべき姿として、それぞれ独特な経営資源や企業能力をもった本社及び現地法人をヒト、モノ、カネ、各種ノウハウの双方向ネットワークで結ぶ「トランスナショナル企業」というアイデアを示した。しかし、本論文が疑問に感じてまさに研究課題としている、多国籍企業の海外生産拠点における国際競争力の向上や拠点間の差異を生み出すメカニズム、すなわちその組織能力の構築プロセスについては、必ずしも十分な研究が行われてこなかった。

これまで暗黙のうちに共有されてきた認識は、市場規模の大きい(=「戦略的な重要性」の高い)先進国における海外生産拠点において、計画的・意図的に「もの造りの組織能力」の構築が図られる。そして、そうした拠点においては「戦略的な重要性」が高いために親会社の「進化能力」もより発揮されて、相対的に早い段階で「もの造りの組織能力」の強化を実現することができる。その一方で、市場規模が小さい(=「戦略的な重要性」の低い)発展途上国における海外生産拠点においては、「戦略的な重要性」が低いために親会社からの技術的支援(「進化能力」の発揮)は限定的であり、したがってなかなか「もの造りの組織能力」の強化は進まない、といったものであった。

では、本論文においてケーススタディを行った、トヨタ自動車の「生存の危機」に直面した発展途上国における海外生産拠点ではいったいどうだったのか。

「生存の危機」に直面する前までは、確かに「戦略的な重要性」が低いために親会社からの技術移転(「進化能力」の発揮)は限定的であったためか、既存の認識通りになかなか「もの造りの組織能力」の強化は進んではこなかった。ここまでは確かにこれまで想定されてきた通りであった。

しかし、「生存の危機」の後は違った。「生存の危機」に直面した結果、ケーススタディを行ったオーストラリア、タイ、トルコのいずれの生産拠点においても、『世界で最も「もの造りの組織能力」において優れているといわれている日本本社から市場を譲り受けての輸出開始』という、生き残りをかけた創発的な戦略対応を採った。これが結果的にはこれら拠点における「もの造りの組織能力」の構築のいわば起爆剤となった。というのは、日本から輸出市場の割譲を受けたことによって、これまでその市場に供給されてきた日本製並みの品質が求められたからである。すなわち、これまでローカル市場向けに供給していた際よりもはるかに高い品質水準の達成が要求されたのである。そして、その達成に向けて、トヨタ自動車本社が持っている「進化能九による後押しも受けながら、懸命に全社的な品質向上に向けた取り組みを行った結果、飛躍的に品質水準を向上させることに成功し、その水準はついにはアメリカなど先進工業国における大規模生産拠点をはるかに凌駕するレベルに達した。すなわち、飛躍的に「もの造りの組織能力」の能力構築が進んだといえる。(逆に、仮に本社が「進化能力」を持っていなかったとすれば、こうした能力構築を行うことはとても不可能であったと推察される。=今後の検証課題)言い換えると、ケーススタディの対象とした各海外生産拠点の国際競争力は、危機への対応の結果、急速に向上したのである。つまり、環境変化と組織能力の構築とがここでダイナミックにつながった。今回分析した3つの海外拠点のケースは、これまでの研究では指摘されてこなかった、海外生産拠点における創発的な能力構築プロセスと言うことができる。

しかも、こうした能力構築プロセスが、各ケース間にある、オペレーションの歴史の長さや設立背景、文化・社会的な背景などにおける違いには関係なく、いずれのケースにおいても共通して見られた点が極めて重要である。つまり、組織能力の構築を促す上で利いたのは、トヨタ自動車が持っている「進化能力」であり、「生存の危機」からの生き残りを図ろうとする強い意思だったのである。本国の本社に「進化能力」があってかっ危機に直面した多国籍企業の海外生産拠点における国際競争力は、まさに本国本社の持っダイナミックな能力構築能力つまり「進化能力」、海外拠点の直面した危機、そして創発的に行われる本国による技術支援および現地における能力構築への努力の関数であることが確認できた。

すなわち、海外生産拠点における国際競争力の強化とそれに向けた「もの造りの組織能力」の構築・向上は、生産規模などによって決定付けられる「戦略的な重要性」によってのみ規定される(=すなわち、それが高い先進国の大規模生産拠点においてより進む)のではなく、たとえ当初は「戦略的な重要性」が相対的に低くても、その海外生産拠点が「生存の危機」に直面することによって急速に「もの造りの組織能力」の構築へのインセンティブが高まって、そして一気に促進されることもあるのである。こうして、海外生産拠点の国際競争力に関しては、以下の2つのダイナミックな因果関係があることが分かった。

第一に、本社が持つ「進化能力」が、危機が媒介する格好で海外生産拠点のルーチン的な「もの造りの組織能力」の向上につながり、それがその海外生産拠点の国際競争力の強化につながる。

第二に、危機をきっかけにローカル市場が小さくなることで輸出の必要性につながり、それが海外生産拠点に対する市場の要求を高度化させるということになって海外生産拠点に「ルーチン的なもの造り能力」の向上を迫り、それがその海外生産拠点の国際競争力の強化につながる。

これら2つの因果関係は、これまで一般的に共有されてきた、「市場規模の大きさが高い戦略的な重要性につながり、それにともなって多くの投資や技術支援がなされて海外生産拠点の国際競争力は強化される」、「市場規模の大きさが規模の経済性の享受につながり、それが利くことで海外生産拠点の国際競争力も強くなる」といったロジックとは全く違ったロジックである。

本研究のもたらした貢献としては、多国籍企業論の分野に対しては、これまではあまり光が当てられてごなかった、多国籍企業の海外生産拠点における国際競争力の強化とその背景、そしてそれをもたらす組織能力の構築プロセスについて新たな知見を加えることができた。また、開発経済学に対しては、輸入代替工業化の状況から輸出促進政策を採ることなしに脱却できた事例があることを示し、新たな地平を提供することができた。

今後の研究課題としては、アメリカなどトヨタ自動車の他の海外生産拠点についても同様に詳細な分析を行う必要がある。また、競合他社についても分析することを通じて「進化能力」の違いによる影響について検討する必要がある。加えて、自動車産業以外の他産業への本研究の成果の適用可能性についても、他産業についての分析を行うことで検討する必要があると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、国際経営論の実証分析研究と位置づけられる。多国籍企業の海外拠点の国際競争力を決める要因として、従来考えられてきた、規模の経済、本社にとっての戦略的重要性、直接投資額、工業化の進展度合いなどとは異なる視点、すなわち、現地拠点の危機に対応する動態的な組織能力構築を重視する点を、主な貢献として主張している。まずその概要を以下に記す。

第1章は、問題設定である。従来の多国籍企業論は、ハイマーに代表されるように、本国拠点において競争優位を有する多国籍企業が、その優位性を直接投資により現地国に移転することを通じて現地の地場企業に対する優位性を確保する、という構図で分析されることが多かった。しかし、経済のグローバル化が進み、現地国政府の現地生産保護の輸入代替政策が緩和されるにしたがって、現地拠点は、現地国内の他拠点に対する優位性のみならず、他国の拠点に対する国際競争力をも確保する必要に迫られる傾向が増してきた、と本論は指摘する。

この問題設定に対する分析のきっかけとして、本論はトヨタ自動車の海外拠点の品質監査データを引用する。このデータおいては、国内市場が大きく、戦略的な重要度も高いため、主に国内販売向けの大規模工場を始めから建設できた国、例えば欧米先進国ではなく、オーストラリア、タイ、トルコなどの生産拠点が上位にランクされているという。それはなぜか、という問題意識から、本論の第1章は出発する。

これに対する、本論の仮説は、(1)本社の動態的な能力構築能力が高い多国籍企業(例えばトヨタ)が、(2)海外拠点で危機に陥り(例えばオーストラリア、タイ、トルコ)、輸出などの生き残り策を模索せざるを得なくなった場合、創発的な能力構築が現地拠点で起こり、その結果、当該現地拠点の国際競争力が増進する、というものである。

この問題設定に対して、本論はケース研究を方法論として選択する。現地の危機に対する動態的な能力構築プロセスを詳細に分析するには、事例研究という方法が最適だからであるとする。具体的には、トヨタ自動車で比較的品質競争力が高いといわれるオーストラリア、タイ、トルコの事例を実証分析の主たる対象とする。

第2章は、先行研究のサーベイである。「 多国籍企業の海外生産拠点における国際競争力の決定要因」という問題設定に対して先行研究がどのような答えを出してきたか、簡単な文献調査を行っている。まず、バーノン、ハイマー、ダニングら古典的な業績を検討し、これらは既存の本国経営資源の海外拠点への移転を論じており、本国本社の能力構築能力や現地拠点の動態的な能力構築プロセスを視野に入れていないと論ずる。

次いで、本国で国際競争優位を持つ日本の製造企業、およびその海外生産拠点への組織能力移転を研究した安保他、ウォマック他などを検討するが、これらの研究も、焦点は日本企業の競争力とその海外移転であり、異なる海外拠点間の国際競争力の差を分析対象にはしていないとする。

次いで、技術移転論の観点から、初期の多国籍企業論は技術移転の困難性を考慮していなかったが、その後の研究は、技術が企業特殊的、暗黙的、問題対応的な場合は国際技術移転が難しく、段階的な移転(曹)となりやすいと指摘するが、本国本社の能力構築能力の差や、現地拠点間の能力構築プロセスの差は視野に入っていなかったと指摘する。

さらに、海外現地法人の役割を論じた研究の流れを検討する。バーキンショウ・フードの枠組は、それは本社からの役割配分、現地の選択、現地の環境の3つの影響を受けるとする。この枠組は、現地の主体性を視野に入れる点で本論文にとっても示唆的だが、実証研究と国際競争力分析が欠けていると指摘する。また、この関連でバートレット=ゴシャールの「 トランスナショナル」概念、すなわち各拠点で創造された知識がグローバルに共有される多国籍企業モデルは、本論の問題意識と親和的だが、そもそも海外拠点の国際優位が確立したプロセスを全く論じていないとする。以上のように、国際経営論の既存文献は、本論冒頭に示した問題設定に完全に答えられていないと指摘する。

そこで次に、組織能力の内容と構築過程を分析した競争力研究の系譜を検討している。ここでは、ペンローズ以来の組織能力・経営資源研究の流れを概観し、藤本の「 進化能力」概念を説明する。さらに、戦略論におけるミンツバーグの「 創発的戦略」を紹介し、能力構築プロセスにおける意図せざる効果の役割を論じている。

以上を踏まえて、第3章では、本論の分析枠組が説明される。ここでは、従来の通説が、「大規模市場→戦略的重要性・大規模工場→技術移転・規模の経済→国際競争力」というロジックを前提にしていること、そしてある種の小規模市場国の生産拠点が高い競争力を発揮しているという事実を通説が説明できないことを、議論の出発点とする。そして、これに対応して、「市場規模(戦略的重要性)」と「 ルーチン的なもの造り能力」を2軸とするマップを提示する。このマップの中で、当該海外拠点の環境変化、危機対応、能力構築の動態的なプロセスを時系列で示すことによって、複数の拠点の動態的変化を比較するわけである。

次いで、この分析枠組を用いた予備的な分析が試みられる。ここでは、貿易摩擦により日本企業が輸出代替的現地投資を強いられる「大市場の生産拠点」(A工場)と、現地国の輸入代替政策で保護された「小市場の拠点」(B工場)という2つの理念型が比較される。この2ケースの予想するところでは、戦略的に重要な大市場の拠点(A工場)は本国の支援と現地国内競争の結果もの造り組織能力を高めるが、小さな市場の拠点(B工場)は、国内保護による競争圧力の不足、規模の不足、本国支援の不足により、もの造り組織能力も停滞する。つまり、A工場は「大市場・能力強」に移行し、B工場は「小市場・能力弱」に留まる、という通説どおりの結果に収束するはずである。ところが、本論で対象にするトヨタ自動車の3拠点のケースは「小市場・能力強」であり、この2パターンでは説明できない。これに対して、本論文が実証分析で取り上げる拠点は、国内拠点の急激あるいは慢性的な危機(輸入代替政策の変更、国内経済危機など)に直面したことを共通点とする。この場合、選択肢としては、(1)撤退、(2)追加投資をやめて持久戦、(3)追加投資をして輸出拠点化、の3つの方策がありうる。しかし、能力構築能力(進化能力)を持った本国本社が(3)を選び、結果として当該現地拠点の国際競争力の向上を果たす、というモデル(B'工場)が、本論で分析する「小市場・能力強」という状況が創発的に出現するケースだとする。

そこで、このB'工場に該当するケースとして、トヨタのオーストラリア、タイ、トルコの3ケースを選択し、それぞれについて、フェーズI(危機以前)、フェーズII(危機)、フェーズIII(危機への対応)の3期に分けて分析する。

第4章から第6章は、3ケースの詳細な実証分析である。それぞれ、概況説明の後、フェーズI~IVまたはVが記述され、その経路がマップで要約される。

まず第4章はオーストラリア拠点の事例研究である。トヨタは1960年代から同国に組立拠点を持ち、輸入代替政策に応じて部品国産化を進めたが(フェーズI)、その後、産業政策が保護主義緩和(バトン・カー・プラン)へと転換したため、それに対応してGMとの相互OEM供給およびアルトナ新工場への投資を行った。しかし、政府がさらに輸入自由化へ軸足を移し、輸入車が急増すると、国内対策であったGMとの合弁を解消した(フェーズII)。ここでトヨタは、拠点の生き残りを賭けてペルシャ湾岸諸国への主力車輸出を決める。当初は輸出市場で品質不足を指摘されるなど組織能力不足で苦労するが、進化能力を持つトヨタ本社は、アルトナ工場の品質向上に注力、輸出国に豪州人担当者を常駐させるなど徹底的な対策を講じた。この結果、出荷品質は格段に上がり、他の多くの海外拠点に優り、トヨタ本社に匹敵する水準に達した(フェーズIII)。

第5章はタイ拠点の事例研究である。ここにもトヨタは1960年代から国内市場向け組立拠点を持った。90年代前半には国内市場が急伸したため、第2工場を建設、国内向け工場の大幅な能力増強を行った(フェーズI)。ところが、1997年バーツ危機により、国内市場は4分の1に縮小した(フェーズII)。そこでタイ拠点は、稼働率維持のために、短期の採算は度外視で豪州向けのピックアップトラック輸出などを試みた。品質確保のため日本からのKD部品を増やしたが、豪州ディーラーにタイ製を受け入れさせるために大幅なもの造り能力構築が必要となる。以上のような対応の結果、タイ拠点の製造品質はトヨタ海外拠点の中でもトップクラスになった。こうした能力構築を受けて、トヨタ本社は、発展途上国市場向けの新戦略車であるIMVの世界的な輸出拠点をタイに置くことに決定、タイ・トヨタは100カ国近くに輸出するピックアップトラック生産の戦略的拠点へと成長した。現地拠点でのもの造り能力の構築や品質保証、人材育成体制のさらなる強化も見られた(フェーズIII)。

第6章は、トルコ拠点の事例研究である。トルコトヨタの生産開始は比較的新しく1990年代である。国内市場の急拡大を予想して、現地財閥との合弁で年産10万台クラスの工場を建設した。過去の反省から現地人材育成が重視された。共通言語は日本語とした(フェーズI)。ところが、1994年の生産開始直後に経済危機が襲い、市場規模は半減した。さらに96年にはEU関税同盟加入により欧州輸入車の関税が撤廃され、国内生産はさらに圧迫された。さらにテロ、大地震と、危機が重なった。緊急の対欧輸出計画も本社に否認された(フェーズII)。そこでトヨタは、現地財閥に国内販売を任せトヨタは生産・輸出に集中する製販分離の資本再編を行い、欧州向け輸出を再計画した。しかしここでも欧州要求品質の壁が高かった。トヨタは、教育・訓練に力を入れ、現場の能力構築を進めた。品質監査によれば、トルコ拠点の製造品質は海外拠点のトップクラスとなった。新溶接方式(GBL)などハードの投資も進んだ。トヨタ本社の欧州販売拡大計画とも同調し、輸出は順調に伸びた。過去の事例から学習した結果、トルコでは、輸出してから品質を高めるのではなく、まず品質を高めてから輸出を拡大するという順番になった(フェーズIII)。

第7章は、3つのケースの共通点、相違点の分析と結論である。共通点としては、「 小市場・能力弱」を出発点とし、国内拠点の危機(輸入車攻勢、国内経済危機)により輸出に活路を見出そうとするが、輸出市場の厳しい品質要求に直面、本国の進化能力を背景にした必死の能力構築により「 小市場・能力強」の地位を得た、という創発的な経路がある。

相違点は、歴史的な経験の長さ(危機のタイミングなど)や、危機そのものの性格(急性か慢性か、など)の違いがある。オーストラリア拠点とタイ拠点は、人材の厚みで強みがあるが既存設備の制約もある。比較的新しいトルコ拠点は経験不足がハンディだが、他拠点の経験に学ぶ後発の利益もある。こうした拠点間学習も、本社の進化能力の一環(横展開の効果)である。

以上から、「 進化能力のある本社を持つ多国籍企業の小市場海外拠点が危機に直面した場合、危機対応の創発的な能力構築により、小市場ながら高い国際競争力を持つに至る」という本論文の仮説および分析枠組は、上記3ケースに概ね適合することが主張される。国際競争力を持つ海外拠点は、通説とは異なり、はじめから戦略的に重要な大市場の拠点である必要はないのである。

最後に、本論文の貢献点として、多国籍企業論がこれまで重視してこなかった海外拠点の動態的能力構築を取り上げていること、開発経済学における「輸入代替政策から輸出促進政策へ」という政策主導の論議に対して企業の主体的な能力構築を輸出転換の原動力と見ること、また実務家にとっては、危機は、能力構築か後退かの分かれ目であり、成否を分けるのは本社の進化能力であると指摘する点を挙げる。最後に、トヨタの他拠点、同業他社、他業種への事例分析の拡大を課題として論文を終える。

以上のような概要の論文であるが、その評価は以下の通りである。まず、多国籍企業の海外拠点の競争力強化・組織能力構築の問題を、動態的な視点から分析する枠組を示した点で、国際経営学に対する貢献が認められる。とりわけ、従来偏りがちだった大市場の生産拠点に対して、小市場の生産拠点が強い競争力を持つ可能性を示し、その能力構築経路を、ケーススタディを通じて明示したところは、既存研究に無い分析として評価できる。とりわけ、多国籍企業の海外拠点が小さな国へと浸透する傾向のある現代においてタイムリーな研究ともいえる。理論面でも、多国籍企業論に、動態的組織能力論というダイナミックな論点を、しかも本体だけでなく海外拠点の分析にも採用した点で、顕著な貢献が認められる。

ただし、課題も指摘される。今回は小市場3ケースに限られたケーススタディであり、当然、仮説の一般化可能性には限界がある。例えば、進化能力の強い多国籍企業の小市場拠点が危機に陥った場合、常に能力構築という結果をもたらすとは限らず、「小市場・能力弱」において停滞しているケースもあるかもしれない。また、同じ境遇の小市場拠点で、本社の組織能力の違いによってどのように結果が違ってくるかに関しても、端緒的な考察が見られる(オーストラリアのケースなど)ものの、体系的な比較分析には至っていない。要するに、仮説の一般適応可能性に関して、さらに分析の範囲を広げていくことが今後の課題であろう。

また、ケーススタディから結論を導き出すまでの論理展開の記述が周到でないところが散見され、なぜ、そのデータからその結論に至ったのか、説明不足と見られるところが多少ある。データの記述と解釈について、もっと丁寧な説明をする方向で、論文のスタイルを今後改善していくことが望まれる。研究方法論的にも、インタビュー資料への依存度が高いが、それを裏付ける資料の収集が不十分と見られるところもある。インタビューは重要な資料だが、主観性が加わるため、裏付け資料による補強にもっと力を入れるべきであろう。

以上のように課題もあるが、複数のケーススタディを通じて国際経営論に新たな論点をもたらす動態的かつ地域横断的な枠組を提示した点で、学界への貢献が認められる論文であり、審査委員会は、これを本学課程博士論文として十分な水準のものと認めることで合意した。

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