学位論文要旨



No 122870
著者(漢字) 具,承桓
著者(英字)
著者(カナ) グ,スンファン
標題(和) 製品アーキテクチャの変化と知識統合化プロセス : 自動車産業のモジュール化をめぐるダイナミズム
標題(洋)
報告番号 122870
報告番号 甲22870
学位授与日 2007.05.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第220号
研究科 経済学研究科
専攻 企業・市場専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 和田,和夫
 東京大学 教授 中村,圭介
 東京大学 准教授 新宅,純二郎
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,複数企業間に知識が分散している場合,製品アーキテクチャの「変化」はどのようなプロセスで起こるのか,製品アーキテクチャの変化と企業間関係の変化との間にどのようなダイナミズムがあるのかを,動態的な観点から明らかにしようとするものである。分析の結果,製品アーキテクチャの変化に必要な知識が複数の企業に跨っている場合,参加メンバー企業の異なる戦略的志向や交渉力の差に影響を受け,また,製品アーキテクチャと企業間関係の動態的な相互作用の結果,製品アーキテクチャの変化は複雑で創発的なプロセスになりうることを主張する。また,知識が複数組織の間に分散している場合,システム全体からサブシステムを切り出し,分業の境界線を再設定するためには,一旦,各組織が分散している知識を統合するプロセスが先行すべきであることを主張する。

企業を取り巻く市場・技術環境の激しい変化や複雑化,ニーズの多様化されつつある中,開発,設計,生産などの様々な業務プロセスの複雑性をいかに軽減させ,いかに効率的にマネジメントするかは長年にわたる経営学の中心的な課題である。最近では,システムを構成する機能要素と構造要素間の配分関係に関する設計思想である製品アーキテクチャ(product architecture)をキー概念とし,様々な分野で研究が盛んである。既存研究の多くは,製品アーキテクチャのタイプや特徴が製品開発プロセスや製品戦略,タスクの分業関係,組織構造,マネジメントのあり方などを規定する重要な要素であると指摘している。特に,製品アーキテクチャの1つのタイプであるモジュラー型アーキテクチャが製品戦略や開発プロセス,産業構造にもたらすインパクトに関する研究が多くなされている。

しかし,これらの既存研究は,製品アーキテクチャの変化によって事後的に得られるモジュラー性(modularity)を当該製品が有していることを前提にした議論で,やや静態的な観点の研究である。また,既存研究では製品アーキテクチャの変化に必要とされる製品知識(システム知識とコンポーネント知識)が1つの組織内に完結していることを前提に,製品アーキテクチャの変化は一定の手順を踏んで変化するものとしている。

製品アーキテクチャの変化プロセスに焦点を当ててみると,製品アーキテクチャの変化プロセスは必然的にシステムの機能と構造の配分関係の変更の見直しを伴う。このプロセスに必要な製品知識が,複数の企業の間に分散している場合,製品アーキテクチャの変化プロセスは一定の手順を踏んで進行することが困難となり,より複雑なプロセスとなるはずである。なぜなら,企業を取り巻く外部環境や企業間の交渉力の差,受託側および受注側の戦略的な志向や利害関係の違いによって,複数企業が関与する製品アーキテクチャの変化(モジュラー化プロセス)は複数企業の相互作業間の利害関係が絡み合いながら,より複雑かつダイナミックな企業間関係の変化を伴いつつ,進行していくと考えられるからである。

こうした問題意識から,日本の自動車産業におけるいわゆる「モジュール化」現象をみると,実際に非常に複雑な動きを見せていることがわかる。数多くの部品間の緊密な調整によってはじめて全体の機能が発揮される自動車は,従来には製品アーキテクチャのモジュラー化に限界があるといわれた。だが,一般的には1990年代に入ってから欧米のメーカーを中心にモジュラー化が進行したといわれている。また,時期を同じくして,サプライヤーのM&Aが活発になり,世界の自動車サプライヤーの再編も起きている。

しかしながら,自動車産業におけるいわゆる「モジュール化」という呼ばれる初期の動きを見る限り,エレクトロニクス産業やコンピュータ産業で見られるような「製品アーキテクチャの変化としてのモジュラー化」とは異なる様相を呈している。1990年代半ば頃から欧米の自動車メーカーを中心に行われた,いわゆる「モジュール化」の動きは,従来のサブアセンブリー単位をより大きな塊にし,かつそれをまるごとサプライヤーに外注するというものであった。こうした欧米の動きに影響を受け,日本の自動車メーカーでも同様の取り組みが行われてきた。しかし,現実には単にサプライヤーへの外注単位を大きくするだけでは,製品コスト削減の効果や製品開発プロセスにおけるメリットをそれほど大きく得ることができなかった。

そうした動きの中で,日本の自動車メーカーや外注された納入単位としてのモジュールを担うサプライヤー(特に後者)から新たな動きが起こった。すなわち,生産業務だけではなく開発業務もアウトソーシングされた状況で,もともとは大きな塊のサブアセンブリーとして設定された「モジュール」の内部で部品間の結合関係の変化や複数機能の統合化といった,本来の意味での製品アーキテクチャのモジュラー化が起こったのである。つまり,アーキテクチャの変化としてのモジュラー化の動きが,完成車のレベルではなく,それを構成するサブシステムのレベルで,予想せぬ結果として起こっている。また,こうした製品アーキテクチャの変化プロセスは,企業間分業関係のダイナミックな変化をもたらすと同時に,イノベーションを促進させることになったのである。

こうしたプロセスを明らかにするのが本研究の目的である。つまり,複数企業に知識が分散している場合,製品アーキテクチャの「変化」はどのようなプロセスで起こるのか,また,異なる立場の企業の相互作用がそのプロセスにどのようなダイナミズムをもたらすのか,について,知識の統合化と企業間関係の変化の側面から明らかにすることが本研究の目的である。なお,本研究では製品アーキテクチャの変化としてのモジュラー化を,「システム全体を,相対的に相互依存性の低い構成要素のグループに分解可能となるよう,デザインプロセスを見直すプロセス」として定義する。

本研究は,大きく第I部の序論,第II部の分析編,第III部の結論および今後の展望で構成される。

まず,第I部の序論(第1,2章)の第1章では研究背景と問題意識について論じた上,本研究の分析対象である自動車産業におけるいわゆる「モジュール化」現象について予備的な考察を行った。また,本研究の対象である自動車産業は複雑な動きを見せていることから,モジュラー型アーキテクチャ,モジュール化,モジュールなどの主要概念に論者によって異なる意味で使われているため,それらの概念を整理し,本研究の分析対象とデータについて論じる。

第2章では,製品アーキテクチャ論に関する研究とサプライヤー・システム論に関する既存研究のレビューを行いつつ,本研究の分析の視点とリサーチデザインについて論じる。

まず,第1節では本研究の位置付けを明確にするため,製品アーキテクチャ論に関する研究とサプライヤー・システム論について,組織と知識の関係の観点から既存研究のレビューを行った。ここでは,製品アーキテクチャ論と製品開発,組織構造,イノベーション,知識との関係に関する既存研究のレビューを行う。既存研究の多くは,製品アーキテクチャが組織構造,組織間関係,知識のタイプ,イノベーションのあり方などへのインパクトや関係性に焦点を当てている点でやや静態的な議論であることを検討した上,これまでの研究が製品アーキテクチャの「変化」するプロセスにはあまり焦点を与えてこなかったのを明らかにする。特に,製品アーキテクチャの1つのタイプであるモジュラー型アーキテクチャに焦点を当てた議論が多く,殆どの研究はすでにモジュラー性(modularity)を有していることを前提とした議論であることを指摘する。一方,自動車産業を中心としたサプライヤー・システム論に関する研究をレビューし,サプライヤー・システムにおける企業間関係(自動車メーカーとサプライヤー)は製品知識の側面で両者が相互依存と協調関係があることを指摘する。第2節では,第1節でのレビューを踏まえて,製品アーキテクチャの階層性とアーキテクチャ概念の多義性について論じる。次に,製品アーキテクチャの変化の際に,考慮すべき要因について論じると共に,製品アーキテクチャの変換期における組織形態との不適合関係の可能性を指摘する。製品アーキテクチャに必要な知識,すなわちシステム知識とコンポーネント知識が自動車メーカーとサプライヤーに階層的に分散していることを論じる。ここまでの議論を踏まえて,第3節では,複数企業に知識が分散している状況の中で,企業間関係の相互作用(自動車メーカー(購買)戦略とサプライヤーの対応戦略)と製品アーキテクチャの変化プロセスを統一的に分析する枠組みを提示し,本研究で用いるデータと調査方法の詳細について論じる。

第II部の分析編(第3,4,5,6章)では日本の自動車産業における製品アーキテクチャの変化プロセス(モジュラー化プロセス)について定量的,定性的分析を行う。

第3章では,具体的な製品アーキテクチャの変化プロセスについて分析する前に,まず日本の自動車産業全体における設計と企業間関係の変化の動きについて分析を行った。部品サプライヤーに対して行った2回のアンケート調査(調査99と調査03)の結果をもとに,因子分析を通じて製品アーキテクチャ概念の多面性を検討した上,日本の外注部品の製品アーキテクチャとメーカーとサプライヤー間の企業間関係の変化を分析した。2回の調査結果から,外注部品レベルでの製品アーキテクチャと企業間関係の変化には一貫した動きが観測された。それは,外注部品(製品レベル)における機能の複合化,構造一体化,小型化,機能と構造の調整度の増加といった製品アーキテクチャの見直しの動きと,開発フェーズにおける企業間関係(自動車メーカーとサプライヤー,サプライヤー同士)の緊密化が観測された。なぜ,製品アーキテクチャの複雑性を減らそうとしているのに,むしろ外注部品の動きは緊密な調整を伴う企業間関係へと変化しつつあるのか。この一見矛盾したようにみえる現象をどのように理解したらいいのだろうか。これに答えるために,次章以降で事例研究を通じて具体的かつ詳細な分析を行った。

第4章では,1990年代末に多くの企業が行ったモジュール開発のパターンとして,対等関係にあるピア・グループ(サプライヤー同士)による協業開発の事例(トヨタ系のセンタークラスター・モジュールとホンダ系の燃料ポンプモジュール)について分析を行った。分析の結果,他社の製品(コンポーネント)に関する知識や車体に関する知識,機会主義的な行動,参加企業の部品の機能・コストに関する評価能力などの不足によって,ピア・グループによる企業間分業構造の変化を伴う製品アーキテクチャの変化は限界があることが明らかになった。つまり,製品アーキテクチャの変化としてのモジュラー化には関連知識を有する中核的な企業の不在が不可欠であることが分かった。これらの結果はアンケート調査の結果にも確認できる。

これらの結果と示唆をもとに,次章より,比較的に自動車メーカーが主導権を持って進められた2つの事例研究(合併と自動車メーカーとの協力(指導・支援))を取り上げるここでは,(1)日産とマツダにおいて,そもそもモジュール化はどのような状況から始まり,どのような要因によって進行するのか,(2)それはサプライヤーにどのように影響を与え,サプライヤーはどのように対応していたのか,(3)その結果,納入単位(モジュール)において製品アーキテクチャがどのように変わり,さらにそれが企業間関係(自動車メーカーとサプリアやー)はどのように変わってきたのか,(4)それによって製品アーキテクチャの変化はどのようなプロセスで起こるのか,などそのプロセスにあるダイナミズムを分析する。その際,自動車メーカーとサプライヤーの両面からアプローチしながら,知識の獲得経路に注目しつつ,製品アーキテクチャの変化プロセスについて分析を行う。

第5章では日産-カルソニックカンセイのケースを取り上げる。日産のモジュール化戦略は経営悪化の再建プロセスの中で,購買政策の原価低減活動の一環として,あくまでも日産が主導権を握った形で始まり,日産には一定の成果をもたらした。しかし,取引環境の変化と開発業務まで担うことになったサプライヤーであるカルソニックカンセイには大きな危機感と負担を負うことになった。最大納入先である日産の厳しい原価低減要求と購買政策の変化,すなわち部品の集成度が高くなった新しい納入単位の設定,それによる業務タスクの幅の変化に対して,当初旧カルソニックは技術補完性の高い合併(カンセイとの合併)を通じて日産のモジュール化戦略に対応した。ところが,日産にとってモジュール化戦略はメリットがあったものの,サプライヤーにとっては与えられた納入単位を組立するだけではあまり大きなメリットが得られなかった。そこで,同社は製品アーキテクチャのモジュラー化に必要な関連コンポーネント知識やシステム知識(車両構造に関する知識)を獲得・内部化を行った。カルソニックカンセイは開発と取引を重ねるうち,当初の自動車メーカーの戦略的意図(単純なサブアセンブリー)を超えるものとなり,納入単位の中での製品アーキテクチャの見直しを行った。つまり,本来の意味での製品アーキテクチャの変化(モジュラー化)が,当初の予想とは異なる思わぬ結果としてサブシステムレベルで起こったのである。言い換えると,単純なモジュール化生産が企業間関係に影響を与え,納入単位の構成部品レベルでの製品アーキテクチャのモジュラー化を起こったのである。その結果,自動車メーカーとサプライヤーの関係は,再びモジュール化戦略を展開し始めた時と一変し,カルソニックカンセイに対する日産のガバナンスの強化をもたらし,より緊密な企業間関係を再構築することになったのである。

要するに,本章の分析から,製品アーキテクチャの変化に必要な知識が複数の企業に跨っている場合,参加メンバー企業の異なる戦略的志向や交渉力の差に影響を受け,また,製品アーキテクチャと企業間関係の動態的な相互作用の結果,製品アーキテクチャの変化は複雑で創発的なプロセスになりうることがわかった。また,複数の組織に知識が分散している場合,システム全体からサブシステムを切り出し,分業の境界線を再設定するためには,一旦,各組織が分有している知識を統合するプロセスが先行するプロセスがあったことが確認された。

続けて第6章では,マツダとD社のモジュール化戦略とそのプロセスを取り上げ,自動車メーカーとサプライヤーの協調に基づいたモジュール開発プロセスを考察する。同ケースでも,組織内外に分散している知識を統合しつつ,単純に部品集積度を高めるサブアセンブリー型から,モジュールを構成する部品レベルで,設計段階で設計の見直しや製品機能の統合化,構造の一体化などの製品アーキテクチャの変化としてのモジュラー化が起きたのである。また,製品アーキテクチャの変化プロセスとしてのモジュラー化の技術的な要因として,製品機能や構造の統合化に樹脂(材料イノベーション)が重要な役割を果たしていることがわかった。最後に,日産-カルソニックカンセイの事例と比較を行った。2つのケースは,(1)両社ともに海外自動車メーカーとの戦略的提携関係を持っていたこと,(2)本格的に「モジュール化(生産)」戦略をスタートした時期は経営財務状況が不振であったこと,といった類似点がある。また,日産とマツダの2つの製品アーキテクチャの変化プロセスを見ると,設計のモジュラー化への方向性(機能中心)は同様である反面,サプライヤーの知識のレベルまたは組織能力の差によって,アウトソーシングの業務範囲に違いが生じることがわかった。

以上の分析を通じて導き出される結論(第7章)は2つが挙げられる。

第1に,製品アーキテクチャの変化としてのモジュラー化プロセスは,いくつかの段階を踏んで一定方向や一定の手順で進行するとは限らず,製品アーキテクチャの変化と企業間関係の変化の相互作用によって,創発的かつ複雑なプロセスで起こる可能性があることである。この結果は,これまでの製品アーキテクチャ論に関する既存研究であまり注目しなかった,製品アーキテクチャの変化プロセスとしてのモジュラー化プロセスを明らかにしたことは本研究の貢献であろう。また,自動車産業におけるモジュール化研究と関連して,製品アーキテクチャの変化は生産システムや企業間システムとの複合的な関係の中で進展することが,事例研究を通じて明らかになったのが本研究の貢献といえよう。

第2に,製品知識が複数企業に分散している場合,製品アーキテクチャの見直しのため,分散された知識を統合するプロセスが先行すべきであることである。つまり,製品アーキテクチャの変化プロセスとしてのモジュラー化プロセスは,知識の統合化プロセスとして捉えることができることである。製品アーキテクチャの変化の際,特にモジュラー化プロセスにおいても,組織内部に製品全体に関する知識の保持,統合が重要であることが示唆された。これまでの研究は製品アーキテクチャのタイプと知識及び組織のタイプとの間には対応関係にあるとした。しかし,本研究の結果からみると,製品アーキテクチャのモジュラー化への移行プロセス期においては,新たな製品設計の見直しのために,モジュラー型組織形態や知識タイプが要求されるより,むしろ製品システムに関する幅広く深い知識を統合できるインテグラル型組織構造が必要になることである。

本研究を通じて,上記の結果以外に,次のような示唆も得られた。

1つ目,製品アーキテクチャの変化と知識との関連性に関するものである。製品アーキテクチャの変化する際に,知識が分散している場合,製品システム全体に関する知識を有する組織の存在や役割が重要であることである。

2つ目,知識と企業間分業構造に関するものである。製品開発を含めた企業間分業の変化は,開発発に必要な知識の境界と納入単位(製品単位)の知識の境界との間にズレが生じる。これは,製品アーキテクチャの変化や企業間分業構造の変化する際,生産業務に関する知識の範囲だけではなく,製品システムに関する幅広い知識を有するべきであることを示唆する。

3つ目,合併関連研究についてである。合併の有効な形態やパターンに関する研究ではシナジー効果や技術的近接性が多く指摘されるが,合併後のプロセスにおける知識の統合の重要性に焦点を与えた実証研究は少なかった。その点で,合併後に組織に分散された知識を統合するプロセスと,従来のルーチンや考え方を変えながら,各部門間の緊密な調整を行うことが,合併後の最も重要なマネジメント課題であり,それが合併の成功を左右する要因であることが指摘できる。

以上が本研究の結果と貢献である。本研究は限界があるものの,本研究の結果や示唆から,今後,製品知識の分散,企業間関係(中核企業とサプライヤー)の変化を考慮に入れた視点での製品アーキテクチャの変化やその動因,技術戦略に関する研究が期待できると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、製品アーキテクチャが変化し、企業間の分業関係が再設定される時、企業間で分散化した知識をどのように統合するか、すなわち知識の統合化プロセスを理論的・実証的に検討した研究である。

一般に製品アーキテクチャとは、製品設計思想のことであり、製品の機能設計要素と構造設計要素の関係、あるいは構造要素間のインターフェース(結合部分)をどのように構築するかに関する、設計者の基本構想のことである。アーキテクチャの基本タイプ、その強み弱み、あるいは取引形態、組織構造、組織能力、経営戦略、情報技術などとの相互連関については、90年代以来、内外の社会科学領域において、理論的・実証的研究が進みつつある。

本論もその研究の流れに沿った研究であるが、これまでの研究がやや静態的なアプローチ、つまり所与の完結したアーキテクチャが持つ特性に対する考察に偏っていたのに対し、本論文は、モジュラー型アーキテクチャ(構造要素の機能完結性、インターフェースの標準性といった特性を持つ設計思想)へ向かう「アーキテクチャの変化」のプロセス、すなわち「モジュール化」を対象とする。とりわけ、モジュール化に先立って必要となる「知識統合プロセス」に焦点を当てている。

より具体的には、製品に関する知識が複数企業(例えば組立企業と部品製造企業)の間に分散している場合、とりわけ製品アーキテクチャの変更に伴って企業間分業の境界性を再設定する必要がある場合、製品全体の要素連関に関する「システム知識」と、要素特殊的な「コンポーネント知識」を企業間で再統合するプロセスが先行する必要があると主張する。自動車部品のモジュール化を、実証分析の対象として選択し、複数の企業、品目において事例分析を行っている。

本論文は、3部8章の構成となっている。その概要は以下の通りである。

第1部〈序論〉の第1章はイントロダクションで、問題設定と論文の構成に言及している。ここでは、モジュラー・アーキテクチャへの変化、すなわち、システムの機能・構造の再配分、切り分け方の再設定といったアーキテクチャの変化を「モジュラー化プロセス」として捉え、それがコンポーネント知識の再統合、システム知識の再編成を必要とすることを指摘する。

一方、産業界で言われるところの「モジュール化」は、これと似て非なる概念であることを示す。すなわち、自動車産業における実態としての「モジュール化」の特徴は、機能完結性は二の次として、構造一体の大モジュール(サブアッセンブリー)を外注化することである。この動きに応じて欧米の大手サプライヤーは合併により巨大化したが、アーキテクチャの変化を伴わないものが多く、経済的な成果も限定されたものが多かった。本論の論点を先取りするなら、アーキテクチャ転換としての「モジュラー化プロセス」と、実態としてのいわゆる「モジュール化」の間のこのずれが、実際のアーキテクチャの進化に意図せざる重要な影響を及ぼす、という点が、本論の中心的な指摘の一つである。また、製品に関するシステム知識やコンポーネント知識が複数企業に分散している場合、特定の製品アーキテクチャの変化に対する組立企業と部品企業の戦略は必ずしも一致せず、また、結果としてのアーキテクチャの変化は、個々の企業の計画を超えた創発的なものになりうることをも示唆している。

第2章は先行研究の文献調査である。まず、アーキテクチャ論の研究の流れと基本概念について分析する。アーキテクチャの変化はそれ自体がイノベーションであること、イノベーションにおいて外部組織の知識の利用が重要であること、などを指摘した上で、アーキテクチャを製品の機能階層と構造階層の対応関係と規定し、アーキテクチャをモジュラー型の方向へ変化させること、つまり準分解可能なモジュールに機能分割・構造分割しなおすことを「モジュール化プロセス」と規定する。

次に、サプライヤー・および製品開発論の関連文献、とりわけ企業間分業の再設定と製品開発に関する知識論に焦点を当てる。日本型サプライヤーシステムの諸特性が指摘され、製品開発知識には「システム知識」と「コンポーネント知識」の別があることを示す。また、外部知識の獲得経路として提携と合併があると指摘する。

以上の先行研究から、アーキテクチャ類型、組織構造、企業間関係、イノベーション類型の間の静態的適合関係の研究があること、アーキテクチャと製品開発知識の間にも静態的な関係がみられること、製品開発知識がサプライヤーシステムに階層的に分散していること、欧米自動車産業のサブアッセンブリー外注を重視するモジュール化と、設計改善を重視する日本のそれとは方向性が異なること、などが分かったが、これを「製品アーキテクチャの変化が分業関係や知識獲得に与える動態的な影響」に関する分析に展開する研究は希薄であったと指摘する。

次に、分析枠組および研究方法を示す。ここでは「モジュラー化プロセス」を、単純な製品アーキテクチャの変更ではなく、生産・企業間関係・製品アーキテクチャ、それぞれに関する階層構造の変化が複雑に関連しあう「複合ヒエラルキー」の相互適応プロセスととらえる。つまり、製品アーキテクチャの変更、企業間分業の再設定、知識の境界の相互浸透が同時に起こるプロセスである。そこでは、アーキテクチャ変化と組織形態の不適合化、知識の階層的分散(システム知識は自動車メーカー、コンポーネント知識はサプライヤー)が常態であり、アーキテクチャと分業関係を押し付ける自動車企業側と、それに応じた評価・管理能力の構築を行うサプライヤーの思惑が錯綜する。こうした動態的な枠組を採用する。

以上を踏まえて、第2部〈第3~第6章〉は実証分析編である。

本論は、これ以後、実証分析に入る。

第3章は、アンケート調査をベースにした、モジュール化に関する実態把握である。日本の自動車部品企業に対する2回のアンケート調査から、アーキテクチャおよび分業パターンの経時的変化を把握している。ここで、欧米の「サブアッセンブリー外注」とは異なり、部品共通化、機能統合化・複合化、構造一体化といった設計改善が重視されていることを確認する。また、これに連動して自動車メーカーとサプライヤーの共同開発の早期化・緊密化、後者の責任拡大、他サプライヤーとの開発連携強化が顕著である。つまり、企業間の関係は、かえって緊密化しているのである。

第4章では、こうした統計分析を踏まえて、サプライヤー間の協業開発により機能統合モジュールを開発した事例分析として、燃料ポンプモジュール(本田系)とセンタークラスター・モジュール(トヨタ系)の開発事例を記述・分析している。しかし、これらのケースでは、サプライヤー相互の調整力不足、および知識の分散ゆえに、サプライヤーにとってのメリットは大きくなかったと結論付ける。つまり、サプライヤーは、十分なシステム知識を獲得することが出来なかったのである。

一方、第5章と第6章は、サプライヤーがシステム知識を獲得し、ある程度有効な機能統合モジュール開発を成功させた事例をみている。まず第5章では、日産自動車とカルソニックカンセイ(部品メーカー)の間でのモジュール化と分業再設定を記述・分析する。これは、サプライヤーの合併と自動車メーカーの連携がシステム知識の獲得に資したケースである。

日産では、コックピット、フロントエンドなどのモジュール化(構造一体化)、モジュール・サプライヤーの担当範囲の拡大、生産におけるモジュールサブ組立ラインとモジュール検査工程の新設が相互に関連しつつ進んだ。これに伴い、サプライヤー側にはコンセプト共有、モジュール開発・生産、提案の組織能力が要求されるのだが、これに対してカルソニックカンセイ(CK)は、2社の技術補完的な合併により2つのコンポーネント知識を統合化し、モジュール統合センターを新設し、機能横断的開発チーム(DP)や開発リーダー(モジュール推進主管)を設け、対顧客提案力、先行開発能力、機能統合力を強化した。

また、モジュール知識を獲得し統合するために、システム知識を持ったカーメーカー出身人材の活用、システム知識の外部学習、プロジェクトへの知識移転といった仕掛けを設けた。そうした中で実際に設計用の再結合により、モジュールのアーキテクチャが進化した。生産面の組織能力も、日産との同期化、柔軟性、品質作りこみなどにおいて高度化した。こうして、カーメーカーの設計モジュール化方針に応じて、分業構造、生産構造が変化し、これに対応してサプライヤーが合併や組織再編によって必要な知識や能力を構築する、複合的かつ動態的な組織間関係が確認された。また、こうしたサプライヤーの事後的能力構築によって、カーメーカーの当初の戦略的意図を超える形で、日産とCK社の間の緊密な関係が再構築されたことが指摘される。

第6章では、マツダと部品メーカーD社を取り上げる。ここでは、自動車メーカーとサプライヤーの連携により、サプライヤーが機能統合モジュール開発に必要なシステム知識を獲得していくプロセスが示される。マツダは伝統的に生産合理化(サブアセンブリー型モジュール)と設計合理化(機能統合モジュール)を指向するモジュール化に強く、提携先フォードと連携した世界最適調達と地場モジュールメーカー育成を同時に行った。マツダの場合、特に高強度樹脂化という材料技術が機能統合モジュール化の推進力となっている。これに対し、サプライヤーのD社は、マツダと共同開発体制を組み、主に生産技術上の貢献をしている。また、生産面でも、メインラインの短縮化、サブ組立ラインでの工数変動吸収、作業性向上が進んでいる。つまり、ここでも設計、生産、企業間分業におけるモジュール化が同時に観察される。特に近年は、CKのケース同様、生産モジュール化(サブアセンブリー)から設計モジュール化(機能統合)へ重心がシフトしている。一方、D社も、分業再設定に応じて、品質保証、製品開発の両面で能力構築を行い、機能統合モジュールの開発に必要なシステム知識を獲得したのである。

第3部〈第7章、第8章〉は、結論と今後の展望である。第7章では、以上の事例を総括し、結論を導き出す。第1に、アーキテクチャ変化としてのモジュラー化プロセスは、特に知識が複数企業に分散している場合、各社の計画に従って一定方向に進むとは限らず、紆余曲折を伴って創発的かつ複雑な経路をたどることがあると主張する。例えば、「モジュール化」は当初、単純にサブアッセンブリー納入単位を大きくするという取り組みから始まったが、自動車メーカーとサプライヤーの創発的な相互作用の結果、アーキテクチャの面では、自動車のモジュラー・アーキテクチャ化ではなく、モジュール内部のレイヤーでのモジュラー・アーキテクチャ化が進んだと指摘する。これは当初の計画には無かった結果である。

第2に、知識が企業間に分散した状況においては、アーキテクチャのモジュラー化に先立って「知識の統合化プロセス」が必要である、という一見パラドキシカルな現象が指摘される。モジュラー化とは本質的に「企業間分業の再設定」でもあり、アーキテクチャのモジュール化はサプライヤーの新知識獲得、組織学習・能力構築といった対応戦略を伴うのである。モジュール統合を念頭においた部品メーカー間の合併においても、知識統合が重要な成功要因であることが示唆される。

また、モジュール化においては、モノの面での企業間分業の境界が、知識の境界とはずれることを指摘している。モジュールメーカーは、分業における守備範囲を超えて、カーメーカーのシステム知識も重複して保持している必要があるのである。

実践的な含意としては、まず自動車企業(買い手)としては取引相手である部品企業の知識や能力の把握、部品メーカー(売り手)としては評価能力と顧客ニーズ把握能力の向上がある。要するに、企業間の知識の相互浸透である。

最後に、事例の追加、企業間提携の分析、長期調査、他製品との比較など、今後の課題を挙げている。

本論文の概要は以上の通りであるが、これに対する本委員会の評価は以下の通りである。

まず、アーキテクチャのモジュラー化という、近年研究の蓄積の著しいテーマの研究ではあるが、複数の企業がアーキテクチャの変化に関与し、その間において製品設計知識が分散している場合を取り上げた点に新しい視点を見出すことが出来る。とりわけ、モジュラー・アーキテクチャへの変化に、知識の統合化プロセスが先行する必要があることを、詳細な実証分析を通じて明らかにしたことは、この分野の研究に対する新たな貢献として評価できる。

また、そうした複数の企業の相互作用によってモジュール化が進む場合、各企業の利害や思惑の相互作用により、各企業の当初の意図とは異なる形で製品のアーキテクチャが変化する可能性のあることを、実態に即して示したことも、新しい知見である。本論文により、設計論を原点とするアーキテクチャ論と、システム創発を重視する進化論的な視点とが、はじめて明確な形で融合したとみることができる。

むろん、本論にも課題は多い。例えば、トヨタ自動車、本田技研など、いわゆるモジュール化には慎重であった企業が高いパフォーマンスを出す傾向があったことが知られているが、こうした企業のケースが充実していない。他の産業との比較分析の視点も欲しい。要するに、一般化可能性に一定の課題を残している。さらに、業界で使われている「モジュール化」概念や、アーキテクチャ論における「モジュラー・アーキテクチャ化」など、類似した概念が錯綜する中、本論は、その複雑なプロセスをよくフォローしているが、いまだ概念の整理〈例えば構造一体モジュールと機能一体モジュールの関係など〉は完全とはいえないかもしれない。

こうした問題は残すものの、本論文は、従来やや静態的な適合性分析が多かったアーキテクチャ関連の経営学研究に対して、動態的な分析枠組、および企業間の相互作用という創発的な視点を導入した点で新しく、学界への貢献は十分にあると考えられる。以上のような評価をもって、本審査委員会は、本論文を、本学大学院経済学研究科の課程博士論文として十分な水準に達するものと認めることで、合意に至った。

以上

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