学位論文要旨



No 122874
著者(漢字) 金,淑賢
著者(英字)
著者(カナ) キム,スキョン
標題(和) 中韓国交正常化に関する研究
標題(洋)
報告番号 122874
報告番号 甲22874
学位授与日 2007.05.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第755号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 准教授 木宮,正史
 東京大学 准教授 川島,真
 東京大学 准教授 石井,明
 静岡県立大学 教授 平岩,俊司
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は一次資料に基づき、今まで解明されていない中韓国交正常化の背景や交渉プロセス、その内容を明らかにすることと、解明した歴史的事実に基づき、中韓関係及び中韓国交正常化についての新しい解釈を提示することである。まず、最近出版された国交正常化関係者の回顧録に基づき、外交文書、新聞、交渉参加した当事者のインタビューを中心に交渉過程と内容を明確にし、中韓国交正常化が持つ意味と影響を明らかになった歴史事実に基づいて再解釈を行うことを目指す。

朝鮮半島をめぐる東アジアの冷戦後10年間は、今までの歴史の中でもっともダイナミックな時期であり、だれも予測できなかった出来事が起きていると言えるだろう。現在、朝鮮半島では北朝鮮の経済悪化が深刻化していく中、大勢の脱北者が生じ、中国の国境を越えたり、第三国を経由して韓国へ流れていく。朝鮮半島の分断体制は依然として継続していて、北朝鮮は、より厳しくなっていく経済制裁や抑止に対し、核を交渉カードとしながら、アメリカ及び周辺国との会談を続けているものの、いまだに解決はできていない。

冷戦期に遡ると、韓国は、北朝鮮とは1950年の朝鮮戦争が勃発し、1953年の休戦協定を締結以来、敵対関係を維持してきた。ところが、1971年の米中接近により、韓国の対北朝鮮への立場は少し変化した。そして、1980年代の後半からは「北方政策」を積極的に推進し、1998年、金大中が大統領に就任してからは、いわゆる「太陽政策」を打ち出した。その結果、2000年6月13日に韓国の金大中大統領が平壌を訪問し、金正日と会談を行うこととなった。これは、1948年南北分断以来、初めての南北首脳会談が実現されたもので、韓国国内はもちろん、世界的にも大きな衝撃を与えた。これをきっかけに南北関係は、南北赤十字会談や長官級会談を持つなど大きな進展を見せることとなる。

最近、中国は同盟国の北朝鮮に対し、今まで行ってきた経済援助を減らす一方で、北朝鮮を代弁する姿勢を一変させた。その傍ら、北朝鮮が国際社会から孤立することを防ぐため、交渉の場へ出るよう、積極的に説得をしている。日本も、東アジアの国の中で、唯一国交を結んでいない北朝鮮との国交正常化のため、首脳会談を行うなど交渉をすることとなったが、北朝鮮の核問題やミサイル発射問題、拉致問題など、両国の立場を確認するにとどまり、溝は深まりつつある。

北朝鮮の核問題の解決においては六者会議など、一国の問題を、利害関係のある国家が共同で解決しようとする新たな動きも出てきた。それから、地域的な経済相互依存の高まりにより、FTA交渉や東アジア共同体の浮上など、地域的一体感が生まれつつある。

こうした朝鮮半島をめぐる東アジアの政治的変容は、主に、1992年の中国と韓国の国交正常化以後の出来事であり、この中韓国交正常化は、韓国国内及び朝鮮半島、広くは東アジア国際政治の変容に大きな影響を与えたと考えられる。

したがって、昨今発生したあらゆる不測の事態の原因や内容を正しく理解するため、それから変容しつつある東アジアの国際情勢をより明確に認識するためには、1992年に行われた中国と韓国の国交正常化への検討が必要であり、この二ヶ国、つまり中国と韓国間で起きた歴史的事実を総合的に説明する必要があると考えられる。

1988年2月、韓国の第6代目の大統領として選出された盧泰愚は、大統領の就任式で、北方外交を進める方針を示し、国際情勢の変化に合わせた新しい外交政策を展開してきた。北方外交は東ヨーロッパを中心とする社会主義国家と共産圏国家との関係を正常化することを目標とし、究極的には朝鮮半島の平和と安定、統一まで視野に入れているグランド・デザインの政策である。この北方外交についての評価は様々であるが、東北アジアの国際情勢の変化と朝鮮半島をめぐる現状に大きな影響を与えた外交政策には違いない。この意味においても、北方外交の基になる北方政策を再検討し、正しく理解する必要がある。

1992年8月23日、銭其〓中国外交部長と李相玉韓国外務部長官が、中国北京で「大韓民国と中華人民共和国の外交関係樹立に関する共同声明」に署名した。翌日、国交正常化発効とともに、中韓関係は新たな関係を踏み出すこととなった。この中韓国交正常化は、単なる二国間の外交関係の正常化だけでなく、多くの面において重要な意味をもつ出来事である。米ソ二極対立構造や二つのイデオロギーの対立と言われる冷戦の中、中国と韓国は40年以上関係を断絶してきた。これは、北朝鮮と中華民国の二つの変数も含まれている複合的構造となっていた。中国と北朝鮮は「血盟」、「鮮血で塗り固められた緊密な関係」といわれるほど、政治、経済、文化、そして歴史的に非常に緊密でかつ重要な国家関係であった。それに加え、韓国と台湾も1948年の大韓民国政府発足以前、反日運動時代から固い絆で結束されていた関係だった。だが、中韓国交正常化によりこの複合的構図は崩れることとなる。そして、中韓国交正常化以後の東アジアでは様々は出来事が起きることとなったのである。

1992年前後の朝鮮半島をめぐる東アジアでは一体何が起きたのか。なぜ中国と韓国は既存の外交システムを崩し、国交を正常化にすることとなったのか。40年以上断絶していた両国は、どのような歴史的背景を持ち、いかなる国交正常化にいたる起源やプロセスをたどったのか。長期間の断絶を克服するため、どのようにコンタクトをとり、誰がアクターの役割を果たしたのかが疑問となる。もっとも重要な事案だった北朝鮮と「一つの中国」につながる台湾問題はどうやって決着をつけたのか。中韓国交正常化後の東アジアはどのように変化してきたのか。中韓国交正常化は、一般的に言われるように冷戦終焉の産物であるのか。これらの問題意識を持ちながら、本研究では中韓国交正常化について、主として韓国側の視点から歴史的に検討していく。

本研究の分析の特徴は、1992年の中韓国交正常化を中心に、その前後の出来事について、「時系列分析」とともに「空間分析」を同時に行うことである。このようにしてはじめて、より明確な中韓国交正常化の意味と評価、それから中韓国交正常化後の韓国国内、南北関係、朝鮮半島、東北アジア全般のシステムの変化を、ダイナミックかつ総合的に分析できると考えられる。

この研究の視点は韓国を中心とするため、基本的に韓国側の公開資料と非公開文書及び大統領の回顧録及び近年出版された、中韓国交正常化当時の韓国外務長官であった官僚の回顧録、関係者とのインタビューを中心に用いる。

以上の問題意識と研究目的、研究視角に基づいて研究を行った結果、まず、北朝鮮の核問題やミサイル発射問題など、北朝鮮のこうした行動は1990年代初めから目立つようになった。その傍ら、アメリカや日本との関係正常化姿勢も見せている。このような北朝鮮の行動は経済悪化、中国と韓国の接近、ソ連の崩壊など、冷戦終焉がもたらした産物ともいえる。この北朝鮮の行動を冷戦の残存として解釈することも可能であると思う。しかしながら、北朝鮮の核開発やミサイル発射など、存在感を拡大させる行為は、北朝鮮が国際社会から孤立していく証拠として考えられる。北朝鮮の問題を解決しようと韓国、中国、日本を含む多国間での会談が行われることとなったことも冷戦期では想像できなかったことである。

話題を原点に戻すと、北朝鮮はなぜ、核兵器を持とうとしているのか。冷戦期の北朝鮮は中国とソ連によって安全が保障されていた。すでに核兵器を持っていた中国とソ連との軍事同盟を結んでいる北朝鮮にとっては、あえて核兵器を確保する必要が少なかったと考えられる。ところが、中国と旧ソ連の韓国接近と、1990年代に入ってからの国交正常化は北朝鮮にとっては、単なる冷戦終焉の流れや産物として受け止めることが難しかったと思われる。これが北朝鮮により核兵器を持つ一つのきっかけを提供したように思う。つまり、1990年代からの北朝鮮の脅威は、韓国の中国、ソ連との国交正常化に基づく東北アジアの冷戦の終焉があったから可能なことだったのである。言い換えれば、東北アジアの冷戦崩壊、新システムの誕生は北朝鮮にすると核開発をさせる動機となったのである。

東北アジアの冷戦崩壊、新しいシステムを作ることにおいて、決定的かつ象徴的な出来事が1992年の中国と韓国の国交正常化である。北朝鮮からして東北アジアで最後のとりでだった中国の見捨ては北朝鮮を東北アジアの国際社会から孤立させ、新たな冷戦が勃発することとなった。従って、東北アジアの既存の冷戦終焉は中韓国交正常化に帰結できると考えられる。

以上の論点を踏まえ、中韓国交正常化がもたらした影響及びその評価についてまとめてみると、三つにわけて説明することが可能である。まず、一つ目は、韓国の北方政策の成果として中韓国交正常化が評価できる。北方政策は韓国の外交政策の一つの転換点となった政策で、その成功と成果は太陽政策、包容政策につながる基本となった。東ヨーロッパ社会主義国家から始まった関係改善は、1991年のソ連、1992年の中国を最後にイデオロギーや国家システムの差から制限されていた外交の幅を大きく開き、韓国外交の動きが活発化した。特に、北朝鮮と特殊的関係を持っていた中国との国交正常化は、それまでの朝鮮半島の構造を変容させる出来事であり、北方政策の成果と評価できる。

二つ目は、南北関係についても変化をもたらしたことが評価できる。中韓国交正常化の条件とされた南北同時国連加盟は、朝鮮半島に正式国家が二つ存在することを南北がみとめることだった。それから、北朝鮮と特殊関係を持ち続けていた中国と、韓国との国交正常化は、北朝鮮にとっては、何より大きな衝撃となったのに違いない。その後の北朝鮮の韓国に対する姿勢は大きく変化する。南北高位会談にも積極的に応じることとなり、南北基本合意書にも合意した。もちろん、結果的にはまだ解決されてないたくさんの問題を背負い、新しい緊張と危機が生じているが、韓国と北朝鮮はお互いに親密的な存在として感じることとなったのは違いない。

三つ目は、東北アジアの国際システムを変容させた出来事として評価できる。1989年ベルリンの障壁が崩壊され、冷戦が終焉したものの、東北アジアでは冷戦が存続していた。特に、朝鮮半島を巡る周辺国との葛藤が解決の兆しが見えなかったのである。ところが、それまで政経分離の関係だった中国と韓国が国交を結ぶことで、既存の東北アジア冷戦の構造が変化することとなったのである。すなわち、中国と北朝鮮、韓国と台湾という冷戦が生み出した構造が崩れ、経済を中心とする新しい東北アジアシステムが構築されるきっかけとなった。つまり、1992年8月24日の中韓国交正常化は東北アジア内の脱冷戦を意味し、これは、中国、韓国、北朝鮮、台湾を含む東北アジアのシステムの変容に大きな影響を及ぼしたと評価できる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「中韓国交正常化に関する研究」は、1992年8月に中国と韓国が国交を樹立するに至った過程を、現在入手可能な資料に基づきながら、詳細に記述・分析するとともに、その結果として起こった韓国と台湾との断交の過程をも記述・分析し、さらに中韓国交正常化が東アジアの国際政治に与えた影響についても考察を加えた業績である。冷戦下の朝鮮半島においては、長い間、ソ連と中国が北朝鮮と国交を持ち、アメリカと日本そして台湾(中華民国)が韓国と国交を持つという状態が継続していたが、1990年のソ連と韓国の国交正常化と1992年の中国と韓国の国交正常化で、その構図が変化することになった。とくに中韓国交正常化以後、朝鮮半島の国際情勢は、北朝鮮の核開発問題などに象徴されるように大きな変化をとげてきた。しかしながら、これまで、中韓国交正常化について本格的な実証研究は少なかった。本論文は、この重要な問題に関する研究上の欠落を埋める業績であり、そのことによって、現代東アジア国際政治の分析に新たな視点を投げかける業績である。

論文は、序にくわえて7つの章から構成されている。序では、なぜ1992年に中韓国交正常化が実現したのかという根本的問題を提起したうえで、これまでの先行研究を検討し、韓国の動向を中心にした本格的な実証研究がほとんど存在しないことを明らかにする。第1章は、「中韓関係の歴史的考察」で、1980年代にいたる両国関係の歴史を概観する。第2章は、「韓国の北方政策の台頭と展開」であり、盧泰愚政権になって本格的に開始された「北方政策」の概念とその政策遂行の過程を分析する。この中で、一つの大きな事例として、ソ連と韓国との国交正常化の過程が明らかにされる。第3章は、「中韓国交正常化交渉過程Iー貿易代表部開設から南北国連同時加盟までー」で、盧泰愚政権がさまざまな非公式接触者を利用しつつ中国との関係を改善させ、南北の国連同時加盟を実現させていった過程が記述・分析される。第4章は、「中韓国交正常化交渉過程IIー予備会談から共同声明発表までー」で、両国の間で行われた実際の国交正常化の交渉過程が記述・分析される。とくに中国が韓国に対して台湾が中国の一部であることの「承認」を迫ったのにたいし、韓国が中国に対して朝鮮戦争への参戦について遺憾の意の表明を迫ったことが明らかにされる。結局、国交正常化を実現した共同声明では、中国は朝鮮戦争参戦問題には触れないということになる一方、韓国は台湾が中国の一部であるとの中国の立場を「尊重する」という形になった。第5章は、「韓台断交」であり、中韓国交正常化の反面としての韓国と台湾関係を詳細に叙述している。韓国の台湾に対する事前通告が遅れたことや、台湾の財産の処分などを巡って断交の過程は極めて困難なものとなった。それ以後の悪化した状態も含めて、これまでほとんど分析されることのなかった韓台断交の過程を本章は明らかにしている。第6章は、「中韓国交正常化と東北アジアの変容」であり、中韓国交正常化後の東アジアの国際政治の動向を振り返り、地域の安定に果たした中韓国交の肯定的側面と否定的側面を考察している。第7章は、全体の結論として、これまでの章の内容を要約し、東アジア国際政治への影響についての解釈を提示している。

本論文は、以下の三つの点において高く評価できる。第1に、中国と韓国の国交正常化という、極めて重要であるにもかかわらずほとんど本格的な先行研究のない国際政治上のテーマについて、中国と韓国双方の当事者の回顧録を徹底的に読み込むことによって、本格的な実証的記述と分析を与えたことである。本研究によって、韓国側が中国側に一方的に譲歩していたわけではないことが明らかになった。中国への接近における非公式接触者の役割(とその限界)を示したことも、本論文が実証したことである。第2に、本論文は、中韓国交正常化に伴って起こった韓国と台湾の断交過程もまた詳細に記述・分析にしており、この点もまた、いままでの研究にはほとんど見られなかったことであり評価できる。中国との国交正常化の過程で、韓国がどのように台湾に対したかは、これまで一般的には知られてきたが、本論文のように詳細に記述・分析した業績はなかった。これによって、なにゆえ韓台関係がその後10年強にわたって、停滞したかが明らかになった。第3に、本論文は、中韓国交正常化を取り囲むいくつもの出来事に対して、新しい分析の視点を提供している。これまで十分評価されてこなかった盧泰愚大統領の「北方政策」についての再評価もその一つである。また、中韓国交正常化が、その後の国際情勢の安定にあたえた肯定的側面とともに否定的側面に関する考察も、今後の東アジア国際政治研究に有益な視点をあたえるものである。

もちろん、本論文にも改善すべき点がないわけではない。実証面でいえば、本論文が依拠した資料の限界がある。これは現段階で公開されている資料が限られているため、やむをえないのであるが、やはり限られた数の当事者の回顧に依拠しているため、依然として、これですべてが実証的に解明されたとは言い難い面が残るのである。今後の研究に期待せざるをえない。また、さまざまな実証的事例を解釈するための概念枠組みが十分明示されているとはいえないという問題も指摘しうる。中韓国交正常化によって東アジア国際政治の何が変わったのかは、実証的課題であるとともに、東アジア国際政治をとらえるための概念枠組みの問題でもある。この面において、本論文は十分明示的な議論を展開しているとはいえない。しかしながら、本論文は、随所で中韓国正常化が東アジア国際政治全体に与えた影響について具体的に議論しているのであって、その意味で、冷戦後の東アジア国際政治に関心を持つ者にたいして貴重な視点を提供している。つまり、これらの改善を要する問題は、本論文の学術的価値を大きく引き下げるものではない。したがって、本審査委員会は、本論文を、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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