学位論文要旨



No 122875
著者(漢字) 金,暎根
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヨングン
標題(和) アメリカの通商政策における301条とGATT/WT0 : 対立と収斂のプロセス
標題(洋)
報告番号 122875
報告番号 甲22875
学位授与日 2007.05.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第756号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古城,佳子
 東京大学 教授 恒川,惠市
 東京大学 教授 小寺,彰
 東京大学 准教授 内山,融
 青山学院大学 教授 山本,吉宣
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、アメリカの通商政策における通商法301条(1974年の通商法301条及び1988年包括通商法のいわゆるスーパー301条)とGATT/WTOとの関係を明らかにする試みである。通商法301条は、80年代から90年代にかけて、アメリカが通商問題を処理する上での基本的指針とみなされてきた。その時期における301条は、アメリカにとって、GATT/WTOといった国際制度の掲げる「普遍的(一般的)な相互主義」から乖離して自らの要求を押し付ける「独善的(特定的)な相互主義」の手段であった。しかし、1990年代になると301条は、GATT/WTOの「普遍的(一般的)な相互主義」と整合的なものだと論ぜられるようになり、WTOが発足した95年以降、制裁の手段として用いられることはなくなった(序章及び第1章)。

本論文第2章では、そのようなアメリカの通商政策における301条とGATT/WTOとの対立と収斂のメカニズムを、(1)国際システム論(覇権安定論、国際制度論)、(2)国内政治、(3)国際システム要因の国内政治への影響、という三つの要因から説明する枠組みを提示する。

覇権安定論は、極めて単純に、国際経済におけるアメリカの相対的な地位が低下したことによってアメリカの通商政策がGATTからの乖離し、また相対的な地位が回復したことによってGATT/WTOの一般的な相互主義に回帰すると考える。この観点から言えば、アメリカが80年代に特定的相互主義を採るようになったのは、アメリカの相対的な地位が低下したからであり、90年代に一般的相互主義に回帰したのは、アメリカの相対的地位が回復したからである、ということになる。国際制度要因からの議論は、国際制度が十分に発達していないときには、加盟国は国際制度のルールや規範から乖離する可能性が高く、逆に、制度化が十分に進展し紛争処理手続きが強化されている場合には、メンバーがルールや規範から逸脱する可能性は低い、というものである。この考えから言えば、80年代に特定的相互主義を採るようになったのは、GATTが十分に制度化されていなかったからであり、90年代に一般的相互主義に回帰したのは、GATTが強化されWTOとなったからである、ということになる。

国内政治要因を重視する説明に関しては、まず利益集団モデルがあげられる。利益集団モデルは、通商に関し、国際的な競争力が弱い産業は保護主義的であり、競争力が強い産業は自由貿易指向であると考える。したがって、国際システム上の要因と利益集団の選好との相互作用を考えれば、アメリカの経済的な地位が高い時には、多くの集団が国際的な競争力を持ち、自由貿易支持が広く分布すると予想される。他方、相対的な経済力が弱くなると、保護主義的な利益集団が増大し、全般的にアメリカの通商政策は保護主義的な色彩を強めると考えられる。

国内政治要因を重視するもう一つの説明は、国内政治制度を重視するもので、特に利益集団、議会、行政府の間の力関係を強調する。70年代から80年代にかけて、アメリカ議会は制度改革によって利益集団から直接に圧力を受ける機会が多くなり、また、議会と行政府の関係においても、議会の力が相対的に強化される制度ができた。このような国内制度的要因が特定的相互主義を強めることとなったと考えることができる。また、90年代には、ウルグアイ・ラウンドが終結しWTOが成立し法制度化が進展する。このことは、行政府に大きな力を与え、利益集団や議会の特定的相互主義を抑制するのに大きな役割を果たしたと考えられる。

以上のような枠組みを設定し、まず、覇権安定論の提示する仮説を検証した(第3章)。その結果、アメリカの相対的な経済力は、70年代から80年代にかけて低下し、90年代には上昇に転じていることがわかった。したがって、アメリカの通商政策の一般的な傾向に関しては、この仮説で説明することが可能である。しかし、説明できない部分も存在することが明らかとなった。それは次の二つである。

(1)アメリカの相対的な地位は70年代(あるいはそれ以前)から低下しているのに、特定的相互主義が顕在化したのは80年代、それも80年代半ば以降である。

(2)アメリカの相対的地位の回復は、90年代初頭からであるが、アメリカがGATT/WTOと整合的な通商政策を採り始めたのは、基本的には95年のWTO設立以後である。

この時間的なずれはなぜ生じたのか。上記の二つの疑問に答えるため、本論文は国際レベルの要因(国際制度)に加え、アメリカ国内の要因に注目し、ケース・スタディを行った。

第一に、88年包括通商法の成立過程を詳細に分析した(第4章)。その結果、次のことが明らかとなった。国内政治プロセスの中で形成された301条支持の連合がGATT/WTO支持の連合より優勢になり、それゆえにアメリカの通商政策がGATTと対立するように変化していた。80年代、貿易収支、国際競争力が急速に悪化した結果、利益集団に広く強い保護主義が見られ、他方、競争力を誇っていたハイテク産業でも競争力の強化がスローガンとなっていた。こうして、競争力のない産業も競争力のある産業も301条を支持するようになる。それが議会にインプットされ、行政府がそれに応えざるを得なかった。すなわち、利益集団の影響が無視できなかったのである。

第二に、第5章では、包括通商法の成立から93年末のウルグアイ・ラウンドの妥結までのプロセスをアメリカを中心に分析した。第6章では「1995年のWTO承認の政治(WTOへの回帰)」を検証するため、1994年ウルグアイ・ラウンド実施法案をめぐる米議会内での討議プロセスを取り上げた。このケース・スタディでは、アメリカの国内政治に着目し、利益集団、議会(議員)、行政府の、GATTと301条に対する言説及びその分布の変化を明らかにし、乖離と収斂のプロセスと理由を考察した。その結果、次のことが明らかとなった。国内政治プロセスの中で形成された301条とGATT/WTOをともに支持する連合がWTOに反対し、301条を支持する連合より優勢となり、その結果、アメリカの通商政策がGATT/WTOへ収斂する糸口を作っていた。90年代半ばまでにアメリカの経済の回復は明らかであったが、貿易に関して言えば、貿易収支は悪化の傾向があり、また競争力もそれほどの回復は見られず、80年代から引き続き競争力を低下させる産業が多かった。しかしながら、最終的には、301条とWTOの両立、という言説が支配的になり、UR実施法案が成立した。

第三に、第7章と第8章では日米自動車摩擦問題(第7章)とフィルム摩擦問題(第8章)を対象として、WTO成立をはさんで、具体的な通商問題の解決にどのように通商法が援用されGATT/WTOが理解されていたのかを検討した。競争力の低下している自動車産業、そして競争力のあるフィルム(コダック)は、ともに301条に訴えようとした。自動車摩擦においては、WTO発足以前にアメリカは301条の調査を行い、日本に交渉を求めたが、日本は拒否し、日本は、発足間もないWTOの紛争処理の手続きに従おうとした。そして、日米は、95年6月、2年越しの摩擦に終止符を打つ。アメリカは301条を発動することができなかった。また、フィルム摩擦でも、アメリカはWTO以外の分野であるとして、301条に訴え解決を図ろうとしたが、日本はそれに応じず、アメリカはWTOに訴えたが、結局敗訴する。WTO発足以降、WTOがカバーする分野以外でも301条が発動されることは無かった。日米自動車摩擦においてもフィルム摩擦においても、WTOの成立(国際制度の法制度化)は決定的な役割を果たしたのである。

以上のように、本論文は、アメリカの通商政策におけるGATT/WTOからの乖離と収斂のプロセスを示し、そして、乖離と収斂が生じる原因を複数の仮説から検討した。第9章で結論づけるように、大枠で言えば、覇権安定論に基づく説明が大きな流れを捉えていると考えられる。しかし、なぜ、相対的な経済力の低下が既に顕著であった70年代ではなく、80年代半ばから特定的相互主義が台頭したのか、また、相対的経済力が90年代初頭から回復したのにもかかわらず、90年代半ばに特定の相互主義が放棄されWTOと整合的な通商政策が採られるようになったのか、という疑問が残った。

前者に関して言えば、80年代半ばに、貿易収支が大いに悪化したことが原因であり、それを是正し国際競争力を高めるために特定的相互主義が採られたといえる。そしてその背後には、当時のGATTが十分にそれらの問題を解決するものとは捉えられていなかったことがある。また、90年代半ばに、WTOの一般的な相互主義に回帰した一番大きな要因は、WTOが成立し、発足したことであった(1995年1月1日)。しかし、90年代半ばの回帰の過程は、平坦なものではなく、特定的相互主義は未だ強く、それはWTO成立をみてようやく終焉するのである(日米自動車摩擦においても、フィルム摩擦においても、その決着はWTO成立以後であった)。すなわち、アメリカの通商政策の変化において、国際制度の強化は大きな役割を果たした。とはいえ、国際制度に関する仮説が、アメリカの通商政策におけるGATT/WTOからの乖離と収斂の両方に関して、すべての点において、他の要因より優れた説明を行うというものではない。たとえば、「なぜ、GATT(一般的な相互主義/紛争処理手続き)から301条(特定的相互主義)への転換(乖離)が起きたのか」という基本的疑問に関しては、動機は経済的利害仮説(覇権及び各産業の国際競争力)の前提から説明できると考えられる。ただし、本論文は、301条が台頭した要因に関しても国際制度の弱さが影響を及ぼしている点を指摘した。

このように、覇権安定論に基づくアプローチは大枠では説明力を持ちえるが、それとあわせて、法制度化の進展に着目した国際制度アプローチは本論文の基本的疑問である、なぜアメリカの通商政策がGATT/WTOの原理から乖離し、また再びそれに回帰したかを説明するに大きな役割を果たすことが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、アメリカの通商政策において通商法301条(1974年通商法および88年包括通商法のいわゆるスーパー301条)が、保護主義と市場開放という2つの目的を有してきたことに着目し、(1)なぜアメリカの通商政策が1980年代にGATT/WTOの一般的な相互主義と対立した301条(特定的相互主義)へ転換したのか(WTOからの乖離)、(2)1990年代半ばになぜ特定的相互主義からWTOの一般的相互主義へ転換したのか(WTOへの収斂)という2つの転換の要因を実証的に明らかにしたものである。本論文は、1980年代以降のアメリカの通商政策について国際政治学の理論的な枠組みを用いて通史的に分析を試みただけではなく、アメリカの通商政策の考察において多用されてきた覇権安定論の不十分な点を具体的に提示し、国際通商制度の制度化とアメリカの国内要因を結びつける分析枠組みの重要性を議会資料等の一次資料に基づいて実証的に明らかにした研究である。

本論文の構成は、序論と9章、併せて全10章である。末尾に注と参考文献一覧が付され、全体のページ数はviii+256ページである。本論文の要旨は以下の通りである。

「序論」では、相互主義には一般的相互主義と特定的な相互主義があることが述べられ、GATT/WTOという国際通商制度は一般的な相互主義、アメリカの通商政策における301条は特定的な相互主義であると定義され、アメリカの通商政策が1980年代にはGATT/WTOの一般的な相互主義から乖離し、1990年代には一般的な相互主義へ収斂したことが示される。その上で、乖離と収斂が起こった要因について最も簡潔な回答を与えるとみなされてきた理論である覇権安定論は、アメリカの経済力の相対的な低下が1970年代から見られたにもかかわらず、なぜ1980年代になってから特定的な相互主義が台頭してきたのか、また、依然として貿易収支や国際競争力が回復していなかった90年代半ばになぜアメリカがGATT/WTOにその通商政策を収斂させていったのか、という2つの問題を十分分析できないことが指摘される。

第1章では、アメリカが301条を発動した件数、GATT/WTOのパネルへの提訴件数を基にして、アメリカ通商政策における一般的な相互主義に対する乖離が1980年代に起こり、収斂が1993年のウルグアイ・ラウンド締結後に顕著になっていることが示される。

第2章では、通商政策を分析するのに有用と思われる既存の枠組みとして国際システムレベルの要因に注目する2つの理論(覇権安定論、国際レジームの効果論)と国内レベルの要因を重視する国内政治プロセス論が説明される。そして、戦後のアメリカの通商政策の分析に最も多用されてきた覇権安定論は、序論で提示した問題を説明するには不十分であり、国際システムにおける覇権の程度だけでなく、法制度化の進展がアメリカの通商政策を規定する過程を分析する枠組みが必要であることが指摘される。この分析枠組みの有用性を検証するために、覇権安定論と国内の利益集団を結びつけた経済的利害仮説と国際的制度化と国内政治を結びつけた国際制度の制度化仮説を提示する。経済的利害仮説は、アメリカの競争力が強く、経済的な覇権を握っていた時には、多くの産業が自由貿易主義的政策を選好し、GATT/WTOを支持するが、競争力が低下すると保護主義を選好する産業が多くなり行政府の通商政策もGATT/WTOと対立的になる、逆に多くの産業の競争力が回復するとGATT/WTOを支持するようになり、行政府の通商政策はGATT/WTOと親和的になるという仮説である。また、国際制度の制度化仮説は、国際的な通商制度の法制度化が弱い時は、国内アクターのGATT/WTOへの支持は弱いが、国際的な法制度化の程度が高くなると国内アクターのGATT/WTOへの支持が高まり、通商政策はGATT/WTOと親和的になるという仮説である。

第3章では、まず、アメリカの覇権の推移が、貿易収支、財政収支、経済成長率、COW(Correlates of War Project)の国力指標等により検討され、70年代においてアメリカが経済力を低下させたこと、90年代前半までに経済力を回復したことが示される。次に、1960年代以降、アメリカの産業の競争力は産業間に相違があることが示される。

第4章から第8章では、第3章までに提示した2つの仮説を検証するために事例の検討が行われる。第4章から第6章までは、GATT/WTOからの乖離についての検討である。事例の検討では、国内の通商政策に対するアクターの言説の変化によって通商政策の変化を考察する。ここでは、GATT/WTOの一般的相互主義に賛成か反対か、301条に賛成か反対か、という2つの軸により、GATT(WTO)反対/301条賛成、GATT(WTO)反対/301条反対、GATT(WTO)賛成/301条賛成、GATT(WTO)賛成/301条反対という4つの類型に分け、主として産業界の言説の変化を分析する。第4章では、301条が強化される1988年包括通商・競争力法の制定過程における産業界の言説が考察され、全体としてGATT反対/301条賛成が支配的ではあるものの、競争力が強く輸出志向の強い産業(半導体産業、電子産業など)はGATT賛成/301条賛成であることが明らかにされ、競争力の低い産業が301条を要求するという経済的利害仮説は支持されず、GATTの法制度化が低いと国内産業はGATTから乖離するとする国際制度化仮説の方が支持されることが示される。

第5章では、88年包括通商法の成立からウルグアイ・ラウンド交渉の妥結までのアメリカの通商政策が概観され、第6章は、ウルグアイ・ラウンドが合意されたことを受け、94年に議会に提出されたウルグアイ・ラウンド実施法案の審議過程における国内アクターの言説を分析する。ここでは、ウルグアイ・ラウンド実施法案の審議過程において表出された言説分析により、WTO賛成/301条賛成という言説が行政府だけでなく、産業界、議会においても支配的になっていたことが明らかにされ、WTOにおける制度化の進展が、WTOへの支持を増加させたとして、国際制度化仮説が当てはまることが指摘される。90年代前半までのアメリカの産業の競争力の回復という要因だけでは一般的な相互主義への転換が90年代半ば以降になったことは説明できず、WTOの成立という国際制度の制度化の進展がアメリカの通商政策の転換を促したことが指摘される。

第6章から第8章までは、アメリカ通商政策のWTOへの収斂が個別の通商摩擦の事例により検討される。ここでは、WTOの成立によって301条がWTOにいかに関連づけられたのかが考察の対象であり、GATT時代とWTO設立後で同様の摩擦が生じ二国間協議が行われ、301条の運用が焦点となった2つの事例が検討される。第6章では、日米自動車・部品摩擦がとりあげられ、90年代にアメリカの通商政策が特定的な相互主義から一般的な相互主義へと収斂していったことが明らかにされ、WTOの成立という国際制度上の要因がアメリカ通商政策に大きな影響を与えたことがアメリカ国内の政治過程の検討により明らかにされる。第8章では、日米フィルム摩擦がとりあげられ、強い競争力を持つコダック社が301条提訴を行ったことは経済利害仮説に反し、WTOの制度化の進展がアメリカ政府による301条行使を抑制しWTOにおける紛争処理を支持することにつながったとしている。

最終章(第9章)「まとめと結論」では、本論文で実証的に明らかにされたことがまとめられ、先行研究において多用される覇権安定論が、戦後のアメリカの通商政策の大まかな傾向を説明することはできても、細部については不十分であることが再度指摘される。覇権安定論の不十分な点を補うための分析視角として、国際システムレベルの要因である国際制度(この場合、GATTとWTO)の制度化の程度が通商政策に与える影響に着目する重要性が、国内におけるGATT/WTO及び301条に対する言説分析を通して明らかにされたことが確認される。

以上のような内容を持つ本論文は、次の点で評価することができる。第一に、80年代以降90年代にかけてのアメリカの通商政策について通史的に理論的分析を行った点である。戦後のアメリカの通商政策については多くの先行研究があるにもかかわらず、80年代以降の通商政策について、通史的に検討することによって浮かび上がる問題を一貫した視点から分析する研究はそれほど多くなく、本論文はアメリカ通商政策の新たな理解に寄与するものである。第二に、アメリカ通商政策の分析に多用されてきた覇権安定論が通商政策の大体の傾向を説明することに留まっていることを指摘し、国際制度の制度化の進展が通商政策に与える影響を分析することの重要性を、国内における言説の変化から明らかにしたことである。国際制度の影響ということは抽象的には論じられているが、実証的にどのように明らかにするかは方法論的に難しい問題である。本論文では、国内アクターの言説に注目し、GATT/WTOに対する言説を301条についての言説との対比から検討するという分析方法をとった。このことにより、従来は、GATT/WTO賛成/301条反対、GATT/WTO反対/301条賛成という2類型で論じられてきた国内アクターの言説に、GATT/WTO賛成/301条賛成という言説が存在し、それが優勢になっていくことを、多くの議会資料(公聴会資料、議会審議資料)を分析することにより明らかにし、それによって国際制度の制度化のもつ重要性を示すことに成功した。

他方、本論文には、不十分な点も存在する。まず、第一に、国際制度の制度化の国内政治過程への影響を明らかにするという難事業に果敢に挑戦し一定の成果を挙げたにもかかわらず、国内アクターの言説の変化がなぜもたらされたのかについては、より一層の検討が必要と思われる。産業界の言説の変化がどこまで国際制度の制度化に起因するものなのか、また産業界の言説は、どの程度国内政治過程に影響して通商政策を変化させたのか、といった点は、いくつかの産業界、議会や行政府について言及してはいるものの、まだ十分とは言えない。第二に、言説分析に関して、本論文は主として議会資料に表れている言説の分析を行っており、どの範囲の言説を分析の対象にするのかという点での考察が不十分である。もとより、言説分析において、分析の対象をどのように定めるのかは容易ではなく、資料的な限界も存在する。この問題は本論文のみならず言説分析の困難な点ではあるので、より体系的な検討を重ねることで言説分析の説得性を高めることを、著者の将来の課題として期待したい。

以上のような不足点はあるものの、これらは本論文の学術への貢献をいささかもそこねるものではなく、むしろ今後の研究の課題と言うべきであろう。以上の点から審査委員会は、本論文の提出者は、博士(学術)の学位を授与されるのにふさわしいと判断する。

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