学位論文要旨



No 122878
著者(漢字) 中橋,渉
著者(英字)
著者(カナ) ナカハシ,ワタル
標題(和) 変動環境下での社会学習における同調伝達の進化
標題(洋) The evolution of conformist transmission in social learning when the environment fluctuates
報告番号 122878
報告番号 甲22878
学位授与日 2007.05.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5096号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,健一
 東京大学 准教授 石田,貴文
 東京大学 准教授 近藤,修
 東京大学 講師 井原,泰雄
 東京工業大学 講師 中丸,麻由子
内容要旨 要旨を表示する

研究背景

人の大きな特徴の1つは文化を持つことである。そして文化が存在するのは、人が他者、特に年長者の行動を社会学習するためであり、これによって文化が世代を超えて維持される。社会学習の進化については多くの研究があり、どういう場合に社会学習者が個体学習者(他者の行動を学習するのではなく自ら適切な行動を模索する学習者)に比べて有利になり、進化するかが調べられている。それによると、個体学習のコストが相対的に大きい場合や環境変動があまり起こらない場合に社会学習が広まる。というのは、(個体学習のコストが大きい揚合は個体学習が不利なので社会学習が広まるのは当然として)、環境変動があまり起こらない揚合、前世代の行動が次世代の人にとっても正しいままである可能性が高いため、社会学習が個体学習に比べて有利になりやすいからである。

また、社会学習者は、任意の行動を無作為に選択して学習しようとするのではなく、多数派の行動を選択的に学習しようとする傾向にあり、これは同調伝達と呼ばれている。この同調伝達を考えることによって、新しい行動の頻度増加曲線が左すその長い形になりやすいこと、文化の多様性が維持されること、利他行動が保たれること、群淘汰が起こることなどが説明される。

では、なぜ同調伝達が人類集団において進化したのだろうか。同調伝達は社会学習において見られる心理メカニズムであるからして、同調伝達の進化を考える場合、社会学習の進化と同時に考える必要がある。そこで本研究では、Feldmanetal.(1996)の社会学習の進化モデルを拡張し、どのような条件で同調伝達が進化するかを解析した。解析は混合戦略モデルと3対立遺伝子モデルの2種類の方法で行った。

モデル

環境が定期的に変化する(3対立遺伝子モデルでは環境が確率的に変動する場合も扱う)。そして一度変化すると同じ環境には二度と戻らない(Infinite state)。それぞれの環境に適合した正しい行動がそれぞれ1つあり、個体学習者は試行錯誤によってコスト(c)はかかるものの、必ずその行動を習得する。社会学習者は、試行錯誤のコストをかけず、前の世代の行動をまねする。環境に適合していない誤った行動をまねすると適応度が下がる。下がる度合い(s)は、環境に適合していない行動なら、どの行動をまねしても同じ。

混合戦略モデルでは、各個体は確率五で個体学習し、確率1一五で社会学習する。そして社会学習する場合、ある強さで同調伝達する。ここで、同調伝達を表す式として、P(x,D)=x+Dx(1-x)(2x-1), 〓の3種類を用いる。ここで、Dもしくはαが同調伝達の強さを示すパラメータである。さらに、A=lnαとして、DもしくはAが0のとき同調伝達がなく、正のとき同調伝達があるという形に変換する。

個体学習する確率と同調伝達の強さ(L&DもしくはL&A)の両パラメータは遺伝子によって決定され、この遺伝子はhaploid&asexualで遺伝する。このとき、両パラメータがどのような値でESSになるかを数値的に解析した。ここでいうESSとは、その戦略遺伝子を持つ個体で集団が占められている場合、そこにいかなる種類のmutantも侵入できないような戦略のことである。また、ESSにおいて同調伝達の強さ(DもしくはA)が正になる条件も解析した。

3対立遺伝子モデルでは、個体学習者(IL)、同調伝達しない普通の社会学習者(SL)、同調伝達する社会学習者(CL)の3種類の個体を考える。ILSL,CLのどの学習方法をとるかは遺伝子によって決定され、この遺伝子はhaploid&asexualで遺伝する。また、CLの持つ同調伝達の強さは、A=0.693(α=2)とA=∞の2種類の場合を調べた。そしてこのモデルでは、IL,SL,CLの平衡頻度がどのような値になるかを数値シミュレーションした。また、様々な条件下でIL&SLの平衡集団にCLが侵入できるかどうかも調べた。更に、環境変動の周期が2世代の場合について詳細に解析した。

混合戦略モデルから得られた結果

1.同調伝達の強さ、個体学習する確率は、個体学習のコストが高くなるほど、環境変動の周期が長くなるほど小さくなる傾向にある。

2.誤った行動のコストが小さい場合、環境変動周期がある程度短ければ、個体学習のコストの大きさにかかわらず、同調伝達の強さ(A)が正に進化する。

3対立遺伝子モデルから得られた結果

1.環境が確率的に変化する場合、混合戦略モデルと同様の結果になる。

2.環境が定期的に変化する場合、大筋では混合戦略モデルと同様の結果になるが、混合戦略モデルでは見られなかった現象も生じる。特にCLの持つ同調伝達の強さがA=∞の場合、パラメータによってはCLが消失し、またこのときCLがIL& SLの平衡集団に侵入できない。

3.環境変動の周期が2世代の揚合について解析した結果、Aの値が0に近いA>0のCLが侵入できる条件は、混合戦略モデルでA>0に進化する条件と同じになることが示唆された。つまり、誤った行動のコストが小さい場合、環境変動の周期がある程度短ければ、個体学習のコストの大きさにかかわらず、Aの値が0に近いA>0のCLが侵入できる。

考察

両モデルの解析から、同調伝達が進化するのは、個体学習のコストが低いか、あるいは環境変動の周期が短くて、個体学習者が多い場合であるとわかった。これは、個体学習者が多いと、個体学習者は正しい行動を習得すると仮定されているので、正しい行動が集団中で多数派を占めやすくなり、多数派をまねしやすい同調伝達が社会学習者にとって有利になるからであると考えられる。

誤った行動のコストが小さければ個体学習のコストの大きさにかかわらず同調伝達が進化するという結果は、当研究が初めて示したものであり、非常に興味深い。これは、誤った行動のコストが小さい場合、各行動の適応度の差が小さいため、各々の誤った行動がなかなか消失せず集団中に低頻度で維持されやすくなり、そのような低頻度の行動を学習しにくくなる同調伝達者が有利になるからだと考えられる。

これまでのほとんど全ての同調伝達の研究は、行動が2種類の場合を考えていた。そのため、正しい行動が多数派の場合、それをまねしやすい同調伝達が有利になるという観点から同調伝達の進化が語られていた。例えば人が移住する場合、現地で長年培われてきたような多数派の風習に従うほうが有利になりやすいため、同調伝達が進化するという考え方である。しかし、今回の研究で行動が無数にある場合を考えたことで、同調伝達の進化に関して新たな可能性が示唆された。それは、少数派の行動をまねしにくいことで同調伝達が有利になるのではないかという可能性である。この視点は今後の同調伝達ひいては文化伝達の研究において重要となるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章とアペンディックスからなる。第1章は、イントロダクションであり、社会学習(模倣などにより他者から学ぶこと)や同調伝達(多数派行動を採用する確率がその行動の頻度を超える)の進化についての先行研究が概説されている。第2章では、混合戦略モデルを仮定して同調伝達が進化する条件を求めている。このモデルは、無限状態環境で社会学習の進化を扱った Feldman, Aoki, and Kumm (1996) モデルの拡張であり、環境変動の周期と社会学習の進化の問題に同調伝達の効果を導入したものである。またここでは、3種類の同調伝達を表す数式を定義しているが、3番目の数式を用いた研究は、行動の種類(選択肢)が(無限状態環境に対応して)無数ある場合の同調伝達の進化を理論的に扱った初めての研究である。そしてこの章では、2つの結果を導いている。1つ目は、進化的に安定な同調伝達の強さ及び個体学習(試行錯誤などにより自力で学ぶこと)する確率が、個体学習のコストが高くなるほど、また環境変動の周期が長くなるほど小さくなる傾向にある、という結果である。2つ目は、誤った行動のコストが小さい場合、環境変動の周期がある程度短ければ、個体学習のコストの大きさにかかわらず、同調伝達の強さが正に進化する、という結果である。

1つ目の結果は、個体学習のコストが低いか、環境変動の周期が短いために個体学習者が多い場合、同調伝達が進化しやすいという意味である。これは、個体学習者が多いと、個体学習者は正しい行動を習得すると仮定されているので、正しい行動が集団中で多数派を占めやすくなり、多数派をまねしやすい同調伝達が社会学習者にとって有利になるからであると考えられる。また、同調伝達の強さが、環境変動の周期が長くなるほど小さくなる傾向にあるという部分は Henrich and Boyd (1998) と逆であるが、これは、Wakano and Aoki (2007) で示されたように、Henrich and Boyd (1998) の結果が不十分なシミュレーションに基づいているために誤ったものだからである。

2つ目の結果は、誤った行動のコストが小さい場合、同調伝達の強さが正に進化しやすいというものであるが、これは、誤った行動のコストが小さい場合、各行動の適応度の差が小さいため、各々の誤った行動がなかなか消失せず集団中に低頻度で維持されやすくなり、そのような低頻度の行動を学習しにくくなる同調伝達者が有利になるからだと考えられる。すなわち、少数派の行動をまねしにくいことで同調伝達が有利になるという可能性を示しており、これは、同調伝達の進化に新たな視点を与えるものである。

第3章では、3対立遺伝子モデルを用いて、第2章で得られた2つの結果が3対立遺伝子モデルでも成り立つかどうかを検証している。ここではまず、定期的に変動する環境と確率的に変動する環境の2つの場合において、IL(個体学習)、SL(社会学習)、CL(同調伝達を伴う社会学習)の3種類の対立遺伝子の平衡頻度を数値的に求めている。その結果、確率的に変動する環境では混合戦略モデルと同様の結果になるが、定期的に変動する環境では例外的な場合があることが示されている。そしてこれらの例外的な現象がなぜ起こるのかを、ILとSLの平衡集団にCLが侵入できる条件を調べたり、環境変動の周期が2世代の場合を詳細に調べたりして検討している。

第4章は、ディスカッションであり、本論文の結果を先行研究と絡めて議論している。ここで、ESSに対応した条件依存戦略が進化するという観点から今回の結果が述べられているが、これは、ESSを用いていなかった先行研究ではなかった新しい視点である。これによって、個体学習が容易な行動や時代変化の激しい行動は同調伝達されやすいことが示唆される。また、環境変動以外の要因によって適切な行動が不適切な行動へと変化する場合に、それらの要因が環境変動と同様の働きをする可能性について述べられている。行動の相対適応度を変化させる要因としては、集団の移住や優れた新発明などが考えられ、これらの要因と社会学習との関連は、今後の研究課題として興味深いテーマである。

まとめると、本論文は、先行研究の重大な間違いを指摘し、さらに行動の選択肢が2種類の場合しか理論的に扱われてこなかった同調伝達の進化に関する研究を、3種類以上ある場合に拡張した世界で初めての研究である。そして、行動が3種類以上ある場合を考えることで、少数派の行動をまねしにくいことで同調伝達が有利になるという、先行研究にはなかった新たな視点を得ている。この視点は、今後の同調伝達及び文化伝達の研究において重要となりうるものである。また、ディスカッションで述べられているESSと条件依存戦略の関連や、行動の相対適応度を変化させる環境変動以外の要因についての考察は、今後の同調伝達及び文化伝達の研究で生かされうる興味深い議論である。なお、本論文は、モデル設定からその解析まで、論文提出者が主査の指導のもと単独で行った研究であることを申し添える。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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