学位論文要旨



No 122879
著者(漢字) 栗岩,薫
著者(英字)
著者(カナ) クリイワ,カオル
標題(和) アイゴ科魚類の系統と進化に関する研究
標題(洋)
報告番号 122879
報告番号 甲22879
学位授与日 2007.06.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3216号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 准教授 渡邉,俊樹
 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京大学 准教授 佐野,光彦
内容要旨 要旨を表示する

熱帯から亜熱帯地域にかけて広がるサンゴ礁域において,多くの魚類は,その生態的,形態的,および種数において最も多様化している.アイゴ科(Siganidae)はそのようなサンゴ礁性魚類を代表するグループの一つであり,西部太平洋域を中心に,サンゴ礁,藻場,岩礁域にかけて28種が生息する.アイゴ科は,種数は必ずしも多くないものの,体表の色彩や斑紋の多様性は著しく,藻食性魚類としてサンゴ礁域における一次消費者という生態的な意義は非常に大きい.さらに一部の種は,熱帯・亜熱帯地域における人間の食料として水産重要種にもなっており,観賞用としての価値が高い種も含まれる.このようにサンゴ礁域における重要魚類であるアイゴ科ではあるが,その系統類縁関係は必ずしも明らかではない.アイゴ科では主に体表模様のみによる分類が行われているが,中間的な体表模様をもち,交雑個体と推察される個体の存在によって,その分類体系に混乱があることもその一因である.

本研究では,DNA分析により,アイゴ科魚類の系統関係および交雑の実態を明らかにし,その進化について総合的に研究することを目的とした.まず,ミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAの両方の塩基配列を解析することにより,アイゴ科の系統関係,および近縁種間の遺伝的な分化の程度を明らかにした.続いて,多数の異種間交雑個体についてその分子的特徴を明らかにし,アイゴ科における交雑について検討した.さらに,サンゴ礁性魚類の大きな特徴の一つであり,アイゴ科において著しい多様な体表模様に着目し,体表模様形成に関与する遺伝子の解析から,アイゴ科を中心としたサンゴ礁域における魚類の種分化機構について議論した.

(1)アイゴ科魚類の系統

アイゴ科の系統関係を明らかにするため,西部太平洋域に生息する22種のアイゴ科のうち19種236個体を用いて,mtDNAのcytochrome b遺伝子と核DNAのITS1領域に基づく系統解析を行った.系統樹の探索法は,前者の遺伝子についてはベイズ法および近隣結合法,後者の遺伝子については最節約法を用いた.さらに,近縁種間の遺伝的分化のパターンを詳細に検討するため,ハプロタイプネットワーク解析を行った.

その結果,西部太平洋域に生息するアイゴ科は,遺伝的に異なる3つのクレードに大別されることが明らかとなった.これらの遺伝的な3群は,形態的あるいは生態的にも特徴付けることができた.最も始原的なクレード1の種は,鰭の棘が細く,胸部に鱗がなく,深く二叉した尾鰭をもつ.クレード2の種は,棘と胸部の特徴はクレード1の種と同様であるが,浅く湾入した尾鰭をもつ.これらに対し,クレード3の種は,鰭の棘が太く,胸部に鱗があり,尾鰭は深く二叉するものと浅く湾入するものの両方が見られる.また,クレード1の種のみ浮性卵を生み,クレード2と3の種は沈性卵を生む.クレード1と2の種はすべて藻場からサンゴ礁にかけて群れで生活するのに対し,クレード3の種は,群れで生活する種だけでなく,サンゴ礁のみにおいてペアで生活する種を含む.これらの事実から,アイゴ科が,藻場からサンゴ礁にかけて広く分布する種を祖先に,サンゴ礁の環境に適応することで進化してきたことが推察された.

続いて,中間的な体表模様をもち,交雑個体と推察される個体の存在が報告され,系統関係の解明を難しくしている要因の一つになっていた近縁種5ペアについて,その遺伝的分化の程度を詳細に分析した.まず3つの種ペアでは,それぞれが系統樹上で独立した種クラスターを形成し,ハプロタイプネットワークは同一の祖先種から分化したことを表すダンベル型を示したが,その遺伝的分化の程度は非常に低かった.ITS1配列の分析では,遺伝的分化の最初の兆候として知られるpolymerase slippageに起因すると考えられる1~数塩基の反復配列で,反復数の違いが認められた.よってこれらの種ペアは,それぞれごく最近に種分化を起こしたか,あるいは種分化の途上にあると考えられた.一方,残りの2つの種ペアでは,系統樹上で2種が入れ子状になった一つのクラスターを形成し,ハプロタイプネットワークは両種が入り混じった潅木樹型を示し,mtDNAおよび核DNA共に遺伝的に分化していないことが明らかとなった.よって,これらの種ペアはそれぞれ,同種内の遺伝的基盤をもつ色彩型(color morph)であると考えられた.興味深いことに,これら近縁種における遺伝的分化のパターンとその分布パターンの間には,明らかな相関関係が認められた.前者の3ペアでは共通に,片方の種が西部太平洋の北西側に分布し,もう片方の種がその南東側に分布する.それに対し,後者の2ペアでは共通に,stem morphと呼べるような一つの色彩型が西部太平洋に広く分布し,他の色彩型がその辺縁部に固有に分布する.これらから,アイゴ科では,始原的な系統と派生的な系統が,それぞれ異なる地質学的あるいは気候学的な背景の下で生じてきたことが示唆された.

(2)アイゴ科魚類の自然交雑

系統解析の過程で,多くの近縁種間において交雑個体と推察される個体が検出された.さらに,パラオの魚市場において,体表模様がサンゴアイゴによく似るものの,他のいずれかの種との交雑個体の可能性がある個体を入手した.アイゴ科における交雑の実態を明らかにするため,これら交雑個体と推察される全7個体について,その分子的特徴を調査した.

近縁種間において検出された形態的特徴とDNA型の間に不一致が見られる個体のほとんどは,親種と推定される2種の両方のITS1タイプを偏った比率でもつことから,F1個体が戻し交雑をしたF2以降の個体であることが強く示唆された.パラオで入手した未同定交雑個体は,遺伝的に大きく分化しているサンゴアイゴの雌とマジリアイゴの雄で交雑が起こり,さらにその子孫がサンゴアイゴと戻し交雑をした結果生じた個体であることが示唆された.魚類では一般的に,F1個体は両親の中間的な体表模様になるが,戻し交雑をしたF2個体以降はどちらかの親種の体表模様と同一に戻ることが知られている.検出された交雑個体はすべて片方の親種の体表模様とよく似ており,このことは,これら交雑個体が戻し交雑に由来するという上記の仮説を支持している.以上から,アイゴ科では,近縁あるいは遠縁に関わらず,異種間での遺伝的不和合性が生じることなく交雑個体が生殖能力をもち,それぞれ戻し交雑を行っていることが推察された.また,本研究では用いた20種(前項での解析により見出された1隠蔽種を含む)のうち11種において交雑が確認されたが,これらはすべて,サンゴ礁においてペアで生活する,あるいは藻場を中心に群れで生活するといった,共通の生態的特徴をもつ種間において起こっている.よって,これらの生態的な要因が,交雑にとって重要な鍵となっていると考えられた.

従来,魚類における交雑の起こりやすさはその種多様性に反比例し,淡水魚で多く,海水魚で少ないとされてきた.しかし近年,特にサンゴ礁性魚類での研究を中心に,海水魚でも交雑の報告が増えつつある.本研究により,アイゴ科でも半数以上に及ぶ種において交雑が確認されたことは,海水魚における交雑は普遍的な現象であることを示唆している.よって,従来の説とは逆に,交雑が普遍的であるからこそ,それに起因して種多様性が高くなってきた可能性が考えられた.

(3)体表模様の多様性と進化

魚類では,視覚は嗅覚と並ぶ重要な感覚であり,交配相手認識による生殖隔離,つまり種分化において極めて重要な役割を果たしている.多様な体表模様はサンゴ礁性魚類の大きな特徴の一つであり,アイゴ科では特にその多様性が著しい.(1)において,アイゴ科では体表模様が大きく異なる種どうしが近縁であることが示され,さらに(2)では,遺伝的に大きく分化しているサンゴアイゴとマジリアイゴ間での交雑個体が検出されたが,この2種は体表模様が互いによく似ている.これらから,多くのサンゴ礁性魚類と同様に,アイゴ科においても体表模様に基づく種認識が行われていることが推察される.そこで,体表模様形成に関与するhagoromo(hag)遺伝子に着目し,その解析から,アイゴ科の進化,特にその種分化過程を分子レベルで理解するということを試みた.

最も多様な体表模様パターンの見られるクレード3を中心に,クレード2と3のアイゴ科8種11個体を用い,表皮組織片からhag遺伝子のmRNAをcDNAとして単離した.まず,hag遺伝子の進化的特徴を見るため,hag遺伝子上のWD40-repeatドメイン591bpについて非同義置換率(Dn)と同義置換率(Ds)を求め,アミノ酸進化速度の指標であるDn/Ds値を算出した.その結果,クレード2と3では,共にこのドメインの機能部位におけるDn/Ds値が構造部位におけるそれより大きかったが,特にクレード3では2倍以上も大きかった.よって,体表模様の多様性が高い系統において,体表模様形成遺伝子の機能部位における加速的な進化が起こっていることが明らかとなった.

さらに,選択的スプライシングによるhag遺伝子の多様化が明らかとなった.検出されたhag mRNAは,エキソン9,3,および1でそれぞれ転写が終結する3種類に大別され,さらに,特定のエキソンが抜け落ちているタイプや,特定のイントロンが残っているタイプなどから,7種類に細別された.これらのmRNAは,表皮や内臓器官など色素細胞の局在する部位,さらに異なる体表模様においても同様に発現が見られたが,その転写量には若干の違いがあることが示唆された.一方,発現しているmRNAの組み合わせは種によって異なっており,かつ種特異的であることが明らかとなった.特に,派生的で体表模様の多様性が高いクレード3において,より多くの種類のmRNAが発現していた.よって,体表模様の多様性が高い系統において,体表模様形成遺伝子によって産生されるタンパク質の多様化が起こっていることが示唆された.

これらから,hag遺伝子の機能部位における加速的な進化,および選択的スプライシングによる遺伝子産物の多様化が,体表模様の多様性に大きく寄与し,その結果,種分化に繋がっていったということが推察された.

本研究によって,サンゴ礁性魚類を代表するアイゴ科の進化に関して多くの知見が得られた.アイゴ科は,サンゴ礁の環境へ適応しつつ,体表模様の多様化を一つの要因として種分化を起こし,交雑によってさらに種多様性を増し,現在の系統関係となったことが推察された.これらの知見は,魚類において最も多様性の高いサンゴ礁性魚類の進化研究に大きく寄与すると期待される.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章は緒言で、サンゴ礁性魚類を代表するグループの一つであるアイゴ科について、サンゴ礁において重要な生態的地位を占めていることや人間にとって水産重要種であることを紹介するとともに、進化学的に興味深い研究課題の対象となっていることが述べられている。すなわち、異なった生息場所および生活様式をもつ種がそれぞれどのように進化してきたのか、また、過去に報告例のある異種間交雑の頻度やその組み合わせ、さらには交雑の進化的な意義という課題である。さらに、本科魚類の大きな特徴の一つである体表模様の多様性は、配偶者選択の手がかりとして種分化や異種間交雑に関係している可能性が考えられるため、これの多様化の遺伝的基礎の解明という課題も提起している。これらに取り組むため、まず研究の基盤となる系統関係を明らかとし、得られた系統関係に基づいて各課題について研究を展開するという方針が述べられている。

第2章は、アイゴ科の進化過程を理解するための研究の基盤となる系統類縁関係を明らかにした章である。西部太平洋域に生息する19種236個体を用い、ミトコンドリアDNAのチトクロムb遺伝子と核DNAのリボソームRNA遺伝子クラスターの塩基配列を決定し、これらに基づいて系統樹を構築した。その結果、アイゴ科は形態的および生態的特徴から関連付けることのできる3群に分かれた。これを基礎に、アイゴ科魚類に関する生態的情報を解析し、同科魚類は浮性卵を生み藻場からサンゴ礁にかけて群れで生活する種を祖先として、沈性卵を生み藻場を中心に群れで生活する種と、同じく沈性卵を生むが藻場ではなくサンゴ礁においてペアで生活する種に分岐したこと、そしてサンゴ礁の環境に適応する形で多様化してきたことを論じている。

第3章は、これまでの分類体系を混乱させ、系統類縁関係の推定を困難にしてきた要因の一つである交雑に焦点を絞ってなされた研究結果がまとめられている。本研究で検出されたアイゴ科における交雑は3つのパターンに分けられ、解析した19種のうち半数近い9種が交雑に関わっていることが明らかとなった。さらに核DNAの分析結果から、それぞれにおいて戻し交雑が行われていることも分かった。どのような種の間でこれらの交雑が起こっているかを解析したところ、いずれの交雑も遺伝的分化の程度(つまり系統関係の近さ)とは無関係に、むしろ生態的な特徴が共通している種間で起こっていることが判明した。なかでも体表模様の類似した種間で交雑が起こりやすい傾向のあることが推察された。以上の結果に基づき、本科魚類における異種間交雑の実態の整理をし、沿岸性魚類おける交雑の進化的意義について考察を加えている。

上述のように、体表模様の類似が交雑に関係している可能性があることから、アイゴ科では体表模様に基づく種認識が行われていることが推察される。そこで第4章では、体表模様形成に関与するとされるhagoromo(hag)遺伝子について解析を行い、体表模様の遺伝的基盤を明らかにすることを試みている。主な系統から8種を取り上げ、hag遺伝子の単離およびその発現分析を行なった。その結果、hag遺伝子の機能部位における加速的な進化や選択的スプライシングによる多様化が、体表模様の多様性に大きく関わっていると推察している。

第5章は総合考察である。第2章から第4章までの研究結果から、アイゴ科魚類の進化について総合的に考察している。アイゴ科がサンゴ礁以外の生息環境を含む場所に起源を発し、その後サンゴ礁域へ適応する形で進化してきたこと、異種間交雑が従来考えられてきたよりも普遍的な現象であること、それら交雑は生態的な要因や体表模様の多様性が大きく関係していること、さらに体表模様の多様性が種分化の要因の一つになっている可能性があることなどが論じられている。また、今後の研究課題についても論じており、本研究で示されたアイゴ科魚類の進化過程と地史的な要因との関係を明らかにする必要性や、種多様化の原動力である種分化プロセスについて明らかにするためには、さらに多くの遺伝子を解析する必要性があることを指摘している。

以上のように、本論文はアイゴ科魚類の詳細な分子系統解析を基礎に、この類の交雑、種分化、そして進化について解析したもので、沿岸性魚類の進化的実態を理解する上で重要な貢献をしている。なお、本論文の第2章および第3章は、半沢直人、吉野哲夫、木村清志、西田睦との共同研究の部分を含んでおり、また第4章の一部は寺井洋平、岡田典弘、西田睦との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって分析および考察をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって、博士(農学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク