学位論文要旨



No 122883
著者(漢字) 松田,法恵
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,ノリエ
標題(和) ポリオウイルス感染による神経細胞変性効果(CPE)発現機構の研究
標題(洋)
報告番号 122883
報告番号 甲22883
学位授与日 2007.06.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2961号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 堀本,泰介
内容要旨 要旨を表示する

ポリオウイルス (PV) は小児麻痺の病因ウイルスであり、ピコルナウイルス科エンテロウイルス属に分類されるエンベロープを持たないプラス鎖 RNA ウイルスである。自然宿主はヒトのみであり、感染にはポリオウイルス受容体 (PVR ; CD155) を必要とする。PV による麻痺は非対称で、ウイルスが脊髄前角の運動神経で増殖し、その細胞を破壊することによって引き起こされる。PV 感染細胞ではクロマチンの凝集、膜小胞の増加、細胞の円形化などの細胞変性効果 (cytopathic effect : CPE) が起こり死に至る。様々な細胞種で PV による CPE が観察される一方で、神経細胞では持続感染が成立すること、感染後に感染阻止能力を持つ抗体を添加することで CPE が抑制されることが報告されていた。そこで本研究では神経細胞の PV 抵抗性に着目し、抵抗性の機構および神経細胞での CPE 発現機構を解明することを目標とし実験を行った。

当研究室の柳谷らの実験により、神経細胞ではPV 感染 2 時間後に抗体 (抗 PV 抗体または抗 PVR 抗体) を添加するとCPE が抑制されることが示されていた。また、感染阻止能力を持つ抗体を用いた場合にのみCPE 抑制効果が見られたことから、CPE の発現には複数回の感染が必要であることが示唆されていた。しかし、抗体が感染阻止以外の効果によって CPE 発現抑制に寄与している可能性も否定できない。そこで、抗体を用いずに一回感染を実現するため、ゲノムの構造領域に欠失を持ち子孫ウイルスを産生しない欠陥干渉粒子 (DI粒子) を作製し、感染実験を行った。

細胞にウイルスを 200 TCID50 / cell で感染させ、感染24 時間後に CPE を起こした細胞を除去し、生き残った細胞をクリスタルバイオレットで染色し観察した。DI 粒子を感染させた場合、HeLa 細胞では、全細胞が CPE を発現し細胞死に至ったのに対し、神経細胞 (SK-N-SH) 細胞では、かなりの細胞が抵抗性を示し細胞死を免れた。この結果から、神経芽種由来の SK-N-SH 細胞は、抗体の影響なしに、それ自体が DI 粒子の一回感染に対し抵抗性を持つことが明らかとなった。また、神経細胞でのCPE の発現には複数回の感染が必要であることが示唆された。

次に PV 感染で実際に複数回感染が起こりうるかを検討するためにウイルス干渉実験を行った。一回目の感染に DI 粒子を、二回目の感染に 野生型 (wt) PV を用いてウイルス感染実験を行い、 二回目の感染ウイルスからのウイルスタンパク質の合成をウエスタンブロット法で、ウイルス産生量をプラークアッセイ法を用いて検討した。DI 粒子のゲノムは構造タンパク質の領域に欠失を持つため、正常な構造タンパク質を発現しない。よって、ウエスタンブロット法で検出される構造タンパク質は二回目の感染に用いた wt PV からのウイルスタンパク質の合成を反映している。また、DI 粒子はプラークを形成しない、よって、プラークアッセイによって得られるウイルス産生量は二回目の感染に用いた wt PV からのウイルス産生量を反映している。一回目の感染から 3 時間の時点で二回目のウイルス感染を行った場合にもウイルスタンパク質の合成と子孫ウイルスの産生がみられ、二回目の感染が成立することが明らかとなった。これらの結果は、PV 感染では複数回の感染が可能であることを示しており、神経細胞での CPE の発現には複数回の感染が必要であるという考えと矛盾しないことを示すことが出来た。

SK-N-SH 細胞での CPE の発現に複数回の感染が必要であることが示唆された。そこで、 DI 粒子をSK-N-SH 細胞に複数回感染させ、CPE が発現するか否かを検討した。DI 粒子を 1 回もしくは 4 回感染させ、感染24時間後に CPE を観察した。その結果 DI 粒子感染による CPE の発現に、1 回感染でも複数回感染でも顕著な差はみられず、wt PV 感染で観察されるような全細胞のCPE 発現には至らなかった。wt PV の複数回感染では CPE が発現するのに対し、 DI 粒子の複数回感染では CPE が発現しないことから、この両者の違いは感染に用いたウイルス、つまり、 wt PV と DI 粒子の差によるものであると考えられた。DI 粒子ゲノムは構造タンパク質領域に欠損を持つことから、CPE の発現にはキャプシドタンパク質領域が関与している可能性が考えられた。

そこで、 PV の構造タンパク質が単独で細胞毒性を示すか否かを検討した。

構造タンパク質の発現にはPV の構造タンパク質 (P1) を発現する vaccinia virus vector (VV-P1) を用いた 。Vaccinia virus の野生株 (WR 株) もしくは VV-P1 を HeLa 細胞および SK-N-SH 細胞に moi 100 で感染させ 1 時間後にCPE を観察した。 HeLa 細胞でも SK-N-SH 細胞でも、P1 を発現していないWR 株感染細胞ではCPE が観察されなかったのに対し、 P1 を発現しているVV-P1 感染細胞では CPE が観察された。以上の結果から、PV の構造タンパク質は単独で細胞変性効果を示すことが初めて明らかとなった。

今までPV 感染による CPE 発現には、PV の非構造タンパク質の一つである 2A プロテアーゼ (2Apro) が中心的な役割を果たすと考えられてきた。

HeLa 細胞では 2Apro の単独発現により CPE が起こることが報告されている。しかし、神経細胞では 2Apro を単独発現させても CPE が観察されず、2Apro に抵抗性を示すことが報告されていた。今回 PV の構造タンパク質が細胞障害性を持つことが明らかになったことから、神経細胞におけるCPE の発現には 2Apro ではなく構造タンパク質が中心的な役割を果たしていることが示唆された。

本研究から、1) 神経細胞は PV の一回感染に抵抗性を持つこと、2) 神経細胞での CPE の発現には複数回の感染が必要であること、 3) PV の構造タンパク質が細胞変性作用を持つことが明らかとなった。

PV 感染細胞の CPE 発現機構に関する詳細については、まだまだ不明な点が多いが、神経細胞の PV 抵抗性および CPE 発現機構の研究は、神経病原性の解明、ベクター開発、抗ウイルス薬の開発につながる大変重要な課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ポリオウイルス (PV) 感染による神経細胞での細胞変性効果 (CPE) の発現機構について、CPE 発現条件および原因となるウイルス因子について明らかにするために実験を試みたものであり、次の結果を得ている。

1.神経細胞 (SK-N-SH 細胞) に PV 欠陥干渉 (DI) 粒子(子孫ウイルスを産生しない変異体) を感染させたところ、CPE が観察されなかった。野生型 PV 感染 SK-N-SH 細胞に抗PV 抗体もしくは抗 PVR 抗体を添加し,子孫ウイルスによる複数回感染を阻害した場合にも同様に CPE が観察されないことから、神経細胞は PV の1回感染には抵抗性を示し、CPE の発現には複数回の感染が必要であることが示唆された。

2.HeLa 細胞、SK-N-SH 細胞でポリオウイルスを用いたウイルス干渉実験を行ったところ、2回目に感染したウイルスからの子孫ウイルス産生、ウイルスタンパク質合成が観察されたことから、2回目の感染が成立していることが明らかとなり、複数回の感染が起こりうることが強く示唆された。

3.HeLa 細胞に比べて SK-N-SH 細胞ではウイルス干渉は起こりにくく、神経細胞では複数回の感染が起こりやすいことが示唆された。

4.正常な PV 構造タンパク質を発現しないPV 変異体 2A-HA del ma2 および OM del P1 を用いてSK-N-SH 細胞に複数回感染を行ったところ CPE が観察されなかったことから、PV 構造タンパク質が CPE 発現に関与することが示唆された。

5.ワクチニアウイルスベクターを用いて、HeLa 細胞および SK-N-SH 細胞でPV構造タンパク質 (P1) を単独発現させたところ、両細胞において CPE が観察され、構造タンパク質が単独で細胞変性効果を持つことが明らかとなった。

6.構造タンパク質単独発現 SK-N-SH 細胞に、抗 PV 抗体もしくは抗 PVR 抗体 (野生型 PV 感染 SK-N-SH 細胞に対し CPE 抑制効果を持つ。)を添加した場合、抗体よるCPE 抑制効果はみられなかったことから、抗体が細胞内部で構造タンパク質の細胞変性効果を抑制する可能性は低く、細胞外部で子孫ウイルスによる感染を阻害することにより CPE を抑制することが強く示唆された。

以上、本論文はポリオウイル感染による神経細胞での CPE 発現において、複数回の感染が必要であることを示し、さらに PV 構造タンパク質が CPE の原因因子であることを明かとし、2Aプロテアーゼには耐性であることを示した。本研究は PV の神経病原性の解明および PV ベクター開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するもとであると考える。

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