学位論文要旨



No 122889
著者(漢字) 長,有紀枝
著者(英字)
著者(カナ) オサ,ユキエ
標題(和) スレブレニツァ・ジェノサイド : 冷戦後のジェノサイドへの介入をめぐる考察
標題(洋)
報告番号 122889
報告番号 甲22889
学位授与日 2007.06.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際貢献)
学位記番号 博総合第760号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴,宜弘
 東京大学 教授 小寺,彰
 東京大学 教授 遠藤,貢
 東京大学 教授 石田,勇治
 東京大学 教授 佐藤,安信
内容要旨 要旨を表示する

問題の所在と研究の目的

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期の1995年7月、国際連合(国連)の安全地帯に指定され、国連防護軍(UNPROFOR)のオランダ部隊によって防御されていたボスニア東部の人口4万あまりの小都市は、ラトウコ・ムラデイッチ将軍率いるボスニア・ヘルツェゴビナセルビア人共和国軍(VRS)の攻撃にあっけなく陥落、その後約10日間に、ムスリム人男性約7,500名が行方不明となり、その内6,000名が処刑されたとみられている。兵役年齢の成人男性が中心であったが、犠牲者には少年・老人も数多く含まれていた。証拠隠滅のため、VRSはボスニア紛争を終結に導いたデイトン和平合意までの数ヶ月間、集団墓地を重機で掘り起こし、発掘した遺体を遠隔地に埋め直す作業を繰り返したとされる。遺体の損傷・分解は激しく、多くは埋設場所もわからず、10年以上が経過した現在も半数近くの犠牲者が行方不明のままである。

「第2次世界大戦以来の欧州で最悪の虐殺」と称されるこの「スレブレニツァ」は、凄惨を極めた旧ユーゴ紛争の中でも、最大規模の集団殺害事件とされ、旧ユーゴスラビア国際裁判所(ICTY)でも象徴的な事件として扱われ、ICTY初のジェノサイド罪適用事件となった。2007年2月に判決が出された国際司法裁判所(ICJ)の「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約(ジェノサイド条約)」適用事件においても、ボスニア紛争で発生した一連の大量殺害事件の中で、唯一ジェノサイドと認定された。スレブレニツァは、ICTYのみならず、ICJにおいても初のジェノサイド罪適用事件となったのである。

事件発生から10年の節目となった2005年の7月11日の記念式典には、欧州各国や国連から要人が参加し、ボスニア各地で記念行事が行われるなど、再び国際社会の耳目を集めた。スレブレニツァはほぼ同時期に発生したルワンダ並ぶジェノサイドとして、国連の介入の失敗例、後手にまわった国際社会の不十分な対応など、様々な文脈でも言及されている。

しかしこの事件は、重装備のセルビア人武装勢力が、軽装備のUNPROFORオランダ部隊の眼前で、無抵抗のイスラム教徒を一方的に殺害した、という、一般的に広く流布している単純な図式で語り切れるものではない。

本論文は、このスレブレニツァ・ジェノサイドをめぐる考察であり、以下の3つの問題意識の解明を主たる目的としている。

まず第一の目的は、広く一般に流布している決して正確とはいえないスレブレニツァの事件像、イメージを解体し、スレブレニツァで実際に何が起きていたか、その事実関係を実証的に確認することである。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは、この残虐な事件の衝撃が端緒となり、NATOの空爆が実施され、4年にわたるボスニア紛争に終止符が打たれた。のみならず、「ジェノサイド」のイメージが一助となり、戦後の復興・平和構築支援、あるいはICTYの活動に、国際社会の関心が集まり、国際社会の介入・関与の継続に多大な貢献を果たしたであろうことも推測される。しかし他方において、スレブレニツァの単純化されたイメージは、ジェノサイドの予防、再発防止の観点からは、真実の解明という必須の作業が行われにくい土壌を作っている。発生後10余年を経過した今日でも、スレブレニツァに対しては、ジェノサイドの要因そのものに関する研究・考察が十分に行われないまま、歴史研究の立場からは、セルビア人による「民族浄化」の典型例として語られ、国際政治学や平和構築論からは、国連PKOや人道的介入め失敗例として頻繁に言及されるものの、PKOや介入政策・過程の分析に焦点が置かれている。日本においては、いずれの分野においても、スレブレニツァそのものを対象とした先行研究がない。そこで本書では、まず何が起きたのかという事実関係の確認作業を行うことを第一の目的とする。

第二は、ではなぜ、スレブレニツァでこうした大量殺害が発生したのか、どのように発生したのか、という問題である。これを明らかにするために、本書では大量殺害の目的・要因・決定の時期、事前計画の有無、立案者、大量殺害の指示者と実行者、指揮命令系統、実行を支えたロジスティクス、背景など、スレブレニツァ・ジェノサイドの一連のメカニズムを解明し、その複合的要因の分析を試みる。

第三は、スレブレニツァを冷戦崩壊以後発生した他の二つのジェノサイド(1994年のルワンダ・ジェノサイドと2003年以来現在も進行中のスーダン西部のダルフール危機)と比較することにより、スレブレニツァの特異性をより明らかにすると同時に、冷戦崩壊以後のジェノサイドにおいて普遍化可能な事項を整理し、ジェノサイド研究やジェノサイドの防止に寄与することである。比較における具体的な着目点としては、外部の介入を可能にした(あるいは不可能にした)要因や背景、共通利益の存在(あるいは欠如)、介入の主体や時期と形態、ジェノサイドという言説との関係(いっ、どういう背景で、だれにより「ジェノサイド」と呼ばれるに至ったか)である。こうした作業により、スレブレニツァの特徴をさらに際立たせるとともに、現代のジェノサイドをめぐる外部の介入の実態、制約と限界および可能性を把握することを目的としている。

論文の構成

以上の問題関心と目的に従い、本論文は序章を含めた6っの章から構成される。

まず序章において、本研究が依拠する資料8点を、その特徴とともに紹介する。

第1章では、予備的考察として、ジェノサイド概念について検討を加える。具体的には、まず、その定義を多角的に確認する。方法としては、ジェノサイド条約の提唱者であるラファエル・レムキンのジェノサイド論をその生い立ちや背景とともに論述し、次に、ジェンサイド条約の原型となった1933年のマドリッド刑法典統一会議における提案やジェノサイド概念を登場させた1944年の著作『占領欧州における枢軸の支配』と思想的な系譜を辿りつつ、その特徴を明らかにする。ついで、ジェノサイド条約の成立のプロセスを、レムキン案からの変転に着目しつつ論考する。続いて、ICTY、ICTRの判例をもとにジェノサイド概念の精緻化の軌跡を辿ったあと、ジェノサイド研究の視点からジェノサイド概念の展開を論述する。さらに、ジェノサイドをめぐる外部の介入について、介入の主体、介入の時期と内容について整理する。

第2章では、第3章で行うスレブレニツァ・ジェノサイドの解明の予備的作業として、スレブレニツァの背景及び事実関係を確認する。スレブレニツァは、ICTYでも象徴的な事件として扱われ、また、ICTY初のジェノサイド罪適用事例でもある。しかし、ICTYの判決文は犯罪の事実認定と、刑罰の軽重認定であって事件の全体像にっいては何も語っていない。ICTYにおいて被害者や目撃者により陳述された証言は、個々の虐殺事例の存在を証明し、加害者を特定することはあっても、それ自体がジェノサイドのメカニズムを解明したわけではない。以上の観点から、第2章では、まず事件の背景となるユーゴスラビアの崩壊及びボスニア紛争を概観し、次いで虐殺前のスレブレニツァをめぐる状況-セルビア、ムスリム両軍の対峙状況、人道援助とその妨害行為、国連を中心とした国際社会の対応、安全保障理事会によるスレブレニツァの安全地帯決議とその後の両軍の協定違反、UNPROFORオランダ部隊の配備状況など一を確認する。次にスレブレニツァの陥落をもたらしたVRSの「クリバヤ'95作戦」の進展と国際社会の対応、その後の10日間に発生した著しい人権侵害や大量殺害の様子を時系列的に詳述する。

第3章では、第2章の事実の確認をもとに、歴史学的にスレブレニツァ・ジェノサイドの全体像の解明を試みる。スレブレニツァがなぜ起きたのかその要因を明らかにするために、まず犠牲者数をめぐる実態と定説のギャップをはじめスレブレニツァ・ジェノサイドの特徴を整理する。ついで、ジェノサイド発生のメカニズムを明らかにするために、大量殺害の目的・要因・決定の時期、事前計画の有無、立案者、大量殺害の指示者と実行者、指揮命令系統、実行を支えたロジスティクス、紛争との連関といった事柄を論じ、最後にスレブレニツァを生じせしめた複合的要因を提示する。

第4章においては、まず、冷戦崩壊以後発生した他の2つのジェノサイド、ルワンダとダルフールについて、先行研究をもとに、事実関係を確認、外部の介入、ジェノサイドをめぐる言説、NGOの活動について論述する。その上で、スレブレニツァをこれらの事例と対比し、スレブレニツァ・ジェノサイドの特徴を、規模や期間、ジェノサイドの対象、事前の計画の有無、国家や一般民衆の関与状況、国際社会や市民社会の対応といった点に着目して分析し、スレブレニツァの特異性を明らかにする。また、この比較検討を通じ、冷戦崩壊以後のジェノサイドの特徴や、ジェノサイドに対する外部の介入について普遍化可能な事項を整理する。

以上の作業をもって、本研究の主たる目的である、スレブレニツァをめぐる考察を終了する。最後に終章において、ジェノサイドや大規模人権侵害への介入にみるポスト冷戦期の国際社会の特色を明らかにし、それと対照をなすNGOによる介入に触れつつ、その役割と限界を論述する。その上で、ジェノサイドの予防に向けた今後の展望について述べる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は1992年から95年まで3年半におよんだボスニア紛争の最終局面で発生した、約7500人のムスリム男性が行方不明になり、そのつち6000名が殺害されたスレブレニツァ・ジェノサイドの実態解明に正面から取り組み、冷戦後のジェノサイドへの国連や欧米諸国の介入の問題をも検討したわが国初の本格的な論文である。「人間の安全保障」プログラム第1号の博士論文であり、文献や資料に基づき法律学、政治学、歴史学の方法論を踏まえてスレブレニツァ・ジェノサイドの事実関係を実証的に分析し、スレブレニツァ・ジェノサイドのメカニズムを解明すると同時に、ジェノサイドの予防に向けた今後の展望にも踏み込んでいることが大きな特徴となっている。

本論文は序章と終章を含む6章から構成されており、A4用紙で脚注を含めて242ページ、参考文献表が8ページであり、本文のなかに6枚の地図、15の丹念な図表が挿入されている。論文は資料としてスレブレニツァ国連人権委員会報告、国連事務総長報告、ヒューマン・ライツ・ウォッチ報告、オランダ政府の公式報告書に加えて、旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)の判決、国際司法裁判所(ICJ)のジェノサイド条約適用事件判決などを駆使している。

序章では、本論文の目的が3点あげられている。(1)1995年7月にスレブレニツァで実際に何が起きていたのか、その事実関係を実証的に検討すること、(2)なぜ、スレブレニツァでジェノサイドが発生したのか、またいかなる経緯で発生したのかといったジェノサイドの一連のメカニズムを分析すること、(3)スレブレニツァ・ジェノサイドを冷戦崩壊後に発生したルワンダのジェノサイドおよびスーダン西部ダルフールのジェノサイドと比較することにより、スレブレニツァ・ジェノサイドの特異性を明らかにすること、とされる。

第1章で本論文の予備的な考察として、ジェノサイド概念が検討されている。ジェノサイド条約の提唱者であるレムキンのジェノサイド論、1948に成立レたジェノサイド条約の成立プロセスを検討したあとで、1990年代から現在に至るICTY、ICTR、ICJの判決をもとにジェノサイド概念が精緻化された過程を概観し、ジェノサイド研究の視点からジェノサイド概念を整理しなおした。

第2章では、わが国では先行研究のないスレブレニツァ・ジェノサイドの背景と事実関係が詳細に検討されている。スレブレニツァ・ジェノサイドはICTYの象徴的な事件として取り扱われ、ICTY初のジェノサイド罪適用事例であるが、事件の全体像が解明されているわけではない。ここでは、国連、政府、NGOなどの豊富な資料に基づき事件の背景と事件に至る経緯、そして事件の推移が時系列的に詳述されている。

第3章では、スレブレニツァ・ジェノサイドが何故起きたのか、その要因を明らかにするためにジェノサイドの特徴を整理し、ジェノサイド発生のメカニズムを明らかにするために、大量殺害の目的や決定の時期、事前計画の有無、大量殺害の支持者と実行者などを分析した。結論として、スレブレニツァ・ジェノサイドはボスニアで生じた「民族浄化」との連続で捉えるべきではなく、複合的要因を背景とした特殊かっ例外的な事件であったとしている。

第4章では、ルワンダとダルフールのジェノサイドとの比較・検討がなされる。ジェノサイドの規模と期間、対象、事前の計画の有無、国家や住民の関与の状況、国連や欧米諸国の対応といった点に着目して、スレブレニツァ・ジェノサイドの特異性を明らかにした。この比較を通じて、冷戦崩壊後のジェノサイドの特徴やジェノサイドに対する外部の介入についても分析した。

終章では、ジェノサイドや大規模人権侵害に対してポスト冷戦期の国連や欧米諸国がどのように介入したか、その特色を明らかにした上で、それと対照的なNGOによる介入を分析して、その役割と限界を提示している。ジェノサイドの予防に向けた今後の展望についてもふれられている。

本論文の研究上の貢献としては次の4点が指摘できる。第一に、ICTYやICJによってジェノサイドとの性格づけが行われているにもかかわらず、その全体像が明らかにされているとはいえないスレブレニツァの事件に対して、正面からその実態解明に取り組んだ点である。スレブレニツァ・ジェノサイドはボスニア内戦の過程で生じた「民族浄化」の延長線上に位置づけられる事件ではなく、複合的な要因を背景とレた特異な事件であり、ジェノサイド条約が定義する「ジェノサイド」には必ずしも該当しないとする本論文はボスニア内戦の研究に一石を投じる貴重な研究である。

第二に、スレブレニツァ・ジェノサイドを同じく冷戦後に生じたルワンダやダルフールのジェノサイドと比較検討することによって、冷戦後の大量殺戮のメカニズムを明らかにするものであり・きわめて現代的な意味を持つ点である。

第三に、本論文は戦争(紛争)とジェノサイドとの関連を改めて明らかにした点で、従来のジェノサイド研究の成果に新たな要素を付加した。スレブレニツァ・ジェノサイドの実態解明は今後のジェノサイド研究を大きく進める成果である。

第四に、本論文ではNGOのスタッフとしてボスニア内戦のさなかに現地で人道援助活動にあたった経験を、資料や当時の関係者のインタビューで再検証したうえで、スレブレニツァ・ジェノサイドに対する国連やNGOなど外部者の介入によるリスクが指摘されており、ジェノサイド予防という観点からも貴重な論点を提起したといえる。

上記のようにきわめて高く評価することのできる論文ではあるが、問題点がないわけではない。審査会では、(1)論文の結論は4章までに提示されており、終章が結論部になっていない、ジェネラルな結論を終章で示すべきである。(2)終章のジェノサイドの予防についての考察は補論とすべきである。(3)先行研究が乏しいとはいえ、それら研究のなかでの本論文の位置づけがはっきりしていない、などの本論文の問題点や今後の課題を含めた指摘がなされた。

しかし、審査委員会は指摘された問題点が本論文の学術的な価値を損なうものではなく、本論文が博士論文としての水準を十分に超えていると判断した。したがって、審査委員会は本論文が博士(国際貢献)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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