学位論文要旨



No 122890
著者(漢字) 尾﨑,洋史
著者(英字)
著者(カナ) オザキ,ヒロシ
標題(和) クロロフィル蛍光を用いた遺伝子破壊株コレクションの解析
標題(洋) Analysis of a mutant collection by chlorophyll fluorescence kinetics
報告番号 122890
報告番号 甲22890
学位授与日 2007.06.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第318号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 園池,公毅
 東京大学 准教授 青木,不学
 東京大学 准教授 河村,正二
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
 東京大学 准教授 東原,和成
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

現在までに約300の生物でゲノム配列が決定されているが、そのほとんどで、機能が分かっている遺伝子は半数程度にとどまる。遺伝子の機能推定に通常使われる方法のうち、配列の相同性から機能を推定する方法は、ゲノムワイドな適用が可能である一方、機能が既知の遺伝子と相同性を示さない場合には情報が得られず、また、タンパク質としての機能がわかった場合でも、生理的な役割が明らかになるとは限らないという欠点を持つ。一方、遺伝子破壊株の表現型解析による方法は、表現型を通して目的の遺伝子の生理機能を明らかにできる可能性を持つが、そもそも、どのような表現型を調べればよいのかわからない場合には適用できず、また、一般に大量解析には適さない。本研究においては、このような状況を克服すべく、クロロフィル(Chl)蛍光測定を用いた遺伝子機能解析の手法を考案した。近年、GFPなどの蛍光プローブを用いた様々な解析方法が開発されているが、光合成生物は光合成色素という天然の蛍光プローブを持っている。Chlの蛍光は光合成の状態を反映する指標であり、光合成生物を暗順応させてから励起光を照射した場合の蛍光強度の経時変化は環境条件や光合成関連遺伝子の欠損に影響されることが知られている。本研究では、このChl蛍光測定を、原核生物であって光合成系が細胞内において他の代謝系と相互作用しうるシアノバクテリアに応用し、さらにトランスポゾンを利用した変異コスミドライブラリーによる遺伝子破壊株コレクションと組み合わせることにより、遺伝子の機能推定を行えるシステムの構築を目指した。

[結果と考察]

1.破壊株コレクションの構築とChl蛍光挙動の測定と解析

東京大学、名古屋大学、京都大学の共同研究よって作成された変異コスミドライブラリを用いて、500株からなるシアノバクテリア遺伝子破壊株コレクションを構築した(表1)。破壊された遺伝子はCyanoBaseにおける1st levelのカテゴリーの全てにわたっており、ゲノム上の遺伝子の約15%をカバーする。

OD730を0.5にそろえたシアノバクテリアの培養液10μlを寒天培地に滴下し、強光(200μE/m-2/s)で48時間または弱光(20μE/m-2/s)で72時間培養後、細胞を15分間暗順応させてから励起光を照射しChl蛍光の経時変化を45秒間測定した。得られる蛍光データは細胞の状態を極めて鋭敏に反映する一方、異なる培養条件での比較は不可能に近い。そこで、以下の実験においては、各寒天培地に野生株を5スポット、4種の破壊株をそれぞれ5スポット滴下し、破壊株の表現型は同一の培地上の野生株と比較することとし、各スポットから得られる5つの蛍光挙動のばらつきにより誤差を見積もった。

2.光化学系量比調節に関わる遺伝子の探索と候補遺伝子破壊株の解析

Chl蛍光挙動による遺伝子の機能解析の可能性を探るため、まず、光化学系量比調節に関わる因子の探索を行った。酸素発生型の光合成においては、光化学系IIと光化学系Iが協調して働くため、光環境に応じて2つの光化学系は適切な量比に調節される必要がある。これまでに、この光化学系量比調節に強光下で欠損を示す遺伝子破壊株としてpmgA破壊株とsll1961破壊株が報告されており、これらの破壊株は強光下でお互いによく似たChl蛍光挙動を示す。そこで、類似の機能に欠損のある遺伝子破壊株は類似のChl蛍光挙動を示すと仮定した。まず、pmgA破壊株とsll1961破壊株のChl蛍光挙動を測定したところ、強光培養時に、励起光の照射から約0.5秒後に現れる初期ピークが野生株よりも低く、45秒後の蛍光レベルがそれらの初期ピークよりも高いという、共通する表現型を示した(図1B(1,2))。そこで、この特徴を基準に破壊株コレクションの中から蛍光挙動の類似した破壊株6種(ccmK2, slr1916, ctaEI, ctaCI, slr0645, slr0249)を候補株として選抜した(図1B(3-8))。これらの候補株の細胞の低温蛍光スペクトルを測定し、光化学系量比の指標となる光化学系I(F725)と光化学系II(F695)の蛍光強度の比を計算した。弱光に順化した各候補株は野生株と同様にF725/F695が2程度であったが、強光に順化した野生株では光化学系Iの減少に伴いF725/F695が1程度になるのに対して候補株では野生株よりも大きな値を示した(図2A)。従って、これらの候補株は、実際に強光下での光化学系量比に異常を持つことが明らかとなった。このことは、Chl蛍光挙動を単純に比較する方法で効率良く光化学系量比に異常がある破壊株をスクリーニングできることを意味する。

上記の2つのグループに属さないslr0249破壊株は、弱光下でのみF725/F695が野生型より小さく、また、強光下でChl量が野生株よりわずかに少ないという表現型を示した(図2)。この破壊株は生育が遅いこともあり、光化学系量比の調節と直接関わっていないのかもしれない。

3.蛍光挙動の定量的解析

光化学系量比調節因子の探索は、蛍光挙動の特定の特徴に注目して行ったが、作成した500株全ての破壊株について統合的な解析を行うためには、蛍光挙動が「似ている」ということの定量化が欠かせない。しかしながら、最初に述べたように、異なる培地上の細胞の蛍光挙動を直接比較することはできない。そこで、1つの培地上の各株5つのスポットの蛍光時系列データを時間ごとに平均し、その結果をさらに時間ごとに同じ培地上の野生株のデータで割り算することによりノーマライズし、結果として得られた標準化時系列データ同士の偏差二乗和を計算することにより蛍光挙動の非類似度とした。この際に、適切な重みを付けて計算した。強光順化したsll1961株の蛍光挙動を基準とし、これとの非類似度により他の株を順位付けしたところ、先に光化学系量比調節因子の候補として取得した破壊株がpgmA破壊株も含めて上位に挙がった。このように計算した非類似度が定量パラメータとして十分に有効であることがわかる。

独立に培養した16の野生株についてその平均との非類似度をそれぞれ計算したところ、その最大値を超す非類似度を野生株に対して持つ破壊株が高頻度で存在した。計算された非類似度をもとに遺伝子の系統樹を作成すると、光化学系量比調節に異常のある破壊株は1つを除いて比較的近くに集まる。さらに、野生株との非類似度は、マイクロアレイにより強光照射15分後に有意に発現が上昇すると報告されている遺伝子の破壊株の方が、それ以外の遺伝子の破壊株より大きくなる。これらの結果は、蛍光挙動の非類似度という1つのパラメータによって遺伝子の機能に関する様々な情報を得られることを示している。

[結論]

本研究ではシアノバクテリア遺伝子破壊株コレクションの蛍光挙動解析により、特定の機能に異常のある破壊株を取得できることを示した。また、蛍光挙動を非類似度として定量化し、これを用いて遺伝子の機能クラスタリングを行うことができる可能性を示唆した。また、このパラメータにより遺伝子の機能を発現量の変動などと関連づけて議論することも可能であると考えられる。少なくとも原核光合成生物を材料として用いた場合、破壊株のChl蛍光挙動の経時変化を単純に比較するだけで、様々な生命現象に関与する遺伝子を予測できる有用な手段となり得ることを示唆するものである。

図1.弱光(A)および強光(B)で生育させた野生株とsll1961, pmgA, ccmK2, slr1916, ctaEI, ctaCI, slr0645, slr0249破壊株のChl蛍光挙動

細線が野生株、太線が破壊株を示す。強光下でこれらの変異株はピークが野生株よりも低く、ピークより最終の点で蛍光強度が強い。蛍光強度は励起光照射時の値を1としている。

図2.弱光および強光で生育させたシアノバクテリアの光化学系量比とChl含量野生株では強光下で光化学系I/光化学系IIが大きく減少するがsll1961, pmgA, ccmK2, slr1916, ctaEI, ctaCI, slr0645破壊株では十分減少しない(A)。また、野生株では強光下でChl含量が大きく減少するがsll1961, pmgA, ccmK2, slr1916では十分減少しない(B)。強光下での表現型からグループIとグループIIに分けられる(D)。

ctaEI, ctaCIは呼吸系の末端酸化酵素シトクロムcオキシダーゼのサブユニットをコードしており、シトクロムcオキシダーゼの破壊株は強光下で光化学系IIが野生株よりも少ないことが既に報告されている。つまり、Chl蛍光挙動を指標に選抜を行うと光化学系Iの減少量が少ない破壊株だけでなく、光化学系IIが野生株よりも大きく減少する破壊株も取得可能であることが示された。F725/F695の増大は光化学系量比の変化の指標となるが、光化学系Iが多いのか光化学系IIが少ないのかは判別できない。そこで、シアノバクテリアにおいては細胞あたりのChl含量が光化学系I量の指標となることを利用し、細胞の吸収スペクトルからChl量を見積もった。その結果、強光下でChl量が野生株よりも多いもの(sll1961, pmgA, ccmK2, slr1916破壊株; グループI)とChl量が野生株と同じ程度のもの(ctaEI, ctaCI, slr0645破壊株; グループII)に分けられた(図2B)。これは、強光下でグループIは光化学系Iが十分に減少せず、グループIIは光化学系IIが野生株よりも少ないことが意味する。また、破壊株の光混合栄養条件での生育を観察すると、クループIに含まれる破壊株のみが光混合栄養条件に感受性を示した(図3)ので、2つのグループの遺伝子の間には機能的差異が存在すると予想された。このことを念頭に、再度Chl蛍光挙動を詳細に観察すると、ctEI破壊株とctaCI破壊株の蛍光挙動のみにおいて、励起光照射直後に、わずかな蛍光強度の減少が見られることがわかる。この減少は、末端酸化酵素の破壊によって暗順応の間に還元されたプラスキノンプールが励起光照射によって酸化されるとして説明できる。この特徴を利用することにより、呼吸関連の制御因子の取得も可能になるのではないかと考えている。

図3.光混合栄養条件下での生育

上段は5 mMグルコース(光混合栄養条件)、下段は5 mMマンニトール(コントロール)を含む培地で100μE/m-2/sの光環境で生育させた。sll1961, pmgA, ccmK2, slr1916破壊株(グループI)は光混合栄養条件で著しく生育が阻害された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章はクロロフィル蛍光の経時変化を利用した光化学系量比の調節に異常のある破壊株の単離、第2章はクロロフィル蛍光の定量的解析について述べられている。クロロフィルの蛍光は光合成の状態を反映する指標であり、光合成生物を暗順応させてから励起光を照射した場合の蛍光強度の経時変化は環境条件や光合成関連遺伝子の欠損に影響されることが知られている。本研究では、このクロロフィル蛍光測定を、原核生物であって光合成系が細胞内において他の代謝系と相互作用しうるシアノバクテリアに応用し、遺伝子破壊株コレクションと組み合わせることにより、遺伝子の機能推定を行なえるシステムの構築を目指した。

第1章では、変異コスミドライブラリを用いて、500株からなるシアノバクテリア遺伝子破壊株コレクションを構築した。OD730を0.5にそろえたシアノバクテリアの培養液を寒天培地に滴下し、強光で48時間または弱光で72時間培養後、細胞を15分間暗順応させてから励起光を照射しクロロフィル蛍光の経時変化を45秒間測定した。クロロフィル蛍光挙動による遺伝子の機能解析の可能性を探るため、まず、光化学系量比調節に関わる因子の探索を行った。これまでに、この光化学系量比調節に強光下で欠損を示す遺伝子破壊株としてpmgA破壊株とsll1961破壊株が報告されており、これらの破壊株は強光下でお互いによく似たクロロフィル蛍光挙動を示す。そこで、類似の機能に欠損のある遺伝子破壊株は類似のクロロフィル蛍光挙動を示すと仮定した。この特徴を基準に破壊株コレクションの中から蛍光挙動の類似した破壊株6種(ccmK2, slr1916, ctaEI, ctaCI, slr0645, slr0249)を候補株として選抜した。これらの候補株の光化学系量比を測定したところ、slr0249以外は、実際に強光下での光化学系量比に異常を持つことが明らかとなった。このことは、クロロフィル蛍光挙動を単純に比較する方法によって効率良く光化学系量比に異常がある破壊株をスクリーニングできることを意味する。

第2章では、クロロフィル蛍光の定量化を試みた。1つ培地上の各株5つのスポットの蛍光時系列データを時間ごとに平均し、その結果をさらに時間ごとに同じ培地上の野生株のデータで割り算することによりノーマライズした。結果として得られた標準化時系列データのsll1961破壊株との偏差二乗和を計算することにより蛍光挙動の単純非類似度とした。単純比類似度を小さい順に並べると、目で見て選び出した破壊株の多くが上位に挙がったことから、単純非類似度はクロロフィル蛍光の挙動を反映していると考えられる。しかしながら、pmgAとslr0249は125位と375位となり、上位に現れなかった。これら2つの破壊株もsll1961破壊株と似ていることから、単純非類似度には改良が必要である。そこで、sll1961破壊株とpmgA破壊株で両者の違いが大きい点ほど軽く、似ている点ほど大きくなるよう自動的に重みを付け、この結果得られる値を破壊株特異的非類似度とした。この場合、先に述べた破壊株は29位以内に現れた。破壊株特異的非類似度は2つの破壊株から自動的に客観的且つ定量的なパラメータとして得られ、興味ある表現型を示す他の破壊株を効率良く得られるパラメータであると期待される。さらに、野生株との非類似度は、マイクロアレイにより強光照射15分後に有意に発現が上昇すると報告されている遺伝子の破壊株の方が、それ以外の遺伝子の破壊株より大きくなる。これらの結果は、蛍光挙動の非類似度という1つのパラメータによって遺伝子の機能に関する様々な情報を得られることを示している。

本研究ではシアノバクテリア遺伝子破壊株コレクションの蛍光挙動解析により、特定の機能に異常のある破壊株を取得できることを示した。また、蛍光挙動を非類似度として定量化し、これを用いて遺伝子の機能クラスタリングを行なうことができる可能性を示唆した。このパラメータにより遺伝子の機能を発現量の変動などと関連づけて議論することも可能であると考えられる。少なくとも原核光合成生物を材料として用いた場合、破壊株のクロロフィル蛍光挙動を比較するだけで、様々な生命現象に関与する遺伝子を予測できる有用な手段となり得ることを示唆するものである。

なお、本論文第1章は、池内昌彦、小川晃男、福澤秀哉、主査である園池公毅との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行なったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24335