学位論文要旨



No 122903
著者(漢字) 廣田,達人
著者(英字)
著者(カナ) ヒロタ,ミチト
標題(和) 英国自治体監査法の研究
標題(洋)
報告番号 122903
報告番号 甲22903
学位授与日 2007.07.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第203号
研究科 法学政治学研究科
専攻 公法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小早川,光郎
 東京大学 教授 碓井,光明
 東京大学 教授 浅香,吉幹
 東京大学 教授 石川,健治
 東京大学 教授 田中,信行
内容要旨 要旨を表示する

1. 本稿は,英国自治体監査法を考察するものである。その歴史と伝統は長く,1601年改正救貧法下の治安判事による監査に起源があり,1810年救貧税法に近代的自治体監査の草創及び英国法に特徴的な「権力的」「追徴監査」(後述)の草創を認識しうる。その後,1834年法以降,中央政府の国家公務員たる地区監査官の時代を経て,また,一般行政領域に拡大され,1982年に監査委員会が設置され,今日にいたっている。筆者はこれを伝統的監査とよぶ。これに対し,1992年法(成果業績指標監査)・1999年法(ベスト・バリュー監査)・2003年法(包括的成果業績監査=CPA)の三つの法律に基づく監査(一応そうよぶ)は,まったく系統を異にする監査であるため,筆者は,便宜上,政策的監査とよび区別する。伝統的監査のうち,「権力的監査」は,政府の自治体現代化プログラムの一部である2000年法によって廃止された。本稿は基本的に,「2000年法による改正前の伝統的監査」を対象に考察するものである。

本稿の構成は,筆者が理解した伝統的監査の法構造を基にしている。すなわち,監査組織法(1章2-3節),監査手続・監査争訟法(2章),監査実体法(3章),の三つの法領域にしたがった章立てを基本とし,そのうえで,全般事項である監査法制史(1章1節)を最初に考察し,特殊事項である,2000年法と政策的監査を付加的に考察し(4章にまとめて),終章においてはこれらを横断的に「自治体監査の統治機構上の地位」の視点から考察する構成となっている。

2. 監査組織法においては,監査主体の「独立性」の考察に力点を置く。本稿冒頭のAristotleの言葉にもあるように,独立性は,監査作用の本質の一つであるからである。英国法は監査主体の独立性に敏感であった。法制史の考察によって明らかとなったが,1834年法以降,監査主体である地区監査官は国家公務員であったため,大臣からの独立性に猜疑の目が向けられた。しかし,大臣らは,法律に基づく権限を行使する監査官の具体の行為には介入することはできないという解釈で一致していた。他方,監査客体である自治体が監査人を選定できる仕組みは,監査主体の監査客体からの独立性をそこなうとして,レイフィールド委員会報告を受け,1982年法は,監査委員会を創設し,個別監査人の選任権限を自治体から監査委員会に移し,あわせて,監査官を非公務員として監査委員会に引き継がせた。監査委員会は,監査機能の国家的ヒエラルヒーの頂点にあるが,自ら監査を実施する(実施型)機関ではなく,単に,個別監査人を自治体ごとに選任する(選任型)機関である。しかし,監査委員会の創設によって,監査主体の独立性は,大臣,監査委員会,個別監査人の三層となって複雑化した。

3. 監査手続・監査争訟法においては,筆者独自の着想として,「監査作用の権力的性質」と「監査訴訟」という概念を立てる。すなわち,「監査作用の権力的性質」とは,制定法上,監査主体が監査客体に対して優越した意思の主体として位置付けられ,監査主体の決定(監査結果)が監査客体を法的に拘束し,たとえ監査主体の決定に違法があったとしても,監査客体の側で裁判所に上訴し,監査主体の決定を破棄する判決を得ない限り,監査主体の決定が監査客体に対して法的拘束力を持ち続ける場合の,当該監査作用の法効果に係る性質をいう。他方,「監査訴訟」とは,監査上の法律関係に関する紛争において,監査主体が訴訟当事者となる構成が,制定法上とられている訴訟をいう。両者は密接な関係にある。まず,権力的監査手続の代表例として,「追徴」監査がある。1810年法に起源があると考える。他には,1988年法にて創設された禁止命令がある。追徴が事後監査なら禁止命令は事前監査である。

筆者は,追徴監査を広義と狭義の二つに分ける。すなわち,追徴監査(広義)は,次の二つからなる。第一に,追徴監査(狭義)である。この監査は,監査人が,「会計未計上及び故意の違背行為」によって自治体に損害をもたらした者等に追徴金を課す追徴監査である。この追徴監査は権力的監査である。それというのも,追徴された監査客体(議員等)は,一定期間内に裁判所に上訴(監査訴訟の一つ)しなければ義務が確定するからである。第二に,広義と狭義の狭間にある監査手続である。それは,監査客体たる自治体の「違法な会計事項」について,監査人が,宣言判決を求めて裁判所に出訴する監査手続である(監査訴訟の一つ)。この違法な会計事項については,監査人は,自ら追徴する権限を持たないが,裁判所は,監査人の請求に基づき,責任のある者に対し,返済命令・資格剥奪命令を発することができる。第二の権限は,一般的には,追徴とはいわない。しかし筆者は,監査人の請求に基づいて,裁判所がいわば「追徴」する仕組みであり,また,法制史上,1972年改正までは,この権限も権力的追徴監査であったことを思い,「広義の追徴監査」に含めることとした。追徴監査は,権限踰越の法理(後述の監査実体法の一つ)を監査客体に適用する手続上の武器であり,追徴監査は,自治体に対する「越権統制機能」を果たしてきた。

次に,監査主体の一連の監査結果に対して,選挙人は,不服申立てを要件として(監査請求前置主義),監査主体を被告として裁判所に上訴し得る。この監査訴訟は,わが国の住民訴訟に類似する。監査主体を被告とする法設計は,監査主体の監査責任を明確にするうえで望ましい。また,監査客体が被告とならずにすむため,わが国のような,住民訴訟の負担過重といった問題も回避できる。

4. 監査実体法は,監査人が,その実体的監査判断を行う際に依拠する法規範である(議員等の責任要件,及び会計事項の違法事由)。判例法が重要な役割を果たしている。また,監査訴訟判例は,財務法以外の法原則の形成にも大きな貢献をしてきた。まず,議員等の責任要件については,Graham v. Teesdaleが判例となっている。近年の有名な上院判決 Porter v. Magill(政治的利益の考慮が違法な他事考慮にあたるとして議員に巨額の追徴金を課した監査人の追徴が上院において認められた事件)においても用いられた。

次に,会計事項の違法事由については,第一に,権限踰越(ultra vires)の法理は,憲法上,「制定法の産物」たる地位にある自治体に対する越権統制監査の実体法上の道具として,監査人によってさかんに用いられてきた。この点,筆者は,有名なWednesbury判例は,原告が引用した監査訴訟であるRoberts v. Hopwood(自治体職員の給与水準が違法に高いことを追及して監査人が勝訴した上院判決)が基礎になっていると考え,判例法の形成における監査訴訟の貢献を認識している。同事件は,自治体財務に対する信認関係の法理の適用を確立した先例的監査訴訟でもある。

第二に,損失の発生を伴わない単なる計算整理の違法性については,会計科目の選定,発生主義会計原則の遵守などが裁判上の争点となる(裁判所は,会計決算の修正を命令することもできる)。もっとも,Wilkinson v. Doncaster M.B.C.のように,裁判上は,会計科目の選定・解釈が争点となっていても,その背景には,強制競争入札制度(CCT)や起債制限など,より実体的な争点が存在する場合が多いと筆者は考える。

5. 2000年法は,長い歴史のある追徴権限(狭義)と,禁止命令という権力的監査権限を廃止し,同時に,制定法の産物たる自治体に一般的権限を与えた。もっとも,権力的監査権限の廃止は,政府によって突然もたらされたようにもみえるが,1972年法が,すでに第二の追徴監査の権力性を排除したという歴史がある。権力的監査は,このころから,イギリス議会によって,非「現代的」監査とみなされていたようである。

6. 政策的監査は,2000年法とあいまって,自治体監査の統治機構上の地位に変化をもたらす。伝統的監査は,法を実体規範とする財務監査であり,越権統制機能を果たしてきた。これに対し,政策的監査は,行政の成果の全般を対象とし,大臣の命令・ガイダンスを実体規範とする。また,今回の変革により,政策的監査の比重が高まる。このことにより,大臣による自治体統制はむしろ強化されると考える。監査の実体規範が,法ではなく,広範な内容を含む大臣の命令・ガイダンスに置き換えられるからである。以上から,自治体監査の統治機構上の地位は,「法に基づく独立した監査」から「中央(大臣)に仕える監査」へといくらかシフトするであろう。これにより,政策的監査は,いくつかの観点から,「監査」機能に留まらず,そこから離脱する可能性がある(単なる監督・統制)。

7. 最後に,伝統的監査の統治機構上の地位は,「法に基づく独立した監査」と考える。「法に基づく」とは,法を実体規範とし,大臣の命令・ガイダンスではないことを意味する。「独立」には,「外部」監査であることが含意される。すなわち,組織法的意味においては,監査客体の外部の機関であることを要し(したがって,自治体の意思決定の違法性,つまり議員の投票行動を監査しうる),そのことは,訴訟法的意味においても,監査訴訟を設けることによって),監査法を外部法として機能させることに結びつく。2000法は,たしかに,権力的監査を廃止したが,他方において,非権力的な二つの監査訴訟を存続させた。イギリス議会が,監査法を外部法として位置づけている証拠である。

これに対し,わが国の場合,監査主体は内部機関であり,監査は,財務事務の「執行」を監視するのであって議会の議決行為を監査することはできない。監査機能は,自治体内部の自治的解決を期待する内部法作用であり,統治機構上は,「議会に仕える内部監査」といえ,英国法とは根本的に異なる。しかし,監査機能の強化が課題のわが国において,地方自治を尊重しながらも,英国法から学ぶことは多い。

審査要旨 要旨を表示する

国の会計検査と並んで、自治体も監査制度を有するのが普通である。本論文は、英国の自治体監査法を体系的に考察し、その特色を見出そうとするものである。従来、日本において「自治体監査」という言葉はあっても、「自治体監査法」という言葉はほとんど聞かれなかったといってよい。英国においても、自治体監査法に関する書物や論文は限られている。そのなかで、本論文が纏め上げられたことの意義は大きいといわなければならない。本論文のテーマが、自治体における不祥事が問題となり、監査委員に対する住民監査請求およびそれを前提とする住民訴訟の事件が多発し、自治体監査制度のあり方が問われている今日の日本において、実際的にきわめて大きな意味をもつものであることはいうまでもない。

本論文の長所として以下の諸点を挙げることができる。

第一に、本論文は、英国の自治体監査法という分野を取り上げた包括的な研究である。日本においても、住民訴訟の前提要件としての住民監査請求の対象、その対象の特定性、監査請求期間などについての研究があるものの、それらはおおむね、主たる関心を住民訴訟に向けたうえでの限定的な研究であったといってよい。これに対して、本論文は、「自治体監査法」という分野それ自体に着目した包括的研究としての意義を有している。日本における英国の自治体監査制度の研究は、自治体監査制度運用の主要な機関であるaudit commission(監査委員会)に関するものが見られる程度であったのに対して、本論文は、次に述べる体系に沿った英国法に関する包括的研究の意味をもっている。このような包括的研究の学界に対する貢献は極めて大きいものである。

第二に、本論文は、英国自治体監査法に関する体系的な研究である。著者は、監査法制における基本的な法領域として、監査組織法、監査手続・監査争訟法、監査実体法を挙げることができるとし、論文の構成においても、第1章の「英国自治体監査法」の中において、audit commissionを中心とする英国の特色ある監査組織法を扱い、第2章において、自治体監査手続・監査争訟法を、第3章において自治体監査実体法、すなわち賠償責任要件および会計事項の違法事由を扱っている。自治体監査に関する法をこのような視点で体系的に構成する作業により、監査法の体系的認識が可能になったのであり、このことは本論文の大きな特色をなしている。本論文は、英国法を素材にしているとはいえ、自治体監査法に関するそのような体系的研究としては、日本における初めてのものであるといってよい。この研究が先鞭をつけたことにより、日本におけるこの分野の研究が誘発され推進されることが期待される。

第三に、本論文は、英国自治体監査法の固有の特色を描き出すことに成功している。まず、著者は、監査手続法において、監査主体(監査人)の追徴権限、禁止命令権限のように、監査主体の意思を監査客体の意思に優越させる「権力的監査手続」が長年存続したことをもって、英国の最も特色ある仕組みとして強調している。次に、監査訴訟法においては、そのような監査主体(監査人)が訴訟の当事者となる「監査訴訟」の仕組み、すなわち監査主体が原告となる訴訟、逆に監査主体を被告とする訴訟の制度が採用されていることを、英国法の特色として描き出している。そのほかにも、たとえば、監査の独立性に関して、監査人の監査客体(自治体)からの独立性、中央(大臣)からの独立性、audit commissionからの独立性を、それぞれ明確に区別しつつ検討を加えるなど、緻密に分析している。

もっとも、本論文にも問題がないわけではない。

第一に、英国において、前記のような独特な制度なり考え方が、なぜ、どのように形成されてきたのかについての切り込みが足りないように思われる。監査法制史の検討のなかで救貧法制との関係が言及されているものの、やや短絡的な感を否めない。歴史的展開の点に関しては、2000年法改正により、従来の特色ある権力的追徴監査法制の大転換が図られたことの実際的・理論的背景に関しても、さらにもう少し考察を加える余地があるのではないか。

第二に、英国自治体監査法そのものを直接扱った文献が少ないにしても、周辺分野の研究をも渉猟し、英国において自治体監査ないし自治体監査法がどのように位置付けられているのかを、より広い視野のなかで検討することにより、本論文の深みを一層増すことが可能なのではないか。それには、一般に「監査」がいかなる作用であり、それとの関係において「自治体監査」がいかなる位置にあるかについて英国の研究者がどのように論じているかなども含まれる。

しかし、以上のような問題点は、著者が未開拓な分野を選択したことの結果ともいえるのであって、本論文の価値を決定的に損なうというものではない。本論文は、自治体監査法に関する包括的、体系的研究として新たな地平を開く研究であって、学界に大きな貢献をなす論文であると認められる。

以上から、本審査委員会は、本論文が博士(法学)の学位を授与するに相応しいと評価するものである。

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