学位論文要旨



No 122905
著者(漢字) 権,澈
著者(英字)
著者(カナ) クォン,チョル
標題(和) 遺言による財団設立 : フランス法におけるfondation post-mortem論を中心に
標題(洋)
報告番号 122905
報告番号 甲22905
学位授与日 2007.07.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第205号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 道垣内,弘人
 東京大学 教授 大村,敦志
 東京大学 教授 北村,一郎
 東京大学 教授 石川,健治
 東京大学 教授 田中,信行
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、「遺言による財団設立」の問題に関して、日本における財団法人論の状況を視野に入れつつ、フランス法のfondation post-mortem論を素材として考察するものである。

序章では、議論の出発点を二つの方向から明らかにするために、一方で、財団法人規定につき、それの成立からこれまで日本においてなされてきた議論の概略を示し、他方で、フランス民法典の成立に至るまでのフランス法の状況を簡単に示した。

「ある人が、遺言で、何かの永続的活動・事業のために、財産を残そうとする」という社会現象が存在する。財産を残すために、使える法技術としてはどのようなものがあるのか。フランス法における「遺言による財団設立」を考えるにあたって、法的問題のポイントとなるのは、大きく分けて次の2点である。一つは、財団の設立(団体・施設への寄付)は、必ず、国の許可に服させる問題である。もう一つは、遺言の効力の発生より後で受贈許可・公益承認が取得されるため生じる、遺言無効という問題である。これはまた、政治・宗教・社会状況とも密接に関係している。この問題をめぐり、特に19世紀後半以降、独特な判例法理が形成され、20世紀末の1990年になってから、法律により遡及効が認められるようになった。

第1章では、民事判例における財団論の形成を中心にみた。大革命以降に制定されたフランス民法典に、財団に関する条文はない。遺言により、遺産(の一部)を独立させる財団設立はできない状況であった。そこには、第1に、マンモルトへの危惧、第2に、教会への警戒があり、これが、財団が拒まれる大きな要因であった。しかし、19世紀後半以降、社会の需要に押されて、判例法が展開されるようになった。その必要を象徴的に示すのが「ゴンクール賞」である。ただ、判例法理が簡単に形成されたのではない。相続法上の制約が存在したのである。同時存在の原則をはじめ、相続法上、乗り越えなければならない障碍が、尊重しつつクリアしなければならないものとして、現われたが、結局、新しい遺言処分の一種として、判例法が形成された。910条を十分に尊重しながら、906条をようやく乗り越えた。意思だけでできる「財産」の操作には、枠・限度があったのである。

第2章では、学説に支えられた立法案の起草過程とその挫折の経緯をみた。20世紀初頭には、一方で、19世紀を通じて禁圧されていたアソシアシオンに関する法が成立した。他方で、ドイツ法の影響も受けつつ、民法典100周年を迎えたこともあり、民法改正の動きが生じた。このような状況のなかで、フォンダシオンに関する立法の動きが大きな波として生じた。大いに議論がなされ、立法案が起草された。しかし、結局は、実現しなかった。それは何故か。マンモルトへの危惧、教会への警戒という政治・経済的な要素ももちろんあるが、民法の視点からみると、そこには、当時の(あるいは今まで続いている)フランス法的観念が存在していたことを指摘すべきであろう。すなわち、人格なき財産に対する拒否反応がそれである。トートロジーのような面はあるが、人格なき財産を、法人格という擬制によって認めることを許容しないということである。財産というのは、人と結びついた形で存在するということについてのこだわりが存在したのである。いわゆる「財産(patrimoine)の単一性(universalite)」(資産の唯一性)論である。また、このようなフランス的観念の存在は、ゴンクール判決に象徴される判例法理をも説明してくれるといえよう。とくに遺言の効力発生時と公益承認取得時の間に、人格なき財産が発生する問題を、個人を受遺者として性質決定し、彼をしてゴンクール協会を設立せしめることにより解決したのである。

第3章では、文化政策と結びついて、財団に関する規定が設けられる経緯についてみた。1970年代・80年代以降になると、第1章と第2章でみた、遺言による財団設立に対する積極・消極という二つの「力」のバランスが変化して、遺言による財団設立を認める規定が必要であるとの動きが生じる。文化国家、あるいはメセナ振興というような、新たな形の必要性が出現するようになるのである。ただし、これも、容易に実現されるのではなく、これに対する対抗力が働くようになる。第1に、遺言による財団設立において、遺留分を下げようとする試みは、遺留分を尊重するフランス相続法における根強い思考に基づく反対に会い実現されなかった。第2に、遺言による新たな財団の設立には、依然としてコンセイユ・デタの公益承認を得る必要がある。個人の意思だけによる財団の設立は認められていないのである。

本稿の注目する遺言による財団設立は、極めて小さい主題である。しかし、この小さい窓から眺めることにより、今までは気づいていなかった、様々な問題を考えることができる。すなわち、フランスにおける議論史をフォローする作業によって、そもそも財団法人とは何なのかを考えてみることができると思う。また、財団法人についての理解を深めることは、財産・相続・法人を貫くひとつの観念(考え方)を浮かびあがらせることになるだろう。この考え方を理解することによって、財団法人に対してありうる批判的議論の前提を究明することにより、より生産的な議論の基礎を提供できればと思う。

さらに、以上のようなフランス法に関する考察は、日本法に引きなおしてみると、次のような点で示唆になり得るのではないかと思う。まず、日本民法の財団法人をどのように理解するか、という認識の問題と関係する。日本民法は、ドイツ民法草案をもとにして、財団法人の規定を置いた。そのドイツ民法には、シュテーデル遺言事件をめぐる議論をきっかけとして、財団法人という概念が観念され、そのなかで、遺言による財団設立に関する規定が設けられた経緯がある。その結果、ドイツ民法では社団法人が典型とされており、財団法人はそれに準ずるものとして規定されている。

これに対して、日本民法では、財団法人を自明の存在として捉え、遺言による財団設立も当然可能なものとして継受した。さらに、日本民法においては、ドイツ法に現われていたような、社団法人と財団法人は必ずしもパラレルではないことを捨象して、両者を同一時限に併置する構成が採用された。このような認識と構図は、基本的に、今日まで維持されている。遺言により財団を設立するために、現時点の日本で考えられるのは、民法上の財団法人を設立する方法と、信託を設定する方法であろう。いずれも、遺言でできることが規定されており、目的は公益に限定されている。さらに、2006年には相次ぎ、新法が成立された。公益法人改革法と新信託法である。公益法人改革法は、民法における公益法人を改革し、その目的を公益に限らず、財団法人を設立することができる仕組みを導入した。遺言で設立できることを明確にし、その手続について、民法より詳細な規定を設けている。新信託法は、受益者の定めのない信託(いわゆる「目的信託」)を認めた。これをもって、道はさらに開かれた。

ここで我々は、次のような問題を問い直すべき時を迎えているように思われる。第1に、財団法人の存在は自明なものなのか、あるいは、財団法人とは何か、そもそも何だったのか。第2に、日本で、今回、非営利の財団法人を認められたのは、いなかることなのか。何のために、非営利財団法人が認められたのか。ただ形式的に、社団について非営利の社団を認めるということで、認めたことでいいのか。それとも、そうではなくて、日本の非営利の財団法人規定に、これを支えるもっと実質的な根拠を与える必要があるのか。

第1の問いに対して、本稿の考察から言えることは、フランスで、遺言による財団設立をめぐる議論は、19世紀・20世紀を通じて、さらにダイナミックに展開されており、その議論史からは、遺言による財団設立、さらには、そこから導き出された財団法人という概念が、決して、自明なものではないことを、鮮明に読み取ることができるということである。

そして、フランスで、財団というものが認められたのは、ある種の共通の公益のため、とりわけ、文化的目的があったからである。早い時期についていえは、ゴンクール賞もその一環とみることもできよう。特定の財産を分離することは、フランス法的観念にもかかわらず、文化振興という別の価値があるがゆえに、許容せざるを得ないものとして、認められた、という本稿の考察をもって、第2の問題を考えるにあたっての糸口を提供できればと願う。

審査要旨 要旨を表示する

第一に、一見すると小さなテーマである「遺言による財団設立」という視点を立てることによって、フォンダシオンが、筆者がフランス法的観念と呼ぶ相続法上の諸原則(同時存在の原則や遺留分の尊重)や財産の単一性の原則(一つの人格に一つの財産という観念や人格なき財産の否定)と抵触し、これらに阻まれる経緯がよく描き出されている。また、本論文の歴史理解は筆者自身の観点から構成されたものであり、このような枠組みでフォンダシオンの歴史をとらえる試み自体が貴重なものであり、細部に修正を要する点はあるとしても、今後の研究の基礎となるものであるといえる。

日本民法典の制定当時から、財団法人は社団法人とともに公益法人の類型の一つとして認められてきた。また、公益法人改革の結果として2006年に新たに制定された一般社団・財団法人法においては、一般財団法人が一般社団法人とともに非営利法人の一類型として認められるに至っている。しかし、法人につき議論される場合に念頭に置かれているのは、多くの場合には社団法人であり、財団法人に関しては十分に立ち入った議論はなされてこなかった。

日本においては、財団法人の設立は生前の寄付行為によってなされるほか遺言によっても可能であるとされてきたが、フランスにおいては、遺言による財団設立の可否が争点となり、その延長線上に生前行為による場合をも含めて広く財団を認めるべしという議論が現れた。こうした経緯をふまえつつ、筆者は「遺言による財団設立」という問題を検討する。これは、一見すると小さな問題であるが、その背後にある問題意識は以上のようなものであり、また、フランスにおける議論の所在を踏まえているものである。

第二に、本論文は、先行研究の乏しい問題につき、フランスの資料を広い範囲にわたり自力で渉猟したものであって、収集され整理された資料自体が今後の研究の基礎として大きな価値を持つものである。また、本論文では、各種の資料はフォンダシオンに対する反対論の依拠する暗黙の前提を照射するために用いられているが、諸前提は必ずしも明示的に示されているわけではなくテクストの行間にわずかに姿を現すだけのことも少なくない。筆者は、自らが抽出を試みる「フランス法的観念」が確かに存在することを示すために、各論者のテクストを逐一詳細に提示している。ある意味では愚直にも見えるこの態度は、筆者の立論の検証可能性を確保する結果になっているといえる。同様の誠実さは、注における関連文献の探索や周辺的テクストの摘示にも現れている。

第三に、筆者の日本語はほぼ完璧なものであり、文章には不自然さはほとんど見られず、平易でわかりやすい。また、膨大な量に及ぶフランス語の翻訳もおおむね適切である。いずれの言語も筆者にとっては外国語であることを勘案すると、長年の研鑽は賞賛に値するといえる。難解な箇所を省略し要旨のみを示してすませるという態度がみじんもないことも好感の持てる点である。

もちろん、本論文にも欠点がないわけではない。

まず第一に、マンモルト、相続、人格などフォンダシオンが直面する反対原理の存在は摘出されているものの、その内容についてもう一歩立ち入った考察が望まれる。さらに、公益の国家集中や税制上の観点に対する言及もほしいところである。

第二に、資料を重視するあまりに、その消化が十分ではないうらみが残る。自らの観点を積極的に提示して資料に対する評価をより明確にすることが期待される。また、立論との関係で必ずしもすべてを翻訳する必要がない場合も散見され、もう少し資料の整理・選別がなされた方がよい。

第三に、「遺言による財団設立」というテーマが財団論一般に占める位置がやや見えにくいように思われる。日本法においては「例外」の扱いを受けるこの問題が、フランス法においては「突破口」となった経緯をもう少しわかりやすく説明すると、全体の見通しがよくなっただろう。

しかし、以上のような欠点は本論文の価値を大きく損なうものではない。近年、フランスのアソシアシオンに関しては様々な研究が現れているが、フォンダシオンに関してはほとんど先行研究が存在しない。本論文は、この研究上の欠落を埋めるための第一歩となるものである。本論文は、これまで社団法人と比べると手つかずであったとも言える財団法人につき将来の検討の基礎を築いた論文である。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度の研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、博士(法学)の学位を授与するに相応しいものであると判定する。

UTokyo Repositoryリンク