学位論文要旨



No 122909
著者(漢字) 小倉,鉄平
著者(英字)
著者(カナ) オグラ,テッペイ
標題(和) 混合燃料に対する化学反応論的研究;ブタン及びETBE/ノルマルヘプタンの混合燃料に関する反応モデルの構築
標題(洋) Chemical Kinetic Studies for Fuel Mixtures; Modeling of Butane and ETBE/n-heptane Mixtures
報告番号 122909
報告番号 甲22909
学位授与日 2007.07.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6579号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 大島,義人
 東京大学 教授 土橋,律
 東京大学 准教授 三好,明
 東京大学 准教授 津江,光洋
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

年々排ガス規制が厳しくなる一方でエンジンの性能及び燃焼効率の向上も求められており、次世代エンジンの開発や新規燃料の模索が進んでいる。コスト削減のためシミュレーションの重要性が高まっている。近年コンピューターにより反応モデルを自動生成する試みが行われており、その内の一つとして炭化水素の反応モデル開発のためのソフトウェアKUCRSが挙げられる。一方で、CO2排出量の削減の対策のための燃料として注目を浴びているのがETBEである。実際にガソリンに選択的に添加される物質としてETBEの燃焼特性に関する詳細な検討が必要である。

本研究では実用燃料の混合物に対する詳細汎用燃焼反応モデルを構築することを目的とする。手法としては、まず対象燃料に対してKUCRSによりベースとなる反応モデルを自動生成し、反応の追加や速度定数の更新を行うことで反応モデルを改良する。特に低温酸化機構に注目し、着火に重要と考えられる以下の反応については量子化学計算、遷移状態理論、RRKM理論、支配方程式解析を用いて速度定数を算出することで作成した反応モデルの精度向上を目指す。

Fuel + H or OH → R (Alkyl radical) + H2 or H2O(R1)

R + O2 → RO2 (Alkylperoxy radical)(R2)

RO2 → QOOH (Alkylhydroperoxy radical)(R3)

RO2 → Q (Alkene) + HO2(R4)

作成した反応モデルを用いて高温ではShock tube、低温ではRCM(Rapid Compression Machine)、jet-stirred reactor等で測定された着火遅れ時間や主要化学種のプロファイルと比較することで反応モデルの妥当性を検証する。また温度に対する感度解析や反応流れ解析をすることで対象燃料の燃焼特性に対する反応論的な考察を行う。具体的な研究対象としてはブタン、ETBEを取り上げる。

2. ブタンの反応機構

2.1 高温実験結果との比較及び考察

本研究室で行ったn, i-butaneの着火遅れ時間の測定結果と比較した所、改良前は着火遅れ時間を短く見積もっていたのに対し、n, i-butane共に改良後の反応モデルは実験値と良い一致を見せている。高温の着火遅れ時間の異性体間の着火性の差異に関する考察も合わせて行った。i-butaneは構造上ほとんどがプロペンを経由するため、i-butaneの単分子分解反応だけでなくプロペンの反応も着火遅れに寄与する。特にプロペンから水素を引き抜いてアリルラジカルを生成してもアリルラジカルの反応が遅いため、半数近くはまた元のプロペンへ戻り別の反応経路へ進む。

2.2 ブチルラジカルと酸素分子の反応計算結果

量子化学計算の結果をまとめると最も障壁が低いのは6員環遷移状態を経由する分子内異性化反応(R3)で、HO2ラジカルの脱離反応(R4)がそれに続き、5員環遷移状態を経由する分子内異性化反応(R3)が最も障壁が高くなった。C4H9O2ラジカルの各異性体における障壁の高さを比較した。環状の遷移状態を経由する反応の障壁の高さは炭素の級数及び環を構成する原子の数によって決まり、異性体による違いはほとんど見られない。HO2ラジカルの脱離反応の障壁の高さはどれもほぼ同じ値で126~130 kJ mol-1であった。

s-C4H9O2ラジカルからの6つの反応経路に関するRRKM理論及び支配方程式解析を用いた速度定数の800 Kにおける計算結果について述べると、入り口に戻る逆反応の速度定数が他の反応と比べ2オーダー程度大きく、これは反応(R2)がほぼ平衡に達していることを意味する。他の反応の順番は障壁の高さからの推測と一致した。2つのHO2ラジカルの脱離反応(R4)は6員環遷移状態を経る分子内異性化反応(R3)と比べ、圧力の減少に伴う速度定数の減少が大きい。これはfall-off領域ではBoltzmann分布と比べて高エネルギー域で占有数の減少が起こり、障壁の高い反応ほど影響が大きいためである。また遷移状態が比較的ルーズであることにより、状態和が大きくなることにも起因する。

2.3 低温実験結果との比較及び考察

前節で計算した速度定数を用いて低温反応モデルを改良し、熱損失を考慮したシミュレーションを行ったが恣意的要素が強く信頼性が高いとは言い難い。熱損失の影響が小さい低温での実験結果、特にi-butaneに関する結果が早急に望まれる。低温の着火遅れ時間の異性体間の着火性の差異に関する考察も合わせて行った。i-butaneはt-butylラジカルが生成した場合5員環遷移状態を経る分子内異性化反応(R3)しか存在しないためHO2脱離反応(R4)が競合してしまうこと及び、2回目の分子内異性化反応が起こらないため連鎖分岐過程に進まない。

3. ETBEの反応機構

3.1 高温実験結果との比較及び考察

Dunphy et al.によるETBEの着火遅れ時間の測定結果と比較した。作成した反応モデルは実験値の当量比依存性と良い一致を見せているが、温度依存性が再現できておらず高温で5倍程度着火遅れ時間を早く見積もっている。この原因を考察した結果、高温域ではiC4H8の酸化反応も重要となってくることが分かった。

3.2 アルキルラジカルと酸素分子の反応計算結果

CH2基をO原子に置換した効果に注目することでエーテル類の反応モデル自動生成の可能性を探るためにDMPに関しても同様の計算を行っている。アルキルラジカルETBERにはCH3CH2OCC4H8・, CH3CH・OC4H9, CH2・CH2OC4H9の3つの異性体が存在し、それぞれETBERa, ETBERb, ETBERcとする。ブタンの場合には行わなかったETBE及びDMPの遷移状態理論によるOHラジカルによる反応(R1)の速度定数計算結果及び一般的速度則による計算結果(KUCRS)を比較した。DMPの結果とKUCRSを比較した所、ETBERa及びcについては活性化エネルギーはほとんど一致したがA因子が3倍程度大きく見積もられた。これは小さな振動数の計算誤差が状態密度に反映されたものと考えられるが、計算による速度定数としてよく一致しているといえる。一方、ETBERbに関しては活性化エネルギーを過大評価してしまっていた。

DMPRbの結果と比較すると反応(R2-4)に関してはHO2ラジカルの脱離反応(R4)の活性化エネルギーが2 kcal/mol程度減少しているがそれ以外ほとんど同じ結果となった。分子内異性化反応(R3)の歪みエネルギーに変化があるかと期待していたがそれは見られなかった。

3.3 低温実験結果との比較及び考察

前節で計算した速度定数を用いて低温反応モデルを改良し、JSRによる主な化学種の出口濃度の温度依存の測定結果と比較した。ETBE単体及びn-heptaneと混合した場合共に実験値と非常に良く一致しており、ETBE単体の場合は温度依存性、当量比依存性共に再現している。低温でのETBEの着火性に関する考察も合わせて行った。OHラジカルによる水素引き抜き反応(R1)によりETBERb及びETBERcラジカルが生成した場合には6員環遷移状態を経る分子内異性化反応(R3)が存在しないため酸素分子が付加した後の反応が遅く、全体の約3割もがアルキルペルオキシラジカルのまま存在する。アルキルペルオキシラジカルは活性なOHラジカルを消費して生成しているため、系全体の活性なラジカルの数が増加しにくい。

4. エーテル類の一般的速度則

4.1 一般的速度則の作成方法

第3章の考察によりCH2基をO原子に置換した効果は主に活性化エネルギーに影響し、A因子にはあまり大きな影響を与えないことが分かった。そこで系統的にこの効果を見積もるためにsite及び酸素分子に結合する官能基の種類を変えた12種類のエーテル及びそれに対応する炭化水素に関して今までと同様の計算を行い、比較することにより活性化エネルギーの補正を算出した。

4.2 エーテルからの水素引き抜き反応(R1)の一般的速度則

引き抜くラジカル及び引き抜かれる水素原子が結合している炭素の級数により分類した反応(R1)の活性化エネルギーの計算結果をまとめると明らかに1~2.5 kcal mol(-1)の活性化エネルギーの減少が見られ、炭素の級数が上がるに従ってその効果は弱くなる。これは酸素原子の非結合性軌道と炭素原子の半占有軌道の間の超共役効果により安定するためである。官能基ごとの補正値計算結果をみるとH原子による引き抜きの場合にエチル基とイソプロピル基の間で0.5 kcal/mol程度の活性化エネルギーの変化が見られた。これはC-H結合解離エネルギーの変化を反映しているものと考えられる。これはO原子の非共有結合性軌道と増加したメチル基のσ結合軌道との重なり積分の増加による安定効果によるものと考えられる。

4.3 RO2ラジカルの分子内異性化反応(R3)の一般的速度則

環状遷移状態の員数及び引き抜かれる水素原子が結合している炭素の級数により分類した反応(R3)の活性化エネルギーの計算結果をまとめると、反応(R1)と同様に明らかに0.6~3.5 kcal mol(-1)の活性化エネルギーの減少が見られ、炭素の級数が上がるに従ってその効果は弱くなる。また酸素原子の隣りでない水素原子を引き抜く場合には活性化エネルギーの変化は見られなかった。

反応(R1)と同様に酸素分子に結合する官能基の効果を考察するため、官能基ごとの反応(R1)の活性化エネルギーの補正値を計算した所、やはり同様にエチル基とイソプロピル基の間で若干の活性化エネルギーの変化が見られた。面白いことに活性化エネルギーの変化は見られなかった酸素原子の隣りでない水素原子を引き抜く場合にも若干の活性化エネルギーの低下が見られた。

5. 結言

ブタン、ETBEに関する詳細な反応モデルの検討により得られた燃料の着火特性に関する知見を元にエーテル類の一般的速度則を確立したことにより、あらゆるエーテル類に対する自動生成による反応モデル作成の具体的手法をあみだした。定量的な検討は十分とはいえないが、ニーズに対応するような燃焼特性を持つ燃料の提案が容易になると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「Chemical Kinetic Studies for Fuel Mixtures; Modeling of Butane and ETBE/n-heptane Mixtures(混合燃料に対する化学反応論的研究;ブタン及びETBE/ノルマルヘプタンの混合燃料に関する反応モデルの構築)」と題し、単一及び混合燃料の燃焼特性を理解し、得られた反応論的知見を様々な燃料に拡張することを目的とし、6章よりなっている。

第1章は緒言であり、様々な燃料の燃焼特性の知見を得るのに必要不可欠な反応モデル自動生成プログラムの発達に言及し、その背景となる鎖状炭化水素の燃焼反応機構についてまとめた上で、今後拡張すべき分野として実用ガソリンの基材の一つとなるエーテル類に関する反応論的知見の重要性を述べている。また従来の研究にあまり見られない混合燃料の着火特性の重要性を挙げ、これらの背景を踏まえて本論文の目的を記述している。

第2章では研究手法の核となる燃焼特性を決定する重要な素反応の速度定数を算出するための既往の理論について述べている。圧力依存を持つ単分子反応の場合は更に複雑な取り扱いが必要であり、そのための理論についてもまとめている。

第3章は本論文の前半の目的に対応した研究であり、ブタンの燃焼反応機構及び反応シミュレーションの結果について述べている。大規模反応モデルの取り扱い方として燃焼特性を決定する幾つかの重要な素反応についてのみ注目し、より真の値に近い速度定数を用い、実験的に測定困難な反応については理論計算により速度定数を算出するという反応モデルの構築手法を提案し、実験結果との比較によりこの手法の有効性を示している。具体的な反応としてはブチルラジカルと酸素分子の一連の反応を取り上げている。酸素分子が付加した後、着火に重要な連鎖分岐過程に進む分子内異性化反応と、連鎖成長過程としてそれを阻害するHO2脱離反応の分岐比が低温域における燃料の燃焼特性を決定する。それらの反応の速度定数を量子化学計算、単分子反応論に基づく計算、および支配方程式解析を用いて算出し、分岐比の圧力依存性を求めている。またそれらの理論計算結果による速度定数を用いて、ノルマル及びイソブタンの混合燃料に対する反応モデルを構築し、衝撃波管、急速圧縮機などによる着火遅れ時間測定結果と比較することでモデルの妥当性について検証している。このモデリングの結果、異性体による燃焼特性の差異に関する考察も含めブタン混合燃料の燃焼特性に関して構造に由来する詳細な知見が得られた。

第4章では同様の手法を用いてエチルターシャリーブチルエーテル(ETBE)の燃焼反応機構及び反応シミュレーションの結果について述べている。エーテル中の酸素原子の存在が与える反応速度定数に対する影響を検討するため、酸素原子をエチレン基に置換した2,2-ジメチルペンタンの同様の計算結果と比較するという新たな手法を提案している。また、ETBEだけでなくエタノール、ノルマルヘプタン、イソオクタンの混合燃料に関する反応モデルを構築することで、より実用ガソリンに近い組成の燃料の燃焼特性に関する詳細な知見を得ている。衝撃波管、噴流攪拌反応器による着火遅れ時間及び主な化学種濃度の測定結果と比較することでモデルの妥当性について検証している。

第5章では、独自の手法に基づき炭化水素における一般的速度則をエーテル類に拡張している。すなわち、第4章での酸素原子をエチレン基に置換した効果に関する考察を元に、系統的に12種類のエーテル及びそれに対応する炭化水素に関して同様の量子化学計算を行うことで活性化エネルギーの補正値を算出している。この手法は実験的知見が少ないエーテル類の反応速度定数の推算に関して非常に有効な方法と言える。また遷移状態理論により速度定数を算出し、実験値と比較することで、ここで確立した経験的速度則の妥当性に関しても検証している。

第6章はまとめの章であり、燃料の分子構造に基づく混合燃料の燃焼特性に関する詳細な知見を得たことに関する工学的意義と、本研究で確立したエーテル類の一般的速度則を用いて反応モデル自動生成が可能になったことを述べている。

以上要するに本論文は、混合燃料の定量的な燃焼特性の予測が可能な反応モデルを構築し、さらにその過程における量子化学計算に基づく速度定数の推算により、エーテル類の着火に重要な反応の一般的速度則を確立したものであり、化学システム工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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