学位論文要旨



No 122914
著者(漢字) 黄,善英
著者(英字)
著者(カナ) ファン,ソンヨン
標題(和) 「童心」の思想と詩法-日韓近代の童謡運動
標題(洋) Philosophy and Poetics of the "Child's Heart": The Children's Song Movement in Modern Japan and Korea
報告番号 122914
報告番号 甲22914
学位授与日 2007.07.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第762号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 教授 井上,健
 東京大学 准教授 今橋,映子
 千葉大学教育学部 教授 佐藤,宗子
 ソウル女子大学校人文大学 教授 成,惠卿
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、近代日本と朝鮮における童謡運動を、同時代の文化的文脈から捉え直し、両国における童謡運動の関連性を実証的に検証するものである。

童謡は、文学・音楽・教育など諸分野にまたがり、多様な側面が絡み合っている文化的ジャンルである。日本の童謡に関するこれまでの研究は、文学・音楽・教育など多様な分野で行われてきた。朝鮮の童謡に関しては、児童文学史や子どもの歌の歴史を扱った研究の中で、ある程度論じられている。日本と韓国における童謡運動に関する先行研究に共通している視点は、童謡を「子どもの歌」というカテゴリの中で捉える観点である。また、方法論的には通史的な視点が多い。それによって、これまでの研究では、童謡運動が、子どもの歌もしくは児童文学という限られた領域の中で論じられる傾向にあった。

本論文では、童謡は、「子どもの歌」という限定された領域の文化ではなく、詩史というより大きい文脈を背景としている文化ジャンルであるという認識に基づき、童謡を「子どもの歌」と見る従来の立場から離れ、詩史的文脈から見る立場をとる。そして、通史的な観点からではなく、他の文化的領域との関連性に注目する観点から童謡運動を検証する。具体的には、時代の文化的背景や芸術観、教育観、歴史観、伝統観などとの関連から童謡運動の意味を探る。さらに、これまでの研究には、日本の童謡運動と朝鮮の童謡運動の関係に注目したものが、まだ存在しないが、本論文は、朝鮮の童謡運動と日本の童謡運動の関連性に焦点をあて、それらの関連を実証的に検証する。以上の三点が、本論文の主な特徴である。本研究は、様々な文化領域間の関係性に注目する視点と、日本と朝鮮という二つの地域の文化を照らし合わせる比較文化論的な観点が主な方法論的軸となるが、具体的な分析は、テクストを綿密に読むことから始められる。

本論文では、まず、童謡運動の思想的基盤である「童心」という概念に注目し、日本と朝鮮における「童心主義」を比較分析した。朝鮮で、近代的な意味での子ども観が広められたのは、児童文芸雑誌『オリニ』誌の役割が大きい。『オリニ』誌を主催した方定煥は、天道教少年会を中心に少年運動を活発に展開したが、そこに見られる子ども観は、民族の未来を背負うべき公的な存在としての意味合いが強い。そのような子ども観は、朝鮮の儒教文化に対する批判と相まって、民族の発展を図る方法となる。『オリニ』を中心として展開された朝鮮の童謡運動は、『赤い鳥』を中心として展開された日本の童謡運動に触発され、子ども観や童謡作品などを受容することで始められる。近代日本と朝鮮における童謡運動の思想的基盤は、「童心主義」といわれる子ども観である。小川未明や北原白秋らに見られる近代日本の「童心」概念は、イギリス・ロマン主義詩における子ども観に影響され、鋭敏な感覚性を重視する芸術観として現れた。そのような考え方のもとに、良寛伝説が再構築される。それに比べ、方定煥に見られる「童心」概念は、小川未明や北原白秋の「童心主義」の影響を受けて形成されたが、その内容は、日本の「童心」概念とは違って、日本の植民地支配から独立するための思想としての意味合いが強い。

次に、『オリニ』における童謡作品を、『赤い鳥』など日本の児童文芸雑誌における童謡作品と比較検討し、朝鮮における童謡論を日本の童謡論と比較分析した。日本で童謡というジャンルが誕生したのは、『赤い鳥』誌上である。『赤い鳥』を中心として展開された近代日本の童謡運動は、学校唱歌の非芸術性に対する批判から出発し、芸術性を重視する立場から始められた。それに比べ、『オリニ』を中心として展開された近代朝鮮の童謡運動は、独立運動の一貫として始められた。『オリニ』には、日本の童謡作品の「模作」・翻案・翻訳作品が掲載されているが、それらの作品を元テクストと比べて見ると、日本の童謡はエキゾティシズム的な傾向が強く、子どもの想像力の拡張が表わされているのに対し、朝鮮の「模作」・翻案・翻訳作品には、悲しみを強調することで、読者の同情心を誘発する内容が多い。それは、読者である子どもたちを、被支配者としての民族の状況や、抑圧されている子どもの現実に参加させ、連帯意識を育て、悲しみに負けない強さを身につけさせるための道具立てとしての機能を果たしている。『オリニ』に掲載されている日本童謡の「模作」などは、西條八十の作品だけで、同時代に活躍した北原白秋や野口雨情の作品は、受容されていない。一方で、『オリニ』に掲載されている童謡論は、野口雨情の童謡論を下敷きにしたもので、白秋や八十の童謡論は取り入れられていない。『オリニ』における童謡論は、民族意識を強調するものが多く、強い啓蒙性が認められる。このような態度は、愛国心涵養の手段として童謡を捉えていた雨情の童謡論と軌を一にするものである。八十の童謡論の特徴は、想像力の拡張を重視したことであるが、その想像力は国家の枠を超えるものではなかった。八十の童謡論は、『オリニ』には受容されていないが、『オリニ』の後に創刊された朝鮮の児童文芸雑誌『新進少年』に掲載された童謡論に、その影響が認められる。白秋の童謡論の特徴は、伝統との連続性を唱えたことである。白秋の童謡論は、『オリニ』には受容されていないが、朝鮮の児童文芸雑誌『アヒセンファル』に掲載された童謡論には、童謡を芸術とみなす童謡観が受容されている。だが、そこにも伝統を重視する白秋の童謡観の中核は受容されていない。一方、伝統を重んじる白秋の童謡観は、金素雲に取り入れられている。

近代日本の童謡運動で指導的役割を果たしたのは、北原白秋である。白秋が童謡に興味を抱いたのは、童謡運動にかかわる以前からで、『邪宗門』や『思ひ出』などを世に出した頃からである。白秋の童謡作品を、それ以前に発表された詩作品と読み比べてみると、モチーフや詩法において類似点が認められる。白秋の詩法と朝鮮の詩人鄭芝溶の詩法を比べてみると、次のような共通点が見られる。白秋にとって、「童心」という概念は感覚性を重視する内容であるが、感覚性を重んじる詩作態度は、芝溶にも同様に見られ、二人の詩法の根幹をなしている。白秋の感覚性の起源は、印象派絵画における感覚性の表現である。白秋は、印象派絵画における感覚の表現を詩で表現しようとしたが、そのような詩法は、芝溶にも同様に見られる。また、白秋は、自作の詩や童謡に伝統的なリズムやモチーフを多く取り入れ、伝統を重んじる詩作態度を示している。芝溶も朝鮮における伝統的なリズムや語彙表現などを自作の詩や童謡で取り入れている。このように、白秋の詩法は、伝統性と感覚性の融合をその特徴とする。そのような詩法は、民族性を保持しつつ近代化を目指すという思想の現れでもある。芝溶は白秋に影響され、伝統にこだわる帰属性と、それを感覚的に表現する詩法を積極的に取り入れた。そして、感覚性をさらに推し進め、一つの言葉で二つ以上の意味を表す多義的な表現を生み出すことで、モダニズム的な性格を強めた。だが、彼は、白秋の作品に見られる、世紀末的な廃頽性や子どもの残虐性などは取り入れていない。これには、芝溶がキリスト教信仰を持っていたことが関係していると思われる。他方、感覚性の表現は、モダニズム文学にも通じるものがある。そういう意味で、白秋は日本のモダニズム詩の先駆け的な存在であったと考えられる。

本研究のもつ今日的意義は、次のようなものと考えられる。第一に、文化が受容される諸様相を具体的に検証したことで、文化受容における選択的側面の重要性が浮き彫りになったことである。朝鮮の童謡運動にかかわった人たちは、日本の童謡運動における童謡作品や童謡観などを受容したが、彼等は日本の童謡や童謡観を無条件的に受容したわけではなかった。彼等にとって、受容は選択だったのである。このように、文化の受容は、評価を包含する批評的行為であり、他人の意見を通して自分の考えを表わす自己表現的行為でもある。重要なのは、受容する側が、何を必要としたか、何を必要としなかったか、それはなぜなのか、何を意味するのか、という受容する側の事情であろう。第二に、童謡運動における諸現象は、芸術と教育の関係における問題点を示唆する。日本の童謡運動は、出発点においては「芸術としての童謡」を主張したが、時間が経つにつれ、教育性の方が優位に立ち、愛国心涵養に力を注ぐようになった。文学的観点からみて、日本の童謡作品で評価できるものは、童謡運動の初期の作品が多い。朝鮮の童謡運動は、民族独立運動の一貫として出発した側面があるが、朝鮮の童謡でも、啓蒙性を重視した作品よりは、自由に子どもの心を表現しようとした作品の方が、より文学的魅力に富んでいる。このようなことから改めて確認できるのは、芸術における想像力の自由の重要性である。第三に、童謡運動における芸術と国家の問題は、個人と国家の関係をも真剣に問いかける。芸術を一人の人間の想像力の結晶と定義できるならば、芸術と国家の問題は、個人と国家の問題に置き換えることができる。日本であれ、朝鮮であれ、童謡運動にかかわった人々が、愛国心涵養に力を入れるようになったのには、国家や民族という価値が何よりも優先され、芸術や個人のような他の価値は、その下位に位置づけられるという、社会における垂直的な価値体系が大きく作用している。そのような価値体系では、個人の思想が目指すところが、国家の利害に合わせられる場合が多い。童謡運動で、芸術性より愛国心が優位に立つ様相は、個人の人間としての価値より、国家の価値が常に優先されることの危険性を如実に示しているのである。

審査要旨 要旨を表示する

黄善英氏の「「童心」の思想と詩法―日韓近代の童謡運動」は、1910年代後半にはじまる日本の童謡運動と、1920年代前半にはじまる朝鮮の童謡運動との関わりを、子ども及び「童心」に関する考え方、実作にみられる傾向等を明らかにしつつ論じた、日韓比較文学研究である。

日本における童謡運動は、1918年に鈴木三重吉によって創刊された『赤い鳥』を中心に活躍した北原白秋や西條八十、『金の船』(のちに『金の星』)に拠った野口雨情らが先導したが、これに大きな刺激を受けるかたちで、1923年に方定煥(パンジョンファン)が雑誌『オリニ』(「子ども」の意)を創刊し、朝鮮における童謡運動を開始した。日本における童謡運動が、白秋にみられるように近代詩史上の重要な仕事であったように、朝鮮においても詩人鄭芝溶(チョンジヨン)による童謡に結実するなど、大きな成果を挙げた。黄氏の論文は、これまで所謂児童文学の範疇において論じられることの多かった童謡を、広く近代詩の文脈に置き換えて論じたところにも特色がある。

本論文は三章に分かれる。以下、論文の構成にしたがって内容の概略を記す。

第一章では、まず東京において方定煥を中心に結成されたセクドン会による「少年運動」と、会のメンバーによる『オリニ』の活動が記述される。その上で、方定煥の子ども観を表す「童心中心主義」が、当時日本において小川未明や北原白秋によって盛んに論じられた「童心」観に強く方向づけられていたことが明らかにされる。また、日本における「童心」観にワーズワースの影響の痕が顕著であり、同じ文脈のなかで相馬御風による良寛像が成立していることが論じられる。さらに高木敏雄の『童話の研究』にも依拠する方定煥の「児童性」をめぐる議論に、すぐれて倫理的な主張と被植民地支配の現実をめぐる認識が込められていることが確認される。

第二章では、はじめに日韓双方における「童謡」の成立の歴史的文脈が確認されたあと、『オリニ』誌上に掲載された「模作」童謡六篇が紹介され、その内容が詳しく検討される。模作の対象となったのは、西條八十による都会的雰囲気とエキゾティシズムを湛えた童謡が主であったが、模作の結果生まれたテクストには悲しみの要素が強くなっている。これは被植民地支配の現実を悲しみを通じて表現するという政治的啓蒙性を帯びる点で、芸術性に傾斜する日本の童謡と対照をなす。一方『オリニ』誌上で発表された童謡論に於いては、八十よりも野口雨情の影響が顕著であると確認されるが、これも教育の側面を重視した雨情の童謡観が、独立運動を視野に入れていた『オリニ』関係者には訴える力を持ったためであろうと説明される。

第三章では、日本の童謡運動において最も中心的な役割を担った北原白秋の童謡の詩法が、白秋が主宰した雑誌『近代風景』から出発した鄭芝溶にどのような影響を及ぼしていると考えられるか、白秋の詩及び童謡と鄭芝溶の詩及び童謡のあいだにどのような類縁性があるかが論じられる。白秋の詩に顕著な感覚的表現について、印象派絵画との関連性が想定しうること、そこに伝統意識が強く表われていることが挙げられ、これらを軸に鄭芝溶の詩との比較が試みられる。

黄氏は、日本の童謡運動の影響下にあった朝鮮の童謡運動の記述にもとづき、文化の受容が受け入れる側の選択であるという側面を強く持つ、批評的表現行為であると主張するのである。

以上のように要約される黄氏の論文に対し、審査委員からは以下のような評価、批判が寄せられた。まず、1910年代後半以降の童謡運動を、日本と朝鮮双方を視野に入れてその影響関係を辿るという、これまで未開拓であった研究に手をつけ、「模作」童謡を発掘するなど、今後の日韓比較童謡研究の出発点を示した功績は大きい。さらに、童謡をあくまで詩として論ずる態度を一貫した点も高く評価しうるであろう。その一方で、『オリニ』の全貌が必ずしも捉えきれていない点、日本の童謡運動に関する記述により広い歴史的文脈への目配りが足りない点、韓国の児童文学、童謡研究に対する言及が不十分な点などが指摘された。また、第三章の叙述が、第一章及び第二章の叙述の流れと、やや切れてしまっている点も指摘された。

個々の記述への疑問等も、審査員からは提出された。また、雑誌『オリニ』に関する書誌的情報を十分に盛り込むべきであったこと、年表の必要性についても指摘があった。ただし、これらは小さな瑕疵というべきものであって、黄氏の挙げ得た功績を本質的に損なうものではない。

したがって、本審査委員会は、ここに黄善英氏に対し博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定することに、全員一致で合意した。

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