学位論文要旨



No 122915
著者(漢字) 與那覇,潤
著者(英字)
著者(カナ) ヨナハ,ジュン
標題(和) 翻訳の政治学 : 近代日本成立期における人種・血統・民族の言説分析
標題(洋)
報告番号 122915
報告番号 甲22915
学位授与日 2007.07.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第763号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 准教授 森山,工
 京都大学 准教授 駒込,武
 東京大学 准教授 安冨,歩
 東京大学 教授 村田,雄二郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は「翻訳」という観点をキーコンセプトとして、東アジアで「近代」と呼ばれている時代に生じた変動の意味を、特に明治日本におけるナショナリティの言説、および琉球との関係の展開に材を採りながら、明らかにしたものである。序論では現代思想や科学社会学の議論を参照しつつ、(異言語間のみでなく)同一言語の内部においてもある言説と他の言説との内容が「同じだ」と見なされるという営為自体が、「翻訳」として把握されるべきものだという本稿の立場を述べる。そして、このような広い意味での「翻訳」行為に着目することで、東アジアにおける長短二つの「近代」の把握がより明瞭になることを示す。「長い近代」とは日中両国でネーションに相当するような共同体の概念が存在しながら、それが政治体制の正統化言説に未だ活用(翻訳)されておらず、また東アジア諸国間の小中華主義外交が、相互に相手の主張を翻訳しないことによって維持されていた近世の段階である。一方「短い近代」を、欧米由来の政治言説および間地域的な西洋語メディアへの翻訳を強要することで、このような二重の意味での翻訳の欠如が埋められていった時代と捉えることで、いわゆるウェスタン・インパクトの意味を再定式化できることを示す。

第一部は、まさしくその「西洋の衝撃」の程度を測定するものとして、1879年の沖縄県設置を中心とする「琉球処分」を主題的に取り上げる。第1章では、日本の北京公使館が上海の英字新聞編集者バルフォアを雇用して行った、「琉球処分」の正統性を英語で喧伝するという情報活動の実態を解明し、それを東アジア外交における翻訳の出現として位置づける。つまり西洋語が間地域的な「正しい」意味の担い手として(暴力的に)登場することで、いかに近世期には欠如していた関係各国間での認識の一致が創造されていったのかを述べる。一方、第2章ではそれにもかかわらず、東アジアにおける政治的な領有言説のロジックが、西洋世界のそれと未だ一致するには至っていなかったことを明らかにする。日本政府による琉球領有論や中国・琉球側からの反論にはナショナリズムの論理、すなわち所属住民の人種的・民族的性格の一致によって土地の帰属を決定するという思想が希薄ないし欠如しており、その背景としてナショナリティを正統化の論理として重視しない近世的な政治言説が持続していたことと、生物学的血統に立脚した欧米的な「人種」概念が未だ定着していなかったことを指摘する。

第二部は、そのような前章の結論を受けて、明治日本においていかにして「国土の境界」が「住民の境界」によって基礎づけられるようになっていったのかを考察する。今日の日本の国籍制度が「家」を単位とする血統主義を採っていることに鑑み、第3章では家族規範における「家」への帰属が、民法典論争以降になって初めて「血」の共有というメタファーと同一視(翻訳)されるようになったことを明らかにし、キーマンとしての穂積八束の思想を再検討する。第4章では明治初期には血統主義的な含意のなかった日本語の「人種」概念が、日清戦争後に欧米におけるRaceの翻訳語として再定義され、生物学的な意味を与えられていく過程を、人類学者・坪井正五郎の人種観の変容を辿ることで解明する。穂積と坪井のどちらも生物学的な意味での血統を重視せよとは主張しておらず、現代の「血統を重んずる日本社会」という制度ないし神話は、むしろ彼らの営為の「意図せざる結果」であり、それは翻訳という行為が孕む不確定性のあらわれであることが明らかになる。補論αでは、「人種」の意味が厳格化されていくのと共軛的に台頭してくる「民族」の問題を把握するために、人類学史における「文化」概念の受容史を取り上げ、全人類的な進化のプロセスを指していた「文化」の語が個別集団の特殊性に言及する価値概念へと転換する契機が、大正時代の新カント派受容に基づく人文学の学問的独立にあったことを述べる。

第三部は、第一部で見たとおり「琉球処分」の時点ではまだ近世東アジア世界のロジックから完全には脱却していなかった日琉関係の言説が、第二部で分析したような西洋近代的学知の受容によって転換していく様子を、沖縄側からの視点を重視しながら解明する。第5章では、そもそもリアルタイムではナショナリズムの論理と無縁のまま遂行されていた「琉球処分」を「同一民族である日本人と沖縄人の再統一」として位置づけなおす再解釈(翻訳)が、東京帝大に留学した伊波普猷や東恩納寛惇といった沖縄の近代知識人の手になる創作だったことを明らかにし、「民族」の概念に「国家」に抵抗するようなベクトルがあったことを指摘する。第6章ではしかし近代の琉球弧の内部でも「異民族」として扱われた、糸満と池間の漁民の事例を取り上げることで、「民族」概念による統合が不可避的に持つ排他性の問題を指摘するとともに、「家」や「血」の観念が時代ごとに特殊民族視や同化言説と結びつきつつ、日琉間で相互作用していたことを明らかにする。第7章では大正政変が発生し「日本への同化」が普遍的な近代的価値への同化と等置(翻訳)できる状況が生まれた時代になって、初めて日本人になることを承諾した、明治末期の沖縄青年層の思想や心情を分析し、民族の同一性という事実レベルの認識論ではなく、近代化や民主化という規範レベルでの正統化を重視した彼らの思索の意義を再評価する。補論βではこれらの沖縄の近代知識人の知的葛藤が、植民地期朝鮮の「親日派」をめぐる議論とも共鳴するものであることを示し、「帝国」に対しても単に拒絶するのではなく、それが(しばしば欺瞞的に)掲げる普遍的価値や理想に合致するように現状を改変(翻訳)せよと要求するという批判の戦略が、今日の状況においても有効性を持っていることを述べる。

結論では本論文が描いてきた「短い近代」の全体像を哲学的なモダニティ論や、様々な現代的事象と比較検討することで、今日の世界はむしろ「長い近代」の段階へと回帰(再近世化)しつつあるという診断を提出する。東アジア各国の領土紛争や歴史認識に関する言説の相違は近世期の小中華主義と同様、互いに翻訳しないという形での処理が進んでおり、差別問題についても人種や民族の概念を直接の基礎づけには持ち出さない「新人種主義」的な態度がスタンダードになっているからである。しかしながらそのような時代にあっても、あるいはあるからこそ、暫定的に現状をなんらかの普遍的規範と同一視することで、逆にその落差を意識化し続けるような翻訳の営為は必要とされているということを結論し、その点では普遍を語る伝統を持たなかった日本よりも、近世期から既に「ネオリベラル」な社会状況に入っていた中国がモデルとなる可能性を指摘して、議論を締めくくる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「近代」の主要な特徴の一つをなしたナショナリズムについて、東アジアにおけるその出現の有様を、日琉関係観の変化を中心にすえて論じ、あわせてグローバリズムの浸透する「近代」後の世界における社会倫理のあり方を探求した論考である。琉球処分や日琉同祖論、社会革新への期待など、具体的な歴史的事件を取り扱っているが、事件史や思想史ではなく、事件に関わって発せられた言説を、時代の学知と照合しつつ丹念に分析し、それを通じて「近代」の相貌と「近代」後の倫理のアウトラインを取り出そうとした野心的な試みである。

全編を貫くキイワードとして用いられている「翻訳」とは、ある言語から別の言語へのテクストの変換の謂いではなく、ある物事を別の物事と同一であるとして置きかえ、説明し、正当化する営為を指す。例えば、別々の集団として生きてきた琉球人と日本人について、先祖を共にするゆえに琉球人は日本人だとする類いの言説である。このアイデアを科学社会学から得たことが示すように、著者はカルチュラル・スタディーをはじめ、現代の学知をあらゆる領域にわたって貪欲に吸収・咀嚼し、自家薬籠中のものとしつつ論を組み立てている。通常の歴史とはなはだ体を異にする所以である。

さて、本論文は、序論で方法を詳述したのち、本論の第一部で琉球処分をめぐる日本語・中国語・英語による言説を分析し、第二部では日本国内における「血統」と「人種」をめぐる学知の形成過程を追い、それらを前提として、第三部で沖縄人が日本人に同化しようとする諸言説を生み出した有様を分析し、結論で東アジアにおける近世と「近代」の巨視的な展望をあたえ、さらに「近代」後の倫理を考察するという構成を取っている。

以下ではまず、歴史解釈の面を紹介し、評価しよう。第一部の主題は、19世紀後半の東アジアにおける西洋の再登場が何を変え、何を変えなかったかを、琉球処分をめぐる諸言説について分析する。近世の東アジア国際秩序は、関係の内容について解釈を一義的に決めず、互いに異なる解釈をしていることを黙認することによって、つまり「翻訳」を行わないことによって安定を維持していた。琉球王国が薩摩に実効支配されながら、大清から册封を受け続けたのがその良い例である。ところが、そこに登場した近代西洋は領土を一本の国境線で区切り、支配-従属関係も一義的に決めるという文法を要求した。第一章は、在北京日本公使館が雇用したイギリス人ジャーナリスト、バルフォアの言論活動を手がかりに、英語メディアが解釈を一義化する第三者の審級として登場したこと、そして中国が必ずしもこの「翻訳」秩序に包摂されなかったことを示している。他方、日本の琉球処分にあたっては、西洋が持ち込んだもう一つの文法、ナショナリズムは用いられなかった。第二章は、琉球処分に伴う日中対立の調停に当たった元米国大統領グラントの関係者が日本と琉球の間に系譜的類縁関係を見い出したものの、日本政府も中国政府もこれに留意しなかったこと、それは両国で西洋的な血縁の学知が存在しなかったことを背景とし、当時の西洋国際法もまた、領土問題の処理と生物学的系譜関係とを無関係としていたからだと解している。この解釈は、琉球処分は民族同祖論で正当化されたという通説を否定し、19世紀後半における西洋との再会が、東アジアの国際秩序に「翻訳」のルールを持ち込む一方、ナショナリズムの言説はいまだ使われなかったという巨視的な展望を提示している。日中英三言語による新聞記事や当事国の学知の状況を綿密に検討した結果であって、説得的である。

第二部は、第三部におけるナショナリズムの言説の導入、東アジア国際秩序の第二の変化を説明するために、日本国内の学知の変化を論じている。第一は「血統」であって、現行国籍法が日本社会は血統を重んずるという考えに立脚している淵源を尋ね、明治の民法典論争の際に穂積八束が提唱した観念としての血統主義、すなわち非血縁者も「血族」に含めようとの考えが、核家族化の進行とともに実体化したとする。第二は「人種」であって、元来は人の種類というほどの内容であったこの言葉が、最初の人類学者坪井正五郎によって生物学的系譜を指す近代西洋のrace と同定され、のちに彼の意図と逆に優生学的血縁論に濫用されるようになったと指摘する。また、1910年代には、新カント学派の影響下に社会進化論に代わって「文化」概念が流布し、これに伴って「民族」概念が「人種」概念より多用されるようになったと論じている。穂積の役割を過大評価する気味があるものの、いずれも重要な観察である。

第三部は、20世紀の沖縄人が、日本人アイデンティティを受け入れてゆく過程の分析である。琉球処分に際して、琉球人は日本国家の権力支配を強制的に受容させられたのであるが、20世紀初頭には自ら日本人であることを受け入れ始める。東京帝大を最初に卒業した沖縄人、伊波普猷による「日琉同祖論」の提唱とその普及が画期となった。彼は、17世紀の向象賢による『羽地仕置』を、もとの文脈から切り離して沖縄と日本の言語的な系譜関係を証明するものと翻訳し、それを以て沖縄人が日本人となることを正当化した。これは、伊波が学んだ内地の学界が注目し始めていた神話学や言語学などの学知を基礎に、沖縄を舞台に展開した知的構築作業であって、背後にはいわゆる人類館事件があり、沖縄人を台湾の生蕃やアイヌと差別化しようとする動機があったのではないかと推測している。沖縄現地では、彼に先立って同化を使命と任ずるある中等学校教員がすでに同祖論を提唱していたが、帰郷した彼は高い学的威信を背景により洗練された論理を提供し、それは1910年代半ばにはジャーナリズムを通じて流布定着していった。また、伊波の帝大の後輩東恩納寛惇は、従来は君主観の関係を示すに過ぎなかった為朝渡来伝説を沖縄人全体の日本人との民族的同一性の証拠として翻訳するに至った。このような事実解釈を通じた日琉同一論は、必ずしも沖縄人全体を動かしたわけではない。しかし、彼らの一部は別の経路から日本への同化を選択するに至った。かつての宗主国中国に辛亥革命が発生した時、『沖縄毎日新聞』の青年編集者たちは、台湾の知識人と同様にその成り行きに強い関心を注いだが、第二革命の挫折後、関心を大正政変によって示された日本内地の政治的革新運動に移し、おりから日本で注目を浴び始めた新カント学派の学知を参照しつつ、理想への同化として日本を活動舞台に選び取ったのである。強いられた帝国への編入の後、新教育を受けた現地知識人たちは「帝国」を翻訳し、その中でより良い境遇を求める戦略をとったのであった。

第三部は、ほかに琉球の内部で漁民や離島を「異民族」と表象したという事実を血清学などの学知との交渉を織り交ぜながら叙述した章や、同じ帝国に対し伊波普猷と同様の戦略によって同化を主張した李光洙を取り上げ、二者の評価が沖縄と朝鮮で対照的になった理由を探求した補論を含んでいる。全体として、先行研究のみならず、沖縄の新聞や内地の書籍・学会誌が広く参照されており、その上で、沖縄での同化が日本からの押しつけ、すなわち公定ナショナリズムの形で進んだのでなく、むしろ弱者の対応戦略として始まったことを説得的に論証していると評して良い。

ところで、本論文は歴史解釈であると同時に、それと密接に絡み合う形で、長期的な歴史論と倫理学を展開している点も大きな特徴としている。著者は、現代のナショナリズム論の多くが、ナショナリズムの人工性と虚構性を暴き、それによってその問題性を解消しようとする傾きがあることを指摘し、その戦略の有効性に疑問を投げかける。むしろ、沖縄人がしてきたように、「帝国」に包摂されながら、敢えて同化の理想を立て、それに依拠しつつ、異議申立てと社会改良へのモメントを得た方がよいというのである。これは、現代の社会哲学を広く検討した上での見解でもあって、問題の疎外論的構成や本質論的根拠づけが出口を持たぬとみ、翻訳と媒介の動的なネットワークの中で取りあえずの根拠づけを続けようと提案している。このような倫理の提唱はまた、「翻訳」という観点から見た「近代」の理解とその克服という長期的な歴史論を伴っている。「近代」とは、「翻訳」の原理的不可能性を無視し、強引に解釈の同一性、共有を目ざした時代であり、国家と住民の境界を一致させようとする「国民国家」の制度はその代表例であった。しかし、グローバリズムの進行とともに「国民国家」の制度的有効性は減少し、世界は著者の用語で「再近世化」しつつある。人類史により普遍的な、「翻訳」なしで共存する体制が出現しつつあるのであって、そこでは普遍的な理念を立てる必要が増し、その点では近世中国こそ世界の未来像なのではないかと結んでいる。

このような歴史・倫理観に対しては、無論、異議を唱えることも可能である。20世紀前半に発現したような巨大な暴力を前にしたり、現代に潜在する暴力の発現に対しては、この倫理学はあまりに無力である。理念が暴力と破壊の正当性を提供しがちだという歴史の教訓への顧慮も乏しい。また、「近代」後の倫理を考える時、「近世」のみに限定する理由も明確でなく、著者自身がこの点では揺れている。しかしながら、現代の諸学を横断的にサーヴェイし、近代の沖縄の歴史を「翻訳」しつつ提出されたこのアイデアは、それ自体として、よく考え抜かれた整合的なものであり、我々のこれからにとって魅力的な提案の一つであることは疑いないものと思われる。

本論は、全体でA4版233頁に及ぶ、質量ともに巨大な論文である。内容については既述のとおりであって、歴史解釈としても歴史・倫理論としても第一級の研究となっている。参照された文献も現代哲学やカルチュラル・スタディーズから一次・二次史料まで膨大な量に上り、これが20代の著者の手になるとは簡単には信じられないほどである。しかしながら、欠陥がないわけではない。諸論考の解釈・比較・留保が綿密に行われているのに比べ、史料の解釈がやや甘いこと。採用するデータの代表性に関する配慮が弱いこと。しかし、この論文が提出している歴史解釈と倫理学は全体として頗る妥当なものであり、論理も明晰で整合的である。内容の大きさに対し、これらの瑕瑾は極く僅かなものに過ぎない。本審査委員会はこのように判断し、博士(学術)の学位授与にふさわしいものと認定する。

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