学位論文要旨



No 122923
著者(漢字) 溪口,直弘
著者(英字)
著者(カナ) タニグチ,ナオヒロ
標題(和) ABCトランスポーターLolCDEの反応機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 122923
報告番号 甲22923
学位授与日 2007.09.03
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3218号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 准教授 西山,賢一
内容要旨 要旨を表示する

序論

大腸菌を初めとするグラム陰性細菌の細胞表層は、細胞質を包む細胞質膜及び外膜により構成される。外膜に対して細胞質膜を内膜とも呼び、内膜と外膜に挟まれた親水的な領域をペリプラズム空間と呼ぶ。外膜と内膜のペリプラズム側にはリポタンパク質と呼ばれるN末端のシステイン残基が脂質で修飾されたタンパク質が存在し、脂質部分を膜にアンカーすることで膜表面に存在している。これらは細胞の形態維持、物質輸送、ストレス応答、外膜タンパク質の挿入など細胞表層で多くの重要な機能を担っており、大腸菌ではおよそ90種類存在することが知られている。

リポタンパク質はシグナルペプチドを持つ前駆体として細胞質で合成され、Sec膜透過装置によって内膜を透過する過程でシグナルペプチドの切断、脂質修飾を受けて内膜上で成熟体となる。その後の局在はN末端のシステイン残基の次のアミノ酸残基(+2位)によって決定される。+2位がアスパラギン酸の場合は内膜に留まり、それ以外の残基を持つものは外膜へと輸送される。この選別と輸送を担うのはLolシステムである。

LolシステムはLolABCDEの5つの因子からなる。内膜のABCトランスポーターであるLolCDE複合体は、+2位の局在シグナルに従って内膜上のリポタンパク質を選別し、ATPの加水分解エネルギーを利用してペリプラズムのシャペロンであるLolAに受け渡す。LolAとの複合体としてペリプラズム空間を横断したリポタンパク質は、外膜の受容体であるLolBに受け渡され、外膜に局在する。

これまでの研究で、LolCDEはATP非存在下で精製すると基質であるさまざまの外膜リポタンパク質を結合した状態で精製できることが明らかになっている(1)。LolCDEと外膜リポタンパク質Palを過剰発現させることにより、1分子のPalを結合したLolCDEを精製した。ABCトランスポーターは原核生物、真核生物を問わず広く存在するが、これまでに基質を結合した状態で生体から精製されたものは他に報告されていない。基質結合型LolCDEは、内膜中で起きるリポタンパク質遊離反応の詳細を解析するのに適していると考えられる。本研究は基質結合型LolCDEを用いて、リポタンパク質の輸送機構を詳細に解析したものである。

LolCDE-リポタンパク質複合体の界面活性剤感受性

Lolシステムは、80種類程度と予想される外膜リポタンパク質を全て認識し、輸送していると考えられている。また、LolCDEが認識するのは、リポタンパク質の共通構造であるジアシルグリセリル基及びN-アシル基で修飾されたCys残基と考えられている。

LolAは、疎水的なキャビティを持っており、ここにリポタンパク質のアシル基を結合すると予想されている。リポタンパク質を結合していないときにはα-ヘリックスが蓋のようにキャビティを塞いでいる。LolBはLolAとよく似た構造をしているが、キャビティは完全には塞がれていない。内膜上のリポタンパク質をLolAに受け渡すためには、LolDによるATPの加水分解エネルギーが必須である。これはLolAのキャビティを覆う蓋を開くために必要であると考えられている。一方、LolAからLolB、及びLolBから外膜へのリポタンパク質の移動にはATPやプロトン勾配などのエネルギーを必要としない。

LolA-リポタンパク質複合体及びLolB-リポタンパク質複合体を界面活性剤n-dodecyl-β-D-maltopyranoside(DDM)で処理し、リポタンパク質の解離を観察したところ、LolB-リポタンパク質複合体が解離するためにはLolA-リポタンパク質複合体よりも高いDDM濃度を要求した。従って、LolBの方がLolAよりもリポタンパク質に対する疎水的な親和性が高いと考えられる。このことは、リポタンパク質に対する親和性の差を利用することで、ATP非依存的なリポタンパク質の受け渡しが行われていることを示している(2)。

LolCDEとリポタンパク質の結合もATPによって界面活性剤感受性が変化することが報告されている。そこで基質結合型LolCDEを用いてLolA、LolBの場合と同様に界面活性剤感受性の変化から、リポタンパク質との結合がATPの結合や加水分解によってどのように影響を受けるかを詳細に調べた。LolA及びATP非存在下では4%のDDMで処理しても基質であるPalはLolCDEから解離しなかった。一方でATPを加えて同様の実験を行うと、DDMがおよそ2%に達した時にLolCDEからPalが解離した。このことから、LolCDEは主に疎水結合により基質を結合していること、ATPが基質との親和性を弱めることが示唆された。さらにATPの役割を詳細に調べるために、ATPの非加水分解アナログであるAMP-PNPを用いて実験を行った。その結果、PalはATPを加えたときと同様約2%のDDMで解離した。またこのことはATPを結合できるが加水分解できないLolD変異体(E171Q)を持つLolCDE複合体を用いても同様の結果が得られた。すなわち、LolCDEとリポタンパク質間の疎水結合の低下は、ATP の加水分解ではなく、ATP の結合によって引き起こされていると考えられる。

基質結合型LolCDEからの界面活性剤存在下での基質遊離実験

これまではLolCDEによるリポタンパク質の遊離反応をin vitroで観察するにはLolCDEとリポタンパク質のリポソームへの再構成が必要であった。しかしLolCDEやリポタンパク質の配向性を制御することができず、リポソームの外側を向いたものと内側を向いたものが混在してしまうなどの問題があった。このため様々な条件検討にも関わらず、再構成したPalのうち遊離するのは10%以下であった。

基質結合型LolCDEを利用すれば、リポソームに再構成することなくATPとLolAに依存したシングルターンオーバーの基質遊離反応がDDM中で見られるのではないかと考えた。そこでATPを加えてもLolCDEからリポタンパク質が解離しない0.01%DDM溶液中で、基質結合型LolCDEにATPとLolAを加えた。LolDにはHisタグが付加されているため、HisタグアフィニティレジンであるTALONレジンを用いてLolCDEと遊離した基質を分離した。その結果、LolAとATPに依存してPalが遊離することが分かった。遊離したPalはLolAとの可溶性複合体であること、この複合体とLolBを反応させるとPalは外膜に組み込まれることも明らかとなった。すなわち、DDM中で基質結合型LolCDEを用いればリポタンパク質をLolAへ受け渡す反応が観察できることが明らかとなった。

バナジン酸トラップによるリポタンパク質遊離反応の解析

DDM中でのLolAに依存した遊離反応におけるヌクレオチドの影響を調べたところ、AMP-PNPではLolAへのリポタンパク質の受け渡しが起こらなかった。従って、DDM中でのLolAへのリポタンパク質の受け渡しにはATPの加水分解が必須である。

次に、ATPの加水分解によって生じたADPを結合した状態で停止したLolCDEを、バナジン酸によって作製することを試みた(バナジン酸トラップ)。大腸菌のマルトース輸送性ABCトランスポーターMalFGKなどにおいて、ADPとバナジン酸が結合した状態で停止した中間体が得られている。LolCDEにおけるバナジン酸トラップの条件を検討したところ、1mMで最も効率よくADPがトラップされた。基質結合型LolCDEにLolA、ATP、バナジン酸を加えて遊離反応を行わせたところ、バナジン酸を加えないときと同程度にPalの遊離が起こった。さらにLolA非存在下でバナジン酸トラップを行った後にLolAを加えてもリポタンパク質の遊離が起こった。このことから、LolCDEはATPを加水分解してADPとリン酸が結合した状態では既にリポタンパク質をLolAに受け渡していることが明らかにされた。この後のADP及びリン酸の解離は、再びリポタンパク質を結合できる構造に戻るステップだと考えられる。この段階で止まっているLolCDEはリポタンパク質を結合できないため、触媒的に働くことができないと考えられる。

サブユニットからのLolCDE複合体の再構成

これまでに、単独で精製したLolC、LolD、LolEをリポソームに再構成することでリポタンパク質遊離活性を再現することができている。そこでサブユニットからの複合体の形成を界面活性剤存在下で解析した。LolC、LolD、LolEを0.01% DDM存在下でインキュベートし、ゲル濾過によって複合体と未会合のサブユニットを分離した。その結果、サブユニットはリン脂質と共にインキュベートすることで複合体を形成し、その反応は温度依存的に促進されることが明らかとなった(3)。LolC、D、Eの各サブユニットについて様々な変異体が取得されており、本実験によってサブユニット間の相互作用など詳細な機能解析が可能になった。

さらに、LolDとLolEのみでリポタンパク質遊離活性を持つ複合体が形成されることが明らかになった。LolCとLolDのみでも複合体が形成されたが、活性はなかった。(3)。今後変異体を用いることでLolCとLolEの機能分担などが明らかになることが期待される。

まとめ

本研究は基質結合型LolCDEを利用して、リポタンパク質遊離反応の詳細な反応機序を界面活性剤存在下で明らかにしたものである。本研究によりLolCDEからLolAへのリポタンパク質の受け渡しをシングルターンオーバーで解析する実験系が確立された。この実験系によって、ATPの結合と加水分解がリポタンパク質との結合にどのような影響を与え、LolAにリポタンパク質が受け渡されているかが明らかになった(図1)。

また、界面活性剤存在下でサブユニットからLolCDE複合体を再構成する実験系を構築した。これにより複合体に対するリン脂質の重要性が明らかになった。

(1) Ito Y., Kanamaru K., Taniguchi N., Miyamoto S., Tokuda H. (2006) A novel ligand bound ABC transporter, LolCDE, provides insight into the molecular mechanisms underlying membrane detachment of bacterial lipoproteins. Mol. Microbiol., 62(4), 1064-1075(2) Taniguchi N., Matsuyama S., Tokuda H. (2005) Mechanisms underlying energy-independent transfer of lipoproteins from LolA to LolB, which have similar unclosed β-barrel structures. J. Biol. Chem., 280(41), 34481-34488(3) Kanamaru K., Taniguchi N., Miyamoto S., Narita S., Tokuda H. (2007) Complete reconstitution of an ATP-binding cassette transporter LolCDE complex from separately isolated subunits. FEBS J., 274, 3034-3043

図1 LolCDEによるリポタンパク質遊離反応の触媒機構

審査要旨 要旨を表示する

グラム陰性細菌の細胞表層には、N末端のシステイン残基が脂質で修飾されたリポタンパク質が存在し、脂質部分で膜に結合している。大腸菌にはおよそ90種類のリポタンパク質が見いだされており、細胞表層の多彩な機能を担っている。リポタンパク質は内膜のペリプラズム側で前駆体から成熟体に変換され、+2位がアスパラギン酸の場合は内膜に留まり、それ以外の残基を持つものは外膜へと輸送される。この選別と外膜への輸送は5種類のLol因子からなるLolシステムが触媒する。本論文は、内膜に存在しリポタンパク質の遊離を司るABCトランスポーターLolCDE複合体の反応機構を詳細に解析したものである。ATP非存在下で精製することにより、外膜リポタンパク質を結合したLolCDEが精製できる。これは、ABCトランスポーターでは他に例がない。

基質結合型LolCDEにATPを加えると、1%のドデシルマルトシドによってリポタンパク質が解離する。これは、ヌクレオチド結合サブユニットLolDへのATP結合が、膜サブユニットLolC/LolEとリポタンパク質間の疎水結合を弱めるためである。この解離に、ペリプラズムの分子シャペロンLolAは不要であった。一方、ドデシルマルトシド濃度が0.01%の時は、ATPを加えてもリポタンパク質はLolCDEから解離しなかった。しかし、ここにLolAを加えると、リポタンパク質が解離した。LolAが存在しても、加水分解されないアナログAMP-PNPや、Mg2+非存在下でATPを加えた場合は解離しなかった。また、LolDのWalker Bモチーフの変異によってATP加水分解が阻害されると、ATPを加えてもリポタンパク質はLolCDEから解離しなかった。さらに、解離したリポタンパク質は、LolAとの複合体であること、この複合体を外膜と反応すると、受容体LolBに依存したリポタンパク質の外膜組み込みが起きることを明らかにした。これらの結果から、0.01%ドデシルマルトシド存在下で観察される、ATPの加水分解とLolAに依存した基質結合型LolCDEからのリポタンパク質解離は、in vivoでのリポタンパク質遊離反応の再現であることが明らかになった。すなわち、LolCDE複合体はABCトランスポーターであるが、プロテオリポソームに再構成しなくてもその反応を解析できることが示された。なお、1分子の基質結合型LolCDEには、1分子のリポタンパク質が結合していることを見いだした。したがって、シングルサイクルのリポタンク質遊離反応を解析する実験条件が確立された。

ABCトランスポーターの阻害剤であるバナジン酸は、リン酸のアナログとして作用し、ATP加水分解の結果生じたADPをヌクレオチド結合サブユニットにトラップすることが知られている。最近、バナジン酸がマルトース輸送性ABCトランスポーターを遷移状態にとどめることが報告されている。LolCDEによる触媒的なリポタンパク質遊離は、バナジン酸によって強く阻害されることが明らかになっている。LolCDEにおいても、1 mMのバナジン酸によって効率よくADPがトラップされた。そこで、基質結合型LolCDEにLolA、ATP、1 mMのバナジン酸を加えて遊離反応を行わせたところ、シングルサイクルのリポタンパク質の遊離反応はバナジン酸によって阻害されなかった。さらに、LolA非存在下で基質結合型LolCDEにATPとバナジン酸を加えて充分に阻害した後、LolAを加えたところ、リポタンパク質はLolCDEからLolAに受け渡された。すなわち、LolCDEは細胞質側でATPを加水分解し、ペリプラズム側でそのエネルギーを用いてリポタンパク質を遊離させるが、この時、LolCDEにはADPとリン酸が結合した状態であることが示唆された。リポタンパク質とLolAが複合体を形成するときには、LolAの構造変化が必要であると推測されている。バナジン酸で遷移状態に保たれたLolCDEは、LolAの構造変化を引き起こす作用があると推測される。LolCDEからリン酸とADPが解離する反応は、再びリポタンパク質を結合できる構造に復帰するために必要であると考えられる。

以上、本論文はABCトランスポーターLolCDEの反応機構を詳細に明らかにしたものであり、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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