学位論文要旨



No 122924
著者(漢字) 本田,裕子
著者(英字)
著者(カナ) ホンダ,ユウコ
標題(和) 野生復帰を通じて生成されるコウノトリとの共生関係 : 「強いられた共生」から「地域のもの」へ
標題(洋)
報告番号 122924
報告番号 甲22924
学位授与日 2007.09.03
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3219号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 兵庫県立大学 教授 池田,啓
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、野生生物保護において、保護の対象となる生物と住民との間の望ましい関係性がどのように生成されるのか、どのようなものなのかという課題を明らかにするものである。近年、野生生物保護を普及するうえで、「人と野生生物との共生」というフレーズが用いられている。生物学において意味する共生そのままではなく、社会経済と自然環境が調和しているという意味で政策的に用いられている。しかし、共生という言葉が当事者である住民の意識を欠いて用いられた場合、住民は保護への協力を求められ、対象となる生物との共生を強いられることになる。本論文では、野生生物保護と住民との関係性、すなわち「野生生物保護のために、住民がその保護の対象となる生物との特定のかかわりを求められたり、またはかかわりそのものを排除されたりなど、負担をかけられる状況」を「強いられた共生」と定めた。また、野生生物と住民との間に、かかわりを通じて双方にメリットがある関係性を愛知県鵜の山カワウの事例で存在したことで示し、共生関係と定めた。

本論文では、こうした背景と認識のもとで、兵庫県豊岡市で2005年9月から開始されているコウノトリの野生復帰を主な事例に、「強いられた共生」をもたらす野生生物保護において、保護の対象となる生物と住民との望ましい関係性を共生関係と設定し、共生関係がどのように生成されるのか、どのようなものなのか、を明らかにすることを本論文の目的とした。

1章では、先行事例・研究から野生生物保護がどのような変遷をたどり、「強いられた共生」をもたらしているのか、野生生物保護が住民をどのように捉えてきたのかを明らかにした。野生生物保護は、本論文が「強いられた共生」と表現するように、保護のために制約・負担を受ける住民の視点を欠いて行なわれてきた。したがって、保護の対象となる生物と住民との望ましい関係性、本論文で設定する共生関係の生成の実態を明らかにするうえで、住民の視点から野生生物保護を捉えること、すなわち、住民が、野生生物保護がもたらす「強いられた共生」とどのような関係であるのかを明らかにする必要があり、本論文の論点を明確化した。具体的には、コウノトリの野生復帰がもたらす「強いられた共生」に関して、住民がどのように(1)捉え、(2)かかわり、(3)受け入れているのか、という論点を明確化した。

2章では、「強いられた共生」をもたらす野生復帰を住民がどのように捉えているのか、2006年1月に豊岡市全域住民を対象に実施したアンケート調査をもとに明らかにした。その結果、住民全体ではコウノトリの放鳥を肯定的に捉えていることがわかった。放鳥されたコウノトリの捉え方も「地域の象徴やシンボル」「豊かな自然環境の象徴」といった金銭的とは必ずしもいえないメリットが関係していることがわかった。そして、野生復帰がもたらす「強いられた共生」を肯定的に捉える住民の属性については、年代、地域への愛着の程度、環境問題への関心の有無、かつて/現在の目撃の有無、そして元飼育長であり長年コウノトリの保護活動に携わってこられた松島氏の認知の有無との間に何らかしらの関連を見出すことができた。すなわち、コウノトリとの「強いられた共生」を所与のものとして受け入れるのではなく、コウノトリに対して「地域を象徴するもの」「コウノトリが生息できる環境は人間にとってもいい環境」「松島氏を始めとする多くの方々がコウノトリ保護に尽力した」という付加価値をつけることで、肯定的に捉えていた。また、放鳥によって最も影響を受ける住民であろう農業従事者は、非農業従事者に比べて、放鳥の心配、特に農業面での心配や放鳥の評価などでは複雑な感情を抱いていることがわかったが、非農業従事者と同様に放鳥を肯定的に捉えていることもわかった。

3章では、「強いられた共生」をもたらす野生復帰に住民がどのようにかかわってきたのかを明らかにした。まず、2005年9月の放鳥直後に伺った住民の感想を取り上げた。コウノトリの飛ぶ姿に感動する声だけではなく、長年保護活動に携わっていた松島氏の今までの保護活動が実って「よかった」という声が目立った。2章でも松島氏の認知の有無が「強いられた共生」を肯定的に捉えるプロセスに何らかしらの関連があったこともあり、長年コウノトリ保護に携わってきた松島氏への聞き取りを行なったところ、長年の苦労を伴うコウノトリ保護活動や保護に対する思いが伺えた。そしてその思いが、新聞報道を通じて住民に広く認知されていることもわかった。次に、実際に放鳥が地域に与えた影響を観光・農業の面から明らかにするとともに、主に県立コウノトリの郷公園周辺の住民への聞き取り調査をもとに、住民が「強いられた共生」とどのようにかかわり、現在に至っているのかを明らかにした。野生復帰はコウノトリの希少性ゆえに行なわれているが、住民が捉えるコウノトリは、「強いられた共生」がもたらす「保護せざるをえない」という「遠い」存在ではなく、「農業の生き残りの道」「里の生き物の象徴」「地域のもの」という自分たちの生活に密着した「近い」存在となってきている。このように住民にとってコウノトリは希少性から地域性のある存在に変容しつつあるが、それは、住民が「強いられた共生」を自分たちの生活の視点で活かそうと、野生復帰にかかわることで変容させた結果である。野生復帰によって生活を介入されるという意味で当事者である住民が、「地域をよくしたい」「地域を活性化させたい」を出発点に、コウノトリに自分たちの生活における新たな価値を創出したのであり、結果的に、それらの価値が、コウノトリの野生復帰を支えていることがわかった。

4章では、「強いられた共生」をもたらす野生復帰が住民に受け入れられる背景を明らかにした。まず、農業従事者の視点から野生復帰がどのようなものなのか、2章で農業従事者と非農業従事者との捉え方の違いは明らかにしていたが、4章では農業政策の動向もふまえた農業とコウノトリとの関係、農業従事者が実際にどのような複雑な心境を抱いているのかを明らかにした。結果、農業は、かつては農作業の変化や農薬の使用などでコウノトリの野生下絶滅に加担していたが、現在はコウノトリの生息環境を提供するということで、野生復帰において重要な役割を果たしていること、しかし同時に、農業従事者は、農作業の際にコウノトリに遠慮してしまうことや被害への懸念、コウノトリの生息環境を支える減農薬・無農薬栽培に対する負担や責任感を感じていることが、聞き取り調査の結果わかった。特に、負担や責任感を感じてしまう背景には、現在の農業の実態が関係していた。採算のとれない農業の現状、農業の兼業化・高齢化による担い手の不足、安全・安心なお米への需要とその課題が農業従事者をとりまく状況として存在している。そのような状況がある中、コウノトリが飛来したことで、新たに「強いられた共生」に直面することになった集落もある。次に、その集落を対象に、住民がどのような背景で「強いられた共生」を受け入れることとなったのか、質問票調査・聞き取り調査の結果を述べた。その結果、住民が「強いられた共生」をもたらす野生復帰を受け入れることに不安を抱えつつも、採算のとれない農業や高齢化・兼業化で担い手が不足している集落の実態を背景に、地域をよくするために、農業を続けていくために野生復帰を受け入れていることがわかった。

5章では、野生生物と住民との共生関係の実態をより詳しく、そして変遷をみるために、序章で共生関係が存在していた事例として取り上げた鵜の山カワウの事例を再び取り上げた。かつて糞採取を通じて存在した共生関係がどのようなものであり、そして化学肥料の普及で糞が資源としてみなされなくなった現在にどのように引き継がれているのかを明らかにした。全国各地でカワウは糞また漁業被害から害鳥視されているなかで、鵜の山周辺でも被害が少なからずあるにもかかわらず住民から害鳥視されていない。かつての糞採取を通じて存在した共生関係が「昔は世話になった」「糞で学校が建った」といった物語性をおびて引き継がれ、「上野間の自慢、宝」としてカワウが地域の一員として受け入れられていた。

結論部分では、これまでの議論をふまえ、野生生物保護において共生関係がどのように生成されるのか、どのようなものなのか、総合的な考察を行なった。コウノトリと住民の共生関係生成には、コウノトリのもつ地域性、住民の主体性、農業や集落の実態といった放される地域の実情が関係している。野生復帰がもたらす「強いられた共生」を、コウノトリのもつ地域性、そして地域の実情をふまえ、住民はコウノトリに重層・複合的な捉え方をし、自分たちの生活における価値をコウノトリに付与することで、コウノトリを「近い」存在にしていた。そして、共生関係について、住民が、金銭的利益の有無にかかわらず、そして、益害を明確に捉えるわけではなく、保護の対象となる生物を「地域のもの」として捉えること、そのなかで、住民は、彼ら自身や地域への「自信獲得の機会」をもたらされ、コウノトリは「地域の一員」として生息を受け入れられる関係性と再定義した。今後、野生生物保護の研究では、現在行なわれている野生生物保護の構造の問題点を指摘する研究だけではなく、その指摘をふまえ、望ましい野生生物保護のあり方、その下での望ましい野生生物と住民との関係性を提起することが必要となってくるだろう。その際の前提として、本論文で導き出す「共生関係の生成」の視点は欠かせないものと提言したいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

野生生物保護をめぐってしばしば用いられるフレーズに「人と野生生物との共生」がある。これは生物学における共生そのものではなく、人間社会と自然環境との調和を目指す政策概念として用いられる。しかし、共生という言葉が当事者である住民の意識を欠いて用いられた場合、住民は対象となる生物との共生を強いられることになる。本論文では、野生生物保護と住民との関係性、すなわち「野生生物保護のために、住民がその保護の対象となる生物との特定のかかわりを求められたり、またはかかわりそのものを排除されたりなど、負担をかけられる状況」を「強いられた共生」と定義する。これに基づき、本論文は、兵庫県豊岡市で2005年9月から開始されているコウノトリの野生復帰を主な事例として、野生生物と住民とのより望ましい関係性(=共生関係)がどのように生成されるのか、またそれはどのようなものなのか、を明らかにすることを目的とするものである(序章)。

まず、先行事例・研究から野生生物保護がどのような変遷をたどり、「強いられた共生」をもたらしているのか、野生生物保護が住民をどのように捉えてきたのかが明らかにされた。そして、コウノトリの野生復帰がもたらす「強いられた共生」を把握するうえで、住民がそれをどのように「捉え」、それとどのように「かかわり」、それをどのように「受け入れ」ているのか、という3つの論点が重要であることが示された(1章)。

そして、上記3つの論点を対象にしたアンケート調査及び聞き取り調査が実施された。その結果、人々はコウノトリに対して「地域を象徴するものである」とか「コウノトリが生息できる環境は人間にとっても良い環境である」といった付加価値をつけることで放鳥を肯定的に「捉え」ていたこと(2章)、「農業の生き残りのため」にコウノトリの野生復帰を活用することを通して、コウノトリを保護せざるを得ない「遠い」存在ではなく「地域のもの」という生活に密着した「近い」存在としていること(3章)、しかし特に農業従事者は負担への不安も抱えながらの受け入れであること(4章)が明らかにされた。

これらの結果より、共生関係は、金銭的利益の有無にかかわらず、保護の対象となる生物を「地域のもの」として捉え、そのなかで住民たちが自分たちの地域への「自信獲得の機会」をもたらされるような関係性、と再定義された(終章)。

以上のように、益害を明確に捉えるわけはなくても「地域のもの」という視点から共生関係が生成されることを明らかにした本研究は、他の野生生物保護の事例にも重要な示唆を与えうるものであり、学術上および実践上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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