学位論文要旨



No 122926
著者(漢字) 鹿島,光司
著者(英字)
著者(カナ) カシマ,コウジ
標題(和) マウス初期胚の細胞分裂制御におけるCSFの作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 122926
報告番号 甲22926
学位授与日 2007.09.03
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3221号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 内藤,邦彦
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 准教授 田中,智
 東京大学 准教授 青木,不学
内容要旨 要旨を表示する

哺乳類の着床前胚、いわゆる初期胚は、体細胞と比べ短時間に卵割を繰り返し、細胞数を著しく増加させる高い分裂能を有している。本研究は、哺乳類初期胚のこの高い分裂能に注目し、マウス初期胚が持つ特異的生理機構の一端を明らかにした物である。本研究では、脊椎動物の受精直前の卵が第2減数分裂中期(MII)で停止するのに必須であるCytoStatic Factor(CSF)と呼ばれる因子に着目した。カエルではMIIで停止中の未受精卵の細胞質を、受精後の2細胞期胚の片側の割球に注入すると、注入された割球のみ初期発生が分裂期(M期)で停止することが知られており、CSFは未受精卵のみならず、高い分裂能をもつ初期発生をもM期で停止させる強力なM期停止因子であると定義されている。哺乳類においては、MIIで停止している未受精卵にカエルのCSFと同様の因子が存在することは確認されており、やはりCSFと呼ばれ、初期発生をM期停止させるとの認識がある。しかし、哺乳類初期胚の分裂能に対する知見には不十分な点が多く、現在まで未受精卵のMII停止に働く因子によって、初期胚がM期で停止することを明確に示した報告は無く、現在この分野において最も研究が進んでいるアフリカツメガエル(Xenopus)の結果をそのまま当てはめている部分も多く見受けられる。そこで本研究では、マウスの初期胚には高い分裂能と関連する特異的な生理機構があるのではないかと予想し、マウスのCSFが初期胚にM期停止を導入できるかを検証することから開始した。

第1章Mos/MAPK経路がマウス初期胚の細胞分裂に及ぼす影響

第1章では、まず未受精卵のMII停止に必須であることが報告されているMAPK経路(Mos/MEK/ERK)の活性化が、マウスの初期胚をM期で停止させるかを検討した。通常マウスの初期胚では全く活性化のみられないMAPKのERKを活性化させるために、MAPK経路の構成因子の1つであるMEKを恒常的に活性化した変異体SDSE-MEKを作製し、体外受精により得られたBDF1マウスの初期胚の前核に発現ベクターを顕微注入したところ、ERKの下流因子であるRSKに活性化の指標となるリン酸化がみられ、またmyelin basic protein (MBP)を基質とした活性測定によりERKの高活性が確認され、MAPKの活性化に成功した。このマウス初期胚にM期停止が引き起こされるかを調べたところ、Xenopusとは異なり初期発生はM期停止を起こさなかった。そこで次に、MEKの上流であり受精前の卵に特異的に発現しているMosの作用について同様に確認した。MosはMAPK経路に加え、別の経路も介してMII停止に関与するとの報告があり、MAPKより強いM期停止作用も持つ可能性があった。野生型Mosを初期胚に発現させたところ、速やかに分解されることが示されたので、これを回避するため分解抑制型変異体のds-Mosを作製し、初期胚での継続的なMosの存在を可能にして検討した。その結果、ds-MosによりMAPK経路の活性化には成功したが、やはりM期停止を引き起こさないことが示された。

未受精卵ではMII停止に作用するCSFが、マウスでは受精後にその機能を失っているという事実は、マウス初期胚が持つ高い分裂能を保障するため、M期停止を回避するXenopusにはないマウス独自の新しい機構の存在を示唆するものであった。そこで、次章以降ではこのM期停止回避機構の解明を目指し、マウス初期胚にM期停止を実験的に引き起こすことを試みた。マウス初期胚にM期停止を引き起こすことができれば、どのような機構でそれを回避しているかがわかると考えられたからである。

第2章Emi1およびEmi2がマウス初期胚の細胞分裂に及ぼす影響

本章ではXenopus初期胚にM期停止を誘導する因子として、最近報告されたCSFであるEmi1、Emi2に焦点を絞った。Emi1、Emi2はにユビキチン鎖を付加することによりM期タンパク質群の分解を媒介してM期脱出を制御するAnaphase Promoting Complex/Cyclosome (APC/C) を抑制することによってM期停止に作用することが報告されており、マウス未受精卵にも同様の因子が存在しMII停止に作用していることが示唆されている。本実験ではEmi1、Emi2とEGFPとの融合タンパク質を作製し、1章と同様の方法でマウス初期胚に発現させた。EGFP蛍光により確認したEmi1の局在は体細胞での報告と一致しており、機能していることが示唆された。また、この結果は初期胚での細胞内局在を示した初めてのものとなった。Emi1についてはAPC/C抑制効果が高まるとの報告を参考に活性化型変異Emi1も作製し合わせて解析した。その結果、野生型Emi1、活性化型変異Emi1ともにM期停止機能は確認されなかった。一方、Emi2にはわずかながらM期停止能力が確認されたが、その作用は極めて微弱であり有意に発生を停止させるとは結論付けられなかった。これらの結果も、Emi1およびEmi2のXenopus初期胚での発現がM期停止を引き起こすという知見とは反する内容であり、初期発生へ及ぼすCSFの作用が、Xenopusとマウスでは全く異なっているという1章での結果を支持した。

第3章分解抑制型Emi2の発現によるマウス初期胚へのM期停止誘起

第2章の実験ではEGFP-Emi2融合タンパク質を発現させたが、このEGFP蛍光は2細胞期、4細胞期と発生が進むにつれ、著しく減衰するという結果が得られ、マウス初期胚ではEmi2が分解されていることが示唆された。この結果より、Emi2がM期停止作用を持つもののごく微弱である原因が、マウス初期胚のEmi2の強力な分解機構にあり、その機構が、初期胚の高分裂能を保障するためにマウスが持っ独自の機構であるのではないかという予想がなされた。この予想を検証するために、3章ではEmi2に分解抑制型の変異を導入したds-Emi2を作製し、マウス初期胚で発現させ、M期停止作用を検討した。

Emi2に導入した変異は、Emi2の分解を媒介するユビキチンリガーゼであるSCF複合体の構成因子の1つ、β-TrCPによる認識配列への変異である。このds-Emi2をマウス初期胚に発現させた結果、多くの初期胚がM期で停止していることが判明した。また、ds-Emi2注入胚においてM期促進因子(MPF)の構成因子であるCyclinB蓄積量を経時的に調べた結果、CyclinBの分解抑制が確認された。このことは、ds-Emi2による初期胚の停止が、APC/Cの抑制によるCyclin B 蓄積を原因とするものであり、MPF活性が低下しないためにM期で停止することも示唆された。さらにカエルにおける定義にしたがい、マウス2細胞期胚の片側の割球に注入したところ、注入割球のみがM期で停止していることが示された。本実験は、マウスにおいてCSFにより初期胚をM期で停止させることを明確に示した初めての実験結果であり、本実験からCSFとされる因子のうち、Emi2が唯一マウスにおいて初期胚を未受精卵と同様に停止させ得る因子であることを示唆した。XenopusでもEmi2は初期発生をM期で停止させることが報告されているが、分解抑制をする必要はなく野生型のEmi2でも事足りることから、マウスと比較してその分解機構が弱いと考えられる。つまりマウスでは初期発生を容易にM期で停止させないために、Emi2を非常に強力に分解するという独自の機構を獲得していることが示唆された。さらにds-Emi2発現胚のMAPKが活性化していないこと、ds-MosまたはSDSE-MEKと野生型Emi2-EGFPの共発現によっても、ds-Emi2のようなM期停止を促進させる効果は得られなかったことから、Emi2はMos/MAPKとは独立してマウス初期胚にM期停止を引き起こすことが示唆された。

以上、本研究の結果、XenopusではMII停止を引き起こすCSFの全てが初期胚のM期停止を誘起するのに対し、マウスではMos/MAPK経路での初期発生停止はもはや起こらなくなっているという既存の認識との相違点が発見された。そして唯一Emi2のみが初期胚をもM期停止させる能力を持っていることが示され、マウスでは卵割を進行させるためにEmi2の強力な分解機構を備えているという結論が導かれた。

審査要旨 要旨を表示する

近年、哺乳類の初期胚はバイオテクノロジーの材料として多用され重要性を増しているが、その生理機構には不明な点が多く、カエル胚など他種で得られた結果がそのまま当てはめられている部分も多く見受けられる。本研究は哺乳類初期胚の分裂能に影響を及ぼすと考えられているCytostatic Factor (CSF)の作用を詳細に解析することにより、哺乳類初期胚が持つ固有の生理機構の一端を明らかにしたものである。

まず緒言では、本研究で着目したCSFの説明、およびこの物質に着目するに至った経緯が述べられている。すなわち脊椎動物の未受精卵は第2減数分裂中期(MII)で停止している必要があり、この停止を誘起する細胞内の因子がCSFであること、一方、未受精卵と対照的に受精後の初期胚は短時間に卵割を繰り返し、細胞数を著しく増加させる必要があり、このCSFに対する反応性は大きく異なる可能性があること、カエルではCSFは未受精卵のみならず、初期胚をもM期で停止させる強力なM期停止因子であると定義され、哺乳類も同様と一般に信じられているが、哺乳類ではCSFにより初期胚がM期で停止することを明確に示した報告は無いことを指摘している。

第1章では、CSFに対する哺乳類胚の反応を再確認するため、CSFの本体と考えられているMAPキナーゼ(MAPK)経路について検討している。初期胚のMAPKを活性化するために、上流因子MEKの恒常的活性型変異体を作製し、マウス受精卵の前核に発現ベクターを顕微注入した結果、カエル胚とは異なりマウス初期胚はM期停止しなかった。さらに、MAPK経路の最上流因子で、より強いM期停止作用も持つ可能性があるMosを初期胚に強制発現させた結果、野性型Mosは急速に分解されたため、分解抑制型変異体を作製して検討したところ、MAPK経路の活性化には成功したが、やはりM期停止は起こらないことが確認された。

本実験は、未受精卵にMII停止を誘起するMos/MAPK経路が、マウスでは受精後にその機能を失っているという事実を初めて明確に示したものであり、マウス初期胚にはM期停止を回避するためのカエル胚にはない独自の機構が存在していることを示唆している。そこで次章以降では、このM期停止回避機構の解明を目指し、マウス初期胚にM期停止を実験的に引き起こすことを試みている。

第2章では、カエル初期胚にM期停止を誘導する因子として近年報告されたEmi1、Emi2に焦点を絞り、これらとEGFPの融合タンパク質発現ベクターを作製し、1章と同様の方法でマウス初期胚に発現させている。まずEGFP蛍光により細胞内の局在を検討した結果、Emi1/2ともにマウス初期胚における特異的な細胞内局在を示すことに初めて成功している。Emi1は野生型に加え活性化型変異Emi1も作製し解析したが、ともにM期停止機能は見られなかった。一方、Emi2にはわずかながらM期停止能力が確認され、有意な作用は示されなかったものの、EGFP蛍光が時間に伴い著しく減衰することが示され、マウス初期胚ではEmi2が速やかに分解されていることが示唆された。この結果より、マウス初期胚はEmi2を速やかに分解するという独自の機構により、初期胚の分裂能を保障しているのではないかと予想している。

第3章ではこの予想を検証するため、Emi2に分解抑制型の変異を導入したds-Emi2を作製し、マウス初期胚で発現させ、M期停止作用を検討している。その結果、多くの初期胚がM期で停止し、M期促進因子(MPF)の構成因子であるCyclin Bの分解抑制が確認された。この結果はds-Emi2による初期胚の停止が、M期脱出に働くAPCの抑制によるCyclin B蓄積を原因とする、MPFの活性化に起因することを示唆している。さらにカエルにおける定義にしたがい、マウス2細胞期胚の片側の割球にds-Emi2を注入したところ、注入割球のみがM期で停止することが示された。

これらの結果をもとに総括において、本研究がマウスにおいてCSFとされる因子により初期胚をM期で停止させることに成功した初めての実験結果であることを述べ、さらにCSFのうち唯一Emi2がマウスにおいて初期胚を未受精卵と同様に停止させ得る因子であり、マウスでは初期発生を容易にM期で停止させないために、Emi2を非常に強力に分解するという独自の機構を獲得していることを示唆している。

以上、本研究はマウス初期胚に対する従来の理解を否定するとともに、マウス初期胚が特有に持つ生理機構の一端を明らかにしており、発生生物学分野における学術的な面のみならず、近年のバイオテクノロジーに対する応用面においても貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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