学位論文要旨



No 122928
著者(漢字) 尹,喆載
著者(英字)
著者(カナ) ユン,チョルチェ
標題(和) 歩行者流動から見た街路ネットワークの階層的中心性に関する研究 : ネットワーク分析とマルチエージェントシステムを用いたシミュレーションモデルの提案
標題(洋)
報告番号 122928
報告番号 甲22928
学位授与日 2007.09.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6582号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 岸田,省吾
 東京大学 准教授 西出,和彦
 東京大学 准教授 千葉,学
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、都市を常に変化しているものと理解した上で、都市に変化をもたらす根本的な理由を歩行であると考え、その歩行行為が行われる街路空間に注目し、街路での歩行を誘発する原因を明らかにし、街の活性化に結び付けることをその目的としている。本文は、概念編、理論編、開発編、分析編の4つに大別される。その内容をまとめると次のようになる。

1 概念編

1)研究の背景及び目的

本研究では、都市の街路に歩行を誘発する要因として、(1)都市街路の物理的な形態と構造、(2)歩行者-施設の社会・経済的な原理という、二つの側面を考える。 これら二つの要因に着目した研究は数多く行われている。しかし、これまでの研究は、どちらか一方の面にのみ注目したものが多く、両者の関係性の把握はあまり行っていないのが現状である。

本研究では二つの要因を同時に分析できるモデリング手法を提案する。その為に、ネットワーク分析とマルチエージェントシステムを用いた新たなシミュレーションモデルを開発し、これを適用して分析することにより、二つの考え方の融合をはかっている。

2)用語の定義:階層的中心性と幾何学的な中心性値

都市の街路という限定された範囲で、一つの単位空間(または街路空間)に多くの人々が集まることにより空間の活力が高まり、多様なアクティビティが行われるようになった空間を「中心性の高い空間」と定義する。この定義によると、日常的に街路は、中心性の高低に従い階層的な様相を見せている。その様相は単に静的な状態としてだけではなく、時系列上で連続的なプロセスとして現れる。このような意味を含めて、「階層的中心性」という用語を用いる。

本文では次の理論編で述べている事柄ではあるが、上記の歩行を誘発する要因の中で、街路の物理的な形態から生じる空間の接近性(accessibility)を意味する指標として「幾何学的な中心性値」という用語を使用する。各街路における幾何学的な中心性値はネットワーク分析の指標として次のように定義される。

Edge centrality = "あるネットワークシステムにおいて、全てのノードのペアを繋ぐ最短経路を考えた時に、あるedgeを通る最短経路の数の総数"

(注:Edgeとは、分節された街路を意味するネットワーク理論の用語である。)

2 理論編

1)二つの分析手法の特性

よく知られているように、ネットワーク分析とマルチエージェントシステムは、静的な分析と動的な分析という特徴を持ち、各分野で盛んに用いられているが、逆にその強い特性により適用できる事象に制限がある。ネットワーク分析は静的な都市構造の理解に適し、時間的な変化の影響のない状況が継続する構造として理解される。時間的、歴史的プロセスの中の一つの断面を表していると解釈できるが、あらゆるものは時間と共に変化しているのが実情である。

一方、マルチエージェントシステムは、物理的な構造の奥に内在する過程自体に大きな意味を持っている。しかし、これには一般化された結論を引き出すことが難しいという短所がある。

2)新たなモデリング手法

本研究では、歩行を誘発する二つの要因を分析するに当たって、両者を融合させたモデリング手法を提案している。提案したモデルは、都市要素を簡略に描写する基本構造はネットワークから、動的な動きはエージェントモデルからなるものである。これらは単にモデルの形式化からだけではなく、両手法の根本的な特性を補完することにより、新たな長所まで生じている。この両手法を同時に使用するということは、構造と過程の間に存在する関係性の把握に重きを置いた研究であることを意味している。

3 開発編

モデルの開発について、フロー図を用いて概説する。

4 分析編

分析編では、下北沢を対象地域に選定し、開発したモデルを適用し、分析を行う。分析編は1)検証編、2)活用編で構成されている。

1)シミュレーションの適用 その1:モデルの検証

モデルの信頼性を検証する作業として、対象地域において実際に行われた歩行者の通行量の調査結果を入手し、シミュレーションの結果と比較し、その相関を分析している。相関分析は全街路における集計値と、連続する特定の街路における時系列別の集計という二つの側面から行い、両者とも相関係数が0.7~0.9の範囲内におさまることが確認されていて、開発したモデルが現実の状況を良く反映していることが判明している。

検証されたモデルの信頼性を踏まえ、下北沢をそれぞれ異なる街路構造を持つ南・北の地域に分けて分析し、本稿の仮説である歩行を誘発する二つの要因の関係性の解明を試みている。

南側地域は、地域の中央部分を通る2本のリニアーな街路の軸性が非常に強い。歩行者流量もこの2本の街路に集中している。また、時間帯別の変化をみると、歩行者流動の優勢な街路の階層性は全地域で一日中ほとんど変わらない。南側地域は街路の形状の影響が非常に強く、歩行者の分布の最大の要因は幾何学的な構造であるといえる。

一方、北側地域においては、街路構造がグリッドのような形をしているために、街路構造の形態が重要な要因のひとつとして作用しているものの、一貫して強い相関性があるとは言えない。時間別の変化では、歩行者流動の優勢な時間帯の逆転現象が見られる。特に昼と夜の逆転現象が目に付く。下北沢の北側地域は、地域の持つ幾何学的な特質とは直接的な関係性が低い、独自的な性格と機能を持っているといえる。

結論として、都市空間での歩行者流動は街路体系による構造自体の影響を受けると同時に、分布している施設との関係からも影響を受けている。一言で言うと、歩行を誘発する二つの要因は相互に補完的であるといえる。

2)シミュレーションの適用 その2:歩行者流動の予測モデルとしての可能性

モデルの活用編では、現在、下北沢地域において進められている再開発計画案に対して、開発したモデルを適用し、その有効性を確かめている。発表されている計画案は、かつての町並みに大きな変化をもたらす恐れがあるために、市民団体や専門家などから様々な代替案が提出されている。行政側の案と市民側の2つの案に対してシミュレーションを行い、その結果を、様々な角度から検討することにより、モデル活用の可能性を探っている。

5 総括

本論文の意義及び成果をまとめると、次のようになる。

[1]概念的側面:街路での歩行量を誘発する要因として、街路構造の物理的形態と歩行者-施設間の社会・経済的な原理という二つの要因があり、それらは相互に補完的な役割を果たしていることを明らかにした。

[2]手法的側面:ネットワーク分析とマルチエージェントシステムという静的/動的な分析手法の融合を通じて新しい可能性を提示した。

[3]効用的側面:歩行通行量の観測や集計、将来への予測等において、既存の手法とは根本的に異なる新しいツールを開発し、その可能性と有用性について検討した。

歩行者の流動現象を把握し、予測するということは、多くの人々を街に流入させ、その地域を活性化させる計画に直結している。本研究で提示した方法は、特定の街路において歩行を誘発する要因は何かという問題に対して、街路の幾何学的な形態と社会・経済的な原理との関係性の把握という側面から融合したモデルが有益であることを示している。開発したモデルは街の活性化に対する方策を考える際に、十分貢献できるものと期待できる。

図 左:モデルの概念図 右:モデルのフローチャート

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、中規模商店街の歩行者流動に関する研究である。東京近郊では駅前商店街が随所に発達しているが、急行や快速が停車する町では、その町の住民だけでなく、より広範な地域から買物客が集まり、集客力に見合った個性的な商店街が形成されている。商店街の活性化の状態が最も端的に表れているのが歩行者流動で、人の粗密が即、賑わいのバロメータになっている。歩行者が町中にどのように分布しているかを説明するために従来から用いられているのが、施設の配置と規模に基づく理論で、これに駅などからの距離を考慮して評価関数が作られているが、基本になっているのは線形の重みを持つグラビティモデルである。こうしたモデルは、商業施設の誘因力を位置や規模から推測するもので、町の大域的な活力を測る場合は有効であるが、よりミクロに、例えば、街路単位での活性化の状況を想定する場合には説明力不足である。商業施設の活動を売場面積や、売上高、収容人数等の統計的なパラメータで代表させる手法はいわば静的な分析方法で、そこには営業時間やイベントなどの状況の変化を説明するファクタや、買物客数の時間的な変動といった動的な要因が欠落している。町の賑わいの実態を把握し、予測するためには、人々が実際にどのような目的のもとに町に来て、どのような選択をし、どの経路を辿って購買活動をするのかといった、より人々の日常的な行動に近い視点が不可欠で、状況を動態的に捉える手法が必要である。

論文全体は、概念編(第1章)、理論編(第2,3章)、開発編(第4,5章)、分析編(第6,7,8章)に大別され、最後に開発プログラムとデータシートがAppendixとして付いている。

序は、研究を始めた動機と目的についてまとめたものである。

第1章は、都市およびその街路に対する視点の説明で、論文全体の基本的な考え方を示している。まず、都市と街路空間、街路空間と歩行について述べ、次いで、街路ネットワークの中心概念について論じ、「中心性」という時空間的に変動する中心概念について説明している。最後に、歩行を誘発する要因として、物理的な空間と社会・経済的な原理のふたつがあることを指摘している。

第2章は、グラフ理論とネットワーク分析の基本についてのまとめと、マルチエージェントシステムの概要についての解説である。

第3章は、グラフ理論とマルチエージェントシステムに関する既往研究のレビューで、それぞれの長所・短所を比較し、両者を統合することがもたらす利点について述べている。

第4章は、モデルを生成するにあたっての基本的な考え方の説明で、都市要素をネットワーク化する手順について具体的に述べている。また、歩行者流動に固有なパラメータの設定や、エージェントの行動規範について解説している。

第5章は、実際にどのようにプログラミングするかについての説明で、次いで、仮想的な商業空間を設定し、その中で仮のエージェントを動かしてみて、プログラムが正しく作動しているかどうか、また、シミュレーション結果の表示がわかりやすいかどうか等を確認している。

第6章は、東京都世田谷区の下北沢地域を対象地域として、実際の都市空間での歩行者流動をシミュレートしている。同地域の文献調査や現場調査を通じて入手した基礎データをもとに、この地域の地域的特性や歩行者の行動特性を考慮しながら各種の前提条件とパラメータ等を設定し、歩行者流動のシミュレーションを行っている。結果の分析はふたつの側面から行われている。ひとつは、同地域を対象に実施された歩行通行量の調査結果との対比で、これにより、開発したモデルの有効性が検証されている。いまひとつは、街路形態が異なる南・北地域に分け、それぞれの街路毎に歩行者数の時系列的な対比を行い、歩行者流動を誘発する要因について考察している。

第7章は、同地域で計画されている再開発案に着目し、これに開発したモデルを適用し、将来的な歩行者流動を予測している。これにより、予測モデルとしての可能性を確かめている。

第8章は、論文全体の総括と今後の展望である。シミュレーション結果に基づき、本モデルの有効性を、概念的、手法的、活用的な側面から総括している。最後に、本論文と開発モデルに残された今後の課題と他分野への活用の可能性について述べている。

以上要するに、本論文は、中規模の商業地域における歩行者流動を考える際には、従来からの説明にあるような単なる物理的な街路形態や施設分布だけでなく、歩行者のニーズとその充足というプロセスが重要であると考え、両者を統合的に扱うためにグラフ理論とマルチエージェントシステムを併用したモデルを提案したものである。歩行者の辿る経路は、歩行者の購買行動や歩行行動に関するいくつものパラメータで制御されているが、こうしたパラメータの妥当性は実際に行われた歩行通行量調査との対比により確かめられていて、本モデルが一定の精度を有することが確認されている。個人の行動パターンは多様であるが、それらを集めてマスとして見ると意外と少ないパターンに集約されるという複雑系の特色が歩行者流動にもあるようで、この特質を本論文では旨くプログラミングしている。特筆したいのは、将来的な再開発計画への適用で、町がどのように変化してゆくのか、あるいは、活性化の中心がどのように転移してゆくのかといった計画上の要点が本モデルを用いることにより予測できるという点である。これは都市・建築の計画学の分野に新たな方法論を導入するものとして、その意義は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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