学位論文要旨



No 122951
著者(漢字) 許,淑娟
著者(英字)
著者(カナ) ホウ,スギョン
標題(和) 領域権原論再考 : 領域支配の実効性と正当性
標題(洋)
報告番号 122951
報告番号 甲22951
学位授与日 2007.09.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第208号
研究科 法学政治学研究科
専攻 公法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木庭,顕
 東京大学 教授 奥脇,直也
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 荒木,尚志
 東京大学 教授 川出,良枝
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、領域権原の規律形式と権原を支える基盤〔=物的基盤および正当化(型)基盤〕から領域法と領域権原概念の変遷を位置づけ、現代における領域権原概念の意義と機能を考察するものである。国家の領域支配の正当化根拠を〈領域主権の源である「領域権原」〉概念として国際法が規律していることから、本稿の検討は、国家が領域と領域内にいる人々の生を支配することがなぜ正当化されるのかという国家間秩序としての国際法秩序における根源的な問いを含むものになる。分析に用いられる〈権原の物的基盤〉とは権原を支える領域支配の事実を指す。〈権原の正当化(型)基盤〉は、その規律形式のあり方を含めて、権原概念それ自体を成立せしめる基盤を提供する正当化の論理あるいは命題のことである。なお、領域権原を規律する現代領域法の適用解釈を本稿が主要な関心とすることから、現代の領域法解釈において参照される諸概念を具体的な検討対象にした。

第1章では、領域法の歴史を「新世界の発見」から紐解き、その生成と変遷を、VitoriaおよびGrotiusという草創期から20世紀初頭までの国際法学説とベルリン議定書の起草過程をはじめとする植民地化時代の国家実行から裏付けた。

「新世界の発見」とその植民地化に際して、ヨーロッパは植民地の領域規律という問題を〈異教徒に対する教皇の管轄権〉という形で構成した。すなわち、全世界が神に属し、その処分は異教徒の土地であっても教皇の管轄権に含まれるとしたうえで、ヨーロッパによる非ヨーロッパ領域の侵略が〈異教徒による「神の法」への違反に対する処罰〉として正当化されるという権原の正当化(型)基盤が観念されたのである。また、教皇の勅書に基づき植民地取得をキリスト教国の間で「発見」を基準として調整するという権原の規律形式が想定された(「正戦論的領域法」)。

しかし、領域支配という権原の物的基盤の伴わない宗教的権威に基づいた規律方式〔=教皇の勅書と「発見」〕は、やがて実際の領域支配をその基盤とする「原始取得の法理」に対抗されることになる。原始取得の法理を主張するGrotiusらは、植民地における現実支配に領域権原を根拠づけた(「無主地先占」)。これは、領域支配という具体的な事実〔=権原の物的基盤〕に領域権原を係らしめる規律形式である。土地は最大限利用されなければならないということを規範的命題として、領域支配に権原を認めることによってその命題が実現されるという正当化論理〔=権原の正当化(型)基盤〕が、無主地先占による権原を支えるのである。

やがて、1884-5年のベルリン会議に顕著に現れるように、文明国のみが領域をより良く支配することが可能であるとしてヨーロッパ列強は非ヨーロッパの国家領域の多くを「主がいない土地」として単なる財へと客体化していくことになる(「領域のドミニウム的把握」)。権原の基盤をめぐる論争は後景に退き、領域取得の議論の中心は植民地を取得する態様である〈様式〉と〈様式による権原〉の根拠づけに移行する。文明国水準によって「無主地」かどうかを決定して、領域権原を得るに値する態様(先占・割譲・時効・添付・征服の5様式)に合致するかを形式的に判断する様式論における領域関係の規制方式は、19世紀後半に興隆する「法実証主義」に適したものでもあった。こうして〈領域法〉は、宗教的権威と世俗的権威の対抗関係ならびに植民地経営の目的の変化という領域をめぐる国際関係の変動、法実証主義の隆盛に伴う変革の要請を受け、「正戦論的領域法」から原始取得の法理を前提とする「様式論」へと遷移したのである。

第2章は、新たな領域法体系と称される「主権の表示」アプローチおよび「歴史的凝縮」概念の意義と影響を、1928年パルマス島仲裁をはじめとする19世紀末から20世紀半ばまでの国際判決および学説の広範かつ精緻な渉猟によって考察したものである。

通説とされる「様式論」は、実際の運用には明確さに欠き、また、「権原を有さない非文明国」とされる先住民との協定を説明することができない。このため、様式論は少なくとも紛争解決の局面において適用されることはなかった。様式論の問題を認識していたHuberは、仲裁人として、1928年パルマス島仲裁において「主権の表示」アプローチを提示する。

「主権の表示」アプローチの意義は、「継続的かつ平穏な主権の表示は権原に値する」というパルマス定式に集約されており、それは、「様式」という媒介なしに、領域の実効的支配〔=主権の表示〕から権原を導き出す規律形式である。「主権の表示」アプローチは、他国との関係も含めて当該領域に最も適した主権の行使のあり方を実態的に考慮し、主権の行使の継続という動態的な側面に着目する。同アプローチが、「主権の表示」を「権原」として認める基盤は、主権国家がそれぞれの領域を実効的に統治することによって「国際法の守護する最低限の保護」を地球上に行き渉らせるという国際社会の価値の実現に関わる命題から成り立っている〔=正当化(型)基盤〕。これは、「主権の表示」として認められる領域支配〔=物的基盤〕によって国際社会の価値の実現が可能になることを意味する。

パルマス定式を反映した「歴史的凝縮」概念(de Visscher)もまた、領域をめぐる利害や関係が複合して歴史的に権原を形成する過程そのものに着目した。これらは、法実証主義や法学の自律性を確保しようとする立場を批判し、形式や体系よりも国際関係の実態を捉えようとする国際法における法社会学的アプローチの影響下にある領域法といえる。

第3章では、脱植民地化時代におけるUti Possidetis原則の領域法的意義を、1980年代以降の7つの国際裁判判決論理から克明に位置づけることがなされた。

1980年代以降の旧植民地国家の領域紛争においてUti Possidetis原則が適用法規として参照され、この原則が適用される範囲内では主権の表示アプローチが排除された。そこでは、独立時の旧行政区画線および国境線〔=Uti Possidetis線〕がそのまま国境線となり、Uti Possidetis線の中で権原は「主権の表示」とは関連のない独立時の法的な行政区画線に「凍結」されるという判断がなされるのである(ICJブルキナファソ=マリ事件)。

このように、Uti Possidetis原則が実際の領域支配とは関わりなく領域関係を確定させるのは、ようやく独立を達成した新生国家が国家領域の隅々まで主権を実効的に及ぼすまでには相当の時間がかかり、そのことから生じる領域統治の不安定性や、他国との摩擦、国際紛争・内紛の発生を危惧したためである。独立を危うくしかねない不安定要素を甘受してまで「主権の表示」の確立を悠長に待つのではなく、Uti Possidetis線にしたがった領域関係の確定を急ぐことが「賢明な解決」であると国際社会および独立国家自身が決断したのである。すなわち、Uti Possidetis原則は、領域支配の実態〔=物的基盤〕を敢えて問わないことによって、安定した植民地独立を遂げ人民の自決を達成することを領域権原の正当化(型)基盤として提示したのである。

もっとも、Uti Possidetis 原則はそれ自体で自明な国境線を画定できるわけではない。そこでeffectivitesという概念が導入されることになる。effectivitesが指し示す内容は実効的な行政行為であり、「主権の表示」アプローチにおいて求められる権原の物的基盤の内容と同一である。ただしその機能は、Uti Possidetis原則の枠内においてUti Possidetis線を示す〈証拠〉としての機能に限定される。しかしながら、effectivitesの概念は一度導入されるや次第に一人歩きを始め、effectivitesが領域権原あるいは領域主権を附与するものとして扱われる例が生じる。このように扱われる場合、effectivitesは「主権の表示」や「歴史的凝縮」の単なる言い換えに過ぎない。このような〈源〉としてのeffectivitesへの読替え、ならびに、〈証拠としてのeffectivites〉への参照が示すものは、領域関係の規律ならびに領域権原概念は、形式的な判断だけでは成り立たず、物的基盤を否応なく考慮せざるを得ないという傾向である。

権原概念およびその正当化(型)基盤という枠組は、領域支配の正当化根拠の精緻な分析を可能にするのみならず、領域支配の実効性の内実と意義を規制する機能を果たしていたことが本稿の領域権原概念の変遷の検討から示された。あらゆる領域支配の実効性が正当性を支える〈権原の物的基盤〉となるわけではなく、特定の領域の実効的支配が権原を支える物的基盤であると正当化する論理、すなわち、〈権原の正当化(型)基盤〉によって権原が支えられているのであり、この〈正当化(型)基盤〉の示す論理に基づいて、どのような実効的支配が権原の基盤となるのかが逆に規制されるのである。原始取得の法理において、権原の基盤となり得る領域支配とは、土地の最大限の利用を可能とするものに限定されるのであり、「主権の表示」アプローチにおいても、「国際法の守護する最低限の保護」を可能とする「主権の表示」だけが権原に値するのである。また、権原の物的基盤として認められない単なる〈領域支配の実効性〉は、権原という〈領域支配の正当性〉と対立することになる。

もっとも、〈領域法〉や〈領域権原論〉の分析から、国際法主体性の問題や自決原則の態様、武力行使禁止原則などの権原を正当化する命題や論理を導き出すことはできない。本稿の限界はここに存在する。しかしながら、限定された射程においてもなお、〈領域権原〉概念は、領域支配の実効性と正当性の関係を精緻に分析することを可能にし、領域支配の法的規律を動態的に捉えながらも、領域支配の実態に埋もれることなく、領域支配における「正しさ」や「賢慮」を国際法学に取り入れ、それを固着させる役割を担う。領域権原概念とその基盤を批判的に精査し続ける学究的営みは、国際社会のあるべき秩序像、領域支配における「正しさ」、主権国家が果たすべき役割、さらには国家領域に住む我々の生活そのものに関わるものである。

審査要旨 要旨を表示する

1.本論文は、国際法の基本である領域法とその中核をなす領域権原論の変遷を跡づけるに際し、領域権原を支える基盤をさらに、現実の領域支配たる物的基盤と、基盤でありながらそれ自身正当化の文脈を含む正当化型基盤の二つに区別し、それを通じて、現代における領域権原概念の意義と機能を再構成しようとしたものである。「序」において本論文で用いられる概念装置について説明がなされた後、第1章では、グロティウスから実証主義国際法学説における様式論の定着に至る領域法の変化、第2章では、「主権表示」アプローチおよび「権原の凝縮」概念の通説化の意味、第3章では、植民地独立過程における現状承認原則(uti possidetis)の適用事例におけるeffectivite概念の用法の変化を扱い、「結び」では将来の領域秩序の展望を語っている。

2.以下は本論文の要旨である。

まず第1章では、領域法の歴史がパルマス定式以前の議論の状況が、それをめぐるものとしてのベルリン議定書の起草過程における議論などを通じて裏付けられる。「新世界の発見」とその植民地化に際して、ヨーロッパではまず全世界が神に属することを基盤に、異教徒の土地に対する教皇の管轄権が観念され、領域の取得は専ら権威付けの論法により正当化された。しかしながらやがてこれは現実の領域支配を基礎とする「原始取得の法理」によって対抗されるようになる。Grotiusは占有概念を用いて領域支配という具体的な事実によって領域権原を根拠づけたが、それは「土地は最大限利用されなければならない」という正当化の論理によって支えられたものであった。こうして、領域権原は権威付けの論法を離れ、発見から占有へと具体的な基盤を必要とするものに変わっていった。但しそれは、結局のところベルリン会議に顕著に現れるように、「文明国のみが領域をよりよく支配することができる」という正当化の論理に置きかえられるようになり、それゆえ非文明に属する非ヨーロッパは「主のいない土地」、すなわち単なる財へと客体化される(領域のドミニウム的把握)。これは権原の基盤をめぐる議論をある意味で後退させ、領域法論の中心は私法における所有権取得の態様をやや形式的に借りる議論(いわゆる「様式論」)に移行する。文明国水準によって無主地かどうかが確定され、領域権原を得るに値する態様がとられたかどうかを形式的に判断するこの様式論は、19世紀後半に興隆する法実証主義とも強い親和性を持つものであった。

第2章では、19世紀末から20世紀にかけて、新たな領域法体系と称される「主権の表示」アプローチおよび「歴史的凝縮」概念の導入過程が、国際判例および学説の広範かつ精緻な検討を通じて明らかにされる。様式論はヨーロッパ列強によるアフリカの植民地取得を説明するには実際的な明確さを欠くだけでなく、また現実に多くの植民が「権原を有さない非文明国」であるはずの先住民の政治組織との間の協定を通じてなされたことを説明できないという欠点をもっていた。様式論のもつこの問題性を認識していたHuberは、パルマス島事件の裁定において、「様式」という媒介なしに、領有権原を導き出すために「主権の表示」アプローチを提示した。「継続かつ平穏な主権の表示は権原に値する」。それは他国との関係を含めて当該領域に最も適した主権の行使のあり方を選び取るために、主権の行使の継続という動態的な側面に着目する。このアプローチが「主権の表示」を「権原に値する」ものとする根拠は、主権国家がそれぞれの領域を実効的に統治することが、「国際法の守護する最低限の保護」を地球上に行き渡らせることになるということにある。主権の表示が地球上に最低限の保護を行き渡らせることと結びつけられることによって、国際社会の価値の実現に至る動的な過程として正当化されるのである。ここにおいて「主権の表示」として認められる領域支配の物的基盤は正当化の基盤を提供することになる。パルマス定式を反映した「凝縮」(DeVisscher)の概念もまた、領域を巡る様々な複合的な利害関係が権原を形成する動的過程に着目する概念である。こうした動的な概念は、法実証主義的な様式論の自立性を確保しようとする立場への強い批判を含むものであり、形式や体系よりも国際関係の実態を踏まえて国家と領域の関係を捉えようとする法社会学的領域法ともいえる。

第3章では、脱植民地化過程を規律する現状承認(uti possidetis) 原則の領域法の歴史的展開における意義を、1980年代以降の7つの国際裁判判決の論理から位置づけている。旧植民地諸国間の領有権および領域画定を巡る紛争において現状承認原則が適用される限りで、主権の表示アプローチは排除される。そこでは独立時の旧行政区画線および植民地境界線(uti possidetis線)がそのまま独立後の国境として凍結され国際化される。新独立国は独立時にその境界内を実効的に支配しているとは限らず、多くの場合においてそうでないために紛争が生じるのである。その意味で権原に値する主権の表示はない。現状承認原則は、独立を危うくさせる不安定要素を排除し、実効支配の欠如をもって無主地を主張する国が現れるのを封殺し、独立主体に国家形成の物的基盤たる領域を約束するものである。つまり現状承認原則は、領域支配の実態(=物的基盤の確立)を問わないことによって、特定人民による植民地独立を領域権原の正当化基盤とするものである。もっとも裁判所は、現状承認原則の適用にあたり、effectiviteの概念を用いざるをえない。uti possidetis 線の位置を巡る紛争を解決するためである。裁判所が用いるeffectivite概念の内容は実効的な行政権力の行使であり、その限りで「主権の表示」アプローチにおける権原の物的基盤と同じである。しかしそれはそれ自体が「権原に値する」のではなく、あくまでuti possidetis 線を示す証拠としての機能に止まるはずである(ブルキナファソ/マリ事件)。しかし裁判所の判決のなかでは、これとは異なる用法が用いられる場合もある。一度effectivite概念が導入されると、やがてそれは一人歩きをはじめ、やがてそれ自体が領域権原を付与するものとして扱われるというように、概念の用法に変容が生じているのである。変容されたeffectivite概念は、「主権の表示」や「歴史的凝縮」の単なる言い換えにすぎなくなる。それは現状承認原則の適用という文脈においても、やはり権原の物的基盤を考慮せざるを得ないことを示している。現状承認原則は第三者の実効支配による領域取得を排除する。そしてその限りでは領域権原の正当化の基盤を維持する。しかし、直接の関係当事国間では、紛争を有効に処理する基準に常になるわけではなく、場合により、effectiviteそのものを権原の根拠とするのでなければ当面の紛争を解決することすら出来なくなる。裁判所が用いる異なるeffectivite概念の混在は、そこから生じるものであり、そこには領域権原の概念における実効性と正当性との間の揺れが反映されている。それはちょうど、宗教的権威に基づく領域権原の克服から「主権の表示」「歴史的凝縮」に至る領域法の系統発生的な展開における正当性と実効性との間のジレンマが、現状承認原則の個体発生の中で繰り返されているようにも見える。それは領域性原理によって立つ国際法の解決されざる永遠の課題である。

3.本論文の評価を次に述べる。

本論文の長所としては次の諸点があげられる。

第1に、本論文は国際法における領域法の歴史的発展の流れを、とくに領域権原における正当性(正当化の基盤)と支配の実効性(物的基盤)の交錯に着目して大きく捉え、そのうえで、20世紀初頭から現代にいたる国際裁判所の諸判決における領域法の諸概念の意義や用法を、それぞれの歴史的状況をふまえつつ確定する作業を行っており、この点において本論文は成功を収めていると評価できる。

第2に、第1の長所は、いわゆるパルマス定式を様式論との断絶としてとらえる国際法学説の通説への方法的批判にも繋がる。著者はパルマス定式における実効支配や現代領域法において多用されるeffectivite概念を判例研究として詳細に分析することを通じて、こうした通説的理解の誤りを指摘する。つまり、従来の領域法の研究がその規律形式や実際の紛争解決事例にのみ着目して領域支配の相対的重みを重視するため、その規律形式がそれぞれの時代に受容される際に用いられる正当化の論理や、それを支える同時代における社会的・政治的基盤と関係づける視点を欠如させることになったと批判する。本論文は、質の高い裁判判決の実証的研究であるとともに、全体として一つの筋の通った理論的研究でもある。

第3に、植民地独立後の領域紛争に関する国際裁判所による紛争解決事例の実証的研究は、それ自体で、現代の領域法の内容を批判的に明らかにした判例研究として、世界的にも類例の少ない独創性のある研究といえる。とりわけ裁判所によるeffectivite概念の用法の多様性ないし混乱を指摘し、これを領域法全体の歴史的展開と関連づけて考察したことの学問的な意義は大きい。

第4に、判例についての実証的な研究を進めるにあたり、容易に手に入らないパルマス島事件における当事者の弁論資料を探し出して検討し、またブルキナファソ/マリ国境紛争の未公表の裁判資料などをも参照したりするなど、本論文はその実証性を高める困難な努力によって裏打ちされており、その点でも著者の旺盛な研究意欲と実証主義的な精神を伺うことができる。とりわけ資料のテクストに丹念に沿って正当化の論法を微細に分析する際の精度は全く独自なものである。

もちろん本論文にも問題がないわけではない。

第1に、なぜ領域権原を正当化するときに、別途、基盤なるものが観念されるのか、そこに占有概念が使われたことの功罪、ひいては私法モデル適用のメリットと限界等、基礎的な問題に関して19世紀以前についての若干の研究が加われば、一層厚みのある内容となったであろう。主権成立期におけるヨーロッパ思想のなかでの国家と領域との関係の思想史的な裏付けや、植民地法制の正当化が逆輸入されてヨーロッパの国際関係にとのような影響を及ぼしたかなども、興味深い論点である。

第2に、国際裁判所の紛争解決事例がアフリカにおける領有権および領域画定をめぐる紛争事例に偏っていることもあり、分析がアフリカの植民地独立の文脈における領域法の概念に止まっている。理論的研究としての質をより一般性をもったものとするためには、例えばアジアの独立過程や冷戦崩壊過程における国家の分裂・消長・再編など、現代の領域法のよりヴィヴィッドな問題、さらにはヨーロッパ統合における国家と領域の関係などにも論文の射程を伸ばすことが求められる。

しかし以上のような問題点は、本論文の価値を損なうものではない。本論文の問題点として指摘したことは、いずれもそれ自体で独立の論文のテーマになりうるものであり、本論文の中でその本格的な分析を期待することは望蜀の感がある。本論文の長所として指摘したことは、それだけで学界に大きな貢献をなすものであり、とくに優秀な論文と認められる。

以上から、本委員会は、本論文が博士(法学)の学位を授与するに相応しいものであると評価するものである。

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