学位論文要旨



No 122952
著者(漢字) 大澤,彩
著者(英字)
著者(カナ) オオサワ,アヤ
標題(和) 不当条項規制の構造と展開 : フランス法との比較から
標題(洋)
報告番号 122952
報告番号 甲22952
学位授与日 2007.09.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第209号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣瀬,久和
 東京大学 教授 大村,敦志
 東京大学 教授 高田,裕成
 東京大学 教授 荒木,尚志
 東京大学 教授 川出,良枝
内容要旨 要旨を表示する

近年の契約法における議論の重要な一部を構成しているものとして、消費者契約における不当条項の問題をあげることができる。その背景には大学学納金不返還特約等の契約条項をめぐるトラブルの増加がある。

不当条項の問題については、2000年に成立した消費者契約法8条から10条で不当条項に関する規定が設けられたことによって、立法による問題の解決がなされることとなった。同法制定以降も、同法によって不当な条項を無効とする裁判例が頻出し、学説でも消費者契約法に関する裁判例の検討を中心とした不当条項規制論が展開されている。それらの学説の議論は、消費者契約法の規定解釈のあり方のみならず、団体訴訟制度の活用可能性など規制方法のあり方にまで及んでいる。しかし、消費者契約法についての個別の問題点・解決策の指摘を超えた、不当条項規制全体の包括的検討がなされるには至っていない。多くの裁判例や議論を踏まえつつ不当条項規制を発展させる余地が残されている今こそ、我が国の不当条項規制にどのような問題が残されているのか、また、今後どのような問題が生じうるのか、それらの問題をどのように解決すべきかについて包括的な検討を行うことが必要なのではないだろうか。

本稿はまず第1章、第2章で、まず、消費者契約法制定後現在まで、同法を中心とした不当条項規制はどのような状況であるかという「現在」を把握し、現在の日本の不当条項規制の特徴及び問題点を導いた。また、消費者契約法制定前に活発に行われたこれまでの日本の不当条項規制論という「過去」を検討し、それが現在の消費者契約法を中心とする不当条項規制に与えている影響、および今後の不当条項規制論を構築する上でヒントとなるものを検討した。具体的には以下に掲げる不当条項規制の基準、対象、方法の3点である。

第1に、規制基準については、消費者契約法8条、9条のいわゆる不当条項リストを定めた規定が、立証責任が不明であること、契約の性質決定等の点で事案によって判断が分かれる可能性があることから、具体的な不当条項リストとしての役割を果たしていないという問題点がある。一般条項である10条についても「任意規定」という限定の存在ゆえ、裁判例において無効とされる場合が限定されていることや、「信義則」という文言をそのまま残したことで民法との違いがあるのかという疑問を提起できる。これらの規制基準についての問題に共通する問題点として、消費者契約法が規定の「明確さ」を追求するあまり、様々な「限定」を付したことで、規定の射程が限定され、また、裁判官の裁量にゆだねられる点が多いことでかえって規制基準が「不明確」になっているという点を指摘することができ、これによって消費者契約法による規制と民法による規制との違いが改めて問題となる。

第2に、規制対象については、「消費者」を保護の対象とした立法による不当条項規制の是非自体が問題になる。その際、「契約の主要目的や価格に関する条項」や「個別交渉を経た条項」を対象とするか否かもふまえて、「特別法による不当条項規制がなされる範囲をどのように限定するか」を民法による規制範囲との関係も視野に入れて検討する。

第3に、規制方法については、不当条項リストの作成主体の候補として考えられる行政のあり方や、最近成立した消費者団体訴訟制度の活用可能性など、「誰がどのような方法で不当条項規制を行うか」という点を問題としたい。その際、これらの規制方法の可能性と、民法による規制との関係についても念頭に置いた検討が必要である。

以上の3つの視点をふまえた不当条項規制の包括的な検討にあたって、本稿は、日本と同じく消費者保護を目的とした特別法による不当条項規制が行われているフランス法と比較した。フランスでは1978年法による不当条項規制が開始されてからの約30年間、立法やデクレによる補足、破毀院による解釈、不当条項委員会という不当条項規制を専門とした機関の活躍によって不当条項規制システムが発展・構築されてきた。また、私法体系における「濫用」法理と関連させた議論が見られるフランスの議論は、日本の不当条項規制の今後の展望を、規制の具体的方法という技術的側面のみならず、民法理論との関係という原理的側面から検討することに資するものであった。

具体的には、第3章でフランスにおける不当条項規制の歴史的流れ、および第4章でフランスの不当条項規制の契約法における意味、とりわけ、不当条項規制の背景にあるとされている「濫用」法理と不当条項規制との関係について検討した。それによると、フランスでは「濫用」法理が、立法によって基準、方法ともに出来るだけ明確かつ客観的に具体化されることによって、不当条項によって当事者間に生じる著しい不均衡を是正するための不当条項規制が活発に行われてきたとまとめることができる。背景にある「濫用」法理が当事者間の不均衡を問題にするものであることから、当事者間の対等を前提とした民法典ではなく、当事者間の不均衡を是正することを目的とした消費法によって規制されている点、および、当事者間の不均衡を明文で反映した基準を設け、また消費者保護のために事後規制のみならず事前規制が可能になっている点には、不当条項規制の背景にある「濫用」法理の考え方と整合性がとれたものであった。具体的には、次のように言うことができる。

第1に、規制基準が1978年法の「経済力の濫用」や「過度の利益」から、1995年法の「著しい不均衡」に変更された点は、「濫用」法理の客観化とパラレルに考えることができると思われる。すなわち、当事者の行為態様についての評価を要する「経済力の濫用」という要件がなくなり、「著しい不均衡」という結果を重視する姿勢は、フォートという当事者の行為態様についての評価ではなく「不均衡」などの結果によって「濫用」の有無を判断する近年の契約法の態度と同様のものであると言うことができる。フランス法が「信義誠実」を濫用性の基準としなかったのは、「信義誠実」が行為者の誠実さという主観的側面を多分に残したものである概念であるからであったが、この点にも基準を結果という客観的要素によって設けようという態度が表れている。また、このような基準の客観化の流れの中、裁判官による規制も盛んとなり、その一方で、消費者団体訴訴訟制度など「事前規制」を可能にする規制方法も確立した。このように、「事後規制」のみならず「事前規制」も可能な、「拡大された」不当条項システムが形成されていた。

第2に、もっとも「濫用」という概念に主観的な判断の余地が残ることは避けられない。そこで、このような主観的判断の入る余地をなるべく限定し、かつ明確にするために、規制基準としては不当条項リストや不当条項委員会の勧告が重視され、また規制の対象である「消費者」概念もきわめて厳格に解されていた。ここには、「濫用」法理に依然として残る主観的要素とその結果生じる規制の曖昧さをできるだけ防ぐべきであるという考え方を見ることができ、それによってフランスの不当条項規制に「限定された側面」があることがわかる。

以上の日仏比較研究から、次の3つのレベルでの示唆を得た。

第1に、規制基準のうち一般条項については、不当条項規制で重視されるべきは、「濫用」によって生じる「結果」としての不当条項を規制する必要性であり、そのことから、「濫用」や「信義誠実」という主観的な要素を想起させる「法理」を直接の「基準」とすることは避けるべきであり、具体的な「基準」として、「過度の利益」などのより客観的な結果を設けるべきであることを導いた。ただし、一般条項の文言の明確さには限界があることから、具体的な不当条項リストとの併用が必要である。その際、ブラック・リストだけではなく、政令やガイドラインで個別業種ごとの「参考になる指示的なリスト」を設けることが考えられる。また、消費者契約法という特別法を形成している法理を探究することが、一般法における「信義則」や「濫用」、「公序良俗」といった法理を発展させる上でも重要である。

第2に、規制対象については、「消費者」を規制のメルクマールとする立法は不当条項規制を支える考え方とも合致するものであり、その際に規制の範囲を明確にするためには厳格な「消費者」概念によることが必要であることを導いた。「事業者の濫用によって生じる当事者間の不均衡をもたらす不当条項を規制する」という考え方が妥当する場面の多くは一方当事者が「消費者」である場合だからである。「消費者」の範囲が限定されるのは、特別法による強力な保護を与える範囲を明確にするためである。

第3に、規制方法については、裁判官のみならず行政など多様な主体による規制によって不当条項の事前規制が可能になることは、不当条項規制にとって大きな意味があること、特に、事前規制および集団的規制を行う際に、行政規制や消費者団体訴訟制度の果たす役割が重要であることを導いた。また、日本が消費者契約法という特別法による不当条項規制をスタートさせたこと自体には一定の意義があり、今後、法改正、裁判例の出現、さらには本稿が触れたような行政の役割も踏まえた上で規制システムが発展する可能性をひめているのではないかという示唆を得た。さらに、特別法と民法の「相互のフィードバック」が、今後日本においても予想されることも指摘した。

本稿は契約法の問題のうち、不当条項規制という契約の内容規制の一端について、規制の理論的仕組みおよび方法論という観点から検討を行ってきた。本稿の検討をもとに契約法がかかえる様々なレベルでの問題点について検討していくことがこれからの課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、消費者契約法制定後の不当条項規制のあり方という現下の重要問題に正面から取り組み、日本法および比較の対象に選ばれたフランス法における議論を包括的に検討したものである。

本論文の長所として次の諸点を挙げることができる。

第一に、本論文はこれまでの研究の欠けていた部分を大幅に補完するものである。日本法については、1980年代までを対象とする学説史的研究が既に存在するが、消費者契約法の制定過程を含めて本格的に検討したものは少ない。本論文は、最近までの議論の全貌を示したものとして価値を持つ。またフランス法に関しては折々の立法の紹介はされてきたものの総合的な比較研究は殆んど無かったため、最近30年のフランス法制の発展を詳細に紹介・検討する本論文の試みはそれ自体学界に少なからざる貢献をもたらすものである。

フランスでは、当初、消費者取引に限り、かつ、特定の「不当条項(濫用的条項)clauses abusives」を規制対象とする特別法が制定されたが、その後、この特別法の適用範囲の拡大が図られるとともに、民法が適用される場合にも「濫用abus」の法理が参照された。本論文は、適用対象の限定が、このような法発展を支える一つの要因となったことをよく示している。日本でも、ごく最近になって消費者契約法の見直し作業がはじまったが、本論文は、今後も行われるであろう同法の立法論的な再検討の際に、フランス法の状況を示す重要な基礎資料の一つとして参照されることになるだろう。また、結論部分において導かれたいくつかの示唆も、法改正にあたっての採否は別として、ありうる方向性を示すものとして参酌されるだろう。

第二に、本論文においては、裁判所における事後的な規制のみならず、行政や消費者団体を担い手とする事前的な規制も検討対象とされており、不当条項に対する多様な規制システムの全体像が提示されている。また、いったん立法がなされた後も、それを前提に判例・学説による法形成がなされていく過程がフォローされており、規制システムの変化の様子が適切に捉えられている。以上の二つの面において視野の広い研究であり、領域横断的でかつ流動性の高い法領域である消費者法の分野において生ずる問題に取り組む際の一つのアプローチを示したものであるといえる。

第三に、消費者法と民法、より一般化するならば特別法と一般法の関係について、一つの見方が示されている。すなわち、民法の一般法理ないしはその発展を具体化・特定化するために特別法が立法されるが、そのようにして立法された特別法が翻って民法の法理に影響を及ぼす経緯が示され、そうした相互関係を意識しつつ特別法を立法すること、一般法を解釈することが必要であるとの指摘がなされている。一般論としては必ずしも珍しい指摘ではないが、具体的な実例に即したものとして一定の説得力を持つ指摘になっていると言える。

もちろん、本論文にも短所が見られないわけではない。

まず第一に、消費者契約法が立法されたことを所与の前提として、不当条項規制のシステムのあり方が論じられているために、これとは異なる規制システムや民法の個別法理を用いた不当条項規制に関する検討が視野の外に置かれている。本論文の課題設定からするとやむを得ないことではあるが、これらの問題についても、たとえば主要な研究動向を取りあげて本論文の立場との関連づけを行うなど、もう一歩踏み込んだ叙述があれば、さらに包括的な研究となったと思われる。

第二に、事後規制と事前規制、あるいは、規制基準・規制対象・規制方法の相互関係に関する説明が必ずしも十分でなく、やや羅列的な印象を与える。たとえば、裁判所の役割に対する見方との関連や「濫用」の法理の規制根拠としての側面をより意識的に取り出したならば、フランス法のシステムの特徴をさらに明確に示すことができたかもしれない。

しかし、以上のような欠点は本論文の価値を大きく損なうものではない。不当条項規制に関してフランス法に着目するものは少なかったが、本論文は、この研究上の欠落を埋めるものであると同時に、民法と消費者法の双方にまたがる問題についての研究の一つのあり方を示すものでもある。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度の研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、博士(法学)の学位を授与するに相応しいものであると判定する。

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