学位論文要旨



No 122954
著者(漢字) 坂本,毅治
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,タケハル
標題(和) マクロファージにおける膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1(MT1-MMP)の浸潤およびエネルギー産生制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 122954
報告番号 甲22954
学位授与日 2007.09.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2963号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 教授 古川,洋一
 財団法人癌研究会癌研究所東京大学医科学研究所連携部門 教授 中村,卓郎
内容要旨 要旨を表示する

単球・マクロファージは炎症反応において非常に重要な役割を果たしている自然免疫系の細胞である。血流中から炎症部位に到達するために、単球・マクロファージは細胞外基質(ECM)のバリアを分解すると同時に、炎症部位近傍での低酸素環境下で運動に必要なエネルギーを産生しなければならない。ECMの分解にはマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)が重要な役割を果たしていることが研究されており、一方単球・マクロファージは運動のためのエネルギー産生に低酸素応答性転写因子Hypoxia inducible factor-1 (HIF-1)によって制御される嫌気的解糖系を通常酸素分圧下でも利用していることがそれぞれ研究されている。しかし、この二つの局面がマクロファージが浸潤する際にどのように協調的に制御されているかはほとんど明らかになっていない。本研究では、マクロファージにおいて浸潤装置として知られている膜型プロテアーゼであるMT1-MMPが嫌気的解糖系を介してATP産生を促進することを新たに見いだした。

まず、マウスを用いた炎症反応実験により、MT1-MMP欠損マウスでは野生型マウスに比べて炎症部位へのマクロファージの浸潤が低下していることが明らかとなった。マウス骨髄細胞由来のマクロファージを用いた実験により、MT1-MMP欠損マクロファージがプロテアーゼ活性が必要な再構成基底膜(マトリゲル)への浸潤能だけでなく、プロテアーゼ活性を必要としないケモカインMCP-1に対する運動能(ケモタキシス)にも異常を呈することが明らかとなった。さらなる解析の結果、MT1-MMP欠損マクロファージの運動能低下の原因は、解糖系関連遺伝子の発現低下によるATP産生の低下であることが分かった。嫌気的解糖系関連遺伝子の発現は転写因子HIF-1によって制御される。HIF-1はタンパク量による調節と転写共役因子との結合活性でその機能が制御されているので、MT1-MMP欠損マクロファージの核タンパク中のHIF-1のタンパク量およびHIF-1に結合している転写共役因子p300/CBPを測定した。その結果、HIF-1のタンパク量には異常がなく、p300/CBP結合量に低下がみられた。また、p300/CBPと結合するHIF-1α のC末端転写活性ドメイン(CAD)の転写活性をHEK293細胞を用いたレポーターアッセイで解析したところ、MT1-MMPの細胞内領域 (CP) 依存的にCADの転写活性が上昇することが明らかとなった。CADの転写活性を抑制する因子としてfactor inhibiting HIF-1 (FIH-1)が知られているので、RNAiによりHEK293細胞のFIH-1の発現量を低下させたところ、MT1-MMPによるCADの活性化が見られなくなり、またMT1-MMP欠損マクロファージのFIH-1発現量をRNAiで低下させたところATP量が野生型と変わらなくなった。このことから、MT1-MMPによるHIF-1の活性化はFIH-1を介したものであることが明らかとなった。さらにpull-down アッセイによる解析の結果、MT1-MMPのCPがFIH-1とin vitroで直接結合し、レポーターアッセイでCADを活性化しないCP14 R/A変異体はFIH-1と結合しなかったことから、MT1-MMPのCPとFIH-1が結合することがHIF-1の活性化に必要である事が明らかとなった。続いてMT1-MMPによるFIH-1抑制のメカニズムを解明するため、Yeast-two-hybrid法および免疫沈降法を用いてFIH-1の新規結合因子のスクリーニングを行った。その結果、FIH-1の新規結合因子としてAPBA3/Mint3を同定した。Pull-downアッセイによりAPBA3のN末端領域がFIH-1と結合してFIH-1とHIF-1α CADとの結合を競合的に阻害する事、またレポーターアッセイによりAPBA3がFIH-1存在下でHIF-1α CADの転写活性を上昇させることが明らかとなり、APBA3がFIH-1の阻害因子であることが明らかとなった。そこでAPBA3をその機能に基づいてinhibitor of FIH-1 (iFIH) と呼ぶ事を提唱した。RNAiを用いた実験により、iFIHはMT1-MMPによるHIF-1α CADの活性化およびマクロファージでのATP産生の促進に必須であることがわかり、またiFIHとMT1-MMPが協調的にHIF-1α CADの活性化をするにはiFIHが膜画分に局在することが重要な事が明らかとなった。さらに免疫沈降実験の結果から、MT1-MMPがCP依存的にFIH-1とiFIHの複合体形成を促進することが明らかとなり、MT1-MMPによるHIF-1の活性化のメカニズムが明らかとなった。また、免疫細胞染色法による解析の結果、MT1-MMP欠損マクロファージではFIH-1は細胞質に一様に存在したが、野生型マクロファージではFIH-1は核近傍に濃縮し、iFIHと共局在することが明らかとなり、この結果は免疫沈降での結果と合致するものであった。

以上の結果から、MT1-MMPというひとつの分子がECM分解と運動のためのエネルギー産生を協調的に制御することで浸潤という細胞機能を効率よく制御していることが明らかとなった。本研究ではMT1-MMPが細胞内領域依存的にFIH-1-iFIHの結合を促進することを明らかにしたが、この過程がどのように時空間的に制御されているか、他の分子との関係性も含めて今後解析を進める必要がある。また、MT1-MMPによるHIF-1αの活性化がマクロファージのエネルギー産生の亢進以外のどういった生命現象に結びつくかについても研究を進める必要がある。本研究により、少なくともマクロファージにおいてはMT1-MMPが浸潤装置としてだけでなくエネルギー産生のスイッチとして使用されていることが新たに明らかとなった。MT1-MMPはマクロファージが関わるような炎症性疾患において新たな治療標的になるかもしれない。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は膜型の細胞外基質分解酵素であるMT1-MMPがどのようにマクロファージの浸潤に関与しているかを明らかにするため、MT1-MMP欠損マウスを用いた炎症実験及びマウス骨髄細胞由来マクロファージを用いた浸潤能、運動能の解析を試み、またプロテアーゼ活性に依存しないマクロファージの運動能にMT1-MMPがどのような分子メカニズムで関与しているかについて解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.TPA誘導耳急性炎症モデルにおいてMT1-MMP欠損マウスでは野生型マウスに比べて炎症部位へのマクロファージの流入が低下していることを確認した。続いてマクロファージの浸潤能および運動能を解析した結果、MT1-MMP欠損マクロファージはプロテアーゼ活性の必要な浸潤能だけでなく、プロテアーゼ活性を必要としない運動能も低下していることが明らかとなった。さらなる解析の結果、MT1-MMP欠損マクロファージは細胞のエネルギー源であるATP量が低下しており、運動能以外にもラテックスビーズの貪食能、LPS応答性TNF-α産生能も低下している事が明らかとなった。

2.解糖系阻害剤を添加した際のATP量の解析、および嫌気的解糖系最終代謝産物である乳酸の産生量の解析からMT1-MMP欠損マクロファージは嫌気的解糖系に機能異常があることが示された。嫌気的解糖系は転写因子HIF-1によって制御されることが知られているので、HIF-1の標的遺伝子GLUT-1, PGK-1, VEGFのmRNA量を定量PCRで測定したところ、MT1-MMP欠損マクロファージで各遺伝子の発現低下が見られた。HIF-1の制御サブユニットであるHIF-1αがMT1-MMP欠損マクロファージでどのように制御されているかをELISA法で解析した結果、野生型と比べてHIF-1αのタンパク量には差がないが、転写共役因子p300/CBPとの結合が低下していることが明らかとなった。このことからMT1-MMPはHIF-1αの転写活性に影響を与える事が示唆された。

3.HEK293細胞を用いてHIF-1αの転写活性をレポーターアッセイで解析した結果、MT1-MMPの細胞内領域がHIF-1αの活性化に必要であることが明らかとなった。同様にMT1-MMPによるマクロファージのATP産生および運動能の亢進にも細胞内領域が必要であることが示された。続いてMT1-MMPの細胞内領域の欠損変異体およびアラニン置換体を用いてレポーターアッセイを行った結果、細胞内領域の14番目のアルギニンをアラニンに置換したR/A置換体はHIF-1αを活性化しないことが明らかとなった。さらに、HIF-1αの転写活性を負に制御する因子であるFIH-1とMT1-MMPとの関係をFIH-1ノックダウンHEK293細胞を用いてレポーターアッセイで解析した結果、MT1-MMPはFIH-1依存的にHIF-1αを活性化していることが明らかとなった。またマクロファージのFIH-1をRNAi法でノックダウンした結果、MT1-MMP欠損マクロファージは野生型マクロファージと同程度にまでATP量が回復した。さらにGST pull-down assay を行った結果、in vitroでMT1-MMPの細胞内領域はFIH-1と直接結合し、上述のR/A変異体はFIH-1と結合しないことから、MT1-MMPの細胞内領域とFIH-1の相互作用がFIH-1の抑制に重要であることが示唆された。

4.続いてMT1-MMPによるFIH-1の抑制メカニズムを解明するために、FIH-1と相互作用する分子をYeast-Two-Hybrid 法およびHEK293細胞での免疫沈降法を用いて探索した結果、FIH-1の新規結合因子としてAPBA3/Mint-3を同定した。免疫沈降実験により、APBA3のN末端領域(APBA3NT)がFIH-1と結合することが明らかとなり、APBA3NTはHIF-1αとFIH-1との結合を競合阻害することがpull-downアッセイで明らかとなった。また、レポーターアッセイにより、APBA3がFIH-1依存的にHIF-1αを活性化していること、またこの活性化はAPBA3のN末端領域だけで十分であることを示した。これらの結果から、その機能に基づきAPBA3をiFIH (inhibitor of FIH-1)と呼ぶ事にした。

5.siRNAを用いてHEK293細胞のiFIHをノックダウンした状態でレポーターアッセイを行った結果、iFIHのノックダウンは基本のHIF-1αの活性には影響を及ぼさなかったが、MT1-MMPによるHIF-1αの活性化をキャンセルすることが明らかとなった。また、MT1-MMPとiFIHを低発現の条件でレポーターアッセイを行った結果、MT1-MMPとiFIHは相乗的にHIF-1αを活性化することが明らかとなった。続いてHEK293細胞にMT1-MMPまたは細胞内領域欠損MT1-MMP(dCP)を発現させてFIH-1とiFIHとの結合を免疫沈降法で解析した結果、MT1-MMPは細胞内領域依存的にFIH-1とiFIHの結合を促進することが明らかとなった。同様に野生型およびMT1-MMP欠損マクロファージを用いて免疫沈降実験を行った結果、野生型のマクロファージでのみFIH-1とiFIHの結合が確認された。免疫蛍光染色法での解析により、MT1-MMP欠損マクロファージではFIH-1は細胞質に一様に局在していたが、野生型マクロファージでは一部核近傍に濃縮しiFIHと共局在していることが明らかとなった。最後にiFIHをRNAi法でノックダウンした結果、野生型マクロファーでは著しくATP量が低下したのに対し、MT1-MMP欠損マクロファージではATP量の低下が見られなかったことから、MT1-MMPによるATP量の亢進にはiFIHが関わっていることが明らかとなった。

以上、本論文はMT1-MMP欠損マウスおよびマウス骨髄由来マクロファージを用いた解析から、マクロファージにおいて膜型プロテアーゼであるMT1-MMPが細胞内領域依存的にFIH-1と本研究で同定した新規結合因子iFIHとの結合を促進することで、HIF-1αを活化し、嫌気的解糖系を介したATP産生と運動能などの細胞機能を亢進させることが明らかとなった。本研究はマクロファージにおいて細胞外基質の分解とエネルギー産生をMT1-MMPというひとつの膜タンパクが制御することで浸潤という複合的な細胞機能を制御するという新しいコンセプトを提唱し、また癌や炎症性疾患などと関わりの多い転写因子であるHIF-1αの転写活性の新たな制御機構を解明したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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