学位論文要旨



No 122955
著者(漢字) 木下,博勝
著者(英字)
著者(カナ) キノシタ,ヒロカツ
標題(和) 進行下部直腸癌に対する術前放射線照射療法の病理組織学的検討
標題(洋)
報告番号 122955
報告番号 甲22955
学位授与日 2007.09.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2964号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 准教授 川邊,隆夫
 東京大学 准教授 福嶋,敬宜
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 冨田,京一
内容要旨 要旨を表示する

緒言:大腸癌のうちでも下部直腸進行癌では治療上いくつかの問題点がある。一点目に、特徴的な再発形式である局所再発が発生し治療に難渋することである。二点目に、手術において十分な肛門側切除断端を得ようとすると、永久的人工肛門造設術を伴う直腸切断術が必要になり術後QOL上の問題となることがある。三点目に、下部直腸癌のリンパ節転移には下腸間膜動静脈の領域から直腸間膜内にかけて存在する上方向リンパ節への転移と、内外腸骨動静脈の領域に存在する側方リンパ節への転移がある。側方リンパ節転移は、局所再発の原因として本邦では重要視され、進行下部直腸癌に対しては側方リンパ節郭清が標準的に行われているが、合併症として性機能や排尿機能の低下が問題となることが多い。

また、原発巣から離れた周囲組織に存在する癌組織に関しては主に、直腸間膜内にリンパ節転移や原発巣の連続性を持たずに存在する微小癌細胞巣であるTumor depositが存在し得る。そこで、直腸間膜の全切除、すなわちTotal mesorectal excision(TME)が1980年代にHealdらによって提唱され、今日では、直腸癌に対する標準手術の一部として世界的に認知されている。

下部直腸癌に対する術前放射線治療は、側方リンパ節郭清を行っていない欧州でTMEが提唱される以前に開始され、局所再発を有意に減少させることが報告された。その後、TMEを行った例においても術前放射線照射は局所再発率を低下させることが報告された。本邦では、Nagawaらが術前放射線照射施行例においては側方リンパ節郭清施行例と非施行例との間に術後の局所再発率や生存率に差がないことを報告し、術前照射によって側方リンパ節転移に局所再発を予防できる可能性を示した。

本研究では、術前放射線照射を施行された進行下部直腸癌の切除標本を対象として、原発巣の癌組織の減少とともに、Tumor depositやリンパ節の微小転移、簇出(budding)、壁在進展などの病理組織的所見を詳細に調査した。そして、術前放射線照射非施行例との間で比較を行い術前放射線照射が局所再発を減少させるメカニズムを検討した。

材料と方法:1986年から1995年までに東京大学医学部附属病院第一外科(現大腸肛門外科)において、進行下部(Rb)直腸癌症例に対して術前に放射線照射1日1回2Gyを25回、合計50Gy施行し、照射終了後約3週間で外科的切除が施行された中で検討が可能であった47例を対象とした〔以下照射群、Rad(+)〕。コントロール〔以下非照射群、Rad(-)〕としては、1986年から1995年までに癌研究会付属病院消化器外科において、側方リンパ節郭清を伴った手術切除が施行された進行下部直腸癌症例中の47例を用いた(Table.1)。

Table.1

対象、コントロール各々の病理標本にhematoxilin-eosin(H&E)染色を行い詳細に検鏡した。肛門側壁内浸潤距離は肛門側の粘膜内腫瘍縁から肛門側の粘膜下層以下に最も浸潤している地点までの距離を測定した。Tumor depositや簇出については、その有無で陽性陰性を判断し、リンパ節微小転移は、hematoxilin-eosin(H&E)染色を用いたリンパ節の検索において癌の転移は明らかではないが、上皮性のマーカーであるサイトケラチン染色を行って初めて転移が明らかになる所見を陽性と判断した。

結果:肛門側壁内浸潤距離(平均±標準偏差)は、照射群では0.37±0.93mm、非照射群では2.87±4.90mmで、照射群で有意に短かく(p=0.001)Tumor depositは照射群では25例中0例、非照射群では5例20%に認めれられ、照射群で有意に少なかった(p=0.018)。簇出は照射群では25例中0例、非照射群では9例36%に認められ、照射群で有意に少なかった(p=0.0009)。リンパ節微小転移は照射群では25例中2例8%、非照射群では11例44%に認められ、照射群で有意に少なかった(p=0.0037)。

考察:1980年代のSwedish trialなどで術前放射線照射の効果に関する無作為比較試験を含む系統的な検討が行われ、術前放射線照射が局所再発を抑制することが明らかになった。しかしながら、これらの検討が行われた1980年代の欧州ではTMEの手術手技は未だ確立されておらず、非照射群の局所再発率は20%を超えていた。したがって、今日の視点で考えると、放射線照射の局所再発予防効果は、手術時に完全に切除されなかった直腸間膜内の微細な癌病巣の制御によるものであった可能性が高い。しかしながら、2001年に発表されたStockholm trialでは、切除手術はTMEに関する一定の訓練を受けた専門家によって施行されており、TMEを施行した例においても術前放射線照射が局所再発を減少させることが示されている。この結果は、術前放射線照射が側方リンパ節転移などTMEの切除範囲外にある癌組織や、TMEの操作中に術野に脱落する癌組織を抑制することを示唆する結果である.日本においても、Nagawaら、Watanabeらは術前放射線照射を施行された例においては、側方郭清施行の有無による局所再発率や生存率に差がないことを報告しており、術前放射線照射を施行すれは、排尿機能障害や男性性機能障害をもたらす側方郭清を省略できる可能性を指摘している。直腸癌に対する術前放射線照射の効果の組織学的効果は従来、元々存在した原発巣の腫瘍組織のうち放射線照射によって壊死に陥るか、生物学的な活性を喪失した部分の比率によって評価されてきた。しかしながら、原発巣そのものは手術で切除されるので、原発巣における腫瘍細胞の減少そのものは術後の局所再発を低下させる機序とは考えにくい。むしろ、放射線照射による腫瘍の増殖先進部の組織所見やリンパ節転移、微小リンパ節転移、原発巣やリンパ節以外の微小な癌巣の変化が局所再発の減少に寄与していると推測される。

本研究の結果から、直腸癌に対する組織学的な術前照射の効果は、

1) 壁在進展距離の短縮、簇出の減少といった腫瘍の増殖先進部における退縮、

2) Tumor depositや微小転移など原発病巣から距離をおく微小癌病巣の消失

の2点に集約される。

発育先進部における腫瘍の退縮は、剥離面の癌の遺残を減少させ、CRM(circumferential resection margin)の陽性リスク、肛門側断端の癌陽性リスクが軽減される。これらの所見は、大きな腫瘍に対して、前立腺、仙骨、膣壁などの合併切除を施行することなく剥離断端陰性を得るために有益である。さらに、術前照射により原発病巣が縮小すれば、骨盤底深部で断端陰性を確保する手術が手技的に容易となることが期待される。

一方、原発病巣から離れた部位の微小癌病巣の消失は、主病巣から離れた部位にあるリンパ節転移などから再発してくるリスクが低下し、主病巣の確実な切除のみで癌を根治できる可能性が高くなることを意味する。とくに、側方領域のリンパ節に関しては、術前の画像検査で確認できない程度の小さな転移巣は制御可能で、術前照射を側方リンパ節郭清に代えられると考えられ、側方リンパ節郭清によって発生し得る排尿障害や男性性機能障害を予防することができる。実際、本研究の照射群では側方リンパ節郭清を施行しなかったにもかかわらず、側方リンパ節転移が原因と考えられる局所再発の発生は認めなかった。

本研究は、さらに以下の検討を深めることにより、直腸癌の術前放射線照射の臨床病理学的意義をより明らかにできると考えている。

1) 癌の大きさや形態、組織型と術前照射後の組織学的所見の関係

術前検査によって比較的簡単にわかる臨床的、病理学的所見から術前照射の組織学的効果を予測できる可能性がある。術前照射群の症例数をさらに増やす必要がある。

2) 術前照射後の組織所見と術後の再発や生命予後との関係

本研究で確認された術前照射後の組織所見の改善が、術後の予後の改善に実際に寄与しているか否かを明らかにするためには、症例数を増やしたうえで、術後長期の経過観察を行っていく必要がある。

3) 従来からの消失した腫瘍細胞比率による効果判定基準と、本研究で検討した組織所見との関係

術前照射後の原発巣の腫瘍細胞の消失比率と、照射後のTumor depositや微小転移、簇出の所見との関係も、症例数をさらに増やして検討していく必要がある。

結論:病巣の切除標本の病理組織所見を詳細に比較した結果、以下の知見が得られた。

術前照射施行例では、増殖先進部における簇出が消失すること。また、壁在進展距離が短縮することである。これらの組織学的所見の変化は、これまで明らかとされていなかった術前照射による局所再発の減少のメカニズムであると考えられ、同時に、術前照射による機能温存術の適応拡大の可能性を支持するものである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、他部位の大腸癌と比較して特徴的な再発形式である局所再発が、治療を困難にするという臨床的な問題点が存在する進行下部直腸癌について、術前放射線照射を施行された下部直腸進行癌の切除標本を対象として、原発巣の癌組織の減少とともに、tumor depositやリンパ節の微小転移、簇出(sprouting、budding)、壁内浸潤距離などの病理組織的所見を詳細に調査した。そして、術前放射線照射非施行例との間で比較を行い術前放射線照射が局所再発を減少させるメカニズムを検討し、下記の結果を得た。

1. 術前放射線照射例と非照射例の間で肛門側壁内浸潤距離を測定し、肛門側へのintramural spreadの距離が照射例において有意に短い結果を得た。これにより、腫瘍肛門側腸管の切除範囲の縮小を可能とし,肛門括約筋温存術の適応を拡大させ得ることが示された。

2. 術前放射線照射例と非照射例の間でTumor depositの有無を比較し、照射例で有意に少ない結果を得た。Tumor depositは、原発巣や転移リンパ節との連続性を持たずに存在する微小癌細胞巣で、原発巣が断端陰性で切除され、転移リンパ節がすべて摘除されている場合にも遺残する可能性がある。また、微小リンパ節転移についても同様に、照射例で有意に少ないという結果を得た。この結果より、微小転移の大多数は術前放射線照射によって制御され得ることが示唆された。

3. 局所再発を含む大腸癌の予後不良因子である簇出は、腫瘍先進部において低~未分化な癌細胞が個々に散在性に、あるいは4~5個以下の細胞が小塊状、索状細胞群を形成して組織間隙へ散布されるように存在する所見であった。これを術前放射線照射例と非照射例の間で比較し、照射例で有意に少ないという結果を得たことより、局所再発を低下させるメカニズムの一つであることを明らかにした。

以上、本論文は下部進行直腸癌に対する術前放射線照射の効果の裏づけとして、病理組織学的解析から、増殖先進部の微小癌巣が照射によって消失または減少すること、主病巣から離れて存在する微小癌巣が消失または減少することを明らかにした。本研究はこれまで未知であった、術前放射線照射が局所再発を減少させるメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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