学位論文要旨



No 122957
著者(漢字) 陳,逸寧
著者(英字) CHEN,Yi-Ning
著者(カナ) チン,イツネイ
標題(和) 網膜神経節細胞分離培養系を用いた緑内障の治療法の探索
標題(洋) Exploration of treatment for glaucoma with the utilization of two-step immuno-panning procedure to isolate purified cultured retinal ganglion cells
報告番号 122957
報告番号 甲22597
学位授与日 2007.09.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2966号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斉藤,延人
 東京大学 准教授 菊池,かな子
 東京大学 准教授 中村,元直
 東京大学 准教授 山上,聡
 東京大学 講師 清水,潤
内容要旨 要旨を表示する

眼科臨床においては、緑内障は高眼圧を最大の危険因子とし、その他にも虚血や遺伝的要因が関与した慢性進行性視神経障害を起こす多因子性疾患として捉えられている。緑内障の最終病態は網膜神経節細胞のアポトーシスであると言われているが、その経路は解明されていない。種々の危険因子がいかなる分子生物学的過程を経て網膜神経節細胞死を惹起するのかは、現在のところ全貌は明らかにされていない。臨床的に唯一エビデンスのある治療法は眼圧下降のみであり、他の因子に対する治療法は確立していない。近年アポトーシスなどの細胞死の機序が部分的ではあるが分子生物学的に解明されつつある状況であり、緑内障における神経節細胞死もこの観点からの解明が期待されている。われわれはラット網膜神経節細胞の初代培養を用い、圧力を始めとする種々のストレスを加え細胞死を評価する系を確立し、最終的に緑内障を代表としたヒト網膜神経節細胞および視神経の変性疾患の原因を明らかにし、これに対する治療法の開発を主題として、研究を進めてきた。

今までのIn vitro実験系の研究では、低酸素(虚血)、酸化ストレス、神経毒性因子により網膜神経節細胞死が誘導されることが分かっているが、その経路はまだ不明である。今回われわれは、培養神経節細胞に対して低酸素負荷、グルタミン酸負荷、酸化ストレス負荷のストレスをかけ、交感神経作動薬などの臨床に使用されている眼圧下降薬や、グルタミン酸レセプター阻害剤、カルシウムチャンネルブロッカー及びBax(アポトーシス促進物質)の制御蛋白Bax Inhibiting Peptide(BIP)などのシグナル制御因子を用いて、ストレスによる網膜神経節細胞死に対し直接的な神経保護効果を有するかを検討した。

本研究の網膜神経節細胞の分離はtwo-step panning法を使用した。この方法は、神経節細胞の表面抗体であるThy-1.1の抗体を用いて、Wistar系ラットの網膜細胞から網膜神経節細胞のみを選択的に集め、初代培養を行うものであり、グリア細胞などの細胞を介さない直接的な網膜神経節細胞への影響を検討することができる。

検討する薬剤:

A:グルタミン酸レセプター阻害剤

MK801とDNQX

B: 交感神経作動性薬剤(β遮断薬)

交感神経作動性薬剤は、眼圧下降効果以外にも後眼部血流増加に関与している可能性が報告されている。今回我々は、ラット網膜神経節細胞の初代培養系を用いた低酸素及び酸化ストレス誘発神経細胞死に対して、交感神経作動性眼圧下降薬ベタキソロール、ニプラジロール、チモロール及びカルテオロールが、眼圧および血流を介さない直接的な保護効果を有するかを検討した。また、その作用機序の解明のために、各薬剤が低酸素負荷によって生じる網膜神経節細胞内カルシウム上昇に及ぼす影響も検討した。

ベタキソロールは、 β1選択性β受容体遮断剤であり、眼圧下降作用により点眼薬として緑内障、高眼圧症治療に用いられている。また、弱いカルシウムチャネル拮抗作用を持ち、 In vitroにおいて網膜神経節細胞に対し直接的な保護効果を有すると報告されている。

ニプラジロールは、非選択性β受容体及びα1受容体遮断剤で、眼圧下降作用により点眼薬として緑内障、高眼圧症治療に用いられているほか、一酸化窒素放出による血流改善作用以外にも、一酸化窒素放出によって、網膜神経節細胞死に対する直接的な抑制効果を有すると報告されている。

チモロールは、非選択性β1 ,β2-受容体遮断剤であり、広く緑内障、高眼圧症治療に用いられている。

カルテオロールは非選択性β1 ,β2-受容体遮断剤である。眼圧下降作用があり、In vivoにおいて網膜神経節細胞に対し保護効果も有すると報告されている。

C: カルシウムチャンネルブロッカー:

イガニジピンはL型カルシウムチャンネルに作用するジヒドロピリジン(DHP)系拮抗薬である。光安定性が高く、水溶性なので眼科科点眼薬として製剤が容易で、ニフェジピンなどより持続的な効果がある。

ニモジピンはL型カルシウムチャンネルに作用し、 DHP系として古くから広く実験などに使用されている。

ロメリジンはピペラジン系であり、片頭痛治療薬としてすでに販売されている。脳血管選択性が高く、血圧への影響が少ない。神経細胞に存在するカルシウムT-typeチャンネルにも作用するのが特徴である。

D: Bax Inhibiting Peptide(BIP):

Baxはアポトーシス促進物質であり、アポトーシスシグナルにより細胞質からミトコンドリア膜外膜に移動し、膜透過性を亢進させアポトーシスを促進する。一方Ku70はBaxに結合することによりアポトーシスを抑制する。今回我々は、Ku70の代わりにBax inhibiting peptide(BIP)を用いた。BIPはKu70のBax結合部位に相当する5個のアミノ酸からなる合成膜透過性ペプチドであり、Ku70と同様のBax結合能を持つ。外部からの投与により膜内に移行し、アポトーシスを抑制することができる。

結果

A: MK-801とDNQXは低酸素誘発ラット網膜神経細胞死に対し、保護効果が示されなかった。

B: ニプラジロール、ベタキシロール、チモロールは低酸素及び酸化ストレス誘発ラット網膜神経節細胞死に対して、濃度依存的な保護効果を示したが、カルテロールは保護効果を示されなかった。

C: イガニジピン、ニモジピン、ロメリジンは低酸素誘発ラット網膜神経節細胞死に対して濃度依存的な保護効果な保護効果を示した。

D: BIPペプチドは、低酸素およびグルタミン酸誘発網膜神経細胞死に対して、濃度依存的な神経保護作用があることが示されたが、酸化ストレスによる網膜神経節細胞死に対しては、保護効果が認められなかった。

考案:

神経細胞においては、カルシウムブロッカーが細胞死抑制作用を有することはすでに数多くの報告があるが、この系を用いて、L型カルシウムチャンネルブロッカーであるニモジピンが神経節細胞の低酸素による細胞死を抑制することを明らかにした。しかしながらグルタミン酸レセプター阻害剤であるMK-801とDNQXによっては、低酸素誘発細胞死は抑制されないことを明らかになった。これらは低酸素神経節細胞死がグルタミン酸を介さないことを示しており、これまであまり検討されてこなかった他の神経節細胞死の機序が存在すると考えられた。

さらに従来緑内障治療に使われてきた眼圧下降薬についても、神経節細胞に対する効果を検討したところ、その結果、ベタキシロール、ニプラジロール、チモロールには直接的な神経保護作用も存在することが明らかになった。ベタキシロール、ニプラジロール、チモロールは低酸素誘発ラット網膜神経節細胞死に対して、直接的な保護効果を示したが、同じβブロッカーであるカルテロールは保護効果がなかった。交感神経作動性薬剤は、眼圧下降、血流改善効果以外にも、網膜神経節細胞死に対するβ受容体を介さない直接的な神経保護効果を有する可能性が示唆された。

BIPペプチドは低酸素負荷およびグルタミン酸誘発に対するラット網膜神経節細胞死を軽減させたことより、直接作用し細胞死を抑制する可能性が示された。低酸素誘発およびグルタミン酸によるアポトーシス経路にはBaxを介したミトコンドリア経由のシグナルが重要であると考えられる。また、BIPは容易に血液脳関門、血液網膜柵、細胞膜を通過できる点で、BIPは新たな神経保護薬として応用できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

緑内障は眼圧を最大の危険因子とする慢性進行性の網膜神経節細胞死を来す神経変性症であるが、眼圧以外にも多くの因子による障害が関与しているとされ、現在眼圧下降治療以外にも神経細胞死の機序を解明することにより種々の神経保護治療が検討されつつある。しかし、網膜神経節細胞を対象にした緑内障研究は、in vitroでは増殖しない神経細胞を扱う困難さ、またin vivoでは各危険因子による細胞障害を惹起するモデルの作製の困難さが伴い、未だに研究が進んでいないのが現状である。

本研究はtwo-step panning法を用い、初代単離培養したラット網膜神経節細胞を用いた。培養神経節細胞に対して低酸素負荷、グルタミン酸負荷、酸化ストレス負荷のストレスをかけ、交感神経作動薬などの臨床に使用されている眼圧下降薬や、グルタミン酸レセプター阻害剤、カルシウムチャンネルブロッカー及びBax(アポトーシス促進物質)の制御蛋白Bax Inhibiting Peptide(BIP)などのシグナル制御因子を用いて、ストレスによる網膜神経節細胞死に対し直接的な神経保護効果を有するかを検討することにより、細胞死のシグナルを解明し、神経細胞死の治療につながる薬剤を見いだすことを目的とした。その結果、下記の知見を得ている。

A: MK-801とDNQXは低酸素誘発ラット網膜神経細胞死に対し、保護効果が示されなかった。

B: ニプラジロール、ベタキシロール、チモロールは低酸素及び酸化ストレス誘発ラット網膜神経節細胞死に対して、濃度依存的な保護効果を示したが、カルテロールは保護効果を示されなかった。

C: イガニジピン、ニモジピン、ロメリジンは低酸素誘発ラット網膜神経節細胞死に対して濃度依存的な保護効果な保護効果を示した。

D: BIPペプチドは、低酸素およびグルタミン酸誘発網膜神経細胞死に対して、濃度依存的な神経保護作用があることが示されたが、酸化ストレスによる網膜神経節細胞死に対しては、保護効果が認められなかった。

以上、本論文は従来緑内障治療に使われてきた眼圧下降薬についても、一部のβ遮断薬、ベタキシロール、ニプラジロール、チモロールは直接的な神経保護作用を有することを明らかにし、交感神経作動性薬剤は、眼圧下降、血流改善効果以外にも、網膜神経節細胞死に対するβ受容体を介さない直接的な神経保護効果を有する可能性が示唆された。BIPペプチドは低酸素負荷およびグルタミン酸誘発に対するラット網膜神経節細胞死を軽減させたことより、直接作用し細胞死を抑制する可能性が示された。また、BIPは容易に血液脳関門、血液網膜柵、細胞膜を通過できる点で、BIPは新たな神経保護薬として応用できる可能性がある。以上より本論文は緑内障の新しい治療法の探索に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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