学位論文要旨



No 122960
著者(漢字) 藤尾,美佐
著者(英字)
著者(カナ) フジオ,ミサ
標題(和) 協働作業としてのコミュニケーション方略 : 日本人とイギリス人の間の会話データに基づいた縦断的研究
標題(洋) Communication Strategies for the Negotiation, Establishment, and Confirmation of Common Ground : A Longitudinal Study of Japanese-British Conversational Interaction
報告番号 122960
報告番号 甲22960
学位授与日 2007.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第766号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 ロシター,ポール
 東京大学 教授 岡,秀夫
 東京大学 准教授 藤井,聖子
 名古屋外国語大学 教授 松野,和彦
 広島市立大学 教授 岩井,千秋
内容要旨 要旨を表示する

70年代に始まり、80年代に定義や分類を中心に発達した、コミュニケーション・ストラテジー(CS)の研究は、心理言語学的(psycholinguistic)アプローチと相互作用的(interactional)アプローチの2つに大別される。前者は、学習者の使用する方略の言語的表象に捉われず、CS使用の背後にある心理言語学的プロセスを解明しようとするアプローチであり、後者は、インタラクションの中で母語話者(NS)・非母語話者(NNS)によるインタラクション時に生じる相互的な方略使用を研究するとともに、両者の使用する方略を比較し、目標言語の指導にも役立てていこうとするアプローチである。本研究は、後者の相互作用的アプローチを採り、CS研究に新たな視点の導入を試みるものである。

従来、CSは、「学習者が持つリソースとコミュニカティブ・ゴールの落差を補うストラテジー」と解釈され、おもに学習者が抱える言語的な制約をどのように克服していくかに焦点をあてられてきた。しかし、CS使用を、NS・NNSのインタラクションという視点で捉えた場合、学習者及びその対話者に生じる制約は、学習者の言語的制約にとどまらず、お互いの共有知識の少なさに起因する理解不足や、発話交替などのインタラクション上の制約が引き起こす問題も視野に入れる必要がある。また学習者は、自分自身のリソースに加え、対話者のリソースをも利用してコミュニケーションを進めていくことができる。このような視点にたち、本研究では、CSの研究対象を言語的な問題解決に限定せず、対話者の背景知識に合わせて情報量を調整し問題を未然に防ぐCSや、発話交替の際に積極的に理解を示し、会話を維持、促進していくためのCSも観察対象とした。そのためCSを「言語的、文化的、あるいは相互的制約が予想されうる状況で、会話を維持・促進していくために、繰り返し体系的に使用される言語上の試み」と定義し、さらにWilkes-Gibbs (1997)による第一言語(L1)のコミュニケーション理論であるCollaborative theory を本研究の基盤とすることとした。

Collaborative theoryは、コミュニケーションを、発話毎に、共有する知識や理解 (common ground) を見極め、それを広げていくプロセス(grounding process)と捉え、2つの大きな原則を想定している。ひとつは、対話者は互いに協力しあってコミュニケーションを進めていくという「相互義務の法則(principle of mutual responsibility) 」で、もうひとつは、双方が理解に至るまでの協調努力を最小限に抑えようとする「協調努力の最少化の法則(principle of least collaboration effort)」1である。また、このプロセスは、概念上、話者Aが情報を提示する「情報提示 (presentation) の段階」と「双方が納得し理解に達するまで (acceptance) の段階」に分類することができ、この法則にCS研究をあてはめると以下のように図示できる。

問題が起きている状況

問題が起きていない状況

「協調努力の最少化の法則」に照らし合わせて方略使用を考えてみると、方略は1) コミュニケーションに問題が起きたとき、できるだけ最小限の労力で問題を解決する場合と、2) 協調努力を最小限に抑えるため、予想される問題を未然に防ぐ場合と、両者に使用されると考えられる。1) は、従来より研究されている問題解決のための方略で、図1に当てはめると、さらに、話者A(学習者)が情報提示の段階で直面した発話上の問題を克服するために使用するCS(情報提示の段階で使用されるCS)と対話者Bが話者Aを理解できなかったことを示す方略(理解へ至る段階で使用されるCS)とに分類される。本研究では、インタラクションの立場から、後者に焦点を置き、clarification requestやconfirmation check などのCSを主として分析した。2) は、顕在的な問題が起こっていない状況で、(問題を事前に察知し)話者の理解を促進し、会話を維持するために使用するCSである。このCSもさらに2分することができる。ひとつめは、情報提示の段階で使用されるCSで、話者Aが対話者の言語能力や背景知識に応じて自らの情報量を調節し、話者の理解を促進させ、問題を未然に防ぐCS(タイプ2)である。ふたつめのCSは、理解に至る段階で、対話者Bが理解を積極的に示し、不要な意味交渉を未然に防ぐCS(タイプ3)である。このCSはまた、理解を示すだけでなく、会話への積極的な関わり(involvement) にも関連するCSである。

こうした枠組みに基づき、本研究は以下の4点を中心に分析を行った。1)従来の研究分野であったタイプ1に加え、CSとしての先行研究例のない、タイプ2及び3のCSを観察、特定する、2)NSとNNS間のCS使用の類似点、相違点を明らかにする、3)CS使用の背後にある法則性について議論する、4)CS使用とコミュニケーションの成否について考察する、の4点である。

データ収集としては、タイプ2及び3の観察・特定の目的から、1回限りのインタビューではなく、同一の被験者から複数のデータを収集できるよう長期的調査をおこなった。研究参加者は、イギリスに1年以上にわたって滞在する3名の日本人NNSとその対話者であるイギリス人NS3名、計6名であり、データ収集にはtriangulationの方法を取った。日本人NNSからは、1) 英語学習に関するアンケート、2) Clozeテスト/TOEICスコア、3) 月に1度のNSとの会話データ、4) 会話の後、ビデオを見てのコメント(retrospection)、5) ポスト・インタビュー、6) イギリス生活でのダイアリー、7) 会話への基本的アプローチに関するアンケート調査を収集し、イギリス人NSからは、上記3)、4)、5) を同様に収集した。分析は、CSの他、「相互義務の法則」の観点から、会話への均衡のとれた参画を観察するため、発話時間(floor-holding)、発話量(total amount of output)や発話交替(turn-taking)などの会話構造と、CS使用に影響を与えると考えられる日本人研究参加者の言語能力(fluency)の変化を、量的・質的に分析した。

その結果、タイプ1の問題解決のCSに関しては、NS、NNSの差異よりも、問題を引き起こす要因(trigger)によってCS使用が規定されること、また長期的変化としては、顕在的な問題(breakdownの数)が激減するなどの量的変化はなかったが、日本人研究参加者に質的な変化が観察された(後半の会話で日本人研究参加者は、問題が起きた際、理解できない部分をより明確に特定していた)。タイプ2に関しては、(とりわけ共有知識が少ない話題に関して)相手の理解度に応じて情報調節を行うためのCSと、パラフレーズなどの対話者の言語能力に配慮したCSの2種類に大別され、さらに前者は、発話冒頭で使用され、発話構造に関わるグローバル・ストラテジー(相手との共有知識を構築するCSなど)と、発話の途中で相手の理解度により情報を付加していくローカル・ストラテジー(例証など)の2種類に分類された。タイプ2に関しては、NSがNNSに比べ圧倒的に多く、かつ効果的なCSを使用し、とりわけローカル・ストラテジーを用いての情報調節を効果的に行っていた。時系列的変化としては、NSが初回の会話のみ、通常の2倍以上のCSを使用しており、対話者の言語能力や背景知識を入念にチェックし、メッセージを調節していたことが観察された。タイプ3に関しては、"really"、"yeah"などのあいづち的なCSと、対話者B自身の評価を示したり、相手の発話を引き取り、会話を共同構築するなどのより積極的なCS の2種類に大別され、後者についてはNNSはほとんど使用できなかったこと、また使用したとしても、表現の種類が非常に限られていたことが明らかになった。さらに、NSとのポスト・インタビューから、とりわけ初期の会話において、日本人研究参加者は、タイプ3の使用(理解の提示)が上手く行えず、NSが苦慮していたこと(問題が顕在化していない部分にも大きな問題があること)が明らかになった。

また、データ収集の後半の会話において、日本人研究参加者の発話交替やコミュニケーションへの基本的なアプローチには変化が見られたにも関わらず、言語操作を伴うCS使用にはほぼ変化がなかったこと(ポスト・インタビューより、日本人研究参加者のタイプ2への認識が低かったこと、またタイプ3に関しては、NSの積極的な使用に気づきながらも、具体的なCS使用にほぼ変化がなかったこと)などから、より明示的なCS指導の必要性が示唆されたと言える。

とりわけ、タイプ2は、共有知識の少ない異文化間コミュニケーションのメッセージ伝達に、タイプ3は、会話に積極的に関わり、NSと対等な立場でコミュニケーションを行うために不可欠なCSであることを考えると、今後のCS指導は、問題解決という視点のみならず、意味交渉やインタラクションという大きな枠組みの中で指導していくことが期待される。

Wilkes-Gibbs, D. (1997). Studying language use as collaboration. In G. Kasper, & E. Kellerman (Eds.), Communication Strategies: Psycholinguistic and Sociolinguistic Perspectives. London: Longman.

図1 CSの分類

審査要旨 要旨を表示する

本論文はロンドンに滞在する3名の日本語話者による英語コミュニケーション方略の使用の長期的研究に関する報告である。従来コミュニケーション方略は非母語話者が第二言語を用いる際に経験する言語上の困難を補うための方法とみなされてきた。つまりコミュニケーション方略の研究は、話者が言語的制約のためにコミュニケーション上の目標を達成できない場合にどう対処するのかを研究するものであった。しかし藤尾氏は、第一言語のコンテクストで最初に展開された理論であるWilkes-GibbsのCollaborative Theoryを論拠にすることで、コミュニケーション方略研究の射程を広げた。Collaborative Theoryはあらゆるコミュニケーション行為を、話者によって共有される基盤を見極め広げていくプロセスと捉える。このgrounding processと呼ばれる意味交渉のプロセスは2つの原則に基づいている。2名(あるいはそれ以上)の対話者は互いに協力し合って会話を進めていくという「相互義務の法則」と、話者が互いに協調努力を最小限に抑えようとする「協調努力の最小化の法則」である。このプロセスは第一言語のコンテクストにおいてはほぼ問題なく機能するが、第二言語のコンテクストにおいては言語のみならず、情報(被験者たちは文化に固有の事柄についての知識を共有していないことが多いため)、あるいはインタラクション(被験者たちはインタラクションの規範についての理解を共有していないことが多いため)に関する制約に影響され得る。

この観点から、藤尾氏はコミュニケーション方略とみなされるべき3種類の言語行為があると主張する。タイプ1は従来から研究されている方略で、コミュニケーション上の問題を克服するために用いられ、問題解決の方略と呼ばれる。タイプ2は情報調節の方略であり、潜在的なコミュニケーション上の問題を未然に避けるために、対話者に影響を及ぼしている言語、文化、あるいはインタラクション上の制約についての理解に応じて話者が自らのメッセージを調節する方略である。タイプ3の対人関係的方略は、協働作業を最小化して不要な意味交渉を未然に防ぐために、対話者が互いに自らの理解を積極的に示す方略である。

本研究における被験者は、ロンドンに1年間滞在している20代後半あるいは30代前半の日本人女性3名で、いずれも高いTOEICスコアの保持者であるが日本以外の国に住んだ経験はない。被験者は英語の母語話者と月に1度会って1時間の会話を行い、その様子はビデオ録画された。被験者はさらに英語学習歴に関するアンケートに答え、英語におけるコミュニケーション体験についての日記をつけ、研究者によるポスト・インタヴューを受けた。データベースはこのように極めて豊富なものであった。会話のうち5つ(隔月ごとのもの)の最初の30分間が量的分析のために書き取られ、資料全体が質的に分析された。

この研究にはいくつかの目的があった。主要な2つの目的は、コミュニケーション上の問題を解決するために使用されるタイプ1の方略を特定すること、そしてタイプ2とタイプ3の方略の分類法を特定して作り上げることであった。後者の目的、特にタイプ2の方略については、従来の方略研究における先行研究は皆無である。これらの目的に関して、会話データの分析は方略的な言語使用の明らかな(そして明らかに区別される)パターンをあらわにした。もう一つの目的は、被験者の方略使用における長期にわたる変化や発展の有無を見出すことであった。この点に関しては、1年間のうちに非母語話者のタイプ1の方略におけるいくらかの変化(そしていくらかの有用な向上)が見られたが、タイプ2やタイプ3の方略の使用における向上は、量的(使用頻度)にも質的(異なる種類の方略の使用における融通性)にもはるかにそれを下回るものだった。また別の目的は、母語話者と非母語話者の方略使用の類似点と相違点を調べることであり、この点では母語話者の被験者はタイプ2やタイプ3の方略を非母語話者よりもはるかに頻繁にかつ多様な方法で使用していることがわかった。さらなる目的は、両者の被験者の方略使用を通して、非母語話者の被験者がどの程度会話においてコミュニケーション上の対等性を達成した(あるいは達成し損ねた)のかを探ることであった。この場合、日本人被験者のうち2名は、母語話者の対話者との会話上の対等性を築くことに3人目の被験者よりもはるかに成功していると言える。これらのさまざまな発見は、被験者の言語能力、話題が方略使用に与える効果、第一言語のコミュニケーション様式が第二言語のコミュニケーションに与える影響、および第二言語習得理論の諸相に関連づけて論じられている。コミュニケーション方略(特にタイプ2とタイプ3)を教えることにより日本人の英語話者のコミュニケーション能力が向上する可能性があることを示唆して本論文は結ばれている。

この研究には多くの長所がある。もっとも顕著な点は、それがコミュニケーション方略の研究においてはまれにみる実質的な長期的研究であることであり、そのような方略研究を理論的にも興味深く実社会にも関連した非伝統的な領域へと説得力じゅうぶんに広げていることだ。もうひとつ新たな知見として評価されるべきなのは、第二言語のコンテクストにおけるインタラクションとディスコースの協働構築に重点を置いたCollaborative Theoryの使用である。加えて、研究計画は堅実であり、分析は量的質的共に細心の注意が払われ、結果の考察は明確かつ論理的に述べられており、研究から引き出された実践的的提案は明瞭かつ有用である。

ただし最終試験では3つの注意点が指摘された。第一に、従来の範囲を超えてコミュニケーション方略の射程を広げる際に、方略的行為をより一般的な形態の会話運用から区別することが不可能になる危険がある。従来の会話分析の伝統的方法のうちのいくつかを参考にすることで、このような事態が避けられる可能性があることが示唆された。第二に、反応符(reactive tokens)の分野でこれまでに行われてきた研究と適合性のある分析にするには、タイプ3の方略の定義と分類に注意が必要であることが指摘された。第三に、無音ポーズは論文の中で失流暢のしるしとしかみなされていないが、データの再分析を行うことでそのようなポーズの中には実用的目標を達成するために建設的に用いられているものもあることが明らかになるかもしれない。

しかしこれらの条件にもかかわらず、審査委員会は本論文を高く評価した。応用言語学は語学教育だけでなく社会的文脈における言語使用を研究する学問であり、藤尾氏の研究は多くの点で模範的な応用言語学の論文となっている。この研究は氏が多国籍企業で働いた経験から生じた実社会に根ざす疑問に端を発し、第二言語の言語能力が不十分な人々がより高い言語能力を持つ人々よりも多言語のコンテクストにおいてよりうまくコミュニケーションを行える場合があるのはなぜかを問うものであった。氏が理論的にも方法論的にも堅実な手立てで達した答えは、学界を超えて実社会に直接フィードバックされるものとなるだろう。以上の理由により、本審査委員会は藤尾氏の論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク