学位論文要旨



No 122961
著者(漢字) 瀬﨑,圭二
著者(英字)
著者(カナ) セザキ,ケイジ
標題(和) 大正期消費社会の成立過程と〈文学〉
標題(洋)
報告番号 122961
報告番号
学位授与日 2007.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第767号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学言語情報科学専攻 教授 小森,陽一
 東京大学超域文化科学 教授 ロバート,キャンベル
 東京大学言語情報科学専攻 教授 山田,宏昭
 東京大学言語情報科学専攻 教授 石田,英毅
 東京大学言語情報科学専攻 教授 エリス,俊子
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、大正という状況のなかで形成されていく消費社会というシステムと、〈文学〉を基軸とした様々な文化、及びその表象との相互関係を探る点にある。思想史、文化史的な意味での大正は、消費の時代として捉えられる傾向があり、日露戦後から関東大震災や金融恐慌までの期間としてイメージされるのが通例だが、本論文では、そうした認識を参照しながら、大正という状況を消費社会と呼ばれる経済システムの形成期として捉え直している。システムとしての消費社会は、日露戦後に突如立ち現れるものでもなければ、関東大震災や金融恐慌という指標によって消失していくものではなく、その諸要素を不断に再生産していくような自律性を保っているという点において、そこでの様々な問題系は、高度消費社会や大衆消費社会と呼ばれる現在の問題系とも接続され得るものなのである。本論文では、そのような視点から、大正という状況を再考した上で、消費社会システムの形成に関わり、大正という状況を表象した様々なレベルの〈文学〉について考察している。

本論文の第1部「呉服店/百貨店の機関雑誌と〈文学〉」では、消費社会の形成プロセスの重要な装置である流行(モード)の誕生と〈文学〉の関係について論じた。ここでは、流行(モード)の誕生に大きな役割を果たした呉服店/百貨店の機関雑誌を対象に、流行(モード)の形成と媒体の問題や、機関雑誌における様々な表象を分析している。以下に掲げる各章での論点は、百貨店文化、ひいては消費社会システムにおける、メディア、国民国家、〈ブランド〉、知、ジェンダーといった諸問題を考えることに連なっている。

第1章「流行の近代へ――流行という概念と表象――」では、明治20年代に刊行され、機関雑誌登場以前に流行を語った『東京百事流行案内』と『衣服と流行』という二つの書物を対象に、流行概念の前近代性と近代性について考察した。これら二つの書物は、前近代的な意味での流行から離脱しようとする力を含み込みながらも、流行の事物に対する語りのあり方や、それらの書物が抱え込む性質故に、近代的な意味での流行を語る媒体とはなり得なかったのである。

第2章「三井呉服店『花ごろも』の刊行――中山白峰・尾崎紅葉「むさう裏」をめぐって――」では、明治32〔1899〕年に刊行された三井呉服店の機関雑誌『花ごろも』を主要な分析対象としている。『花ごろも』は、継続的に刊行された通信販売のための媒体であり、また、そこに掲載された中山白峰・尾崎紅葉の小説「むさう裏」の語りが三井の商品広告の語りと連動することで、商品に対するイメージをつくり上げていく役割を果たしているという点において、結果的に近代的な意味での流行、すなわち流行(モード)を立ち上げることになったのである。

第3章「日露戦争と消費文化――百貨店(デパートメントストア)の誕生と承認――」では、日露戦時下に国民に要請された倹約という身振りと、日露戦中に誕生した百貨店と国民国家との関係、及びその場が承認されていく論理を追っている。女性に倹約が求められる日露戦時下において、消費を誘発する百貨店が誕生した背景には、戦争を利用した商業戦略があり、戦後には、国民国家の一装置として百貨店が位置づけられることで、その存在が承認されていったのであった。

第4章「名が商品になるとき――三越の広告と懸賞文芸作品――」では、三越という名それ自体が価値を生じさせていく明治40年前後の状況を分析している。「三越」という名だけが強調される奇妙な広告、森鴎外の詩「三越」の機関雑誌への再掲載、「三越」を題材とした懸賞文芸作品の募集など、「三越」という名をめぐる様々な戦略が、その名に価値を与え、その名を商品化していくことになるが、その名をめぐる文学表現は、皮肉にも、価値を与えられ、商品化された名に対する大きな距離をも露呈することになったのである。

第5章「流行と知――森鴎外「流行」とその状況――」では、現象としての流行を知の対象として捉えた言説群との関係の中で、森鴎外の小説「流行」を分析した。森鴎外の「流行」には、同時代の流行論が吸収されていながらも、それに留まらないような見解が示されているという点において、流行に対する特異な認識がうかがえる。そこには、ある事物や商品が流行のそれとして流通するときの、それらの売り手の不安や欲望が表象されてもいるのである。

第6章「流行(モード)を追う女性――機関雑誌と『青鞜』社員――」では、流行(モード)を追う消費者として女性を表象する様々なレベルの文学表現の力学を明らかにしている。呉服店/百貨店の機関雑誌における文学作品は、消費者としての女性を表象することで女性を消費社会システムの中に取り込んでいくが、機関雑誌に関与した『青鞜』関係者の文学表現は、女性に付与された消費者という属性を利用しつつ女性の〈主体性〉を立ち上げるような表現の密度を持つものであった。

本論文の第2部「虚栄心をめぐって」では、消費社会の形成と共に流通することとなった虚栄心という語とその表象について論じている。虚栄心は女性の内面として意味づけられ、明治末期から大正期にかけて、ある一定の物語類型を生んでいくことになるが、それは〈文学〉の領域を覆うようになることはもちろんのこと、様々な学問領域において女性を語る際のパラダイムとして深く根を張ることになるのである。そのような一連の〈虚栄の女〉という表象と、それがもたらす物語の蔓延の中で、その表象や物語と、〈文学〉との関係や差異について考えることが第2部の目的である。

第1章「虚栄心と物語――女性と死――」では、明治30年代から流通し始める虚栄の女の物語について整理し、その物語が持つ力学を考察している。明治30年代から大正期にかけて、虚栄心という語は、経済力のある男性との結婚を欲望する女性や、流行(モード)の消費を欲望する女性、慈善事業に関わる女性などに向けられるケースが多い。そのような言説と共に生産/再生産される、虚栄の女の物語においては、しばしば虚栄心の強い女性が最終的に死を迎えるようなプロットを描いていくのである。

第2章「模倣の転覆――「虞美人草」と「空薫」――」では、そのような物語の反復の中で新聞連載された夏目漱石「虞美人草」と、それを模倣したと言われる大塚楠緒子「空薫」との差異に注目している。「虞美人草」は、その中に様々な表現の襞を含み込みながらも、基本的には同時代の虚栄の女の物語を反復するところに成立しているが、大塚楠緒子「空薫」や森しげ「あだ花」はそれを模倣することで、虚栄の女という物語自体を転覆していくような力を持っているのである。

第3章「虚栄の内実――「三四郎」の中の結婚――」では、テクスト中に表象される様々な女性と同時代の状況を明らかにしつつ、夏目漱石「三四郎」の美禰子から、虚栄の女という表象の内実を抽出している。つまり、三四郎が上京する鉄道の中で出会った女性の事情や、上京後遭遇することになる女性の轢死とは、いずれも日露戦後の女性を取り巻く経済的な事情を表象しており、そのような文脈の中で美禰子の結婚を捉え直せば、経済力のある男性との結婚を選択した美禰子の〈虚栄〉の内実が浮かび上がってくるのである。

第4章「〈虚栄時代〉の物語――「真珠夫人」の位置――」では、大正7〔1918〕年1月に刊行された『婦人公論』「虚栄時代」号や、大正期の虚栄の女を表象した物語の語りの構造を注視しながら、そのような場における「真珠夫人」の位置を探っている。「真珠夫人」の瑠璃子をめぐる語りに特徴的なのは、その結婚や死が新聞記事を引用するような形式で語られている点であり、「真珠夫人」は、そのような形式を採用することで、一定の類型として女性を表象する力学を相対化するような位置を保っているのである。

第5章「〈万引〉する女性たち――寺田寅彦「丸善と三越」と〈エッセイ的思考〉――」では、女性の万引を分析する医学的見解の中にも虚栄心というコードが機能していることを明らかにし、そうしたパラダイムに疑義を呈している寺田寅彦の〈エッセイ的思考〉について考察している。デパートメントストア的販売法によって急増した女性の万引という現象に対して、精神医学は、その原因を虚栄心や月経、妊娠に求めたが、寺田寅彦のエッセイ「丸善と三越」は、その原因を疑い、さらにはモノを所有することそれ自体へと思考を深めていくのである。

第6章「浪費の行方――谷崎潤一郎「青い花」「痴人の愛」――」では、大正期における「濫買症」という病の誕生と、谷崎潤一郎の「青い花」「痴人の愛」における男性のマゾヒスティックな欲望の可能性を明らかにしている。「青い花」や「痴人の愛」において女性の過剰な消費が維持されるのは、その消費を快楽として受け止める男性のマゾヒスティックな欲望の故であり、そのような男女の関係を表象する「青い花」や「痴人の愛」は、これまでの女性の消費をめぐる物語とは決定的な断絶を孕んでいるのである。

概して、第1部では、流行(モード)を語る媒体、及びその表象と〈文学〉との関係について、第2部では、流行(モード)の形成によって生じた虚栄という表象と〈文学〉との関係について論じた。三井呉服店『花ごろも』の刊行を契機に加速した近代的な意味での流行が、谷崎潤一郎「青い花」「痴人の愛」に表象されるような過剰な消費を生み出すまでの〈文学〉の動きと位置を追うことによって、消費社会という経済システムと〈文学〉との関係が明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

瀬崎圭二氏の博士学位論文『大正期消費社会の成立過程と〈文学〉』は日露戦争後から関東大震災と金融恐慌までの期間を対象とし、消費社会の成立過程と、それを促す多様な言説との相互関係を分析することによって、日本の近代社会の中で流行(モード)が形成されていく特質と、それによってもたらされる欲望の表象を明らかにしたものである。

瀬崎氏の論文の独自性は、第一に百貨店が刊行した宣伝用雑誌を発堀し、それらの資料の精緻な分析をとおして、商品を売る側が意図した消費への欲望をかき立てる言説戦略を明らかにしたところにある。三越百貨店の『花ごろも』から『三越』にいたる宣伝雑誌、白木屋百貨店の『家庭のしるべ』から『流行』にいたる宣伝雑誌の誌面に載った、同時代の著名な文学者・知識人の著作総目録自体に実証研究の大きな成果と貢献を認めることができる。第二に、尾崎紅葉、森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎らの小説を、流行(モード)を消費する者として意味づけられた女性に対し虚栄という症候が、付与されていく心理的・思想的背景を明らかにし、経済システムと文学表象の内在的結合を明示した点である。その意味ですぐれた言語態分析の実践として評価できよう。

論文審査の中では、近世と近代における流行をめぐる言説の断絶よりはむしろ連続性を強調すべきこと、精神分析的な分析の可能性が十分に生かされていないこと、小説テクストに内在する構造や運動と欲望の表象の関係づけが不十分であることなどが指摘された。

以上の議論をふるえ、慎重審議の結果、瀬崎圭二氏の論文が博士(学術)の学位にふさわしいと判断し審査委員全員により合格と判定した。

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